第二部 第四章【面倒】凪砂
◆第二部 第四章【面倒】凪砂
――凪砂は須王家の血筋だ
両親の子ではない事実は、ずいぶん前に飲み込んでいた。
伊咲家の子ではないと知った時、捨て子だと知った時、世界の色が変わったように思った。今まで見てきたものはすべて嘘だったような、そんな気持ちにさえなった。
しかし色んなことに向き合えぬまま、僕の日々は流れていった。何も考えられないまま、流れていった。
そのせいか、不満はないのに満たされない気持ちがいつも巣食っている。
朔馬は月訓神に呪われた時、なにを思っただろう?
呪われ、声を奪われ、努力をしなければ数年で死ぬという状況に立たされ、なにを思ったのだろう?
聞いたら答えてくれるだろうか?
知られたくないはずの胸の内を、誰かに聞いて欲しくなる。
矛盾した気持ちが、波のように押し寄せては引いていく。
そんな夜を幾度くり返したか分からない。
◆
光凛が僕の血判を持って帰った翌日、彦納様なる人物から話がしたいとの言付けがあったらしい。
断る理由もないので朔馬と夜の西弥生神社に向かった。日が暮れてから神社に向かうのは、建辰坊との最悪の初対面以来だった。
「朔馬か?」
深く響く声が僕の耳に届いた。
「いかにも」
「血判の件、ご苦労であった」
「俺は何もしてない。礼は本人にいってくれ。隣にいる」
「初めまして。私、姓は少那、名は彦納と申します。須王家に仕える陰陽師を束ねております。この度は血判の件、さらにはここまでご足労いただき、誠にありがとうございます」
「あ、いえ、とんでもないです。俺は凪砂といいます」
光凛の例があるせいか、丁寧な物言いに僕は恐縮した。
「朔馬にもよくしていただいているようで、ありがとうございます。そちらに失礼がないか、心配しております」
「とんでもないです。彼が元の住まいを追われたのも俺のせいで、こちらこそ迷惑をかけてます。鵺からも助けてもらいました」
「朔馬が役に立ったのならば、なによりでございます」
僕は馬鹿みたいに「とんでもないです」と、くり返した。
「朔馬、もしくは光凛からすでにお聞きになってるやも知れませぬが、ネノシマの結界の強化にご協力いただきたいのです。ネノシマの結界はこのままですと、鵺のような害妖が日本に渡る可能性もございます。凪砂殿に直接関わりがないとはいえ、私どもは貴方様にすがるしかない状態です」
そういえば逃げてしまったとされる鵺はすべて退治したのだろうか? しかし今はそんな問いを投げる時間ではなかった。
「具体的に、どんなことをすればいいんですか?」
「ここから先のお話は、他言無用に願います」
僕は朔馬を見つめた。朔馬は浅くうなずくと、その場を離れようとした。
「待って下さい。朔馬にも秘密なんですか? 俺はネノシマのことに関して、朔馬に秘密を作れる自信はありません」
「朔馬にも、ここで話を聞いてもらって問題ございません。朔馬。ここで聞いた話は、お前も他言無用ぞ。ここから先は、陰陽師とて一部の者しか知らぬ。光凛も知らぬことだ」
「承知した」
朔馬はいつもより低い声でいった。
それから彦納媼は話し始めた。
「須王家は結界を保つため、自らの血を守護神に捧げております。その守護神というのは、現在は絵の中に封印されている、斑龍と呼ばれる龍でございます。凪砂殿の血を、その斑龍に少々与えて欲しいのです」
「え? えっと、それはどれくらいの量が必要なんですか?」
「具体的には私にもわかりません。ただ、当日も普段の生活をする分には支障のない量だと把握しております」
献血ができる年齢ではなかったが、問題はないように思った。
「現在の皇帝である蛍雪、皇子である白雪は、一年に一度、守護神に血を与えておりました。しかしここ数年それだけではネノシマの結界が上手く機能しなくなりました。そのため今まで一年に一度だった捧血の儀を、年に二度に増やしました。それでも鵺がネノシマから出てしまうという事態が起きました。だからこそ、凪砂殿の力を借りたいのです」
