源泉の泉
この宿屋街の隣には林が隣接してあって、泉はそこにあるのだそう。
そこは、私達が泊まってる宿屋からさして遠い場所ではなかった。
中居さんに案内されながら町を抜けて脇道に入り、真っ直ぐ行くと源泉の泉と書かれた看板が立っているのが目に入る。
「へぇ。こんな所があるなんてなぁ」
テオが林を見上げながら感心したように声を上げた。
「気持ちの良い所だな」
オスカーさんもそう言って目を細める。
樹々の間から差し込む光は柔らかく、空気も澄んでいる。
あの砂漠から抜けたヴァルファ森林も気持ちの良いところだったけど、あれほど存在感の大きな樹がある訳でもなく、幹も細い物が多い。
時々、蝶々がどこからともなく来て舞っていた。
「ほんとね。こんな所に温泉があったら最高だったのにね。なぜなくなっちゃったのかしら」
「この温泉街には、元々神々の恩恵があったのです。その恩恵によって湯が沸き、絶えず溢れるお湯で営んでいたそうですが、その恩恵も失われてしまいました」
前を行く中居さんが、寂しそうにそう説明した。
恩恵ねぇ。温泉の神様とかいるのかしら。
硫黄の神様とか? 乳白湯の神様とか?
結局私のポンコツ頭では想像もつかなかった。
それから数分ほど歩いた先に、それはあった。
「わあ……っ」
先に声を上げたのは隣にいたトキだった。
思わず私も目を見開いて言葉を失う。
林を抜けて急に視界が開けたそこには、透き通る水面に太陽の光を反射させる巨大な泉があった。
その水面は頭上に広がる青空と、踊るように舞う蝶々を見事に写し取る。
その周囲を囲むように赤や黄色の色鮮やかな小さな花が所かしこに咲き乱れていた。
「鏡みたいだわ」
これ程透明感のある泉だったとは驚いた。
オスカーさんもテオも、泉に近付いて中を覗き込む。
淀みひとつないその透明な水は、真ん中に向けて青みがかり、徐々に深さを増しているようだった。
「ええ。温泉でなくなってしまったのはとても残念ですが、これはこれでとても素晴らしい場所だと思うのです。ぜひ皆様にも見て頂きたくて」
中居さんも、みんなが驚く様子を見て嬉しそうだ。
これなら名所と呼んでもおかしくない。
テオとトキは、泉の周りをどちらが早く一周出来るか競争し始めた。
「ほんとに子供みたい」
その様子を見て笑ってしまう。
「少しは疲れが取れたか」
ふと顔を上げると、オスカーさんの柔らかな笑みがそこにあった。
「はい。トキ達も遊んでるし、少しここでゆっくりして行きましょうか」
「そうだな」
それで私達は花を摘んでみたり、ヤマトに花を飾ってみたり、花輪を首に巻いてみたりと時間を楽しんだ。
その様子を林から見つめる影が一人。
__なるほど、あれがその猫か。
男の目は真っ直ぐに、もてあそばれている黒猫を射抜いていた。
ライザーからの依頼を受けた野盗達は馬を走らせ、朱鳥達とほぼ同時刻に宿屋街へ到着していた。
目立たないように武器はすべて隠し、一般人を装って様子を伺っていたのだが。
「あの猫、本当に離れねぇな」
銀髪の男が思わず舌打ちをする。
「宿の中にも一緒に入っちまったし」
「猫って普通もっとあっちこっち走り回らねぇか」
「おとなしい猫なんだろ」
主人の手から離れた隙に捕獲しようと跡を追ってみたが、離れる素振りを一向に見せない。
野盗達はどうしたものか頭を悩ませていた。
依頼主からは他の人間に手出しはするなと言われている。
しかしこうなると、猫だけを狙うというのは実にやりにくい。
「餌で釣ってみたらどうだ?」
「それじゃあ、近付かなきゃ無理だろ」
ぼりぼりとパサついた髪の毛を掻いて、男達は宿屋の陰から猫と主人の一行を見つめる。
「離れねぇなら、こっちから行くしかねぇな」
銀髪の男は決断し、そう答えた。
「どうする気だよ」
そうこうしているうちに、猫共は宿屋に戻ってしまった。
「あの宿に泊まる」
銀髪の男がそう言うと、皆一斉に顔を見つめ合った。
「俺達もか? 少し目立たねぇか」
「馬鹿か、お前ら。俺が一人で行く。お前らみたいなの連れてったら、それだけで騎士共も警戒する。
てめぇらは、その辺で遊んでな。宿に泊まればどうにでもなるさ」
口に笑みを浮かべて男がそう言うと、野盗達は肩を叩き合って喜んだ。
「そいつあ、いいや。じゃあ、お頭に後の事は任せるとして、俺たちは酒でも呑みに行こうぜ」
「ふん、好きにしろ」
そう言って男達に背を向けると、がはははっ!と大声で笑いながら彼らは姿を消した。
「さて。行くか」
バサバサの頭を手ぐしで適当に撫で付けて、シャツの裾をズボンの中に入れ、出来るだけ小綺麗に見えるようにしてから、男はその宿へと足を踏み入れた。




