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第一部 第二章【転校生】凪砂

◆第一部 第二章【転校生】凪砂


 波浪は結局、進学部を受験しなかった。

 少しほっとした反面、少し寂しかった。

 しかし入学式を終えると、そんな気持ちもすぐに消え去った。単純に忙しかった。課題や小テストに追われる日々が始まり、環境の変化に慣れることで精一杯だった。

 だからその日まで、自分が級長に任命されたことを忘れていた。僕は出席番号が一番だからという理由で、級長に任命されたのだった。


「なんで、朝から呼び出しくらってんだよ?」

 朝練後である毅は、パンを片手にいった。

「そこに転校生が来るんだってさ」

 僕は隣席である、毅の座っている席を指した。

「あ? 後ろの席に来るって話じゃないわけ?」

 毅はちらりと後ろを見た。今朝、新たに置かれていた席である。

「転校生の苗字が桂城かつらぎだから、北川くんは後ろの席に移動してくれって」

 現在の席順は、廊下側の最後尾の僕を始点に、蛇行するように五十音の出席番号順になっている。

「そういうことか。まぁ後ろの席好きだし、いいか」

 毅はそういいながら、席の移動を開始した。

「なんで俺じゃなく、ネギが呼び出しくらったんだ?」

「誰も覚えてないだろうけど、俺は級長なんだよ。転校生は日本に不慣れだから、色々面倒みてくれって」

「へぇ。帰国子女ってやつ?」

「そう、男だけどな。でも女顔ではあったかな」

「なんだ、顔のいい男か」

 毅は明らかに落胆した声を出した。

「お前には透子がいるだろ」

「最近電話してもケンカしかしてないわ。桂城なにくんっていうんだ?」

朔馬さくま。桂城朔馬」

「サクマくんね、苗字みたいだな」

「本人の前ではいうなよ。転校早々、名前いじりはキツイだろ」

「はいはい。しかし高校一年の五月に転校してくるなんて、大変だな。転校慣れしてんのかもな」


 しばらくすると教室のドアが開き、担任とともに転校生が教室に入ってきた。担任が口を開く前に、室内はゆるやかに静かになった。

 転校生は職員室で顔を合わせた時よりも姿勢がよく、堂々として見えた。毅がいうように、転校慣れしているのかも知れないと思えた。

「桂城朔馬です。よろしくお願いします」

 担任の紹介の後、転校生はそういうと、ピタリと口を閉じた。担任も生徒たちも、続く言葉を待ったが、彼はそれ以上口を開かなかった。担任は転校生の様子を伺った後で、拍手を開始した。クラスメイトもそれにならって拍手をした。

