ねえもう勘弁してっ
「この箱の中身は、おまえだ、北澤‼︎」
こんな風に言われるとさ、まずはドン引きするでしょ? で、ドン引きしながらも、想像する。大きな箱に入って、体育座りしている自分を。
すると、こいつは「そういう意味じゃないっ‼︎」って、半ギレ状態になる。
うざ。
はああ、この人もうよくわかんない、なんとかして欲しい。
私は半ば呆れながら頬づえをつく。
そして。毎度毎度。
机の上にかぶせられたヤツの弁当の箱の蓋。これをひっくり返して開けるんだな。
それが、私の日課になるとは本当に本当に情けない。
✳︎✳︎✳︎
暑さが本格的にやってきて、汗がじわりと滲んでTシャツを薄っすらと濡らす夏日。
ツイているのか、ツイていないのかが、まるで分からない出来事があった。
特に買いたいものがあったわけではない。けれど、酷暑とまでは言い切れないこの中途半端な暑さから、少しでも逃れたいという気持ちがあったのだろうと思う。
高台へと行けば少しは涼しくなるのではと、何の気なしにうちから徒歩10分という驚くべき近さにあるアウトレットへと行った。
店と店を渡り歩きながらぶらぶらと歩いていると、視界の中へと飛び込んできたものがある。
(なんか、落ちてる)
興味はさほど覚えなかったが、なんだかんだで近づいていくと、ああ、お金かと分かる。
百円だ。
私は何の迷いも躊躇もなしに、ひざを折ってそれを拾った。手のひらに置いてみる。何度も言うようだが、特筆すべきものもない、ただの百円玉だ。
周りを見渡す。人もまばらで閑散としている。
「……誰もいない、ね」
このアウトレットは、店舗エリアの合間合間にちょっとした癒しの空間があって、そこは季節によって装いを変える。
クリスマスなら色とりどりの電飾で飾られたツリーが、ハロウィンなら大きなオレンジ色のカボチャなどが飾ってあったりして、来客者の目を楽しませている。
けれど、特に何のイベントもない平日の昼下がりにその場所で。学校の創立記念日という高校生にとっては非常にありがたい祝日に、私は百円を拾うという出来事に遭遇したのだ。
「これは……百円に導かれし私、って感じ?」
拾った時は単純に。ラッキーこれで冷たい炭酸でも買おう‼︎ と思った。あと五十円足せば、ペットボトルのキンキンに冷えたやつが買える。太陽が容赦なく照りつける屋外の通路をふらふらと歩いていたものだから、ちょうど喉もカラカラだ。
けれど、この百円の使い方を考え進めていると、ちょっと待てこれ犯罪か? という気持ちがぽんっと浮かんで、私は途端におろおろと揺れた。
手の平を見る。これどうしよう、と思う。
そうなると、後から後から後悔の念が次々に襲いかかってきた。
「どうしよう……ってか、あーあ、拾わなければ良かったあ」
けれど、拾った時と同じような状態で地面に置いて去るという行為も憚られるのだ。
それは、お札は向きを揃えてサイフに入れるとか、お金を地べたに置かないとか、命の次にお金を大切にしなさいと母親から言われ続けた教えの結果とも言える。
ついでに言うと、この世で金で買えないものはない‼︎ と思う、私なりの拝金主義の要素もプラスされているのだ。
(店舗の中で拾ったんなら、お店に届けるんだけど……)
インフォメーションセンターは、この通路をずっと真っ直ぐ進んだ反対側の奥にあり、ここからだとゆうに歩いて10分は掛かる。
「インフォ行くのめんどくさ……やっぱり、もらっとくか」
私は意を決して、ついにそれをポケットに入れた。直接サイフに入れないあたり、まだ罪悪感の拭い残しがあるようだ。
「……早く使っちゃお」
私は自販機が置いてあるフードコートへと足を向けた。急ぎ足で、水の出ていない噴水を横切って、歩を進める。
「北澤‼︎」
その時、声を掛けられて、驚く。
名前を呼ばれて振り返ると、先ほどまで私が立っていた場所に、男が立っている。
