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今日もにゃーと鳴く  作者: トキリンゴ
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今日も私はにゃーと鳴く

 目が覚めて周りを見ればもうすっかり慣れたクリーム色の壁紙が目に入る。ここに来てどれほどたったか分からないけど。季節はゆうに四回はまわっている。体を起こして、いつもとは違う心地を首に感じる。

 あぁ、そうだ。プレゼントされて首輪が変わったんだった。

 以前より柔らかい感触のそれに少しまだ馴染めない。ぼーっと窓の外を眺めていれば、足音に続いて戸の開く音がする。未だに鳴かない私を不思議に思ったのか、部屋に来たその人は顔を覗き込んで話しかけてくる。

「もしかして昨日食べすぎてしまったかな。朝は少なめにしようか」

 しばしの間の沈黙、私は「にゃー」と鳴いた。満足気に立ち上がったその人に安堵する。

 ここに来て初めての頃は大変だった。何を言っても話は通じないし、この場所から抜け出せなかった。私が何を言おうが叫ぼうが、あの人は愛おしいだとかなんだとかしか言わない。最終的に「にゃー」なんて鳴き声でしか会話をしてくれなくなった。仕方なしに、私の喉を通る言葉は「にゃー」とか「にぃー」くらいになった。

 

 いい匂いが漂い、釣られるようにキッチンへ向かう。あの人が作った朝食が既にテーブルに並べられている。もう何度も座ってきた椅子、あの人の隣に座って与えられるご飯を待つ。あの人は私が自分で食べるのを好まない。小さめに掬われた匙のご飯をゆっくりと食べる。鳴くか目線で訴えるかしなければ、なかなか次の一口をくれない。食べるか食べさせるかしていなければ、ただニヨニヨと微笑んでいるだけのあの人だ。嫌悪したいこの習慣もすっかりと日常となってしまった。


 ここに来て初めの数年、暴れるなり物を壊すなり、考えつくあらゆる方法で脱出を試みた。会話が成立しないあの人を泣き落とそうとか説得しようとか、病気のフリをして抜け出せないかとも考えた。全ては失敗した。失敗どころか状況を悪化させたにすぎなかった。幾多の失敗を経て、私が出す言葉は猫の鳴き真似だけになり、暴れる体力と気力を失った。


 皿を片付け、仕事を始めるあの人。あの人が少し前から家で仕事をするようになると、ひとつの希望が見えた。パソコンを使っていたのだ。隙を伺い、もしくはいかにもあの人に懐いたかのように、そう振舞って外との連絡手段の確保に勤しんだ。あの人は、私が懐き単に遊んでるに過ぎないと思っていたようだ。しかし結局結果失敗に終わった。私がどんな風に抵抗しようとも、もはや抵抗していると思われず、ただのじゃれ合いとしか見られなかった。さらに通信機器のロックは厳重になり、もはや外へ逃げる希望が一片もないことに酷い虚脱感を覚えた。

 希望が絶たれたあの日から、私の日中の生活に代わり映えは無くなった。ある意味安定した日常が訪れたとでも言うのかもしれない。娯楽がほとんどないこの空間、もはやペットとしか思われていないのではと疑わしい現状。暇を潰す唯一の方法は外を飛ぶ鳥やら景色やらを見ること。今日も変わらない。鬱蒼と茂った木々に植物を順に眺め、姿を見せる鳥が変わったことになんとはないため息をつく。


 知らぬ間にうつらうつらとしていた。ふと顔をあげれば目の前には見慣れた手があり、頭を撫でられる。きっと寝ている間にも撫でていたに違いない。妙なふうに喋らせる上に撫でられるいささか屈辱的な状況。かつてはそう、屈辱やら怒りやらを感じていた。確かに。死のうとも考えてたことを思い出す。だけど今はもうすっかり慣れきった。もはや苦も楽も感じられない。ただひたすらにどうでもいい。

 「さあ、夕ご飯ができた。一緒に食べよう」

 あの人が優しげに声をかけてくる。だからいつものように無感情に、私は「にゃー」と鳴く。口元に運ばれる食事をただひたすらに食べて僅かな空腹を満たす。大して動かずさして体力も無い私が食べれる量はそう多くない。あっという間に食事の時間は終わる。

 食後、あの人は決まって私にホットミルクを飲ませる。それを飲み干せば次第に眠気が強まる。眠りにつくのはいつも私が先だ。あの人は私が眠りにつくまでただひたすらに柔らかい笑みを浮かべていた。


 パチリと目が覚める。昼間に眠ったせいか真夜中に目が覚めた。静かにリビングへ出る。しばらくぼうっと椅子に座っていれば、あの人が出てきた。どうしたの、なんてゆったりとした口調で聞いてくる。私ににゃーとしか言わせないくせに。

 あぁそうだ、今ここできっと数年ぶりに人間の言葉を喋ったらどうだろうか。むくむく好奇心が湧いてくる。妙な高揚感を覚えだしてどうにも顔が緩みだす。久しぶりの発話にふさわしい言葉を思案してしばらく、口を開く。しかし言葉は出ない。あの人の手が僕の鮮やかに赤い首輪へ添えられていた。顔を見て一気に気分が転落した。あの人は優しげに笑っている。強い眼差しと「眠れないなら僕を鳴いて呼べばいいんだよ」 なんて発言さえなければきっと聖職者に間違えかねない微笑みだ。

 わかっていた。あぁやはり私はあの人から逃げられない。静寂が痛いほどの真夜中。私は今日も「にゃー」 と鳴く。


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