第二部 第三章【血判】朔馬
◆第二部 第三章【血判】朔馬
――そういう言い方をするなよ!
光凛のいっていることは、すべて正しかった。
だからこそ凪砂に申し訳なく思った。
凪砂が風呂に向かった後、朔馬はほどなく光凛の元へ戻った。
西の間に戻ると光凛は耳をぴくりと動かし、片目を開けた。朔馬の姿を確認すると「悪かったな」と小さくいった。
「気にしてない」
「そうだろうな!」
「体調が悪くないなら、いくつか質問したい」
「なんだ?」
「今回、どうやって日本に来たんだ? 俺の持っているハチワレ石を経由してないだろ?」
「そんなことか。私はもう一組、ハチワレ石を持っている。それを利用した」
「理由は? 誰かに命令されたのか?」
「命令はされていない。私の独断だ。あの夜、凪砂が抜刀したことに、私はひどく驚いた。妖術書を与えて三日だぞ? 十五という理解力のある年齢だとしても、異常だ。須王家の血族かも知れぬと、想像するのは難くない」
「そうだな」
「しかしお前は、凪砂の説明を私に一切しなかった。お前が穢れを受けていたとしても、その気になれば私に伝言することは可能だったはずだ。現にお前はあの夜、凪砂に神社にいくと連絡をとっていた」
「俺が凪砂の存在に、気付いてないとは考えなかったのか?」
「そこは疑わなかった。結局お前は優秀だ。それに凪砂はハチワレ石を渡された人間だ。とにかくお前は、凪砂の件を報告するつもりがないのだと思った。だから私は、お前なしで日本を行き来する手段が必要になると、咄嗟に判断した。あの夜私が持つハチワレ石の片方を、神社の鳥居に埋めたのだ」
「いい判断だな。俺にその話をするってことは、無理だったわけか」
「そうだ。見ての通りだ。こちらに来ることはできたが、こうして弱り、そして今は帰れなくなった」
「俺の持つハチワレ石は正常に機能するよな? ネノシマに帰って療養するか?」
「こんな状態で帰りたくはない。いったように私の独断で、私の失敗だ」
「なぜ上に報告しなかったんだ?」
「須王家の血族を見つけたと報告するには早計すぎるし、混乱を招く。予感はあれど、確信はなかったからな」
「帰ったら、凪砂のことを報告するのか? 俺の直感なんて曖昧な根拠だろ」
「報告する。お前の直感くらいしか頼りがないのが現状だ」
朔馬は小さく息を吐いた。
「この巻紙に血判をしろといったよな?」
朔馬は巻紙を手にとった。
「血の繋がりを確認する術でもあるのか?」
光凛は何もいわなかった。朔馬はそれを肯定の意と捉えた。
皇族の一大事にお抱えの医師が介入ができるとは思っていなかったので、そういう術があるのだろう。
凪砂が須王家の血を引くとして、須王家は凪砂をどうするつもりなのか?
そう考えた時に、一つの答えが点灯した。
◇
光凛を凪砂に預け、朔馬は西弥生神社に向かった。
石段の上の鳥居を調べると、光凛がいうようにハチワレ石が術によって埋め込まれていた。
今回はこのハチワレ石を依代として、光凛は日本に来ている。
埋め込まれているハチワレ石の片方は、朔馬の持っている石と同様に光凛の家、つまりは陰陽師家にあるはずである。
左手でハチワレ石に触れ、詠唱を開始すると石は光り始めた。しばらくすると、ハチワレ石から予想どおりの人物の声がした。
「朔馬か?」
深く響く、彦納媼の声であった。
「いかにも」
「ハチワレ石が機能せず、国外のお前と連絡が取れないことを、長く憂いていたのだぞ。鵺にやられたそうだな? 光凛に聞いた」
「数日寝込んだ。今は問題ない」
「力の制限が強すぎたか?」
「鵺の件とは、別件で制限は緩和を考えて欲しい。鵺の件については報告書をまとめてある。光凛を経由して、そちらに届ける」
「それは助かる。これでようやく肩の荷がおりるというものだ。で、別件とはなんだ? 皇族の件か?」
朔馬は目を閉じて、短く息を吐いた。
「そうだ。須王家の血族と思われる者を見つけた」
いずれ光凛の口から話がいくと分かっていても、その事実を自ら口にするのは今も抵抗がある。
「妖怪に襲われる可能性は低いが、一応俺の制限の件は考えて欲しい」
彦納媼はしばらく黙っていた。驚いているのは、いわずとも感じられた。
日本に皇族がいるかも知れないから探せと、そんな命令をしておきながら、実際には見つかるとは思っていなかったのかも知れない。
「血の繋がりの有無を確かめる術は、そちらにあるんだろ?」
朔馬はいった。
「そうだな。まず、その者の血判が欲しい」
ここまでは、朔馬の予想の範疇であった。
「それより先に質問したい。なぜ、須王家の血族を探しているんだ?」
「お前のことだ。すでに大方の予想はついているのだろう?」