大きく口を開いてヨダレを垂らしているアヒルが目に飛び込んできて、ぎゃあっと心の中で思った。
凄い。凄いの一言に尽きる。一体、こんなTシャツ、どこで売っているのだと思う。
そんな豪快なTシャツとのコーデを全く無視していると言わざるを得ない迷彩柄の短パン。奇抜な組み合わせにどうしても視線を奪われてしまい、なかなか顔を確認できないでいると、「北澤っ」と再度声を掛けられた。
同じ高校、同じクラス。そうそう、クラス委員長、だ。
「なんだ、武藤か」
ほっ、と息を吐いたのは、ポケットにある百円の存在が大きい。これがアウトレットの警備員かスタッフだったら、分かりやすくオロオロしただろう。
けれど、多少なりともやましい気持ちがあったことを認める格好になり、私はちょっとだけ居心地の悪い思いがした。
「なんだじゃねえよ。おまえ、今、金パクっただろ」
「え、」
うわ、見られてたかっと、心でちっ。
「……百円、拾った」
「ふん、まあ正直に言ったから、許してやろう」
上から目線が鼻についたが、私はどうにかして声を絞り出し、返事を返した。
「……はあ、見逃してもらえませんかねえ」
「拾ったやつ、見せてみろ」
武藤が近づいてきて、ずいっと顔を寄せてくる。なんなんだ、いったいなんなんだあ、と思うが、顔には出さない。
この武藤はいつも野球部やら役員会やらなんやらで教室に滞在する時間が極端に少ないやつで、私の中では「喋ったことない、いや喋る機会すらないクラスメイト」のカテゴリに入っている一人だ。
私はポケットから百円玉を出すと、手のひらに乗せて突き出した。
「ん」
すると、武藤がじっと見る。しかも、手をアゴに当てて、んーとか、ふうむとか、そんな鑑定人風な雰囲気を醸し出している。
私はそんな武藤が可笑しくて、ぶっと吹き出してしまった。
「なんだよ、笑うなよ」
「ってかナニ? ただの百円でしょ」
「ふうん、そう思いたきゃ思え」
「え、違うの? もしかして、コレ、ただの百円玉じゃない?」
「はお、わかっちゃった?」
「ももももしかして、魔法の百円玉じゃ……」
すぱんっ、と頭をはたかれた。
「ちょっ‼︎ 暴力反対‼︎ DVだからこれ‼︎」
しかも、私っ‼︎ あんたにとっても初対面のようなもんなのに‼︎
「北澤、おまえアホか」
ツッコまれたりディスられたりで、堪忍袋の緒が切れそう。
すると突然、手のひらに乗せていた百円玉を、武藤は取り上げた。
私は、あっと言いながら、武藤の握った手に食らいついた。まさか、クラス委員長がこんな暴挙に出るとはっ。
「ちょっと‼︎ それ私が拾ったんだからね‼︎ 返してよ‼︎」
武藤が、私の勢いに押されて、うわあっと後ろに飛び退く。
「痛い痛い痛い、腕がもげるだろ‼︎」
「もげてやる、もげろっ‼︎」
私は武藤の硬く握り込んだ手の中に、グイグイと指を押し込んだ。
「わ、わかったわかった、返すってば」
「はあはあ」
「おまえ、スゲえな。金に対する執着が」
ここでも、私の拝金主義が存在感を放っている。というか、完全勝利でしょこれ。
武藤は観念し、握っていた拳を開くと、百円をずいっと出してきた。
私がそれをさっと取り上げて、ポケットに入れると、武藤は真剣な目を向けて言った。
「なあ、それ平成17年のやつだろ」
「ああ?」
やんのかコラ‼︎ アゴをしゃくって、武藤を威嚇する。
「まあ、落ち着けよ」
武藤が苦笑する。
「落ち着けって、あんたがさあっ」
「待て、とにかく見せてみろ」
怒りがなかなか収まらない。が、武藤の真剣な顔にほだされて、仕方なくポケットに入れた百円を取り出す。二人で覗き込んでまじまじと見る。
と。
「ほら、な」
「あ、うん。平成17年生まれだね、確かに」
「それさ、高いやつだよ」
「はああ?」
意味が分からずに、威嚇のスタンスを崩さずに身構える。そんな私の姿を見て、武藤は唇を片方だけ上げた。
「あのなあ、おまえ前からバカなやつだと思ってたけど、マジでバカだな」
