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第二部 第八章【玉兎】朔馬

◆第二部 第八章【玉兎】朔馬


 うなされる気がする。

 実際にその夜、うなされたのかは分からない。

 しかし、しっかりと悪夢を見た。若矢の雉のように、永く生きている妖怪や神の類に触れると、その思念が入り込んでくることがある。

 目覚めた時、見ていたはずの夢は覚えていなかった。

 それでも喪失感で、胸がひしゃげそうだった。


「運動公園前という所で降ります」

 バスの一番後ろに座ると波浪はいった。朔馬は初めて乗るバスという空間に意識を向けたまま「はい」と返事をした。バスの中は想像以上に広く感じた。

「なにかあった?」

「歩く人と目が合わないなと思って」

 朔馬は窓を見つめたまま答えた。

「バスは背が高いからじゃない? 目線が合わないと、目も合わないよ」

 いわれてみれば朔馬自身、通行人の頭頂部ばかり見ている気がした。

「あ、そうか」

 少しすると波浪は「ごめん。適当なこといいました」といった。

 毅にそう思うのと同様で、朔馬にとってはそれが嘘でも本当でも、あまり大きな問題ではなかった。


 バスを降りると、目の前は大きな駐車場だった。

 運動公園の近くには、野球場やサッカー場、陸上競技場などが隣接しているのだと波浪はいった。そのせいか駐車場にいても、色んな声が響いてくる。

 幡兎神社は各競技場とは逆の方向にあるらしく、波浪は喧噪から遠ざかるように歩き始めた。

 バス停から少し離れると蝉の声がうるさくなった。

 人を誘い込むように沿道の緑がぽっかりと空いている。そこに足を踏み入れると、浅く広い階段が続いている。その階段はとても平坦で、ただの石畳を歩いているようにさえ錯覚する。灯籠と階段は苔に彩られているせいか、進むたびに緑が深くなっていく。