 彼はその現象になぜか驚いたらしく、戸惑っているように見えた。その後で彼は、照れたように小さく微笑んだ。

 それは、見る者すべての警戒心を吹き飛ばしてしまうような顔だった。



 朔馬が転校してきて一ヶ月が経とうとしていた。

 僕の学校生活は、毅と朔馬の三人で過ごすことが日常になっていた。


 朔馬の転校初日、移動教室の際に声をかけると、朔馬は控えめについてきた。お昼は学校で買うというので、購買の場所を案内した。

 その際に朔馬は、想像以上に日本文化に疎いことが分かってきた。

 購買にいく途中、朔馬は紙パックの自動販売機の前で立ち止まった。

「ん? なんか買うのか?」

 毅がいうと、朔馬は「なにが買えるの?」と質問した。

「なるほど……その発想はなかったな。何が買えると思う?」

 毅はどこか楽しそうにいった。面白そうだったので、僕は無責任にも沈黙した。

「うーん。牛乳って文字があるから、飲み物? いやでも、こういうカタチの箱……か?」

「いい着眼点だな。ここでは飲み物が買える。そして自動販売機のほとんどは、飲み物を売ってる。これは覚えていて損はないぞ」

 朔馬は「わかった」と頷いた。

 その日は、それだけでは終わらなかった。

 購買から教室に帰ってくると、僕たちはそのまま昼食を共にした。

 連絡先を交換しようという流れになった際、朔馬はスマホの操作がかなりおぼつかなかった。毅がツッコミを入れると、朔馬は先日スマホに触れたばかりなのだといった。

「本当だ。なんのアプリもないな。アラームと電話しか使ったことないって、スマホの無駄遣いもいいとこだろ。俺のオススメのアプリ、適当に入れていい?」

 朔馬は頷き「ありがとう」と、毅にスマホを渡した。

 僕はその行為に少なからず驚いた。特になにがあるでもないが、人にスマホを持たせることには抵抗がある。

「いいのか?」

「え、なにが?」

 朔馬はまっすぐに僕を見つめた。

「なんていうか、プライバシーとか、料金設定とか制限とか色々。嫌なら言った方がいいよ」

「サクはネギと違って、やましいことがない男なんだよ。でも確かに、制限の問題はあるか。絶対入れとけってアプリは、メモ帳に書いとくわ」

「メモ帳?」

 朔馬はそういって、毅の操作する自らのスマホを見つめた。それから毅は得意げにスマホの操作を教えた。朔馬はそれらを真剣に聞いていた。


 その日以降、朔馬になにかを教えることは、僕らの日常になった。

 朔馬は僕と毅の会話に割って入ることはないが、無口というわけではなかった。朔馬の地顔は口角が上がっているらしく、常に笑っているように見える。それが彼の印象を明るくさせている。僕と毅の内容のない会話を聞いて笑ってくれることも多かったし、調べてもわからないことは僕らに「教えて欲しいことがあるんだけど」と、実直に質問してきた。彼は自分で調べても分からないことを、僕たちに質問してくる。自ら調べてくる姿勢に好感が持てたし、そういう点は見習うべきだなと思わされた。

 朔馬は得意げに何かを教える僕らの言葉を、いつも深く頷いて聞いていた。自分の話を真剣に聞いてくれることは単純に嬉しく、僕たちは朔馬の前で饒舌だった。


「あ、録画予約すんの忘れてた」

 毅の顔を見て、自分の失態に気がついた。

 毅が好きな映画監督特集が深夜に放送されるので、録画を頼まれていたのだった。

「うわ、泣ける! え、本当に忘れたわけ!?」

 毅は現在野球部寮で生活しており、テレビは談話室にしか存在しない。さらには夜十一時から朝四時までは、談話室は閉鎖になると聞いていた。

「これは本当にごめん」

「昨日いってた番組? 俺、たぶん録画したよ。録画機能は初めて使ったから、確信は持てないけど」

 毅は嬉しさのあまり朔馬の腕にしがみつき、自分の額を朔馬の肩にごりごりと押し当てた。そんな毅を見て、朔馬はただ笑うばかりであった。

「録画したテレビって、スマホで見れるよな?」

 毅はピタリと動きを止めると、朔馬の腕にしがみついたまま僕に顔を向けた。

「パソコン経由するんだっけ? まぁ、できるはず」

「それに関しては、すべてをネギに一任する」

 なんでだよ、と口から出かかったが、今回は僕に非があるので「そうだな」と飲み込んだ。僕はすでに、報酬であるジュースを彼から受け取っていた。

 そして僕は必然的に朔馬の家にいくことになった。

 朔馬は特例で教員の独身寮に一人で住んでいる。野球部寮と同じ敷地内なのだろうと勝手に思っていた。しかし教員寮に関しては、学校から徒歩五分の場所にあるらしい。


 僕たちの通う私立白桜はくおう高校は、地元では有名なマンモス校である。白桜高校には僕たちの所属する進学部の他に、男子部と女子部が存在する。それらは同じ敷地内に存在するが、校舎も校門も違うので同じ学校という認識はほとんどない。

 白桜高校は、甲子園の常連校としても知られている。甲子園を目指すために県外からの入学者も少なくない。毅が白桜高校に進学した一番の理由も、おそらく甲子園である。しかし進学部で野球部に所属しているのは、全学年でも片手で数えられる程度らしい。進学部は部活との両立が難しいとされているので、当然といえば当然である。実際に毅は四月中、ずいぶん疲弊していた。今も休み時間は机に突っ伏して眠っていることも多い。