「そんなことはどうでもいいから‼︎」
「希少硬貨ってやつ。発行数が少ない年のものは、高く売れるんだよ」
「んん????」
「ネットのオークションで売ると、その金額より高く買ってもらえるってことだよ」
「えっ……そうなの?」
驚きで言葉を忘れるところだった。価値があると聞いて、冷えた炭酸からすずめ堂のプリンにランクアップ。
「それ、オレにくれ」
「はあ? どうしてそーなる」
「いいだろう、ただで拾ったんだからよ」
「しかぁし‼︎ 今は私の所有物なのだ‼︎」
「だれだよそれ。まあいいや、じゃあオレの百円と交換して」
「ナニ言ってんだよ。この百円玉がいくらになると思ってんだっ‼︎」
「北澤さあ、おまえそんなんだから、クラスでもハブられるんだぞ」
「うるさいよっ」
武藤うざいっ、そう言いかけたけれど、言葉をぐっと呑み込んだ。私だってねえ、そういうとこは、ちゃんとわきまえてるんだよ‼︎
だけど、皆んなには分かってもらえないの。コミュ障だなんだって言われて、あっちから敬遠してくるんだから仕方ないの‼︎
「じゃあ、二百円出すから」
武藤が食い下がってくるのを見て、私は鬱っとした。
「……イヤだよ。今から家に帰って、ネットのオークションで売る。多分だけど、千円くらいにはなるはずだから」
「そんなになるわけないだろ‼︎ 考えてみろ、ただの百円だぞ」
「ただの百円じゃないから、欲しいんでしょっ」
「おまえ、只者じゃねえな」
「ふんだ、あんただって相当だよ」
「誰がコミュ障だっつーの、これ?」
「これ呼ばわりすんなっ」
「じゃあさ、どれくらいで売れたか教えてくれ」
私は、威嚇のポーズを決めると、「わかったよ」と言って、その場を後にした。
✳︎✳︎✳︎
クラスでハブられているというのは真実で、私はいつも独りぼっちを決め込んでいる。教室を移動する時、昼ご飯を食べる時、掃除の時間、学校で息をする時間全てが、独り。
寂しいといえば寂しいけれど、寂しいと思うから寂しいんであって。
こうやって本でも読んでいれば、集中している間に時間はどんどん過ぎていくし、それが苦痛かといえばそうでもない。
だから、それで私は満足だった。いや、満足ではないけれど、それに近い状態だったのだ。
それを、こいつはあああ……。
私は読んでいた本を机の中へと仕舞った。
「なあ、北澤。あれ、どうなった?」
「…………」
「なんだよ、もったいぶらずに教えろよ」
「…………」
さあ昼ご飯の時間だ、という時に。私の前のヤツが不在なのを良いことに、武藤は勝手にそいつの机を後ろ向きにし、私の机にくっつけた。そして、弁当を出すと、なんとなんと、そのまま食べ始めたではないかっ。
「ねえ、どうして食べてんのっ」
顔を前に出して小さい声で言葉を投げつける。
「え、昼だからだろ」
「そうじゃなくってっ」
声を上げそうになるが、慌てて声をひそめる。
「なんで、ここで食べてんの?」
「え、いいじゃん、別に。おまえ、誰とも約束してねえだろ。何も問題ないじゃん。それよりよ、オレはあれがどうなったか訊いてんの‼︎」
「……ってか、ダマしたでしょ。あれ、完全にダマしたね」
「どいうこと?」
「ただの百円だったっつーの‼︎」
声がでかくなり、再度声を抑える。
「嘘ばっかり言って‼︎」
周りをちらっとみると、数人がこっちを見ている気がして、私はさらに焦った。
「とにかく、何の価値もない百円玉だったんだから、もうほっといてよっ」
サブバックから、コンビニの袋を出すと、クリームがフチまでたくさん入っているよ‼︎ とコンビニの棚で主張しまくっていたクリームパンの袋を、バリッと開ける。一口、バクッと食べると、パン生地だけが口の中で転がり回った。
(くそうっ、こんなとこでもダマされる私っ‼︎)
私は、顔をこれでもかというほどに、へし曲げた。
けれど、武藤はそんな私の様子をものともせず、弁当の中身をガツガツと口の中へと放り込んでいく。
