2話 屋敷の住人達
交易都市リンド、エンテラバル王国サハタラ領の一都市、人口約1万で長い歴史を持つ。豊かな穀倉地帯と大森林の恵み、多くのギルドが技術力を競い合うことでも有名である。更に珍しく派閥の違う爵位が同じ五人の貴族がそれぞれの役職で納めていたが、八年前に起きた「血の祝祭」と呼ばれる事件により五人のうち一人が口に出すのも憚られる様な残酷な方法で暗殺された。だが、それだけでは終わらず、一族郎党、その血脈、そして、関係者迄もが同じ方法で殺された。都市の裏でも、暗殺ギルドの拠点が襲撃され、ギルド構成員全員が見せしめの様に更に残虐で残酷な方法で殺されていた。国の捜査が入ったが、手掛かり一つ見付からず犯人も捕まらなかった。
今回の仕事は長期のものになると確信したシリウスは、リンドを離れる前に、手持ちのものでは心許ないと思い約三年ぶりに噂の絶えない自分の屋敷へと必要なものを取り揃える為に行くことにした。
リンドの北側が貴族街になり五伯爵に連なる一族が住んでいた。しかし、八年前の事件でカルトバ伯爵一族とその関係者全員がそれぞれの邸宅で残虐非道な方法で見せしめの様に殺害された。
国の諜報機関が徹底的に関係各所を捜査したにも関わらず殺害させた原因も判明せず、犯人も捕まらなかった為、その多くの邸宅は不吉の象徴とされ、住むものが居らず、買い手が付かなかったものは取り壊された。
傭兵として荒稼ぎし、金が腐るほどあり余っており、この地方に拠点が欲しかったことと他にも幾つか理由があり、シリウスはカルトバ伯爵邸を色々な理由を付けて買い叩いた。
屋敷の正門、その扉の中央には元々紋章が彫って有った筈なのだが、今は削られて真っ平らの無紋で綺麗な蒼白い色一色に塗られていた。良く手入れされた門の両端には、真面目な門番が完全武装で注意深く警備をしていた。
死角から遠目に見ていたシリウスは、長らく留守にし真面目に働く門番達に僅ながらの罪悪感を覚え、正門から入ることを諦めた。裏門の使用人出入口の鍵を開け、裏口から屋敷に入ったところで、透かさず声が掛けられた。
「旦那様、お帰りの際は堂々と正門からお入り下さい。三年以上も何処をほっつき歩いていたのですか。何処ぞで斃って居るのではないかと、屋敷の者一堂、心より心配していたのですよ。」
裏口から入って直ぐの所に小柄だが少し歳の行った家政婦長が額に青筋を立てヒクヒクと痙攣させ、聖母の様な慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。その瞳は純粋な殺気と殺意を丁寧に手間暇掛けて加工された宝石の様に輝かせて静かにその奥に留めていた。そして、肩をワナワナと震わせ瞳よりも更に静寂な怒りの業火を内に秘め、絶対零度の凍てつく寒さの如く永久氷河の様な憤りを全身で体現してシリウスを見ている。更に感情を排し冷酷無慈悲な声で言葉を投げ掛ける。
「こそこそと入って来られるものですから、賊が侵入したかと思って殺ってしまうところでした。」と、物騒なことを口走っていた。
凛とした清楚で可憐な姿をしているのに、小柄な女性の本質と雰囲気は余りにも異常で異質なものを醸し出していた。それに加えて、両手に持っているものが対照的で、右手には細身の鋭利な暗殺用の短剣、左手には、主人が使用人を呼ぶ際に使用するハンドベルを持つという姿が言葉では言い表せない猟奇的な印象を与えていた。
「レーゼ、お前も、」
シリウスが女性に話し掛けようとした途端、言葉を遮る様にハンドベルが思い切り鳴らされた。先程までの聖母の様な慈愛に満ちた微笑みを一変させ、フフフと妖艶に嘲笑って餓えた魔獸の如く己が領域に入って来たどんな獲物も逃さないという様な雰囲気をさせている。
その行為に呆気に取られ、シリウスは茫然と立ち尽くした。その後は云うまでもなく、ベルの音を聞き全速力で駆け着けて来た全ての使用人によって取り囲まれ連行された。
裏口に集まって来た使用人達に取り囲まれたのち、応接間に連行されたシリウスはソファーに腰掛け、約三年間の労を労う。
「あ~長らく留守にしてすまなかった。お前達の働きに感謝する。これからも、あれと屋敷のことを頼む。後、重要な報告のみ連絡してくれ。」
