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第二部 第七章【妖将官】凪砂

◆第二部 第七章【妖将官】凪砂


「ここ、石になってるの。こうしても全然痛くない」

 波浪は座卓の角にコンコンと小指の付け根をぶつけた。

 僕たちは両親に「今日中に食べて!」と渡された黄色いさくらんぼを食べていた。

「全然痛くないの?」

 波浪は「うん」といって小指の付け根を僕に見せた。

 よく見ると通常の皮膚とは違い、白い石のようになっていた。

「本当だ、石だ」

「石化途中の妖鳥に触ったから、巻き込まれたんだろうって。今、朔馬が媼って人に、治し方を聞きにいってくれてる」

 天壇でそんな話をしていたなと思いつつ「へぇ」と曖昧な返事をすると、波浪は西弥生神社にいる妖鳥の話をしてくれた。


「若矢の雉と呼ばれている、呪いをのせた雉なんだ」

 西弥生神社から帰ってくると朔馬はいった。

 朔馬にさくらんぼを渡すと、初めて食べるらしく、種を飲み込もうとしたので僕たちは慌ててティッシュを差し出した。

「若矢っていうのは、地名かなにか?」

 僕はいった。

「苗字だよ。若矢という一族が雲宿にいるんだけど、元々は岩宿の出身なんだ」

 朔馬と波浪がどれだけネノシマの話をしているのかは分からない。

 少なくとも僕自身は、自分から波浪にネノシマの話をすることはない。しかし朔馬は波浪になにを隠すでもなく、僕になにかを口止めすることもなかった。

「須王家と同じく、天津家と分家だったとか、そういうこと?」

「うーん、少し違う。須王家と天津家が本格的に仲違いする前に、若矢の祖先は岩宿を代表して、雲宿に派遣されたらしいんだ。でも若矢の祖先は、雲宿と志をともにするようになった。つまりは、寝返ったってことかな」

「それは、岩宿の人も怒るだろうな」

「若矢を派遣した上司は巣守すもりというんだけど、その巣守が若矢を処分することになって、若矢を呪う雉を飛ばしたらしい。それが若矢の雉だよ。もう何百年も前の話だけどね」