「で? なんか言うことないの?」
少しだけ眉を寄せて、ダマして悪かったな、と言うのか。もしくは、口の端を上げて、ダマされる方が悪いんだヨ、と言うのか。
さあ、武藤、おまえはどっちだ‼︎
「北澤、おまえさあ……」
私はクリームパンを口に押し込むと、三口目をかじった。やっと、クリームっ。ようやくクリームっ‼︎
そんなこんなでクリームパンと格闘していたので、反撃に転じる構えをするのが、遅れてしまった。
「その百円玉、今持ってるか?」
「……持ってるけど、ナニ?」
「出してみろ」
クリームパンに気を取られて、素直にサブバックから出してしまったサイフ。ああしまった、と思ったが、その流れで渋々小銭入れから、例の百円を取り出した。
見ろ、ちゃんと平成17年生まれだ。
「ちょっとここに置け」
武藤の人差し指に指示されて、机の上に置く。すると、武藤が弁当箱の蓋をかぶせた。
「……何やってんの?」
「こうするとな、物事の本質っていうものが、見えてくるんだよ」
私が、何言っちゃってんの、という恐れ慄いた顔で見るのを、武藤がぶはっと吹き出して、米粒を飛ばした。
「なあ、北澤。今、この箱の中には何が入ってる?」
持っていた箸でつついて、コンコンと音を立てる。
「⁇ 箱っていうか、弁当箱の蓋な」
「そういうのいいから‼︎ 早く言えって。この中には何が入ってる?」
「百円」
「それは本当か?」
「百円」
「本当にか?」
「百円だっつってんでしょ」
イライラとしながらも、クリームパンをかじる。
「じゃあ、目をつぶれ」
「はああ?」
「いいから、目ぇつぶれっての‼︎」
「なんだよ、なんなんだよ」
私はぶつくさ言いながら、目をつぶった。途端に光が遮断され、暗くなる。けれど、ごそごそと何かをしているのか武藤の影のようなものは、チラチラとまぶたの裏で動いているように見えた。
「いいぞ、目を開けろ」
そう言われて、素直に開ける。
机の上には、先ほどと同じような様子で、弁当箱の蓋が伏せてあった。
「中に何が入ってるか?」
真剣な表情で、武藤が私を見る。けれど、目をつぶっている間に、弁当をつまんだようで、口がもぐもぐと動いているのが、癪に触る。
「百円」
「それは、本当か?」
探偵風に言うのも、癪に触ったが、無視して先を続ける。
「……わかんないよ。目、つぶってた間になんかした? なんかしたなら、何が入ってるか、わかんない」
「だな」
息を吐いて、弁当を食べようとするので、おいおいおいと手で制する。
「だな、じゃねえ。そんで、何が言いたいのよ」
弁当箱の蓋に手を伸ばすと、途端にバシッと手を払われる。
「ちょっ‼︎ 暴力反対‼︎ DVだからこれっ‼︎」
ああ、デジャヴ。
「見えねえんだよ」
「は?」
「こうやって、箱の中に入ってると、外からはなんも見えねえんだってこと」
「はあ」
「この中に、百円玉が入っていたとしてだな、」
「百円でしょ」
「いいから、聞けよっ‼︎ で、百円玉が入っていたとしてだな。オレが、この中の百円玉は平成17年生まれのスゴいやつだって言えば、おまえ信じるだろ?」
「平成ってのがまずもって価値がないってのを、この前ネットで調べて知りました」
「でも‼︎ 信じるだろ?」
「ん、まあね」
生徒会長……とまではいかないけど、クラス委員長と体育祭実行委員長を兼任している武藤の言うことなら、まあ信じるかもね。あんたは、信頼だけはあるんだよ。それは、ほぼ初対面、ぼっちの私でも知ってんの。
「だけど実際は、蓋を開けて見ねえと分からんだろ? これ、これ」
武藤は、弁当箱の蓋を、箸でコツコツと叩いた。
「う、うん」
「ってことだよ」
うへえ、意味が全然分からんっ‼︎
「で、何が言いたいのよ?」
「この百円玉がさ。自分は千円の価値があるって思えば、これは千円なんだよ」
蓋をカパッと開けると、そこには百円玉。
「いやいや、これ百円だからっ」
