小さくて、優しくて、可愛い。
誤字脱字報告ありがとうございます!
無事に200枚のハンカチの刺繍を仕上げた(絶好調)後にエマは、魔物学で会ったエドワード殿下とアーサーに散々体調を気遣われた。
特に王子は、毎回真剣に心配してくれるので心苦しい。
そして、昼休みになればエマを心配する令息が、スイーツと共に入れ替わり立ち替わりエマの元へ訪れるので、更に更に申し訳ない気持ちが倍増するのであった。
段々と目の前に積まれていくスイーツに、エマは申し訳ないと思いつつも、隠しきれないご満悦の笑顔を振り撒いている。
「まあ、それはご心配かけて申し訳ございません。お見舞まで恐縮ですわ。お礼と言うには拙い物ですが、今日の刺繍の授業で作ったハンカチですの。良かったら使って下さい」
例の大量のハンカチを一枚カバンから取り出して、クッキーをプレゼントしてくれた令息に手渡す。
「!!!こっこんな見事な刺繍見たことありません!ありがとうございます!宝物にします!!家宝にします!」
一面に花の刺繍が施されたハンカチを震える手で大切そうに受け取り、令息がまた一人、真っ赤な顔でエマから離れていく。
ハンカチ、使ってって言ったのに……。
「エマ嬢、元気…………そうだね」
いつものように、食堂でしっかりご飯を食べた後に、中庭で貰ったスイーツを頬張るエマにアーサーが声をかける。
ゲオルグとウィリアムとヨシュアは諸事情により、遅れてくることになっていたので、エマや妹のマリオン、フランチェスカ、双子に悪い虫がつかないようにアーサーが目を配っていた。
「はいっ本当に元気なんですよ?アーサー様もこのチョコレートいかがですか?甘さ控えめでスッキリとした味で美味しいですよ!」
コクンと口の中のクッキーを飲み込んでからエマはアーサーにチョコレートを勧める。
「……いや、遠慮するよ。見てるだけで口の中が甘くなって仕方がないから」
アーサーは、食欲旺盛なエマを見て安心するものの、見てるだけでもうお腹いっぱいだ。甘いものに喜ぶ姿は可愛いけれど、あんなに食べる令嬢は見たことがない。
アーサーも食が細い訳ではないが、こうも甘いものばかりを食べ続けるのはさすがに辛い。
先程、魔物学の授業前にエマに貰ったハンカチを思い出す。
普通学園で令嬢達が授業で行うハンカチの刺繍とは、四隅の一角にイニシャルと少しの飾りの刺繍を刺してあるものだが、エマから貰ったハンカチは全面に見事な細かい刺繍が施されていた。
ここ最近は猫と虫に加えて花や木の実に果実、葉っぱといったモチーフが彼女の中で流行っているみたいだった。今回貰ったハンカチも檸檬と蔦植物が絶妙なバランスで配置してあり、今まで見たことのない個性的なデザインなのに不思議と違和感や嫌みがない。
蔦植物の色鮮やかな緑は、一色だけでなく数種類の微妙に違う緑で染められた刺繍糸を組み合わせており、普通の絵や刺繍と違って立体的に見える。檸檬も水滴まで表現してあり、思わず匂いを嗅いでしまいそうなほど瑞々しく見えてしまう。
既に、匠の技工。
額に入れて飾るレベル。
あの細く、傷ついた腕で一生懸命に作ってくれたのかと貰った時は危うく涙ぐむところだったのは秘密だ。
同じタイミングで貰った殿下もヨシュアも喜びに打ち震えていたが、ゲオルグとウィリアムは、すぐ顔の汗をそのハンカチで拭いて殿下に怒られていた。
何故、怒られたのか理解できていない兄弟は、ハンカチは汗を拭くものですよね?ときょとんとしていた。
タイミング良く、授業の開始のチャイムが鳴り、魔物学が終わった後に王子がこんこんと説明し始めた為に、ゲオルグとウィリアムは食堂に行くのが遅れている。ヨシュアは巻き添えだ。
手をかけた刺繍を雑に扱われ、エマ嬢が悲しんでいないか心配したが、狩人の実技って大変なのねーと言いながらゲオルグとウィリアムにもう一枚ずつハイクオリティーの刺繍ハンカチを渡してあげていた。
一体何枚作ったんだろう……。
確かに狩人の実技は運動量が多く汗をかくが、丹精込めた刺繍を躊躇いなく出してくれるエマ嬢の優しさは、その場に居合わせた関係ない生徒達にも癒しの効果を発揮したようだった。
天使が優しい!
もはや、エマ様が天使なのか、天使がエマ様なのか……?
狩人の実技のあとそっとハンカチを渡す天使……ああ、神様。願わくば次に生まれ変わるならば、あの兄弟のどちらかにお願いいたします!