シリウスの前に執事のアウス、家政婦長のレーゼの二人が並び、その後ろに従僕と女中達が控える。アウスは普通に、レーゼは先程と同じ表情と態度に戻った。他の者達はなにか思うことがあるらしく主を見詰めていた。そして、皆、口を揃えて同じ言葉を言い放つ。
「「「もう少し小まめにお戻りになり、エリーお嬢様をどうかもっとお気に掛けて下さい。」」」
それを聞くなり、シリウスは元なりした。片肘を付き眉を潜めて少し不機嫌になり応える。
「あれも今ではしっらりと仕事をし働いている。二ヶ月後には成人するのだから、そこまで心配することもあるまい。後は、あれ自身が支えてくれる者を見付け嫁ぐなり、婿を取るなり好きにすれば良いのだ。昔から反対はしないと言っているのだから。好きにすれば善いのだ。」
それを聞いたレーゼが更に不快感を顕にし静かに怒りを滾らせている。その怒りをどうにか抑え込むかの如くスカートを力の限り握る手が色を無くしていく。
そんなことは、お構い無しに、面倒だという様に追い打ちを掛ける言葉が続く。
「この際皆にも言っておくが何れこの屋敷もあれに譲るのだから、自分が居ない時はこれまでと同じ様に主人に仕え良く支える様に。この話しは以上だ。他に連絡はあるか。」
そう言い辺りをゆっくり見渡し、使用人一人一人の顔を見て確認して行きながら話を続ける。
「アウス、馬とこれに書いてあるものを明後日の朝までに集めてくれ。明後日には此処を発つ。」
シリウスが言い終わるのを待っていたレーゼが声を掛けようとするが、さっきのお返しと云わんばかりに今度はシリウスが、ニヤリと微笑んで言葉を遮った。
「アウス、レーゼ以外は仕事に戻れ。後、ネット、リース、三人分のお茶と何か摘まむものを持って来てくれ。」
使用人達が仕事に戻った後、シリウスは二人に席を薦めた。ネットは応接間の備え付けの茶道具でお茶の準備を始め、リースは慌てて厨房に向かった。一番始めに口を開いたのは、アウスだった。
「今日は此方にお泊まりで宜しいでしょうか?」
「いや、他にも用件があるから、この後直ぐに出る。だから、頼んだもの以外、何も用意する必要はない。」
その主の言葉を聞いたアウスは、ほんの少しだけ顔を曇らせたが直ぐに表情を元に戻した。
「お嬢様にはお会いになったのでしょうか?」
「あぁ、さっきギルドで会って来た。それとギルマスにも話を聞いてきた。あれは相変わらず不機嫌に突っ掛かってきたぞ。威勢は良いが若干打たれ弱いのが問題だ。」
「何を仰ったのですかっ!旦那様。」
「単に揶っただけだ。仕事も失敗しなくなったし、もう尻拭いの必要もないだろう。後はただ嫁に行くだけだ。その辺は何かないのか?」
話をしているとネットがそれぞれ三人の前に音もなくお茶出す。それと同時に厨房から戻ったリースが素早く軽食と乾燥果物を出した。
シリウスは視線だけをネットとリースに向け、さっきの話を聞いていたであろう二人に答えを促した。
「そうですねぇ。最近その手の噂も浮わついた話の一つも聞き及んで下りませんが、随分前に、言い寄って来た輩をお嬢様がぼこぼこの切ったん切ったんにして此でもかという様な追い打ちを掛けて追い払ってからは何一つありませんねぇ。」
「あぁ、あれは見る影もない程、見るも無惨な有り様になっておりましたねぇ。私が男なら生きてはいられ亡い程、無惨で屈辱的な姿になっていましたものぉ。私もあれ以来その様なお話は聞いた覚えが有りません。」
二人はお互い向き合って、上を向いたまま遠い目をしていた。
「「お嬢様は、あの様な戦闘技術をいつ身に付けられたのでしょう。不思議でなりませんねぇ??」」
「俺が昔、護身術として叩き込んだからな。あれも其なりに素質が有ったから、どこまでやれるか面白がって鍛えてやった覚えがある。」
「「えぇ~。あれが護身術っ。どう見たって護身の域を遥かに越えた過剰技術ですよぉー。」」
二人がシンクロして驚愕しているのを余所にレーゼが話し掛けてきた。
「旦那様はお嬢様をどうするおつもりですか。さっきのお話と雰囲気からですと、どうでもいい様な厄介払いをしたい様な感じがしましたが?」
「別にどうするつもりも無い、ただ単に一人前に扱っているだけだ。だから好きにさせているし、放任もしている。あれの意思を尊重しているだけだ。それに働かずとも何の不自由もさせてないだろう。働くことを選んだのはあれの意思だ。」