「自分の価値は自分で決めるんだ。オレが平成17年がどうとか、おまえがこれはただの百円だとか、そんなのはオレらが決めることじゃねえ」
「????」
「そしてな、この蓋を開けるのも、自分自身なんだよ」
「????」
「箱の中に潜り込んだままじゃ、他のやつにおまえの本質は掴めねえってことだよ」
武藤はそう言うと、食べ終わった弁当箱の蓋を閉め、ナフキンで包むと、机をくるりと前向きに戻して、自分の机へと戻っていった。
「あれ、最初と違うこと言ってない? 本質が見えてくるって……言って、た、よ、な」
私は暫し、呆然としていたが、立ち上がって右手に持っていた残りのクリームパンを口の中へと押し込むと、武藤の机へと行ってそのイガグリ頭をすぱんっ、とはたいた。
「ちょっ‼︎ 暴力反対‼︎ DVだからこれっ‼︎」
ああ、まじデジャヴ。
頭を抑えながら、唾を飛ばしてくる武藤に、私は低く言った。
「百円。返して」
少しの沈黙の後。武藤は大人しく、ポケットから百円を出した。
✳︎✳︎✳︎
「なあ、おまえは勘違いしている」
ふちまで入っていないクリームのパンを食べていると、武藤がご飯を喉に詰まらせたので、私の午後ティーを飲ませて助けたのに、武藤がそんな私に礼も言わずに、突然そんな事を言うもんだから、私は食べていたクリームパンの真ん中をバシッと割って、中身がちゃんと入っていることを確認することで気を済ませた。
「なんの話よ」
クリームが口についてるぞ、と言いながら、武藤が弁当箱の中の唐揚げを口の中に放り込む。
「箱の中の百円玉の話だ」
はあはあ、この前の話をまだ続けるか、と呆れながら相槌を打つ。
「オレがこの百円玉は価値があるぞと言えば、おまえはオレの言うことなら信じると言ったよな」
「あ、うん。だって、あんたクラス委員長兼体育祭実行委員長じゃん。みんなからの信用厚いあんたのことだから、」
そこまで言うと、武藤が「それだよ、それっ‼︎」と遮ってくる。話の途中で邪魔された私は、なんだよもう、と鬱っとしながら、クリームパンをたいらげた。
「オレを見ていない」
「は?」
「それな、オレという人間を見ていないから」
「……はあ」
意味がわからない、武藤と話しているとこういう謎展開が多過ぎて困る。
私が頭の上に「?」を20個くらい浮かべていると、武藤がおもむろにポケットから何かを取り出して、机の上に置く。
あああああ、またそれ。
「ここに百円玉があるだろ。で、これをこうする」
「箱の中に百円が入ってる。はい、しかも平成17年のやつう」
「おいっ‼︎ 先に言うなよなっ」
「ねえ、そんなことよりさあ、あんたのあの私服。アウトレットで会った時のやつ。どうにかした方がいいよ」
武藤が途端に、ぎょっとした顔を寄越した。
「あ、違うんだ、あれはなあ……」
「なによ」
「いやいや、何でもねえ」
「お母さんに買ってもらったとか」
「…………」
嫌な予感。ってか、予感的中。
私は、はあっと溜め息を吐くと、武藤と私の間にある弁当箱の蓋を開けた。
百円玉を見つめる。
「ねえ、武藤。自分の価値は自分で決めるんでしょ。どんな服を着ていようがさあ、中身はあんたなんだから気にすんなっ‼︎」
私は中に入っていた百円玉を人差し指で指した。そして、指に力を入れると、すすすっと引き寄せた。その途端、ぐっとその手を握られる。武藤の体温が手の甲に伝わってきて、胸がドキッと鳴った。
「ちょ、何すんのっ」
「北澤、おまえ意外と良いヤツだな」
ひゅーひゅーと周りで誰かが、冷やかしの声を上げた。
「は、離してよ」
ばっと手を引っ込めると、武藤も同じように手を引っ込めた。なぜか二人とも、両手を机の下に潜り込ませていて、うな垂れている。
心臓がバクバクと、口から飛んでってしまいそうなくらいにうるさくなって、顔が火照ってくる。
私はその流れのまま視線を落とした。あれ、と思う。百円玉は、昭和55年のものだ。
「ちょっと武藤。これ、平成じゃないじゃん」
