救いの手
ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
涙を生みだす感情が何なのかわたしにはわからなかった。
恐怖。それはもちろんそう。
だけどそれ以上の何かが次々と胸に流れ込み、心が押しつぶされそうだった。
声にならない悲鳴が絶え間なく喉をつき、喉の奥はカラカラに乾燥して空気が上手く吸い込めない。
喉がひくつく。体はビクンッと大きく跳ねあがる。
あたまは混乱し、自分の体をまったく制御できなかった。
周囲では馬の嘶きと暴れまわる蹄の音、それを宥める人の声が乱雑に入り混じって聞こえ、場は騒然としていた。
その中で誰かがわたしの傍にいた。
逆光になって顔がよく見えない。
――助けて。
そういいたいのに言葉が出ない。
苦しくて胸が痛くて。意識が遠のきそうになる。ただでさえ涙で滲む影が真っ白く霞んでゆく。
だけどその時、突然バサリと何かが体に舞い落ちた。
顔まですっぽりと覆われ、視界が暗転する。
遮断された小さな空間の中に誰かの手があった。
大きくて温かい手がわたしの両目を覆い隠している。
促されるようにひらき切った目を閉じてみれば、伝わってくる体温が心地良くて少しずつ肩の力が抜け落ちた。
「そうだ。そのままゆっくりと深呼吸しろ」
低くて、だけど妙に安心する声に誘われ、できるだけゆっくりと呼吸を繰り返す。
するとヒクッヒクッと吃逆が喉を突いた。
それが邪魔でまた呼吸が上手くできなくなる。
苦しい。
何が何だか、もうわけがわからない。
いったいなんなの?
あの大地震があってからバックパックに殺されそうになって、こっちでもバックパックに攻撃されて、今度は馬に蹴られて死ぬのかと思った。
悔しくて涙がでた。
準備は万端だったはずなのに、なにもかもが滅茶苦茶だ。
馬だって、わたしは好きだった。
何度もお母さんと乗馬の訓練をしたんだから。
それなのになぜこうなるの。
自分の感情が把握できない。
それがとてつもなく苛立たしい。
体の痛みに涙がでるのか、心が落ち着かなくて涙がでるのか、あたまも心もぐちゃぐちゃだった。
ひくっ、ひくっ、ひくっ、
泣きすぎて吃逆がでたのもこれが初めてで。
そのことにもっとも動転しているのは間違いなくこのわたしだった。
「落ち着け、深呼吸するんだ」
落ち着きたい。落ち着きたいの。
わかってるんだけど体がいうことを聞かない。
吃逆をするたびに気管支を細く絞り上げる。
吐きだす空気だけが多くなって短い呼吸しかできない。
肺が痛みだしてガンガンと頭が痛む。
うッ……!! 空気が入って、こない!
ただでさえ気持ちはぐちゃぐちゃなのに、そこに焦りという感情が追加される。
――たすけて涼太っ……!!
「っ……! 許せ」
何かが聞こえたと思ったら、柔らかいものがわたしの口を塞いだ。
口内に流れ込む息づかいはわたしのよりも温かい。
ゆっくりとした動作で離れては塞ぎ、離れてはまた塞ぐ。
どれほどそうしていたのか。
交わる温度が同じになり、息継ぎのタイミングも重なるようになった。
割れそうに痛かった頭の芯が、ぼうっと温かくなって痛みが和いでいく。
心地良い温かさに身を委ね、わたしの意識は深く沈んでいった。
◇
「ん……」
ぼうっとする頭でそっと目を開くと、青白い光が目に入った。
体は鉛のように重く頭の芯からガンガンとする痛みが襲ってくる。
そんなわたしを癒すように、さわりと涼しい風が凪いで額をかすめた。
頭上からは柔らかな青白い光が降り注いでいる。
その光の色が不思議で仰向けに寝転がると、頭上には天幕が掛かっていた。
視線を横に流せば繋がれているわけでもないのに、大人しく横並びに佇んでいる馬たちが目に入る。
その様子をぼんやりと眺めていると、不意に頭の中に柔らかい声が響いた。
――アスカ。
……おニャンコ様、どこ? ここにきて。
頭痛に耐えながらぎゅっと目を閉じて祈るような気持ちでいると、不意にサラサラとした感覚が頬をなでた。
目を開けば金色の目がそこにあった。おニャン子様はゴロゴロと喉を鳴らしながら、わたしにすり寄った。肌をなでる毛並みがもふもふで気持ちいい。
おニャン子様を抱き寄せ、体に顔を埋めるとほっと心が緩んでいく。
安堵の息をついたわたしにおニャン子様は目を細めた。
――落ち着いたか?
「……うん、もう大丈夫。ありがとう」
――感情を収める器が一杯になっていた。一度ああして溢れだしてやれば落ち着くだろう。気が強い娘だと思えばこれだ。人間とは実に脆い生き物よ。
呆れたようにパタパタと尻尾を動かすおニャンコ様に苦笑いを浮かべる。
アレはなんだったんだろう。一種のパニック障害みたいなものなのかな。
そんなこと今までなかったけど、それほど弱っていたのかしら。
メンタルの強さには自信あったんだけどなあ。
消沈しながらも、あたまの片隅で涼太のことを考えていた。
なんで急に涼太のことを思い出したのか自分でもわからない。
涼太とは幼馴染みで小さい時からずっと一緒だった。
だけど別に四六時中一緒にいるわけでもないし、離れている時間だって沢山ある。
お互い仕事もあるし、数ヶ月会わない時だってあった。
でも別に寂しいと感じたことはなかったし会いたいと考えたこともない。
ただ漠然と、このひとはきっと一生わたしの人生にいてくれるひとなんだろうなと思っていた。幼馴染みというだけでなんの確証もないのに、当たり前のようにそう思っていたのだ。
確かにここはわたしがいた世界とは違うみたいだけど、まだあまり実感がないし、ここにきてから時間だってそんなに経ってない。
それなのになんでわたしは涼太のことを考えていたんだろう。
ホームシック? それならお母さんを思いだすはずじゃない?
――涼太と何か約束ごとでもしてたっけ?
まあいいわ。そのうち思いだすでしょう。
――時にアスカ。あの者等も気付いたようだから言うが……
「目が覚めたか」
おニャンコ様の声に意識を傾けようとした時、不意に声をかけられた。
ばさりとまくり上げられたテントの入り口から、眩しい陽差しがさしこむ。
目を細めると一人の男性が姿を現した。
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