なぜ!!
「女湯って……」
風呂の入り口に目隠しのように垂れ下がった暖簾は、完全にわたしが知る温泉のそれだった。しかも漢字。
――ここって日本なの?
「まあ、巫女様は〝漢字〟が読めるのですか? 素晴らしいです!』
茫然と暖簾を見つめるわたしにミカンが目を輝かせ、嬉々とした声をあげる。
「漢字、知ってるの? ミカンは読めないの?」
「漢字はこの国でも数名の者しか読み書きできません。この暖簾の文字の意味もわたしは人伝に聞いただけです」
「へぇ……」
ということは、どういうことなんだろう?
ミカンが「さあどうぞ」とドアを開ける。なし崩しに足を踏みこんだわたしは、そこでもまた口をあんぐりあけて絶句してしまった。
両側に備え付けられた三段作りの棚には木の皮で編んだバスケットが均等に並べられ、
中央の空いたスペースにはベンチがいくつか並んであった。ここに扇風機と体重計があればさらに完璧。
そうすれば日本でみられる温泉の脱衣所が見事に再現される。
――なんなの、ここは。
「この籠の使い方なのですが……」
「脱いだ服を入れたり、物入れにするのよね」
「そうです……よくご存知ですね。他国のかたが利用された時は戸惑っておられたのですが」
戸惑う……だろうね。
じゃあ他国にはこの脱衣所のシステムはないってことになる。
おそらく暖簾もないんじゃないかしら。
じゃあなんで、ここにはあるんだろう?
完全に頭がこんがらがっていたけど、考えた所で分かるはずもない。
とりあえずお風呂に入ろう!
「使い方は分かるわ。ありがとう」
そういうとミカンは頷いて脱衣所から出て行った。
わたしはバックを籠の中に放り入れ、替えの下着と新しい服。それからフェイスタオルとバスタオルを取り出した。
「あなたも来なさいよ。洗ってあげるわ」
ヤマトに声をかけると、嫌そうに一歩後ずさった。
――我には必要ない。
「あなただってだいぶ汚れたでしょう。いいから来なさい」
――要らぬ。
やだわ、この猫。喋るくせに洗われるのは嫌いとか。本当に猫みたいじゃない。
いや、猫なんだけども。
わたしは問答無用でヤマトを掴み上げ、お風呂場に連行した。
広い浴室内には石鹸の置かれた洗身台が連なり、木目調の椅子とタライが用意されてあった。浴槽も純和風の造りで、軽く五十人くらいは入れそうな大きさがある。
さすがに檜ではないようだけど、木で造られた純和風仕立て。
どこまでも日本の温泉を再現しているとしか思えない。
それだけに黄色のタライにカエルが書かれていないのが少し残念だった。
この世界に対し異質すぎるそのお風呂は、それでもわたしにとってはなじみ深い。
みているだけで身も心もほぐしてくれるようだった。
「温泉、最高〜!!」
ひゃっほー!! と万歳したわたしをヤマトが胡散臭そうに見ている。
さっそくお湯を汲んで体にかけ流す。
少しぬるいけど問題ない。じんわりと温かさが体に染みこんだ。
ううっ涙がでそう。
しあわせを噛みしめながら何度かかけ流して、洗身台に戻る。
シャワーは使えないって言ってたけど蛇口は大丈夫でしょう。
でも、いくらひねってもひねっても蛇口からは水一滴出てこない。
……ここの蛇口は使えないのかしら。
首を傾げて隣の蛇口をひねる。またその隣の蛇口をひねる。またひねる。ひねる。ひねる。ひねる。そしてわたしは全部の蛇口をひねった。
どの蛇口からも水一滴出てこない。
使い方を間違えたのかと思い、今度は蛇口を引っ張ってみたり押してみたり、なんとかならないかと四苦八苦してみたのだけど。
何をどうしても、蛇口からは何も出てはこなかった。
「なぜ!!」
スッポンポンで立ち尽くしたわたしは、両手で顔を挟みこんで絶望の声をあげたのだった。




