大滝の守り人2
「はぁ、はぁ……やっと岸にたどり着いた……」
『レイ、大丈夫?』
レイがザブザブと川岸にたどり着くと、すかさず影の中から琥珀が飛び出してきた。いつもとは違って、既にライオンサイズの大きさだ。
琥珀はクウゥンと心配そうに鼻を鳴らすと、ザリザリとレイの頬を舐め始めた。その瞬間、ぺかりと一瞬だけ、琥珀が光った。
「ありがとう、琥珀」
レイは琥珀をぎゅっと抱きしめ、少しだけホッと安堵した。
安心したら、今度は自分が全身ずぶ濡れなのに気づいて、水魔術で髪や服を乾かして一息ついた。
レイが滝壺に落ちた後、結界ごとぐるぐると洗濯機の中身のように回されながら、下流へと流されていったのだ。
だんだんと川の流れも落ち着いて緩やかになり、結界内も落ち着いてきたので、一旦、結界を解いて川岸まで泳いで来たのだ。
「結構流されちゃったね……どうにかして、みんなと合流しよっか」
『レヴィ、呼び寄せる?』
「そっか。ちょっとやってみるね」
レイは目を閉じて、召喚の魔術を展開しようとしたが、なぜだか魔術式の構築が完成する前に掻き消されてしまった。
「……レヴィ、召喚できないかも……何か変な魔術が干渉してるのかも」
レイがう〜ん、と腕を組んで唸っていると、
『レイ、今どこ?』
ルーファスとの念話が繋がった。
『ルーファス!? 今はグランド・フォールズの下流域の森の中です。咄嗟に結界を張ったので、怪我は無いです。今は琥珀と一緒です』
『琥珀がいるなら他の魔物の牽制になるね。あ、そうだ。僕の加護を使って。今はさすがにピンチでしょ。僕の加護を使いたいって強く願えば使えるはずだよ』
『分かりました。やってみます。あと、レヴィを召喚しようとしたんですが、なんだか変な魔術に邪魔されて上手くいかないのです』
『ああ、ここは大滝のサーペントの縄張り内だからね。さっきレイが滝に落ちたことで、大滝の魔術に触れたのかも。あ、犯人はこっちで捕まえたから。今、カタリーナ様が尋問中だから大丈夫だよ』
『カタリーナの尋問……それは大丈夫と言えるのでしょうか……』
レイは遠い目をした。鉄竜王様直々の尋問である。どう考えても無事であるはずがない。
『とにかく、加護を使ってみます!』
『こっちでも合流できないか、レイの気配を探るね』
『お願いします!』
レイは目を閉じて手を組み合わせ、コツリと額に当てた。なぜだか、そんな祈るようなポーズをとった方が効果的な気がしたのだ。
(ルーファスの加護を使いたい! ピンチの今こそ、助けて! お願い、応えて!)
ぐぐぐっと魔力を込めると、ぽわりと小さくお腹のあたりが柔らかく光った気がした。
(ん? 加護が発動したのかな?)
「今回の獲物は随分と熱心に祈るな」
レイがパッと顔を上げると、そこには長身でがっしりした体格の男性が立っていた。
綺麗なクリーム色の髪は、きっちりと一本に結えられていて、髪の毛の一部には黒々とした蛇柄がまだらに入っている。
頬にも、首にも、太い腕にも蛇柄のタトゥーが刻まれていて、力強い真っ黒な瞳でじっとレイを見つめていた。彼の眉間には薄らと皺が刻まれている。
ブラウンの革のケープを羽織り、中にはシャーマンのような民族衣装を着込んでいて、ターコイズ色の石が連なった装飾具が見えている。
(……この魔力圧、おそらくかなり高ランクの魔物)
レイは腰元のショートソードに手を伸ばし、警戒して後退った。
「非常に強い水の適性と、莫大な魔力量……人間にしては珍しいな。興味深い」
男性は一瞬にしてレイの目の前まで詰めてきた。彼の手がスローモーションのように、レイの首元へと伸ばされた。
(速い!!)
