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暖流

作者: 暖淡堂

…子供の頃にも、こんな感じで雨が続いたことがありましたね。

 実家の裏が山になっていて、玄関の前がすぐに国道で、その先は海。その裏山が、降り続いた雨のせいで土砂崩れを起こしました。

 それで、土砂が家の一階部分に流れ込んで。

 小学校五年生の頃でした。妹が三年生。その夜、僕は二階に寝ていたので助かったのですけど、一階で寝ていた妹と両親が土砂に呑まれて流されてしまって。ええ、今でも、まだ家族は見つかっていません。土砂がそのまま海に流れ込んだので。

 雷が鳴っていて。怖がった妹が母親のところに逃げていました。母親の布団で寝ていたようです。

 枕を抱えて、布団を出たところをみたのが、妹の最後の姿になりました。

 それから少しして、なんだか土の匂いがしたと思ったら、急に地面が揺れるような感じがして。驚いて、布団から起き上がりました。すると、家が急に斜めになったようにぐらつきました。

 しばらく、自分の部屋で呆然としていました。どのくらい経った頃か、様子を見に来た警察の人に家から助け出されて。知り合いが近くにいないかと聞かれたので、母方の祖母が近くに住んでいると答えました。僕はその後、祖母の家で暮らすことになりました。

 やがて、夏休みに入ったのですが、正直、その夏はどのように過ごしていたのか、よく思い出せません。両親と妹の葬儀はぼんやりと覚えています。

 ただ、前後の出来事がつながらないですね。いつも祖母がそばにいて、面倒を見てくれていたのだと思います…


 そこまで話したSは、生ビールを飲み干して、泡盛のロックを注文した。

 焼鳥の皿が片づけられ、茄子の浅漬けと小海老のから揚げがテーブルに残された。


 週末の金曜日、後輩のSと、焼鳥屋で待ち合わせたのだ。早めに仕事を切り上げたので、客は少なかった。

 私より少し遅れて、濡れた傘を持ったSが店に入って来た。電話の声が沈んでいたので、暗い表情で現れるのではないかと心配していた。

 しかし、Sはむしろ何かが吹っ切れたような顔つきで、私の前に座った。


 集団の客が入り、ざわめきが店の中に流れ込んだ。

 私とSは、少しの間黙り込んだ。

 しばらく、考えるような表情をしていたSが、また静かに話し始めた。


…学校へは祖母の家から通いました。

 普通に生活出来るようにはなっていましたが、両親や妹のことを忘れることはありませんでした。

 いつも近くにいるようで。時々声が聞こえた気がして、それに返事をしたこともあります。祖母がそれを何度も聞いていたらしいですね。不意に祖母が泣き出すので、驚いたこともありました。

 祖母の家の裏は砂浜で、ずっと波の音を聞きながら暮らしていました。沖の方には暖流が流れていて、晴れた日には海面がきらきらと光っていて。普段はとても穏やかな海でした。

 中学生の頃だったと思います。

 秋の静かな夜、僕は砂浜に座って、波が打ち寄せるのを見ていました。月が出ていて明るい夜だったことを覚えているけど、その夜、どのようにして祖母の家を出て、そこに行ったのかは思い出せません。

 ふと、波と波の間に、何かがあるような気がして、僕は目を凝らしました。見ていると、ゆっくりと波打ち際に近づいて来て。やがてそれが、微かな光を放つ箱であることが分かりました。