 社殿につくと朔馬は賽銭箱に千円札を放った。

 波浪は「おさつがない」と絶望した。

「ハロの分も兼ねてるから大丈夫だよ」

 波浪は「ありがとう」といいつつ、小銭を放った。

 鈴を鳴らし、なにを祈るでもなく手を合わせた。


「なんだぁ? 妙な気配だが、人間かぁ?」

 社殿の屋根には兎面をつけた子どもがいた。人外である。

 二人が社殿を見上げていると、兎面はじっくりと二人を観察した。

「二人とも見鬼ってわけかぁ。いいねぇ、見鬼はいいねぇ」

 兎面は屋根から、ゆらりと襲いかかってきた。

 抜刀したが、攻撃していいのか朔馬は少し迷った。しかしそれも一瞬のことで「反撃はせず攻撃を受けること、波浪を護ること」この二つに徹しようと判断した。

 朔馬の思考通り、兎面は抜刀した朔馬に向かってきた。兎面の攻撃を肢刀で受ける瞬間、兎面は「ぎゃあ」と顔を押さえ、その場に倒れ込んだ。

「えぇ……」

 横を見ると、波浪が親指と中指で作った円を兎面に向けていた。

 兎面が倒れたことには、波浪も驚いている様子であった。一呼吸して波浪は、朔馬を見つめた。

「妖怪にしか効かない呪術、です」

「呪陣なしで使えるようになったの?」

「二メートル範囲くらい、且つ簡単なものは……」

 兎面が倒れると思ってなかったらしく、波浪は申し訳なさそうにいった。

 人外に襲われる経験は、波浪はおそらく初めてである。しかし彼女は冷静に呪術を発動させた。呪術の使い手としてもそうであるが、判断の速さとその度胸にも驚かされた。

「この子、妖怪?」

 波浪は倒れたままの兎面に近づいた。

「どうなんだろう。神様の可能性もちょっと考えたけど、違うみたいだな」

 朔馬は兎面を妖術で拘束し、社殿の軒下に移動させた。

 しばらくすると兎面は目を覚ました。

「あ、大丈夫か? 人間嫌いの神かとも思ったが、妖怪なのか?」

「俺は、ここの眷属けんぞくだぁ!」

 兎面は体をバタバタと動かしながらいった。

「眷属って? 神様の使い?」

「そんな感じ。妖怪が眷属になることも、それほどめずらしくないよ」

「うわ、本当にごめんなさい」

「でも神の眷属は、妖怪用の術は無効だと記憶してるんだけどな。なにか事情があるのか?」

「うるさい、うるさい! 俺は眷属だぁ! お前らこそ何者だぁ? ただの見鬼ではないよなぁ!」

「俺はネノシマから来た。名は朔馬。眷属なら、名前をもらっただろ?」

「名は、俺の名は、玉兎ぎょくとだぁ!」

 玉兎は名乗るとピタリと暴れるのをやめた。

 その様子を見て二人は顔を見合わせた。なにか事情があるらしい。

「お前ら、ここになんの用だぁ?」

 玉兎の敵意は消えていなかったが、先程よりは話が通じそうに思えた。

「俺とこの子は、手の一部が石化してるんだ。解決策を探してここにきた」

 朔馬は玉兎に両手を見せた。

「弱っている妖鳥の石化に巻き込まれた」

「なるほどなぁ。そりゃ災難だったなぁ」

 朔馬は拘束していた玉兎を解放した。

 玉兎はすぐにそれに気付き、拘束されていた手首を見つめた。

「石化しているのは、そこだけかぁ? その程度なら、兎国神とこくのかみがどうにかできるだろうなぁ」

 玉兎は吐き捨てるようにいった。

 兎国神。おそらくここの神である。

「そんなことより、どっちでも構わねぇ。噛んでいいかぁ?」

「ん? あぁ、いいよ」

 玉兎の前に手をだすと玉兎はパカリと口を開け、鋭い牙を見せた。玉兎の牙がかかる瞬間、朔馬の手は払いのけられ、代わりに朔馬より細い手にその牙は立てられた。

「え、なんで?」

 慌てる朔馬と反対に、波浪はひどく冷静に見えた。

「攻撃したのは私だし、朔馬はケガすると大変でしょ」

 朔馬が鵺に噛まれた際、凪砂にハチワレ石を預けていたことを彼女は知っている。おそらくそのことをいっているのだろう。朔馬が小さく後悔をしていると、玉兎は波浪の手から口を離した。

「体調が戻ったら、またここに来なぁ。そうだなぁ、夜だ。夜に来い」

 玉兎はぴょんぴょんと二人から距離をとり、ふわりと二人の前から消えた。

 それを見送った後で、波浪は口元を手の甲で隠し小さく咳をした。


 噛まれた場所は傷にはなっていなかった。玉兎が神の眷属だというのは本当らしい。玉兎が妖怪であれば、傷が確認できないのは妙である。

「すごく気持ち悪いってわけじゃないけど、なんか気持ち悪い」

 波浪は「でも大丈夫」と続けた。

「夜に来いって、なにか意味があるのかな? 建辰坊の時もそうだったけど、理由を聞けばよかった」

「夜の方が、動きやすい神や妖怪がいるんだよ」

 波浪は「そっか」というと、それ以降口を開かなかった。

 彼女が苦痛に耐えていることは、いわずともわかった。だからこそ何もいえなかった。



「ハロの自己判断だし、朔馬が責任を感じることじゃないだろ。朔馬の方が、顔色悪く見えたくらいだし」

 凪砂は思いのほか冷静だった。波浪が傷つくことに敏感なのだろうと勝手に思い込んでいたが、案外そうでもないらしい。

「家族が故意に傷つけられたら許せないけど、今回は自己責任の範囲だろ」

 納得していない様子を察してか、凪砂はそう続けた。

「最近忘れてたけど、ハロは毅ほど無茶はしないけど、毅より度胸はあるよ」

「そうなの?」

「高い所から飛び降りてみるとか、そういう度胸試しみたいなことは全部毅が言い出すんだけど、一番手は全部ハロだったよ」

「それも、アクセルが壊れてるから?」

「そこに繋げられると、ちょっと違う気がするけど……まぁそうかな。長所にも短所にもなるし」

「今度来るときは夜に来いっていわれたし、一人でいこうかな」

「え、それはハロも連れていきなよ。ハロはたぶん役に立ちたかったんだろ。置いていかれるのは悲しいと思うよ」

――朔馬はケガすると色々大変でしょ

「そうか……」

「そうだよ。たぶん。俺だったら置いていかれるのはつらい」

「わかった」

 凪砂は「よかった」と安堵したように笑った。

「朔馬はどうせこちらのことは、何も考えていない。自分以外に興味がない」

「ん?」

「この前、光凛にいわれたのはその通りだと思って」

「は? 全然違うだろ」

 凪砂はきっぱりいった。

「朔馬はハロのことを考えた結果、一人でいこうと思ったんだろ? 自分以外のことを考えてないなんて、俺は少しも思わない」

 何かを間違えたり、失敗すると、大抵強く叱責されてきた。もしくは暴力を振るわれた。しかし凪砂の今の言葉が今までで一番痛かった。

「でも夜か。運動公園前のバスって最終が二十時台とか、そんなもんだった気がするんだよなぁ。あ、自転車の練習しようか。自転車でなら、三十分かからないくらいだよ」



 朔馬が風呂から上がると、波浪がソファーで眠っていた。

 石化以来、編み物はしていないように思うので、なんだか申し訳なかった。

 波浪がここで眠っているのは玉兎に噛まれたせいとは限らない。それでも朔馬は座卓で勉強することにした。具合が悪い時に誰かがいてくれると心強いという学びは、今後も消えることはないだろう。

 黙々と勉強していると、波浪はいつのまにか目を覚ました。

 波浪は少しの間、虚ろな目で朔馬を見つめていた。その後、現実と焦点が合ったのか、クッションに顔を埋めた。見間違いでなければ波浪の目は腫れていた。

「大丈夫?」

「大丈夫。なんだか悲しい夢をみてた。あの雉の夢だった気がする。あの雉、本当に死んじゃうの?」

 小さな子どもがぐずっているような、そんな声であった。

「あの雉は役目を終えたら、きっとそのまま消えてしまうと思う」

 朔馬は正直にいった。

 雉の石化に巻き込まれたことで、波浪の夢になんらかの影響がでていても不思議ではなかった。どう説明したものか考えていると、波浪はクッションからゆっくりと顔を上げた

「見て」

 泣き腫らしたような目の方が気になったが、朔馬はいわれるまま波浪の手を見つめた。

「石化が戻ってる」





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