第四話 荒野の竜狩り
王国の西北。
ガルガンティア渓谷と称されるそこは、これまでやってきた草原とは真反対の光景が広がっていた。
生物の気配を感じさせず、昼日中から陰気で薄暗い。
まさしくこの世の果てのような光景を醸し出していた。
オフィーリナはこれまで数回、この土地で魔哭竜を狩った経験がある。
その経験から、陽が高く昇り気温が上昇するまで、魔哭竜は巣穴となっている洞窟から這い出てこないことを知っていた。
渓谷のいくつかの場所に罠を仕掛けて待つこと数時間。
本日、二匹目となるその竜は、網状の罠から逃れようとして、天空高く舞い上がろうともがいている。
あと少しで素材を手にできるのに、ここで逃す手はないと、オフィーリナは罠を回収するために働く男たちにテキパキと指示を下していた。
「そこよ! そこで押し切るの! 負けないで、もっと力を込めて馬を走らせてください! ああ、もう。手綱を緩めたら竜に逃げられるじゃないですか」
「すっ、すいません、奥様!」
「奥様とかどうでもいいから、打ち合わせ通りにちゃんとやってくれないと困ります。竜が逃げちゃうでしょう?」
「はっ、はい! しかし、こいつ……飛び上がろうとする力が半端ない……」
「それを仕留めるために高い契約金を払っているのよ。ちゃんと抑え込んで!」
そう言い、オフィーリナは腰に手を当てて馬を操る冒険者を叱りつけた。
竜を絡め取った魔法のかかった網は中で竜が逃げようともがくたびに微弱な雷を獲物に与えて弱らせる仕組みだった。
その網は地上に深々と打ち込まれた杭と、別の両端をそれぞれ移動可能な馬に引かせて入り口を絞り上げる作りになっている。
竜はまだ地上より数メートルは高く浮かんでいるから、それを引きずり落とす必要があるのだ。
「電流を流そうとしても、そっちが安全圏にいてくれないと魔法すら使えないのですよ。さあ、もっと上手に馬を操って、あちらの方向に走ってください」
「はっ、はい! 若奥様!」
奥様と呼ばれてオフィーリナが不機嫌そうにしたせいか、今度は若い、がついて返事が戻ってきた。
どういう意味よ?
私が側室だからって舐められているのかしら、などとありもしない勘繰りをしてしまう自分にそろそろ嫌気が差してきた。
「誰が、若奥様よ。まだ結婚して、二か月も経過してないっての……こっちは側室よ!」
先程の冒険者が、馬に鞭をくれて勢いよく走り出した。
二頭の馬たちは真反対の方角に向かっていて、魔猟専用の捕網は竜を頂点とした三角錐のように膨れていく。
それが限界まで達したところで、オフィーリナは手元の携帯通話用の魔導具に向かい叫んだ。
「今よ! 切り離して!」
それぞれの馬の鞍に繋がっていた、捕網を引っ張っていたロープの端が、合図を待っていたかのようにパシッと勢いよく切り離された。
切り離されたというよりかは、オフィーリナが手にしていた魔導具の数個あるスイッチの一つを押したために、それらを馬の鞍から切り離すための装置が作動した、と言った方が正しい。
小さな火花と共に焼き切られた補網は、一瞬だけその原型を中空に留める。
続いて二個目のスイッチを押下すると、シュバっと天空に目を焼くような鮮やかな紫色の光が轟いた。
「――――――――――ッゴオァ……」
三角錐の内側。
補網のなかに収まっている獲物の全身を、数十の炎と雷が焼き上げていく。
断末魔の悲鳴が上がり、翼を動かす力を失った、元竜。
いまはただの宙に浮かぶただの焦げた巨大な物体は、一点に引き絞られていく網に従って地上に落下した。
「やった! いいわよ、集合して下さい」
「はい、若奥様!」
「……だから、愛人枠だって……」
地下に打ち込んだ杭が、最終的に避雷針代わりとなり、落雷を地中深くに逃がしていた。
肉の焼けるいやな臭いが鼻を突く。
ロウソクを焦がした時のようなこの臭いにだけは、何度嗅いでも慣れることができなかった。
重さ数トンはありそうな魔哭竜の遺骸。
人間なら消し炭になって塵と化してもおかしくない魔法の嵐の中でも、その原型を留めているのは驚嘆に値する。
毎度のことながら、これが大金貨何枚に化けるのだろうと頭で皮算用しながら、オフィーリナは落ちたところに駆け寄っていく。
竜がもう活動していないことを確認してから、魔石がある場所に手をかざし、転移魔法を唱える。
すると、大人のこぶし大の紫色に輝く石が彼女の手のひらの上に出現した。
それこそ、彼女が欲しくてやまなかった素材。魔石だった。
オフィーリナはそれをそっと腰のポーチに滑り込ませる。
入り口は魔石の半分くらいしかない革でできたポーチは、何の問題もなくするりと魔石を呑み込んでしまい、後には何も残っていなかった。
「ふん……。まあ、いいわ、よくやってくれたわね。ありがとうございます」
「いえ、しかし、いいのですか。このように焼け焦げたままで、素材が駄目になるのでは?」
と、先程から彼女に叱られてばかりの冒険者が馬上から訊いてくる。
オフィーリナは腰のポーチから、赤色の小瓶を取り出してそれを罠の中に向かい振りかけた。
ああっ、と自分の頭のうえから悲鳴が降りて来る。
この小瓶の中身は、巨人族専用に作られた回復薬、ポーションだ。
そのことを知っている冒険者は、もしもこれで魔哭竜が復活してしまったら……と考えたのだろう。
悲壮な顔をして小さく叫んでいた。
「魔石がもう無いもの。どうやったって生き返らないわよ。心臓が無くなったのと同じなんだから」
「しっ、しかし。生き物であれば死にかけていても、いいえ。まだ死んで間もなければ、心臓を剣や何かで貫かれていても……回復するのでは」
「するわよ?」
「ひっ、ならば、この魔獣の魔石も……?」
「しないわよ?」
彼の怯えようが面白くて、ついつい、オフィーリナは意地悪をしてしまった。
回復薬をその身に受けて竜の全身は、いまでもまだ生きているかのように、綺麗に再生されていく。
しかし、魔石が再生しないとは、どういうことなのか。
彼には理解できないらしく、しきりに首を傾げていた。