「その捧血の儀ってのは、どこで執りおこなわれるんだ? おそらく日本ではできないんだろ?」
朔馬はいった。
「凪砂殿には、ネノシマに来ていただくことになります」
「え、いけるんですか?」
「国外の者がネノシマに入るのは、それほど難しいことではございません。余談ではございますが、捧血の儀については半刻もかかりません」
朔馬は「どうする?」という表情で僕を見つめた。
「捧血の儀をおこなう際に、朔馬は同席してもらえるんですか?」
「ネノシマにきていただくには、朔馬の持つ桂馬の役職特権が必要です。必然的に朔馬もネノシマに帰ってくることになります」
「そうではなく……捧血の儀を行うその場に、朔馬は同席してもらえるんでしょうか?」
「凪砂殿が望むのであれば、それも可能でしょう」
「では、前向きに検討して下さい。朔馬が同席してくれるのであれば、俺は捧血の儀に協力します」
「そういうことであれば、こちらとしては朔馬を同席させる以外の選択肢はございません。質問を許していただきたいのですが、なぜそれほど朔馬を信用して下さっているのでしょう?」
――アイツには忠誠心なるものがない
光凛のこの言葉だけは、真実かも知れなかった。
朔馬はネノシマ以上に僕のことを考えてくれているように感じる。そのせいでネノシマ側を軽んじる結果になっている。そんな気がする。
理由は聞くだけ野暮である。僕と朔馬はすでに友人で、それ以上に理由があるとは思えなかった。
「俺はネノシマのことは、ほとんど知りません。でも朔馬とは二ヶ月過ごしました。朔馬は友人ですが、一緒に住むようになって、今は家族みたいにも思えてます。それに朔馬は、俺を鵺から護って負傷もしました。自分を護ってくれた人を、信用しない理由がありません」
質問の答えになっているかは分からなかったが、僕は正直に答えた。
そして「無理をいってすみません」とつけ加えた。
「ご協力いただけるのであれば、それ以上のことはありません」
それから彼女は「準備が整い次第、またご連絡致します」といった。
そして去り際に「朔馬。お前が知っている情報は、すべて凪砂殿に共有して問題ない。そういう結論が出た」と告げた。
◇
「そういえば鵺の件は、もう終わったの? なんか、騒ぎになったとか光凛がいってた気がするけど」
「報告の意味では終わったかな。見つけ次第退治するけど、それほど残ってないと思う。鵺がどこかで悪さしてたら出嶋神社経由で俺に連絡がくると思う」
「なるほど。そういえば聞きそびれたけど、皇帝の蛍雪さんは俺の父親? 皇子は異母兄弟?」
「そうだと思う。少なくとも皇帝は父親で間違いないはず。ちなみに白雪は、同じ年の男です」
「男か。皇子だしな。同じ年なら、献血の年齢とかは気にしなくていいのかな」
「どうだろう、俺は断言はできないけど」
「そこは断言してよ。でもそうか、同じ年か。皇帝は好色なのかな? なんか、実際に親がいるのは変な感じだな」
どこかで生きているかも知れない。そう思っても、いつも上手く想像できなかった。
「今更だけど、本当に協力してもらっていいの? 媼がいうように、ネノシマから日本に妖怪が渡る可能性はあるけど、それはもうこちらの問題な気がする」
オウナとは、老女という意味だったはずである。朔馬は陰陽師家のえらい人であるところの彼女を媼と呼んでいるらしい。
「協力は嫌じゃないよ。でも知らない土地にいくのは少し怖いな。光凛が気が立ってたのも大目に見るべきだったのかもなぁ」
僕は波浪の言葉を思い出していた。
「凪砂が協力的で、すごく助かるよ。凪砂がネノシマの事情に付き合う理由なんて、本当はないはずなんだ」
朔馬は申し訳なさそうにいった。
なにかを話そうとしている気配が伝わったので、僕は黙り朔馬の言葉を待った。
「俺が呪われてるって話、覚えてる?」
呪いの内容もその他諸々の事情も光凛から聞いていたが、僕は「覚えてるよ」とだけ答えた。
