第三十七話 盲従愛
しかし、どのようなものあっても、必ず均衡というものが存在する。
この鉱脈に応じて魔性の薔薇が自生していることは明白だ。
でも、ブライトや公爵家がガラス園でそれを飼育することで、もしかしたら二つの大きな力の均衡が、バランスが崩れてしまっている可能性もあるわね、とオフィーリナはぼんやりと考えていた。
見上げるだけでもびっしりと張り付いた魔石の鉱脈。
純度は高く、ここすべて売り払えば、小国ならば買えてしまうだろうと、思わせるほど。
「……あなたの成功はここにあったの?」
ふとなんとなくそんなことを思いつき、口にしてみる。
ブライトは意外そうな顔をして、いいや、とかぶりを振った。
「俺は自分で成り上がった。……と言えば不遜だと皆からはしかられるが、事実だ。ここは公爵家の権勢そのものといってもいい。先代には嫌われていてね」
「まあ……知らなかったわ、ごめんなさい、ブライト」
「いや、いいんだ。俺がここで学んだことはただ一つだけ。どうやって商品に価値を付けるか。それだけだよ」
「つまり?」
「公爵家が保有していた魔石なら、同じ純度の魔石でも、伯爵家が秘蔵していたものよりも、市場価値は高くなるだろう?」
「あなた、そうやってお父様に意趣返しされてきたのね」
自分でも考えていなかった一言が飛び出してしまった。
ブライトは心を痛めたのか、ちょっとだけ顔をしかめて見せる。
こんな発言をしたら、オフィーリナの父親は手を挙げただろう。
分を弁えろ、と。
しかし、ブライトは手を挙げるどころか、続いて困った顔をし、どこかしてやったという表情をしてみせた。
どうやら得意気を憶えたらしい。
「この鉱床もそれなりには活用させてもらったが」
「やっぱり、売ったんじゃない」
「手を付けてないとは言ってない」
「さすが商売人ね。口がお上手」
オフィーリナはブライトに近寄り、そのネクタイの端を掴んで引き寄せてやる。
薄く引いた口紅が彼の頬にそっと痕を残したら、なんとなく満足感が生まれた。
これは私のもの。誰にも渡さない。そんな、満足感だ。独占欲ともいう。
ブライトはワイシャツの襟の部分についていないだろうな、とハンカチでそれを拭う。
「なんだか専有物のような刻印をされた気になるよ」
「そのつもりだから……」
発言してから激しい後悔と、気恥ずかしさに頬が染まる。
顔の火照りはどんどん上気していき、留まることを知らないようだった。このままでは真っ赤に染まったものを見られてしまい恥をかく。
そう思って目を伏せ、顔を背けるも、ブライトの方が一瞬早かった。
「では、返礼をしないとな」
「えっ、ちょっと!」
背いたことで露わになったうなじに、ブライトの唇が当たる。
続いて強く噛まれたような感触が頭の芯に這い上がり、オフィーリナは彼のキスが舞い降りたのだと知った。
そこにしばらく消えないキスマークがくっきりと浮かぶことは想像に難くない。
カレンやカナタ、ギースが同居している最中に、そんなものを晒しては恥ずかしさで悶え死にそうになる。
「これでしばらくは俺の女性だ」
「俺のって……ずるいっ! あたなただけ、二人も。エレオノーラ様だっているのに!」
心の奥底にしっかりと鍵をかけて閉じ込めていたはずの本音が、いつのまにか封印を破って光ある場所にまで出てきてしまっていたことに、オフィーリナは気づかなかった。
「……エレオノーラ、か……」
叫びを耳にしたブライトの顔が驚きと悲しみと憂いを帯びたものになっていく。
そこにどうしてか、怒りというものを見出せず、逆に発言をしたオフィーリナの方が冷静さを取り戻すことになってしまった。
「おしかりと罰を受ける覚悟はできていますから」
「おいおい。俺をどんな酷い残酷な男だと勘違いしているんだ? ここ数か月の、俺たちの関係性は嘘だったのか?」
「愛していただいていた、と自負しています」
大きな自負だった。
エレオノーラよりも数倍。いや、時として数百倍は彼のことを受け入れたい。そう願ってきたはずだ。
生憎、自分の本業による出張と、週末妻という契約の縛りによって、愛を交わした回数は……正妻とは大きく隔たりを分けるだけれど。
女が下手すればいまの座を失う覚悟で述べた決心を、果たしてブライトがどう受け止めるのか。
オフィーリナに対するブライトの愛が試されている瞬間だった。
彼はオフィーリナの腰に回していた手を離すと、その場から数歩先にある魔石の結晶の一つに手を伸ばした。
パキンっとさもガラス細工が壊れるときのように軽やかで、重みを感じさせない音が響く。
軒下から垂れ下がった氷柱を手折る時の音の方が近しいかもしれない。
折られたそれは鋭利な尖端をしていて、まるで小型のナイフのようだ、とオフィーリナは思った。
それで二人以外、誰もいないこの地下世界に葬られるのかもしれない、と未来を予見した。
邪魔になった女など、彼の権力があればいくらでも闇に葬り去ることは可能だ。
出来得るならば、実家の伯爵家に迷惑がかからないようにあとあと、救いの手を差し伸べてやって欲しいと、オフィーリナは目を閉じた。
自分の胸のどちらか片方に、魔石の尖端がざっくりと刺し込まれる瞬間を待ち望んだ。
愛した男性に、その想いを告げて命を絶たれるなら、それもまた美しい最後ではないか。
彼への愛はこれ以上にもこれ以下にもならず、共に過ごした時間は永遠に相手の中で楔となって抜け落ちることはないのだから。
ある意味、これは呪いね、とも思った。
永遠に、彼の心の一部をこの冷たい鉱床の底へと記憶とともに、つなぎとめるのだから。
けれども、オフィーリナが予想した数秒の時間を経ても、痛みはやってこなかった。
それどころか、ひたりっと頬に押しあてられた冷え切った魔石の感触に、オフィーリナは悲鳴を上げてしまう。
「きゃぁっ!」
「おや、良い声だ。寝入ってしまったのかと思っていたよ。俺の奥様」
彼は嫌味を込めた口調でそう言い、オフィーリナの手に先ほどの魔石を握らせる。
「どうして? 罰を与えるつもりでそれを手折ったのでは?」
「君は俺のことをどこまで勘違いしているんだ? これは贈り物だよ」
「……何に対する贈り物ですか。手切れ金?」
「勝手に縁を切る話を持ちかけないでくれ。そうしたいのか?」
オフィーリナはそんな気は毛頭ない、と、激しく首を左右に振った。