「それでは無関心と変わりありません。お嬢様が可哀想です!」
「犬猫を拾って育てているのではありません。もっとお嬢様に関心を持って接し構って下さい。」
「多感な幼少期を不幸な事件と傭兵業の旦那様に連れ回され間違った教育を施し挙げ句此処に発哺り置かれて感情面が不安定で他にも色々なことが発育不足です。」
「旦那様が引き取ったのですからちゃんと責任と義務を果たして下さい。」
「犬猫の方がもっとずっと構われています。」
レーゼが今まで溜め込んでいた怒りを全て吐き出す様に前のめり気味に詰め寄って一気にまくし立てた。
「お前が怒っていた理由は良く解った。どう思う。アウス?」
シリウスは変わらない表情と態度で、レーゼの怒りと猛りのこもった言葉を聞き、隣で静かに聞いていたアウスに話を振った。
「途中や最後の例えは言葉が悪いですが、レーゼが言っていることは真実でとても正しく的を得ています。」
「併しだなぁ~。俺があれを構っている姿が思い浮かぶか、お前達?それに何処で誰に怨みや反感を買っているか判らんし、俺との関係が知られたら危険が及ぶかもしれん。」
「それもそうですが。戦闘技術を持つ以外はお嬢様は至って平凡で普通な方ですよ。手も綺麗なままですし。もう少し小まめに戻られて屋敷の内だけでも構ってみてはいかがでしょうか?」
「そうして頂けると助かりますねぇ。お嬢様の溜め息が減ると思いますしぃ。」
「それにぃ何処か壊れている私達と違って、お嬢様の悩みは解らないと思いますしぃ・・・」
応接間にいる皆全員が納得したように頷いていた。その後、シリウスが悩みながら答えた。
「一応、考慮しておく。」
「「「「一応と言う言葉はいりません。考慮ではなく実行に移して下さい。」」」」
応接間にいたシリウス以外の全員の異様な連帯感と鬼気迫る声が重なり、シリウスは元なりして用件を済ませ、エリエールが帰って来る前に屋敷を出た。二日後の早朝、屋敷の正門前でアウスから愛馬と荷物を受け取り、そのまま黒の森へと向かった。
リンド 屋敷の住人
エリエール=エル=メルディバッサ=ハウトディール
4歳の時にシリウスに拾われ護身術を習い初める。7歳になるまでシリウスと共に各地を放浪した。8歳の時にシリウスがリンドの屋敷を購入し、そこに住むことになる。傭兵ギルドに見習いとして務め始める。10歳の時に仕事でミスを連発。その尻拭いを内密でシリウスが処理に奔走する。11歳の時にシリウスが置き手紙を残し姿を消す。屋敷の者達に慰められながら、悲しみを振り払う様に仕事にのめり込んで現在に至る。愛称はエリー 14歳。
アウス=カーバイン 執事として屋敷で働く。元高位傭兵で傭兵歴20年 古代遺跡の調査時の怪我が原因で引退した。35歳 。通り名は赤色の魔晶輝石
レーゼ=イルクイン 家政婦長として屋敷で働く。元高位の色持ち傭兵 、色は光沢白。傭兵歴28年。弟妹を養う為に傭兵なるが、戦争により弟妹を失った後、幽鬼の様に各地の戦場を彷徨う。死にかけ倒れていたところをシリウスに拾われ、エリーが付きっきりで看病した。屋敷を購入した際、エリーのことを頼まれ傭兵を引退。 エリー対して超甘々の過保護。屋敷内最強。通り名は彷徨いし白き氷河
ネット=カビラ エリー付きの侍女として屋敷で働く。元高位傭兵。大魔獸討伐の際、親友が死亡し引退。シリウスが討伐に介入し助ける。傭兵歴4年。高位傭兵になって直ぐに引退した為通り名はない。 18歳
リース=リングス エリー付きの侍女として屋敷で働く。暗殺者上がりの元高位傭兵。暗殺ギルドの仲間に裏切られ傭兵なる。古代遺跡の地下迷宮で古代龍に遭遇。自分以外の仲間が死亡。シリウスが介入し助けた後、引退。二年間、仲間の故郷を巡り死亡と最後の言葉を伝える。
シリウス達傭兵団による四暗殺ギルド討滅戦に協力と共に参戦。その後、屋敷で働く。傭兵歴3年。通り名は、紅深紅 約17歳。
真面目な門番二人組 元高位傭兵。
従僕8名 女中7名 料理人4名 御者兼厩係1名
全員が中位~高位の元傭兵。皆外見とは違い凄腕の元傭兵でエリーお嬢様大好き集団。
使用人全員がエリー対して優しくも厳しく過保護な集団。そして、それぞれが各分野の家庭教師してエリーを教えた。