「ここに引っ越してきて、どれくらい?」

「転校した日とほとんど同じ。そろそろ一ヶ月かな」

 朔馬の部屋には驚くほど何もなかった。

 家具家電は備え付けのものらしいが、それ以外は着替えと、少しの文房具しか見当たらなかった。

 朔馬がどうして一人で暮らしているのか、僕も毅も言及したことはない。これを機に聞いてみたいとも思ったが、やはりやめておいた。

 朔馬の家での作業は、思いのほか時間がかかった。朔馬はノートパソコンを所有していたが、一度も起動したことはないといった。そのため諸々の準備に時間がかかった。

 録画されたものを移動させる段階になる頃には、外は薄暗くなっていた。

「少し帰りが遅くなるって、家に連絡いれておくかな」

 なんだろう? スマホを握る手が重く感じる。

 そう気づいた後には、貧血かと思うほどの抗えぬ眠気に襲われていた。

「凪砂?」

「なんか急に……急に、すごく、眠い」

「大丈夫? ベットで眠っていいよ」

 その言葉に、きちんと返答できたのか覚えていない。僕はプツンと電源が切れたように、眠りに落ちた。


 来る。

 なにかがこちらを見ている。まぶたを透けて、その視線がつき刺さる。

 目覚めても暗闇が広がっていた。ここが朔馬の家であることを思い出すのに、少々時間がかかった。

 どれくらいここで眠っていたんだろう? そんなことを考えながら、自分を見つめているはずの目を探した。

 部屋に朔馬の姿はなく、僕の周りには沈黙しかなかった。

 少しすると暗闇に目が慣れ始め、窓の方は外灯でうっすら明るいことに気がついた。同時に、異形の影があることに気がついた。

 それは確かに、そこにいた。



「そういうわけで、今日から朔馬がうちに住むことになりました」

 朔馬の家にいったあの日、僕は高熱を出していた。

 それに気付いた朔馬は、風邪薬やら何やらを買うために家を出た。僕は運悪く、その間に目を覚ましたのだった。

 異形の影を見つめた僕は混乱し、近くにあったテレビのリモコンをそれに向かって投げつけた。

 窓が割れ、沈黙が消えると、その異形の影も姿を消していた。

 僕がぼんやりとしている間に、同じマンションに住む教員は事態を把握し、諸々の対応にあたってくれた。その日僕は親に迎えに来てもらい、熱で朦朧とする中で家に帰ったのだった。

 僕が熱で寝込んでいる間、事態は緩やかに動いていた。

 朔馬は特例で教員寮に住んでいたが、僕が窓を割るという失態のせいで「やはり生徒を教員寮に住まわせるのは、問題があるのではないか」という話になったらしい。

 窓を割ったのも寝ぼけた僕なので、当然朔馬に非はなかった。僕が窓を割った理由については、熱のせいか、それほど深く言及されなかった。正直に「変なものが見えた」といってもよかったかも知れないが、僕は「なんか混乱してた」とだけ説明した。大人たちはそれで納得してくれた。つくづく日頃の行いは良くしておくべきである。