 立ち上がり、それに近づきました。箱は三つ。互いに寄り添うようにして、波間に浮かんでいました。箱は透明な硝子のようなもので出来ていて。

 箱の中が見えた気がして、思わず波打ち際まで駆け寄りました。その箱に近づいた時には、腰の辺りまで水に浸かっていました。水はまったく冷たく感じませんでした。

 箱の表面は、滑らかで柔らかいけど、押すと硬くなる感じがして。なんだか中から押し返すような抵抗があって。

 箱の中には、妹がいました。

 土砂に呑まれた夜の姿ではなく、その頃妹のお気に入りの服を着て、箱の中に立っていました。

 両隣の少し大きな箱には父と母がいました。皆、僕を優しい目で見つめていました…


 Sは、少し照れたような笑いを浮かべた。

 私は手に持ったままだったグラスの中の残りを飲み干した。


…信じられないでしょう。頭がおかしくなったと思われるかもしれないな。でも本当に、あの月の夜、祖母の家の裏の砂浜で、両親と妹に再会したのです。

 僕は大きな波に押し返されながら、なんとかしてその箱を開けようとしました。

 しかし、出来ませんでした。

 空が白み始めるまで、波打ち際で頑張っていたのですが、だめでした。

 両親と妹は、悲しそうな目で、時々小さく首を振りながら、僕を見ていました。

 空が明るくなると、箱の形がぼやけてきて、やがて目の前から消えてしまいました。

 僕は砂浜に膝を着いたまま、泣いていました。

 いつからいたのかな。

 気がつくと祖母が側に来ていて、何も言わずに僕を家に連れて帰りました…


 店員が来て、新しいグラスを置いた。Sは目で私に尋ねた。

 その意味に気づいて、私は頷いた。Sは私の分のお替りを頼んでくれた。

 私は、空になったグラスを握ったままだったのだ。


…その夜の後、その透明な箱に入った両親や妹に会うことはありませんでした。そんなことがあったことを、思い出すことも少なくなって。

 次第にそれが夢だったのではないかと思うようにもなりました。昔見た夢をいつまでも覚えていることって、あるでしょう。

 やがて大学を卒業して、就職して、色々な仲間が出来て、楽しく暮らしてきました。

 気心の合う女性とも出会えて、今年の夏には結婚しようと話をしていました…


 Sはそこで言葉を切った。

 鼻の頭が赤くなっていた。目には薄っすらと涙を溜めていた。

 私は静かに、Sが話し始めるのを待った。


…それが、思いがけず、昨年の年末に、またあの透明な箱に出会ってしまって…


 Sは職場の忘年会で飲み過ぎて、帰りの電車の中で眠ってしまったそうだ。目覚めると、電車は海に近い終着駅に停まっていた。

 慌てて駅の外に出たが、町はすっかり灯が消えていた。仕方がなく、泊るところを探して、町の中を歩き始めた。歩いていると、雲の隙間から月の光が射した。

 波の音が聞こえていた。Sは砂浜に出てみた。潮風に当たって、酔いを醒まそうとしたようだ。


…月の光の下で、波が打ち寄せていて、ああ、いつかの夜の風景によく似ているな、と思っていると、沖の方で何かがぼんやりと光って。

 じっと見ていると、昔見た、あの透明な箱でした。

 波打ち際まで駆け寄りました。冷たい冬の海であることに気づいて、水の中に足を踏み込む前に立ち止まったけど。近づくと、確かに昔見たあの箱で。

 しかし、箱は一つだけで、中は空っぽ。その箱が揺れながら、波打ち際まで流れて来て。そして、大きく一度傾いて、砂浜に立つ僕の方に向かって転がったのですよ。

 その時、箱の一面、僕に向いているところが、ポカリと開いて。

 ああ、これは僕を呼んでいるのだな、入れと誘っているのだな、と感じましたね…


 その時、一緒に暮らしている祖母のことや、交際を始めた女性のことを考えたそうだ。

 ずっと迷い続けて、気がつくと、夜は明けていた。あったはずの箱は消えていた。

 その後、間もなく、Sの祖母は亡くなったそうだ。家の中で転倒して頭を打って、そのまま意識を失った。病院に入院したが、意識が戻らないまま亡くなったとのことだ。

 そして、最近になって、交際していた女性が事故に遭ったらしい。


…交差点で信号待ちしていたところに、車が突っ込んできて、逃げ切れなかったみたいで…


 運転手は高齢者で、事故を起こしたときは持病の発作を起こしていて、正常な運転が出来ない状態だったらしい。

 私は知らなかったが、昨年末からこの梅雨時期までのほんの短い間に、Sには不幸が続いたようだ。

 不図、私は思った。今のSの、吹っ切れたような様子は何が理由だろうか、と。


…辛くって、会社を休んで部屋で過ごしていると、ふと、あの海辺で見た透明な箱のことを思い出して。

 何度も祖母の家の裏の砂浜に行ったり、酔って乗り過ごして着いた町をうろついたりしましたが、だめでした。

 そもそも、酔って辿り着いた、あの夜の砂浜を見つけることが出来なくて…


 その砂浜を見つけることが出来たら、もしかしたらあの箱に再び会えるのではないかと思っているのだと、Sはやや語気を強めてそういった。


…今夜も満月ですね。もしかしたら、酔っ払うと、あの砂浜に再び辿り着けるのではないかと思ったのですが、どうでしょうね…


 今度は、少し自信がなさそうではあった。

 私はSが私に連絡をして来た理由がわかった。

 彼に付き合って、普段よりもかなり多めに飲んだ。

 帰りの電車のことを気にするのはやめた。閉店まで焼鳥屋にいた。

 どうでもいいような話をして、何度も馬鹿笑いをした。

 店を出ると、雨は止んでいて、雲の隙間に月が出ていた。

 明るい、満月だった。

 私たちは駅の改札口を入ったところで別れた。

 また飲もうな、と私は言ったが、彼は笑顔を浮かべただけだった。


 しばらくして、Sの噂を共通の友人から聞いた。

 Sは会社を辞めていた。それも、連絡が取れなくなって、長期の無断欠勤の挙句のことのようだ。身寄りが誰もいなくなったので、Sの職場は困ったらしい。

 状況から、最後に会った人間は私のようだった。

 そのことを、私は誰にも言っていない。


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