「卑怯な言い方だな。見当違いなことをいえば、うやむやにするつもりか?」
「そういう意図はない」
「ネノシマの結界が関係しているんだろうとは、想像してる」
彦納媼は一呼吸おいて「他言無用ぞ」と低い声をだした。
「ネノシマの結界は、須王家が張っていることは知っているな? それが近年弱まっているのは、蛍雪が病気であること、そして白雪が今も、自らの力を上手く扱えないことが関係していると推測している」
蛍雪とは須王家の現当主で、白雪はその息子である。つまりは皇帝と皇子である。蛍雪の病気のことは耳にしていたが、白雪の件は初耳であった。
「このままでは結界が本格的に危うい。そう思っていた矢先、蛍雪がいったのだ。自分にはまだ子どもがいると」
「なぜその子どもが日本にいるんだ?」
「須王家当主は、代々子どもを一人しか作らぬ。それは知っているな?」
「聞いたことはある」
「当主の力は第一皇子にしか継承されぬが、跡目争いはあらゆる火種になる。だから第一皇子以外は、生まれたとて陽の目を見ることなく幽閉され、せまい部屋で一生を終える」
「ひどい話だな。でも当主の力が第一皇子にしか継承されないなら、幽閉せずとも争いは起きないだろ?」
「そういう話でもない。当主の力が継承されないとて、無力なわけではない。反乱の神輿にされても面倒だ」
「なるほど。使い道はあるのか」
「だからこそ蛍雪の血を引くのは白雪だけだと、誰もが疑わなかった。しかしどこで孕ませたのか、子どもは生まれてすぐに海に流したと蛍雪はいった。幽閉されるよりは、他国で生きて欲しいと願ったらしい」
「いや、死ぬだろ」
「須王家の赤子は、そう簡単に死ねぬのだ。赤子は人間よりも、神や妖怪に近しい。それに下手に殺そうとすれば、呪いを受ける。だからこそ幽閉するのだ」
「赤子も海を越える、か」
いずれにせよ、ひどい話である。
「そういうことだ。生れ落ちて間もない、ネノシマの気配のない赤子ならば、結界をすり抜けたとて罰も受けぬ」
「それで? 海に捨てたその赤子に、なにをさせたいんだ? 今更幽閉するつもりじゃないんだろ?」
「結界を強める手伝いを願いたい。それだけだ」
「その手伝いの内容は?」
「お前が見つけた者が、須王家の血族と確認できれば、内容も開示する。だからこそ、その者の血判が欲しい」
「血判が必要なら、まずはネノシマ側の誠意を見せるべきだろ」
彦納媼は「お前が正しい」といった。
「他言無用といったが、血判をもらう以上は彼にも情報共有はすべきだと思う。この件は持ち帰ってくれ」
「考えておこう。お前は見つけた者に肩入れしているように見えるが、間違いか?」
「間違っていない」
朔馬は素直にいった。
「お前がそんなに肩入れするとは、どんな恩を受けたのか聞きたいものだな」
「食卓をともにし、居場所を与えてくれた」
「そうか。それは、大きな恩を受けてしまったな」
◆
「あれって……」
学校からの帰り道、最寄り駅でアイスを買うと凪砂は虚空を指した。
視線を向けると、西弥生神社の上空を波浪が飛んでいた。というか、打ち上げられたような格好であった。
朔馬も凪砂もアイスを口にしたままで、その姿を見ていた。
「ハロだね」
「なにやってんだろ」
「天空の糸っていうのがあるんだ。触ると空に飛ばされるから、触れないでって伝えたはずなんだけど、たぶんそれに触れたな」
「毅曰く」
朔馬は「毅曰く」と復唱した。
「ハロは無害だけど、アクセルはぶっ壊れてるから気をつけろ」
「気をつけろ……」
「大丈夫かな」
「さすがに着地を考えて飛んだんだと思うけど、大丈夫かな」
視線の先にいる波浪は、緩やかに落下を開始した。
「ちょっと様子見てくる」
朔馬がいうと「鞄は預かるよ」と凪砂がいった。
そうしている間に、波浪の姿は山の木々の中に沈んでいった。
凪砂に鞄を預け、朔馬は神社に向かった。
波浪は無事なのだろうとは思いつつも、少しの不安はつきまとう。凪砂が冷静なのは、波浪を信頼しているからなのだろう。
西弥生神社の石段を上ると、朔馬は安堵の息を吐いた。
先程の光景が見間違いだったかのように、波浪も建辰坊もいつものように境内の地面で呪術の講義をしていた。
妖鳥や鵺が消えても、建辰坊は変わらず波浪に呪術を教えている。最初こそは妖怪の類を寄せ付けない呪術を中心に教えていたようだが、今では色んな呪術を教えていると建辰坊から聞いている。
呪術は場の力を使うため、境内で呪術を発動させて問題ないのかと問うたことがあった。建辰坊は「問題ない」と即答した。波浪が呪術を発動させても、なぜかあまり場の力を消費しないのだと答えた。