 しかしそんなことは一切関係なく、朔馬にとっては僕は、疫病神のようなものである。

 朔馬が住む場所を失うかも知れないことを、僕は両親に相談した。両親は再度、朔馬と学校側に、謝罪の連絡を入れた。

 そして結果的に、朔馬は我が家に住むことになったのだった。

 結局僕はあの日見た異形の影のことを、誰にも話してはいなかった。夢だと思っているわけではないが、なんとなく口にする気にはなれなかった。


「教員寮で生徒になんかあっても、責任とれないもんな」

 毅は冷静にいった。

「そういうことらしい。申し訳なさ過ぎる」

 朔馬は「大丈夫だよ」と、いつものようにふわっと笑った。

「しかし、伊咲家に住むのは楽しそうだな。俺も久しぶりに家に帰りたい」

「次の休息日にでも、帰ってくれば?」

「次の休息日って、今日なんだよな。今日はミーティングだけだ」

「じゃあ、帰ってくれば?」

「あー……どうすっかな。家に帰ると、朝練に間に合うか微妙なんだよなぁ」

 毅とは家が近所であり、僕たちは当然のように幼なじみである。そのため毅が寮暮らしをすると決めた際は、寂しさのようなものを覚えた。

「でも久しぶりにハロの顔も見てやりたいしなぁ」

「なに目線なんだよ」

「そういえば、朔馬とハロって面識あんの?」

「ない」

 僕が即答すると、毅は「大丈夫なのか?」といいたそうに僕を見つめた。

「親が朔馬のことは、帰国子女のかわいい子だとは説明してたぞ」

「で、ハロは?」

「へぇ、って」

「その説明だと、ハロは朔馬のこと女だと思ってる可能性ないか?」

「さすがにそれはないだろ。朔馬は俺の友だちって伝えたわけだし」

「ネギにも女子の友達がいるって、思い込んでるかも知んないだろ。進学部は共学なわけだし」

「えぇ……大丈夫だろ。さすがに」

 僕はそういいながらも、スマホを取り出し「帰国子女は男。いいヤツ」と短い文章を送った。するとすぐに「了解」という意のスタンプが送られてきた。

「連絡した。これで大丈夫だろ」

「ネギはしっかりしてるようで、そうでもないよな。だから無神経っていわれんだよ」

「誰にもいわれたことないぞ」

「この無神経が!」

「今いわれても、なんとも思わない」

 僕らの無意味な会話が一段落すると、朔馬は遠慮がちに「ごめん。ハロって何?」と問うた。

「待て……待て! マジか」

 言葉にこそしなかったが、僕も毅と同じ気持ちであった。

「ハロは、ネギの双子の姉ちゃんだよ。波浪警報の波浪って書いてナナミちゃん。ちなみに白桜高校の女子部にいる」

「え、凪砂って双子なの?」

 朔馬は驚いたように僕を見た。これから住む家に女の子がいると、急に知らされたら、僕も同じように驚いただろう。

「ごめん、知らないとは思わなかった。たぶん親も、朔馬が知らないとは思ってなかったんだろうな」

「名義上は同じ学校に通ってるし、家いくような仲だしな。ネギの家族構成は当然知ってると思うだろ、親は……」

 毅は心底同情するような声でいった。

「俺は凪砂の家に住んで、本当に大丈夫なのか?」

「親もハロも了承済みだし、大丈夫だろ」

 僕はそういった後で助けを求めるように、なんとなく毅を見た。

「ハロは悪いヤツじゃないし、まぁ大丈夫だろ。ネギは短気だけど、ハロはちがう」

 僕は「いうほど短気じゃないけどな」と小さく反論した。

「凪砂の姉さんなら心配はないけど……俺は日本の一般家庭を知らないから、失礼なことをしないか不安だな」

「わからないことは聞いてくれたらいいよ。ハロのことは客観的には話せないけど、毅がいうように悪いヤツじゃないよ。短気でもない」

「客観的に見ると、そこそこ美少女らしいぞ」

「なんでだよ」

「野球部のほとんどが男子部だから、女子部のそういうの見てんだろうよ。生意気なことに、ハロの名前は時々上がってるな」

「身内から見ればかわいいとは思うけど、美少女なのか?」

「見る人によっては、そうなんだろ」

「かわいいことと、悪い人じゃないってことは、すごくいいことだな」

 適当な会話をする僕らを前に、朔馬は自分を納得させるように呟いた。

「あとはなんだろうな? とりあえず運動神経がいい。俺と張るくらい足が速い。でもスポーツ少女ではない」

「毅よりハロの方が足速いだろ。でも確かにスポーツ少女ではないな」