武藤は、むっとしたような顔を寄越しながら「ああ、そうだ。問題はそれなんだよ」と言う。
「もう‼︎ またよく分かんないんだけど……」
あちこちに飛びまくっている武藤の思考回路。ずいぶんと慣れたとはいえ、まだまだついていけてない。ちょっと待ってて、回路の配線を繋げ直すから。
「平成だと思ったら、昭和だったってことはな」
「ん、」
「おまえが思っているようなオレじゃねえってことなんだよ」
机の下に隠していた右手をおずおずと出して、武藤は転がっていた箸を掴んだ。弁当の残りのおかずを一瞥すると、武藤は玉子焼きに箸を突き刺した。
「それ、どういうこと?」
「みんなから信用、とかさ。されてないってことだよ」
玉子焼きを口に入れ、もそもそと咀嚼する。その目には力がなく、視線は落ちていく。私はかつて、こんな寂しそうな武藤を見たことがない。いつも生き生きとして、羨ましいくらいに輝いているというのに。
何があったのだろうと思う。
「……そんなことないよ。みんな、あんたを頼りにしてると思う」
思う……としたのは、実は実際のところ、私は武藤という人物を彼の間近で見たことがないからだ。だって、野球部や委員会であんまり教室に居ないから。
「だからそれが、勘違いだってことなんだよ」
武藤が声を落とす。
「オレはさ、こう見えて意外とナイーブなんだよ。皆んなに嫌われたくないから、色んなことやって、友達増やしてんの。信用されてるなんて、おまえにはそう見えるかも知んないけど、実際は全然違う」
「そ、そうなんだ。でもさ、野球は好きでやってんでしょ」
「んー、まあな」
目の前にあった百円玉をポケットの中に戻す。
「本当のオレは、こんなんじゃねえんだよ」
「…………」
「おまえは何で平気なんだ?」
「何がよ?」
「どうしてハブられても平気でいられるんだよ。ある意味すげえなって思う」
はあああ、そうきたか。
私は午後ティーを飲み干してから、ペットボトルのキャップを閉じた。
「平気とかじゃない。ただ、皆んなとそりが合わないだけ……だと思う」
「ふうん」
「だって、私はさあ、別に自分がこれで普通だと思ってんの。それなのに喋ってるうちにどんどん引かれてって、うざっていう雰囲気を醸し出されるんだもん」
「そうなんか」
「私だって、どうしていいか、分かんないよ」
沈黙が降りてきた。これ以上、胸の内を話したら、きっと言葉が涙とともに止めどなく溢れてくる。
「だな」
短く、武藤が頷く。
だから、そういうのが意味分かんないっつーの。
私は手を伸ばして転がっている武藤の弁当箱の蓋を、すっかり空になった箱に被せた。
✳︎✳︎✳︎
「文化祭の実行委員、立候補する人お、手あげてー」
休み時間、ガヤガヤしていたクラスが一瞬、しんとした。それはさ、武藤の声がクラスに響いた証拠、なのにね。けれど、皆んな無視を決め込んで、トランプの続きをやったり、読みかけの本に目を落としたりしてしまった。
もちろん私も武藤が言うところの「文化祭実行委員」になるはずがないし、なる気もない。
プイッと顔を横に向けると、窓の外で大きな銀杏の木から、黄金色の枯葉がちらちらと落ちていることに気がついた。
秋だな〜なんて、はらはらと落ちてくる黄色の葉っぱを見ていると、感傷に浸るっていうの? 気持ちが落ち着いてくるようで、私は目を細めた。
教室では返事がないままの空気感に耐えかねた生徒が、勝手なことを言い始める。
「文化祭自体、めんどくせぇ」
「誰かあ、やってくんねー」
「オレ? イヤだよ」
クラスの気だるそうな雰囲気に、武藤は苦笑いで応えている、のだと思う。見ていないからわからないけれど、武藤はそういうやつだと知っている。
「まあ、そう言わずにさ‼︎ おーい、誰か立候補ー‼︎」
信用なんてない、と言いつつも、相手を怒らせないように上手に立ち回るんだよ、あんたはさ。
「なあ、誰かやってくれー‼︎」
「武藤が兼任でいいんじゃねえ」