「俺は、その呪いを解きたいんだ」
「呪われてるなら、それは自然な感情だと思うけど……」
その発言はあまりにも普通で「それはそうだろう」としか思えなかった。
「俺の呪いは、ネノシマに安寧が訪れたら解けるみたいなんだ。いつからそう確信したのかは、覚えてないんだけど」
「それは疑えない直感?」
朔馬はうなずいた。
「だからというわけじゃないけど、俺は今の職に就いてる」
――十歳で抜刀し、十三で桂馬という役職に就いた
「ネノシマは元々、天津家という一族が統治してたんだ。その名残りなのか、天津家の方にも岩宿という組織があるよ」
「ネノシマも、一枚岩ではないんだな」
「須王家は元々、天津家の分家だったんだ。でもいつしか須王家の方が力を持つようになってネノシマを統治するようになった。天津家はそれを、いまだによく思ってないんだよ」
「それって、どれくらい前の話?」
「二千年くらい前の話じゃないかな」
「二千年……」
「天津家に関しては、日本からの苦情で須王家の異変を確信したと思う。ネノシマの結界が弱っているのは、きっと前から気付いてただろうけどね。でもこのまま何の策も講じなければ、岩宿に攻め入られて戦争になる可能性もあるんだ」
「そんな物騒な話も絡んでくるのか。戦争になったら、安寧とは程遠くなるな」
それは妖怪が日本に渡る以上に、ネノシマの危機に思えた。
「だから凪砂の協力は、俺にとってもありがたいことなんだ。俺の私利私欲にも利用してるから、本当に凪砂はこれでいいのかって思うんだ」
僕の気持ちを重んじる朔馬を見ると、後ろめたい気持ちになる。僕がネノシマに協力的な理由も、結局は私利私欲だからである。
「俺はただ、面倒なだけだよ」
朔馬は僕を見つめた。
「もし協力を強制されたら、前向きに協力したいとは思えなくなる。それに、ネノシマという国にも失望するかも知れない。それが面倒なんだと思う」
◆
「これと、これって同じ人? この人、呪われてるんだっけ?」
朔馬は液晶画面を毅に見せた。
おそらく毅に強くすすめられたアニメか漫画の話である。朔馬がどんな気持ちでそれを見ているのか僕にはわからない。
「体は同じだけど、中身は違うな。こっちは覚醒してるから別人格。基本的に漫画やアニメのキャラクターは、激怒すると内なる何かが登場して無双するから、造形が変わることは多い」
「怒るのも大変なんだな」
「いいか、サク。現実では怒ったら負けだぞ。冷静さを欠いたら、なんもできない」
「ロマンチストらしくない台詞だな」
僕はいった。
「練習でできなかったことが、本番で出来るようになることはほとんどないからな。メンタル面がプレーに影響することもあるけど、結局は技術あってのことだ。結局は日々の積み重ねの上でしか、結果はついてこない」
毅はなにかを説明する際に「この世の真理はここにある」と思わせるくらいに、自信にあふれた話し方をする。しかし信憑性はない。
「今日はすごいまともなこというな」
僕はいった。
建辰坊に攻撃してしまった夜、あの時は感情が高ぶっていた。しかし結局は抜刀しただけだった。直前に抜刀できていなかったら、きっと何もできなかっただろう。
肢刀を投げることについては、それなりの体力が必要だと聞いたが、実際に僕は体力を消耗し、その場に倒れた。奇跡と呼ぶには、実にお粗末である。
「解けなかった問題が、テスト中に解けるようになることないだろ? それに俺はいつもまともなことをいう。俺はまともなことに定評がある」
「すでに嘘だろ。自信満々で嘘をいうこともあるだろ」
「朔馬って、どんな時怒んの? あんま想像できないんだけど」
毅は僕を無視して、朔馬にいった。
しかし僕も興味があったので、つっこみを入れずに朔馬を見つめた。
朔馬は記憶を探るように視線を浮かせた。
「墨汁のゲームで知らない人に煽られた時は、すごく腹が立ったなぁ」
僕たちは、朔馬の返答に深く納得した。