「若矢の雉というより、巣守の雉なんだな」

「雲宿では若矢の雉っていわれてるけど、岩宿では巣守の雉って呼ばれてるらしいよ。媼の口ぶりだと、呪いはすでに発動されたみたいだな」

「呪いって、死ぬの?」

「若矢一族の末裔が死ぬ呪いらしいよ」

「末裔って、血筋の末にいる人だろ? 子どもが死ぬの?」

「情報が更新されていなければ、現在の若矢一族の末裔は、若矢香明きょうめいという香車の一人だよ。一応同僚。年齢は知らないけど、たぶん二十代だよ」

「想像してたより、身近な人だな」

 同僚といっても、もちろん同級生のような距離感ではないだろう。しかし関わりが全くないわけでもないのだろう。

「香車って役職者だろ? そんな人が呪われたんじゃ、雲宿も大変なんじゃないか?」

「大変だと思う。きっと媼たちが必死に対応してるよ」

 僕は「それもそうか」と呟いた。

「とにかく俺は、石化した手をどうにかしろっていわれた。石にまつわる神を探せって」

「ネノシマから飛んできた筆鳥は?」

「そのうち起きるだろうし、現状どうしようもないから、とりあえず手のことを解決するよ。ハロも不便だろうし」

 朔馬は石になった部分を見つめた。

「石にまつわる神か。どうやって探すんだ?」

「検索したら、案外近くにいるみたいだった」

 朔馬は液晶画面を操作した。

「ネットで検索したの?」

 朔馬は「ここだよ」と僕に地図を見せた。

「あ、幡兎神社か」

「知ってる? 建辰坊に聞いたら、よく知らないって」

「ここの最寄駅からバスが出てるよ。その近くの運動公園には何度かいったことあるから、案内するよ」

「ありがとう。でもこの距離だし、一人でいってみるよ」

「でも朔馬、バス乗ったことないだろ? あ、ハロも一緒にいったら? その日に解決したら、朔馬が二度手間になるだろうし」

 僕がいうと、波浪は「うん、そうする」とすぐに返事をした。



 その後、自室で勉強しているとチカチカとスマホが反応した。

 起きていたら部屋にきてほしいという、朔馬からの連絡であった。おそらく光凛がいるのだろう。

 僕は座ったまま伸びをして、西の間に向かった。

「お前は、大丈夫なのか?」

 西の間にいくと、光凛は開口一番にいった。

 朔馬も座卓で勉強をしていたようだが、こちらを振り返って「遅くにごめん」といった。

「お前は、なんともないのか?」

 光凛はするりと近くに寄ってきた。そしてちょんちょんと猫の手で、僕の手を入念に確かめた。

「彦納様に、朔馬の手の具合を見てこいといわれたのだ」

「俺はなんともないよ」

「凪砂は大丈夫だと媼には報告したぞ」

 朔馬は失笑した。

「日頃の行いを少しは省みろ。朔馬はその手は石化しているが、広がることはなさそうだな」

 光凛は座卓に向かう朔馬にいった。

「そうだな。あれから広がる様子はない」

「抜刀はできるのか?」

「問題ない。印を結ぶには少し不便かもしれないけど」

「お前はさっきから、何をしているのだ?」

 朔馬は「ちょうど終わったところだよ」とノートを閉じて、それを僕に差し出した。

「興味があれば」

 ノートには朔馬の文字で、見覚えのある文章が書かれていた。

「え? これ、妖術書?」

「うん、まだ前半だけど」

「ネノシマの書物は国外に持ち出し禁止だと、私にいっただろうが!」

「持ち出してない。書き出しただけだ。凪砂が妖術を覚えて、損することはないだろ。抜刀できるなら尚更、その扱いには慣れた方がいい」

 光凛の「そんなのは屁理屈だ!」と苛立った声が、遠くに聞こえた。僕はとても驚いていた。

「もしかして朔馬、妖術書を全部暗記してるの?」

 朔馬は困ったように小さくうなずいた。

 僕は幼い頃読んでいた絵本さえも、こうして書き出すことはできないだろう。

 朔馬の努力を思うと、どうしてか心が沈んでいくようだった。


 その後朔馬は、今夜はうなされそうな気がするから光凛を僕の部屋で寝かせて欲しいといった。

 光凛曰く、本日は夜明けまではネノシマに帰れないらしい。先日は数時間しか日本に居られないといっていたが、ハチワレ石には僕の知らない色んな条件があるようだった。

「ネノシマの人は、みんなこんな風に妖術書を書き出せるものなの?」

 ベットの電気スタンドを点けて、朔馬の書き出したノートを見つめた。

「出来るわけがないだろう」

「そうだよな。それに、本物より読みやすい気がする」

 光凛は「どれ?」とノートを覗き込んだ。

「そういえば光凛は、若矢香明さんとは知り合いなの?」

「その名は、朔馬から聞いたのか?」

 まずいことを口走っただろうかと思ったが、僕は「うん」と素直に肯定した。

「雲宿の香車の一人だ。妖将官ようしょうかんで知らぬ者はいない」

「ヨウショウカンって?」

「妖将官というのは、抜刀できる官吏かんりのことだ。逆に言えば抜刀できなければ、どんなに優秀でも妖将官にはなれぬ」

「官吏ってことは役人というか、公務員か。朔馬も公務員とかいってたっけな」

「詳しくいうなら、朔馬は妖将官の役職者ということだな」

「光凛は妖将官ってことだよな? 同じ年で公務員か、二人ともすごいな」

「どうだかな。幼いという意味で、幼少官と揶揄する者もいるがな。実際に妖将官は、平均年齢が他と比べるとかなり低い」

「なにか理由でもあるの?」

「二十歳までに抜刀できなければ、妖将官にはなれぬ。それに妖将官の主な仕事は害妖退治だ。体力的に任務が難しくなった者は引退する。役職者以外は、四十を待たずに引退する者が多い」

 スポーツ選手みたいなものだろうか。そう考えると十代で活躍する者が多くても納得はできる。

「妖将官を引退した者は成将官せいしょうかん文官ぶんかんとして、政務や教務に関わることが多い」

「妖将官は、それほど多くはないの?」

「そうだな。決して多いわけではない」

 香車である若矢香明の危機は、僕が思う以上に憂うべき問題なのかも知れなかった。

 少し前に戦争という言葉を聞いたせいか、僕の心はざわついた。


 目覚めると光凛の姿はなかった。

 いつものように半分寝ぼけたままリビングにいくと、波浪は朝食をとっていた。朔馬は走り終えた直後らしく、プロテインを台所で飲んでいた。

 両親は本日も伊咲屋の朝食の手伝いにいっているらしい。七月に入ってからはほぼ毎日のことである。

「テスト?」

 波浪は僕の手元を見ていった。僕は枕元にあった朔馬のノートを、無意識に持ってきていた。

「あ、これは朔馬の……」

 光凛の時とは違い、部屋から出すなとはいわれていなかった。しかし僕は答えを求めるように朔馬を見つめた。

「妖術書の書き写しだよ。妖術の基本書なんだ」

「へぇ、見てもいい?」

「いいけど。ただの書き写しだよ」

 朔馬はいった。

「そういうけどさ、普通できないだろ」

 僕は波浪にノートを渡した。

「いつも授業前に色んなもの暗唱させられてるし、凪砂もできるんじゃない?」

「できないよ、あれは暗記というか、瞬発力みたいなもんだし」

「朔馬がなにも見ないで書いたの? 丸暗記してるってこと?」

 波浪はノートに目を落としながらいった。

 僕が「そうだよ」いうと、波浪は朔馬に視線を向けた。

「え、すごい! すごいね!」

 朔馬は昨夜とは違い、柔らかく笑った。まるで初めて褒められた子どものような、そんな顔だった。


 昨夜の僕も、朔馬の努力を素直に「すごい」と褒めることができたらよかった。

 僕はあの時、抜刀することが生きる条件だった幼い朔馬を想像してしまった。その壮絶な環境に息を飲んだ。

 それでも僕は、朔馬の努力を褒めるべきだった。

 努力を重ねた彼に、あんな顔をさせていいはずがなかった。







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