「おい、オレを過労死させる気か」
わはは、と笑い声。
「……まじで困ったな」
呟くように言ったその言葉が、胸の中で響く。きっと、苦笑いしながら、頭を掻いているのだろう、と思う。
頬づえをつき、ベランダ越しに黄金色の絨毯を見る。あれが全部お金だったら、私は大金持ちだと思いながら、左手を挙げる。
「おっ、北澤っ‼︎ やってくれんの? まじ助かるーサンキューな‼︎」
教室の反応は、一歩後ろに下がり気味、だと思う。見えないから、わかんないけど。
そんな冷めた雰囲気の中、あんたが箱の蓋を開けろって言ったんだ、と心で文句を垂れながら、私はそのままちらちらと落ちてくる銀杏の葉っぱの行方を見続けた
✳︎✳︎✳︎
春。
このところ続いていた雨でせっかくの桜の花びらが散ってしまい、桜蘂のみの寂しい姿になった桜並木を背にしながら、私は日曜の午後、アウトレットに向かって川沿いをぶらぶらと散歩していた。
百円を拾ったあの時から、金目のものが落ちていないか、下を向いて歩く癖がついてしまった。
拝金主義は相変わらずだけれど、私の中の何かが少しずつ変わっていく。
「お金、落ちてないかな」
例えば、学校の廊下をそうやって歩いていると、武藤が肩を叩いて、不遜な顔を寄越してくる。
「なあ、北澤。福沢諭吉の一万円札を手に入れたんだけど、一万五千円で買わないか?」
「聖徳太子なら考えるよ」
「あ、それならうちにあるぞ。今度、見に来いよ」
「……また、箱がどうとか言い出すんしょうが?」
「いやあ、箱っつーか、まあ金庫には入れてあるけどなあ」
「金庫っ⁉︎」
「じいちゃんがくれたんだよ。そんなデッカいのじゃねえ。これっくらいだ‼︎」
武藤が両手を広げる。なんだ、ちっさ。
「ダイヤルみたいなので数字合わせるやつ、ついてる?」
「お? おお、えっと、……あ⁉︎ ついてる、ついてる‼︎」
あーはいはい、ついてない、と。
「今度の土曜日とかどう?」
「その日はダメ、カラオケ行く」
「お、おお、3組の交流会、行くんだ。そういえばおまえ、文化祭の打ち上げでカラオケ振り付けつきで熱唱したんだとな。皆んなドン引きだったって聞いたぞ」
「ははん、別に気にしてないもんね」
「いいぞいいぞ、もっと弁当箱の蓋を開け放てっ‼︎」
「だから、それっ‼︎ いまだに意味わかんないんだけど」
武藤が大口を開けて笑い、そして私がすぱんっ、と背中を叩く。
そんな光景。
思い出しながらアウトレットへ続く小道を歩く。
「はああ、あいつ本当にうざい」
呟くと、自然と笑みが零れた。
✳︎✳︎✳︎
「ねえ、今日はどっちが出すんだったっけ?」
「今日は木曜だろ? 木曜はおまえの番」
えーと言いながら、サイフから百円玉を一枚出して、机の上に置いた。平成だか昭和だか、もうどっちでもいい百円玉。それはただの、本当にただの百円玉。
相変わらずの武藤の弁当箱の蓋……ではなく、武藤がカバンから出したのは、正方形の小さな箱。細長い穴に、その百円をすっと入れた。
「少し重くなったね」
「約束、忘れてないだろうな」
「大丈夫だよ。この貯金箱が一杯になったら、デートでしょ」
「違うっ‼︎ デートとか、そんなんじゃねえっ‼︎」
武藤が弁当箱をぱかっと開けて、口の中におかずを詰め込んでいく。私もクリームパンの袋をパリッと割った。
「月から金の五日間のうち、オレが三日分入れてんだから、そこんとこ忘れんなよ」
「はいはい、あんたのおごりでデートね」
「デートじゃねえって言ってんだろ‼︎」
そうやって毎日、箱の中には名もなき百円玉が溜まっていく。武藤がそれを見て、「その箱には平成17年生まれのおまえが入っている。百円以下でもそれ以上でもないのがおまえだ」とか何とか、訳の分からんことを言うもんだから、「あれ、言ってなかったっけ? 私、早生まれだから。誕生日は平成18年だよ」と言って、武藤を混乱させて遊んだりしているけど。
ねえもう勘弁してよ、その話うざっ‼︎