レイがヤバい! と身を固めた瞬間、
「レイ! 久しぶり!! お届け物に来たよ〜!」
「ぐがっ!!」
ドッカン! と目の前の男性を下敷きに踏み潰して、アイザックが上機嫌で転移して来た。
ぎゅうぎゅうとレイをハグして、ここぞとばかりに頬擦りしている。
「元気そうで良かった! ますますかわいくなった?」
「うぐぐぐぐ……」
アイザックは、サファイアブルー色の瞳をキラキラと輝かせてレイを抱き上げると、その場でくるくると回りだした。感激の舞である。
ただ、その足元からは、何やら苦しげな呻き声が漏れ聞こえてきていた。
「……あの、アイザック……」
「うん、なぁに?」
「下……」
「した???」
レイが気まずそうに伝えると、アイザックがきょとんと首を傾げた。
「…………お前ら、いい加減にしろっ!!!」
「うわっ!!」
「きゃっ!」
がばりと上に乗っている二人を跳ね除けて、男性が起き上がった。
アイザックは器用にレイを抱き抱えて、少し離れた場所にふわりと着地した。
「何で君がこんな所にいるの?」
「それはこっちの台詞だ! なぜ貴様がここにいる!? ここは私の縄張りだぞ!!」
「へっ?」
アイザックは改めて周囲を見回した——レイ以外は全く眼中に無かったようだ。
「レイ、こいつはヘイデン・フロート。大滝の守り人で、僕と同じSSランクのサーペントなんだ。一応、僕の遠い遠い遠〜い親戚だよ。頭が固すぎて融通が効かないから、あまり近寄らない方がいいよ。あと、ニール様がこの森の流通を握ってるから、ニール様とバレット商会には強く出られないんだ。何かあったら、ニール様に告げ口するか、バレット商会グランド・フォールズ支店に駆け込むといいよ。守り人のこいつでも手出しできないから」
「なっ! 貴様、いきなり何を……!」
アイザックは男性を指差して、彼の正体と弱点をペラペラと喋りまくった。
ヘイデンは、いきなりのアイザックの話に、困惑してたじろいでいる。
「……そうなんですね。じゃあ、今こそこれが使えますね」
レイは首元からシルバーのペンダントを引っ張り出した。コイン型のペンダントトップには、黒竜を模したバレット商会の紋章が掘り込まれている。
「……っ! それは!?」
深々と眉間に皺を寄せて、ヘイデンはペンダントを睨むように見つめた。
「それが本物だという保証はあるのか?」
「レイは魔術契約上、ニール様の主人に当たるからね。持っていてもおかしくはないよ」
「なっ……あの商会長殿が、なぜそんな自身が不利になるような契約を……!?」
レイも、そこら辺の理由はニールにはぐらかされてよく分かっていないため、首を傾げた。
その様子に、ヘイデンはますます疑り深く、眉間の皺を深めた。
「それにしても、アイザックはどうやってここまで転移してきたんですか? この森は特殊な魔術が敷いてありますよね?」
「ああ、それはね。この前、僕の抜け殻の鱗をコインに加工してもらったでしょ? あれをたよりに来たんだ。僕も同じ物を持ってるし、元は一つの同じ鱗からできてて、同じ魔力を有してるから、双子石みたいに引き合うんだ。こういう特殊な魔術を敷いあっても、場所が分かるんだよ」
「そうなんですね。それなら、ミランダやメルヴィンたちが迷子になっても、アイザックが迎えに行けますね!」
「うん、そうだね。僕は、彼らなら迎えに行かないけどね」
アイザックは何の悪気も無く、にこにこと答えていた。
「まぁ、いい。アイザック、そこを退け。それは私の獲物だ」
「どういうこと?」
アイザックが、ひたりと重く冷たい魔力圧を放った。その瞳は瞳孔が縦に鋭くなり、暗く光っている。
周囲の森が、ざわりと揺れ始めた。
「私が後ろの人に押されて、滝壺に落ちたんです。咄嗟に結界を張ったので、怪我は無かったんですが……」
「えっ!? そんな酷い目に遭ってたの!?」
「だから、そこを退くんだ。私が一番に見つけて、触れたのだから、私の獲物だ」
「それなら僕の獲物ってことじゃない? 君、あの時、下敷きになってたでしょ」
「誰のせいだと思ってるんだ!!」
ヘイデンからも重たい魔力圧が放たれ、二匹の高ランクサーペントの魔力圧がぶつかり合い、森が、大地がゴゴゴゴゴ……と不穏に揺れ動き始めた。
ギャーギャーと悲鳴を上げるような鳥や動物たちの逃げ惑う鳴き声が、森のあちこちから響き渡り、後ろに控えていた琥珀もぶるぶると震えて地面にうずくまっていた。
「琥珀! 私の影の中に入って!」
レイが琥珀の側に駆け寄ると、琥珀はサッと影の中に避難した。
その間も二匹のサーペントは、ギャーギャーと言い合いを続けていた。
「相変わらず君は頭が固いね! ちっとも僕の話を聞こうとしないじゃないか!」
「それはこっちの台詞だ! 貴様こそ人の話を聞かない所か、勝手なことばかり言っているだろう!!」
今にも胸ぐらを掴んで取っ組み合いの喧嘩が始まりそうになったその時、
「二人とも! そこまでだっ!!」
ドッカン! と二匹の間に飛び込んだ者がいた。
今度こそ地面にひび割れが入り、大きく大地が揺れ動いた。
アイザックとヘイデンは、難なくサッと飛び退いていた。
ひび割れた大地の中心地には、カタリーナが堂々と立っていた。
「カタリーナ!!」
レイはパッと目を輝かせて、彼女を見た。
「やっぱり、ここにいたね! レイはトラブルメーカーだから、争いの中心地にいると思ったんだ!」
「風評被害です!!」
自信満々に断言するカタリーナに、レイは感謝よりも先に、反射的にツッコミを入れていた。




