申し子降臨。
誤字、脱字報告に感謝致します。
「かんせーい!!!」
狐につままれたような顔で店主とハンナは、ポカンと口を開け、目の前の光景を信じることが出来なかった。
出来上がってしまった。5着のドレスが。
納期に、余裕で間に合ってしまった。
貴族の三兄弟と出会ったその日に店主とハンナは結婚……。
奇跡?
教会と役所から帰った時には、一着目のドレスはほぼ完成しており、難航するはずの三着のドレスのパターンも出来上がっていた。
え?魔法使い?
ウィリアムが連れてきたスラムの子供達はエマの仮縫いを手伝い、画家だと言う男は何故か糸の染色を請け負ってくれた。
染色なんて今からだと間に合う訳がないと店主もハンナも止めたが、何故か次の日の朝には、かつて無い鮮やかな刺繍糸が店に届けられた。
あれ?どっきり?
更に、学園から帰って来た三兄弟と共に現れた体格の良い父親に刺繍針を渡した瞬間、腕の動きが見えない速さで刺し始める。大きな手から信じられないくらい繊細な刺繍が瞬く間に出来上がっていく。
ハンナのオリジナルの刺繍柄は、布地を強くするために蜂の巣のように六角形を隙間なく並べた手のかかるもので、同じ大きさの六角形を正確に並べるのは腕と根気が必要になる。つまり並のお針子では真似が出来ない技術。
……の……はずだった。
簡単な説明が終わると三兄弟の父親は、その刺繍いいね、丈夫だし見た目も凝ってて華やかになる……と言ってハンナよりキレイな六角形の刺繍をハンナの10倍くらいのスピードで仕上げていく。
そして、恐ろしいことにスピードを緩めることなく笑いながら話すのだ。
「あーちょっと縫い辛い生地だね。パレスの絹ならこの10倍はスピード出せるのに……」
化け物だ……。
そんな化け物じみた父親の影で、三兄弟もせっせとドレス作りを進めていた。
そもそもエマ様は、めちゃくちゃなサイズが書かれた注文表を無視して学園で会ったことがあるから……と目分量だけでパターンをさっさと引き終えてしまった。……目分量??……目分量!?!?
仮縫いも早い上に、スラムの子供達への指示も的確。
ゲオルグ様が手掛けた飾り花は、本物と見間違えるほど精巧で繊細で思わず香りすら嗅いでしまいそうになる。注文にない髪飾りも時間があったからと作ってしまう。
ウィリアム様は、何百とあるビーズをこれまた凄い早さで付け始めた。しかも、何の印も付けず直接にだ。それで完璧な模様をビーズだけで仕上げてしまった。
化け物の子も化け物。
「やっぱり皆でやると早いわね!」
ふふふっとエマが微笑む。
5着のドレスが……3日かからなかった。信じられない。嘘でも夢でもない。
なんなんだこの……仕立て屋の申し子みたいな家族は……。
こんなの一人いるだけで、王都の仕立て屋は大儲けできる。
特に、父親のレオナルドの腕は人間国宝ものだ。
なのに。この家族は。
ここまでの才能を以ってして、本業は狩りと養蚕なんだと訳のわからないことを言っている。
ここまでの才能を以ってして、昔は家も貧乏で大変だったんだよと笑っている。
意味がわからなかった。
なぜ、仕立屋をしないのか…………。
「あの、アルバイト代ですが、本当に申し訳ないのですがドレスの代金を頂いてからで構いませんか?」
あの技術に見合うだけの給金なぞ、今、持ち合わせていないのだと店主は白状する。
「アルバイト代?……ああ、そう言えばそんな話でしたっけ?」
目を丸くしてエマが忘れていたと笑う。
もともとお金なんて貰うつもりはなかったと店主の申し出をその笑顔のままやんわり家族は断る。
「そっそう言う訳にはいきません!大変な作業をしてもらったのですから!」
一時は、店も自分の命も諦めたのだ。相応の礼は絶対にしなくてはならない。
「いやぁ、逆に我々がお礼を言いたいくらいですよ」
店主の言葉にレオナルドが首を振る。
「妻がいなくなって数日、寂しくて、寂しくて……針仕事に夢中になっている時だけ、この心の空白を少しだけ埋めることが出来たのですから」
悲しそうに、辛そうに、痛そうにレオナルドが胸に手をやる。
店主もハンナも痛々しいその姿に家族に起こった不幸を察した。
初めて会った時、兄弟は母を亡くしたばかりで、ぶつかったハンナに母親の面影を見たのかもしれない。
あの時の一緒にスイーツを食べた嬉しそうなエマ様の笑顔が急に健気に思えてくる。
泣いてはいけない。本当に辛いのは、目の前の家族だ。その家族が笑っているのだから。
グッとハンナも、店主も涙を堪える。
「お父様……それではお母様が死んだみたいに聞こえます。ちょっと仕事で家を空けているだけじゃないですか……」
縁起でもない!とウィリアムが突っ込みを入れる。
「ん?ああ、すまない。でも寂しいのは本当だよ」
くうーんとワンコのようにレオナルドが肩を落とす、が店主とハンナは心の中で生きてたんかーいっと叫んだ。紛らわしい。
「そうだ、アルバイト代はハンナ嬢の刺繍の使用権ではどうかな?あの刺繍は凄く汎用性が高そうだし……」
「使用権だなんて、刺繍の模様にはありませんよ?」
そもそも、ハンナの刺繍は腕がないと刺せない。刺繍の模様に権利なんてないし、あっても刺せない人は刺せない。
それにあの刺繍は、本来布地の補強を目的としている。一時的に今は流行っているが、貴族の流行りなんて移り変わりが早い。すぐに廃れるだろう。
ドレスを一回袖を通すだけの貴族には汎用性はないだろう。
「素晴らしい刺繍には、敬意を払わないとね。これでアルバイト代の話は解決だよ」
レオナルドが笑顔で押し通す。
結局、タダでこの家族は店の危機を救ってくれたことになる。
店主はあり得ない出逢いに、訳のわからない幸運に、未だに信じられない今に、混乱する。
ずっと言い出せなかったハンナへの想いも一瞬で見抜き、少々強引ではあったが、二人をくっつけてくれた。
教会から帰った二人に、三兄弟はリア充、爆発しろ(祝いの言葉らしい)を、定期的に何度も声を合わせて言ってくれた。
仕立て屋店主とお針子……後で婚姻の許可を直ぐに貰うのは難しかったのだと知る。教会でするすると手続きをしてくれたのもソバカスの少年がいたからなのだと。
「これは、うちの家族からの結婚祝いです」
そう言ってゲオルグが二人に結婚指輪を渡す。
「左手の薬指に嵌めて、ドレスを届ければ令嬢からの無茶な注文も無くなる筈です」
にっこりとエマが笑う。
天使がそこにいた。
そうだ。天使に祈ろう。
この出逢いを、この幸運を、今を。
地獄の底の底まで、わざわざ降りて、手を取って翔んでくれた天使に。
エマ・スチュワート
天使の名前を、天使の家族を、
こんなちっぽけな店に舞い降りた、スチュワート家にこれから代々祈りを捧げよう。
貴族にも、素晴らしい人がいるのだと、皆にも伝えなければ。
その後、店主の布教活動は商店街、臣民街へとゆっくりと、だが着実に広がって行くことになるのであった。