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宰相 平手をくらう

 重厚な造りの机と革張りのソファが並ぶ会議室は、会議を終えた緊張が徐々に抜けるような空気が漂っていた。


「やっと魔獣たちの繁殖期が終わって、落ち着くな。街道の整備と、崩れそうな川の整備も安心して取りかかれる」


「早急に工事に取り掛かりましょう。地域住民たちへの保証も同時に行わなければ」


「それは早急に取り掛かって頂きたいのですが、突然現場視察などと言い出さないで頂きたいですな」


「それは……まあ、おいおいだな」


 国王と相談役となった先代宰相、近衛騎士団長の雑談が会議室に響く。それを聞き流しながら、文官達が会議の片付けを、王の侍従王佐の指示を受けている。いつもの会議終了後の光景。


 時計は昼前を示しており、多くの者がこのまま昼食を取り午後の業務へと取り掛かるのだろう。


 宰相という職務を受けて一年余り、補佐の時とは責任の重さが違うことを身にしみながら、私は自分用の書類を纏め、ソファから腰を上げた。


 ほぼそれと同時に開け放たれたドアの向こうが騒がしくなった。


 ここは王城内部の執務エリア、許された人物しか入ることが出来ない。そんな場所で騒動が起こるなんて珍しい。

 王も相談役も何事か、という顔をして廊下の様子を伺っている。


「お待ち下さい! 国王陛下がいらっしゃいます、現在会議室への入室は……」


「お黙りなさい! 陛下になんて用事はないわ!」


 激しい怒りを含んだ女性の声に王は肩を竦め、近衛騎士団長がドアへと近付く。


「ヴァラニータ夫人!」


 騎士が呼び止める声を背に、ひとりの小柄な老婦人が会議室へと入って来た。


 ヴァラニータ家と言えば、辺境を守る四つの騎士伯のひとつ。

 多くの白騎士、黒騎士を輩出している名門で、確か数年前に代替わりしていたはずだ。


 新しいヴァラニータ辺境伯はまだ独身だ、年齢的にもこのご婦人は先代アレクサンドル卿の細君であろうか。


 しかし、分からなかったのはそのご婦人がどうしてこの場に、怒りを隠しもしないで乗り込んで来ているということだ。


「ご無沙汰しております、レイラ夫人。どうなさいました、そんな血相を変えて貴方らしくもないですよ。ここは執務エリアの会議室です、あなたにご用があるとは思えないのですが?」


「ご無沙汰しておりますわね、アンダーウッド近衛騎士団長様。ええ、ええ、わたくしだってこんな所に来る予定なんてなかったのですわよ。本当ならね」


 夫人はキョロキョロと周囲を見渡し誰かを探している様子を見せ、私と目が合った瞬間その琥珀色の瞳に一層の怒りを灯した。


 私? なぜ? 


 勿論貴族として宰相として、貴族の当主やその細君らの顔は知ってはいる、けれどヴァラニータ夫人と直接的な接点などないと言ってもいい。


 決して走っているわけではない、滑るように近付き私の正面に立つと「貴方がグランウェル宰相様、ヨシュア・グランウェル宰相様でいらっしゃる?」と言った。


 私は一礼した。


「はい、ヨシュア・グランウェルでございます」


「そう。顔をお上げになって、少し屈んで下さる?」


 言われるままヴァラニータ夫人の前で屈むと、破裂音と共に目の前が一瞬真っ白になって左の頬がビリビリと痺れていた。


「……は」


 なにが起きたのか理解出来ない。 


 私はヴァラニータ夫人に叩かれた……のか?


「レイラ夫人! 突然なにをなさる!」


「ヨシュア、大丈夫か」


 近衛騎士団長が声をあげ、王佐が駆け寄って来る。


「グランウェル宰相様、お尋ねします。リィナはどこにいるの?」


「え?」


 今度は質問の意味が理解出来ない。

 リィナ? リィナ? どこにいるのか? それをなぜ私に質問する?


「……宰相様、貴方まさかご自分の妻の名前をご存じないの? リィナが誰か分からないような顔をなさっていらっしゃるけれど」


 そう言われ、ようやく理解が追いついた。

 リィナ、リィナ・グランウェル。そう、彼女は六年近く前に結婚した、私の妻である女性だ。


「ちょっと待って下さい、レイラ夫人! 宰相殿の細君がどうかなされたのか? その口調だと行方が分からない様子だが」


 怒りに燃えた琥珀の瞳を近衛騎士団長へ向けると、夫人は一通の封書を机の上に置いた。その蝋封はグランウェル侯爵家のもので、侯爵家からヴァラニータ夫人に宛ててのものだった。


「アンダーウッド近衛騎士団長様、この方、こちらの宰相様の妻リィナが黒騎士を拝命しているのをご存じかしら?」


「え……、ああ、そうなのですね。しかし、宰相殿は優秀な白魔法使いでもあるのだから、黒騎士の伴侶として相応しいだろう」


「そうね、相応しいことでしょう。この方が、ちゃんと伴侶として動いて下さっていたのなら」


 会議室は静まり返り、その場にいた全員の視線が私に突き刺さった。

ありがとうございます。

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