第三十四話 魔性の薔薇
工房からオフィーリナたちを乗せた馬車が出発したのは、それから一時間ほど後のこと。
貴族街にある公爵邸に向かうときは、城壁の周りをぐるりと経由して行ったから、随分と時間がかかった。
今から向かう場所は王都の郊外、東の方角にあり、そこは広々とした田園風景が一面に、見渡せる。
とはいっても稲作は時期的に休閑期。
ところどころに果樹園や、冬野菜を作る田畑がかたまって見える以外、初冬の訪れとともに世界は灰褐色に染まっていた。
王都から東に行くには、西側を走る大河の支流と並行して走る街道を行くのが通常だ。
オフィーリナたちもその道を辿って、そこから更に十数キロの道のりを走った。
馬はそれほど早く走れないし、倍以上の距離を走るなら自家用ではなく、街道に沿って線路を走る魔導列車を使った方が、途中、途中の駅馬車の中継点で馬を変えなくて済む。
今回はお忍び、ということで魔導列車は使えないことを、オフィーリナは勿体ないと思っていた。
魔族の国が多い南の大陸から発生した魔導科学は、近代になって人類国家群にも広く普及した。
でもまだまだ独自技術で追いつけるということもなく、魔導科学と似た技能である魔導具製造業に従事する彼女にとってみれば、その技術の粋が込められた魔導列車に乗ることは探求心を大いに満足させてくれるからだ。
ちょうど今、列車が隣を併走し、追い抜いて先へと行ってしまった。
先頭の機関車からでる燃料の魔石を炊いた煙が、紫色の塊となって空へと消えていく。
「行ってしまったわ」
それを見て残念そうな声を上げたオフィーリナに、ブライトは別の意味で興味津々だった。
「魔導列車がそんなに好きなのか? 男の子でもあるまいし」
「そういった興味じゃないわ。一職人としての血が騒ぐだけよ」
運転席にはギースが。
馬車の進行方向に向かい、右側にある運転席に近い方が使用人や格下、子供などが座る。
貴族や家族の当主は、運転席側の最奥に列が来るように乗るのが常識だ。
乗り降りは女性が先で、扉は左右に開閉するから、どちらかから詰める形になる。
今は奥からブライト、オフィーリナ、手前にカレン、最前列の運転席にギースとなる。
「奥様……外でございますから」
「ああ、ええ。そうね」
オフィーリナの前に使用人であることを示す、黒いワンピースを着たカレンが咎めるように言った。
言い訳程度に誤魔化すと、カレンは心配そうにブライトを斜め見る。
工房の外ではれっきとした公爵様は、仕方なさげに苦笑していた。
「別邸はあの向こうにある」
そこからしばらく街道を東上したところで、ブライトが窓の外を見て教えてくれる。
赤茶けた黒松の雑木林がこんもりとした丘の一角を占め、街道と交差しているあたりから白い壁が姿を表し始めている。
雑木林のすぐ手前側には大河の支流が分岐して流れ込んでいるから、そこからの強風を防ぐための防風林だということが見て取れた。
「松が生える土地は瘦せこけたものが多いって聞くけれど、そんなところでバラが育つのですか?」
興味本位、書物でえた知識でしか知らないことを質問としてぶつけると、ブライトはそうでもないよ、と回答する。
「詳しくは庭師に訊いてもらえばわかると思うが、あの場所には松もバラも自生している」
「……自生? バラ園に植林したわけではなく?」
「行けば分かるよ」
ブライトは意味ありげに笑い、オフィーリナとカレンは不思議そうに首をかしげるのだった。
丘の向こう側に正門があり、それは馬車二台がゆうに並んで入れそうに広い。
門から正面玄関にたどり着くだけで丘の半分以上を進んだ。
松林の天然の屋根を抜けると、待っていたのは国王陛下主催の夜会で使われる迎賓館を思わせる壮麗な豪邸。
赤い屋根と白壁の美しい、部屋数だけで数十はありそうな佇まいに、オフィーリナは思わずくらっとめまいを覚えた。
実家の伯爵家でも、ここまで大きな屋敷ではない。
馬車を玄関に乗りつける前から、使用人たちが執事を筆頭に整列して一行を歓待した。
ギースはそのまま馬車に残り、オフィーリナたちは侍女のひとりに案内されて館内を抜け、裏庭にある庭園へと移動する。
公爵家の繁栄の一端を見せる威容さに、自分はこんな権力者の愛人になったのだと改めて実感する。
後援者という意味では、最高のパトロンの一人だった。
案内されたバラ園は「自生の」と言っていたにもかかわらず、魔石を加工したガラスに覆われた建物の中にあった。
天高く、三から五メートルはあろうかという天井を見上げ、冬も最中だというのに中はまるで初冬のように温かい。
「気だるい程度の寒さが、ここでは好まれていてね」
「紫とオレンジに染まっているバラなんて初めて見たわ。というより、まさか発光してるの?」
瞬間、瞬間で色の濃さを変えながら、咲き誇るバラたちは確かに……深海の魚のように自ら光を放っていた。
自然の光ではなく、魔法の輝きだ。
これは地下にある魔素を吸い上げて繁殖する、魔性の薔薇だ、とオフィーリナは驚きに目を見張った。
「その通りだよ、流石だ。普通の人間はなにか特別な細工をしている、くらいにしか考えない。やはり君は才能がある」
「……大丈夫なのですか? 魔性の薔薇なんて、耳にしたことがありません」
毒性でもあれば大変なことになる。
そう心配するオフィーリナに、カレンがそっと囁いた。
「南の大陸では一般的な植物ですよ。人に害はありません」
「そうなの? だって、発行……」
「魔素が濃い地域では重宝されてますよ。土地の魔素を緩和してくれるから、住みやすくなるって」
「そうなんだ……」
人に最適な魔素の量は決まっている。
南の大陸ではここ、西の大陸の倍以上の魔素が地中から放出されているから、魔素を主成分として生きる魔族の力が増すのだ。
それを緩和してくれるから、どうやらあの土地ではこの魔性の薔薇たちが重宝されている、ということらしい。
世界は広いな、とオフィーリナは思った。
「この土地の地下には面白いものがある」
続けて、秘密を明かすようにブライトは言った。
「秘密? 魔素が濃い土地、というだけでなくてですか、あなた」
「魔素が濃いということは源になるモノがあるということだ。魔石の鉱脈がここら一帯にある」
「……まあ」
魔石彫金技師として、王都周辺の魔石の鉱脈が点在する場所はだいたい把握していたつもりだ。
だが、この土地のことは世間に開示されていない、一部の秘密らしい。
公爵家の繁栄の礎は、ここにあるのかとオフィーリナは長い歴史を誇るだろう土地に、少しばかり愛着がわき始めていた。