朔馬に気がつくと、両者は笑顔を見せた。
「さっき、空に飛ばされてなかった?」
「うん。天空の糸を引いてみた」
「着地は建辰坊が手伝ったの?」
「俺は手伝っていない。娘が自ら書いた呪陣の上に着地して、事なきを得た。何かあれば、手を貸そうとは思っていたがな」
「へぇ、そんな陣あるのか」
「陣の中にいる間、あらゆる危機を回避できる。呪陣の効力は三分、危機回避は一度、という制限はあるがな」
それでもよく天空の糸を引けたな、と感心する。波浪の飛んだ高さを考えると、とても強く天空の糸を引いたのは明白である。
「怖くなかった? 着地のことを考えると、躊躇いそうなものだけど」
「呪陣はかなり大きく書いたし、いざとなれば助けてくれるって建辰坊がいってくれたから」
朔馬は西弥生神社の空を見上げた。波浪は周辺を囲む木々よりも高く飛んでいた。自分の呪陣と、建辰坊を心から信じているのだろう。
「天空の糸を引いたことはあったけど、あんなに高く飛んだことはなかったな」
「楽しかったよ。飛んでみたら?」
「え」
「呪陣書くよ」
「さきほどの呪陣は、術者の任意の者も対象だ。呪陣内に落ちれば問題ない。もし危なかったら、受け止めてやるぞ」
重力に逆らわずに落下していく間、細胞が生まれ変わるように思った。受け身を取る準備はあえてしなかった。
上空から見る景色がただ眩しい。そしてまたほっつりと、このまま逃げたいという感情がわいてくる。地上二メートル程度のところで波浪の陣が発動し、朔馬は無事に着地した。
「楽しかった」
素直な感想を口にすると、両者は朔馬の顔を覗き込んだまま笑顔になった。
楽しかった。
そんな明るい感情ばかりが積み重なって、毎日が過ぎていく。だから少し不安になる。
◆
光凛は回復すると、朔馬の報告書を持ってネノシマ帰っていった。今回光凛の利用した石は朔馬の持つハチワレ石と構造が違うらしく、長く日本に居られるが猫の体はひどく脆いようだった。
そして何日もしないうちに、光凛は再び日本へやってきた。
「鵺が使役されていた件、それなりに騒ぎになったぞ」
報告書には、鵺が何者かに使役されていた可能性が高いと記載した。
「そうか」
「とにかく今は凪砂のことだ。彦納様から、巻紙を預かってきた」
光凛が後ろ脚で耳を掻くと、巻紙が現れた。
「めずらしい、封蝋がしてある。これは俺が開けていいのか? 凪砂が開けるべきか?」
朔馬は凪砂を見た。凪砂を呼ぶようにといわれたので、凪砂も同席している。
「桂馬のお前にしか開けられぬらしい」
朔馬は短く詠唱し、巻紙を開けた。
そこには血の陣と二つの血判があった。
――血判が必要なら、まずはネノシマ側の誠意を見せるべきだろ
凪砂よりも先に皇族の血判を差し出すのは、この上ない誠意に思った。
「皇族の血判か? とんでもないものを持たされたな」
光凛は眉をひそめた。
「これは、血の繋がりを確認できる陣ってことか」
「ここに俺が血判をすれば、血の繋がりがわかるってこと?」
凪砂は空白部分を指した。その陣には、誘うような空白が存在していた。
「そうだと思う」
凪砂と須王家の血の繋がりを確認できたら、後戻りはできない。そう思うと、血判をしてほしいと前向きにいえなかった。
「凪砂が須王家の血族だとわかれば、ネノシマの結界の強化に協力してもらいたいと、彦納様はいっていた」
彦納媼は、光凛に大まかな説明はしているようであった。
「さっきも出たけど、ヒコナ様って誰? えらい人?」
「陰陽師家の当主だ。えらい人だ」
光凛はいった。
「結界の強化って、どんなことをするんだ?」
凪砂はそういいながら親指を切り、巻紙に血判をした。
その行為に一切の迷いがなく、朔馬は見ていることしかできなかった。
「どんなことをするかは聞いていない。しかし危険は少ないだろう。皇族の仕事だからな」
光凛は凪砂が血判したことになんの感慨もないらしかった。
「ふーん。俺にできそうなことなら、協力するけど。あ、ティッシュもらっていい?」
朔馬は「どうぞ」とティッシュを渡した。
凪砂はネノシマに協力することに、それほど抵抗はないらしい。ありがたいと思うと同時に、もう少し警戒してくれてもいいのにと思う。
空白の埋まった陣は力強く感じられた。そこにあるだけで何かが起こりそうな、そんな血の陣である。
陣を見つめる朔馬を、光凛と凪砂が見つめていた。
「この陣は、俺が発動させていいんだよな?」
光凛はうなずいた。
朔馬が陣を発動させると三つの血判はゆるやかに動き、きれいな円を描いた。
「確定だな」
陣を見つめたまま光凛がいった。
「凪砂は須王家の血筋だ」
夏をまとった空気が、ひやりと朔馬の背をなでた。