「ハロは帰宅部だしな。編み物とかそういうの、もうやってないわけ?」

「今もやってる。あと毅が観ろっていった映画は、たまに垂れ流してるな」

「朔馬も俺がすすめた映画は観てくれてるから、その辺は話が合うかもな」

「二人とも押し付けられただけだろ」

「俺の言う事を聞いてくれるって意味じゃ、二人は似てるかもな」

 僕は「あー……」と小さく同意した。

「そもそもサクが小うるさいヤツだったら、俺とは一緒には居られないだろうしな」

 毅は愉快そうに笑った。

「小うるさいって聞いて、真っ先に透子の顔が浮かんだ」

 僕は正直にいった。透子は中学から付き合っている毅の彼女である。

 毅は「あー……」とだけ発した。


◆◆◆


 我が家の最寄駅は、白桜高校の最寄から電車で二十五分である。時間的には、それほど遠いとは感じない。しかし電車の本数が少ないので、必要以上に不便を感じる。


 朔馬の荷物は、予想通り少なかった。朔馬の荷物を半分持つつもりでいたが、僕は彼のノートパソコンを持つだけで事足りた。教科書類は今日はすべて学校に置くことにしたので、引っ越しにしてはひどく身軽である。

 僕たちが家に到着しても、波浪はいなかった。

 伊咲家に着くと「なんか大きくない?」と、朔馬はものめずらしそうに家を見上げた。

「この辺は田舎だから、みんなこんなもんだよ」

「へぇ……すごいなぁ」

「今ハロが家にいないってことは、次の電車だろうから、あと三十分は帰って来ないかな。先に伊咲屋いさきやにいこう、伊咲屋は両親が働いてる旅館なんだ」

「さっき見えてた旅館?」

「そう」

 伊咲屋はいわゆる親族経営の旅館である。現在は伯母夫婦が中心となって、伊咲屋は経営されている。年の離れた従兄弟とその奥さんは、すでに伊咲屋で働いている。将来は彼らが、伊咲屋を経営していくことになるはずである。

 海沿いの旅館ということもあり、伊咲屋はこれからが繁忙期である。

 伊咲屋は十三歳以下は宿泊できないので、正面玄関には近付くなといわれて育った。十五歳になった今でも、僕は正面玄関に近づくことはほとんどない。


 両親と顔を合わせると、朔馬は「お世話になります」と丁寧に頭を下げた。両親は僕の失態を再び丁寧に詫びた後で、朔馬の遠縁にあたる保護者が昼間こちらに挨拶にきたことを話した。そしてその人から、家賃として納める金額をいただいてしまったと説明した。だからというわけではないが、遠慮なく伊咲家で過ごして欲しいといった。さらに両親は、伊咲屋が繁忙期になるため至らないことも多くなるだろうと頭を掻いた。

 そんな両親に対して、朔馬は「とんでもないです」と恐縮するようにいった。そして「大切な家に住まわせて下さって、ありがとうございます」と頭を下げた。僕が彼の立場なら、そんな風に振る舞えないだろうと思った。


 伊咲屋を出て家に帰ると、僕は簡単に家の中の説明をした。

 朔馬の部屋は、西の間と呼ばれる一階の和室とすでに決まっていた。朔馬は西の間の、北隣に位置する茶室の存在にひどく関心していた。

「今は伊咲屋の敷地内に正式な茶室を設けて、そこで教室を開いたりしてるんだ。だから、ここはもう使われてないよ」

「ご両親が茶道の先生なの?」

「茶道をするのは母さんだけだな。そういえば、買った加湿器は明日には届くって」

「え? カシツキ? 俺のために買ってくれたの?」

「まぁ……西の間用ってことじゃないか?」

 そんな会話をしながら、僕らは西の間からリビングへ向かった。

 朔馬の両親について結局言及していないままだが、朔馬の保護者についてなら聞いてもいいのだろうか? 

 そんなことを考えていると玄関が開き、波浪が「ただいま」と姿を現した。


「あ、おかえり。昼間。連絡いれただろ? 今日からうちに住むことになった、桂城朔馬」

 僕はがいうと、朔馬は「初めまして」と小さく頭を下げた。波浪はそんな朔馬を、ぽかんとした表情で見つめていた。

 しかしすぐに「伊咲波浪です」と、小さく頭を下げた。そしてふらりと朔馬に近づき、右手を差し出した。

 朔馬は少し戸惑ったように見えたが、波浪の手をとると「よろしく」と柔らかく微笑んだ。

 その姿を見て僕は少しほっとした。

 きっと大丈夫だと、無責任にそう思えた。




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