声にならない呟きが、アーサーの耳にも聞こえてくる。
当の本人である兄弟は、生温い目で魔王だのサタンだの呟いていて、特に感動も癒しも何も感じていない。いや、生温いを超えて、あの目はほぼ死んでいた。
魔物学が絶対に合格しなくてはならない科目なのはわかるが、妹の好意を無視して、勉強を始めるとか信じられない。
兄弟だからあの優しさと可愛さに慣れているのかもしれないが、もう少し感謝の心を持った方がいい。殿下が怒るのも仕方のないことだろう。
俺の妹なんか…………可愛いかったこともあったが、いつの間にかかっこ良く成長してしまっている。
その辺の令息なんかよりも、イケメンでモテている。
妹として定義していいものかすら迷うと言うにスチュワート兄弟は贅沢だ。
……………本当に………。
小さくて、優しくて、可愛い妹……正直、うらやましい。思わずため息が溢れる。
「兄様?何か失礼なことを考えていませんか?」
ジロリとマリオンに睨まれ、笑って誤魔化す。
武道に長けた妹の前では、頭の中すら気が抜けない。
「何のことかな?マリオン。それより、今日は真っ直ぐ家に帰るんだよ?」
王家から、来週急な夜会の招待があった為にマリオンは新しくドレスを作る必要があったことを思い出す。
急とはいえ、王家主催の夜会に一度袖を通したドレスを公爵令嬢が着るわけにはいかない。
イケメンな妹はあまりドレスを好まないので、ストックも無い。
仕立て屋を呼んでドレスを作らなければならないと朝、メイド長が発狂していた。
「ベル家もですか?実はデラクール家も週末の夜会に招待されておりましてドレスを仕立てなくてはならないんです」
フランチェスカがエマにお裾分けしてもらったクッキーをやっと一枚食べきって、うちもメイド長が朝からお針子の確保に奔走していると疲れた顔を見せる。
第一王子派の洗礼失敗以降は、なるべく社交界から離れていたので、フランチェスカも新しくドレスを作らなければならない。
「まあ、私達も夜会のドレスを作るわねケイトリン」
「まあ、私達も夜会のドレスを作るわキャサリン」
双子も夜会に招待されているようで、晩餐会にも招待されていた双子は、ストックが無くなり、同じ様にドレスを仕立てないといけないらしい。
今日採寸まで済ませたとしても、ドレス作りは時間がかかる。
仕上がるのはギリギリ間に合うか、危ういかもしれない。
通常、王家主催のものはここまで余裕のない日程は珍しく、この分だと仕立屋はどこも注文が殺到しているのではないだろうか。
「先日の晩餐会は規模も大きくて、新しいドレスを着たばかりの令嬢は多いかもね。仕立屋は大変だ」
仕立屋に注文が殺到しては、ドレスが間に合わない事態もあり得るために、各家のメイド長は皆、気が気でないはず。
毎年王家主催の社交イベントは決められており、イレギュラーで二週連続となるとどの家もてんやわんやだろう。
「ベル家には専属の仕立屋はいないのですか?」
本来公爵家ともなれば、お抱えの仕立屋くらいいるものだ。
デラクール家にも一人長年専属の仕立屋を抱えているが、今回の様に日にちが足りない時は新たに手伝いのお針子を探す必要がある。
「うちは、あまりドレス作らないからね……」
アーサーがマリオンをちらっと目で示して肩を竦める。
ベル家は代々騎士を纏める家系なので、男は公式の場でも騎士服で済ませるし、女はマリオンのようになるべくドレスから離れようとする者ばかりで、今回のような急な招待でもない限り必要ないのであった。
「それは大変ですわねマリオン様。良い仕立屋が見つかることを祈ってますわ」
何故かアーサーがドレスの心配をして、マリオンは飄々と話に頷くだけの姿にフランチェスカが苦笑する。
「ありがとう!フランチェスカ様。最悪私も騎士服で行くから心配しなくても大丈夫だよ」
「「「それは駄目でしょう!」」」
カラカラと笑うマリオンにフランチェスカと双子がすかさず突っ込みを入れる。アーサーは頼むから止めてくれと頭を抱える。
確かに、絶対に、完璧に似合うだろうが王家の夜会に男装はリスキー過ぎる。ましてやマリオンは公爵令嬢である。
「うーんその辺の令息には負けないくらい着こなす自信はあるんだけどね……そういえば、エマ様は?招待されていないのかい?」
さっきから会話に入ってこないエマにマリオンが視線を向ける。
「!!!」
「え?!!!」
「え!?」
フランチェスカやマリオン、双子が振り向けば、先程まで大量にあったはずのスイーツの山が見事になくなっていた。
静かだったのは、お口がスイーツを食べるのに忙しかったのだと直ぐに納得せざるを得ない光景だった。
音もなく給仕がスイーツの包み紙を回収し、何杯目かのおかわりの紅茶をカップに注いでいる。
「?スチュワート家には招待状は届いてないかと。今日は、母が朝から出掛けていたので把握していないだけかもしれませんけど……」
急に皆の視線がエマに向いたので、少し驚きながらもエマが答える。もぐもぐスイーツを食べながらもちゃんと話は聞いていた。
おばあ様のスパルタマナー教室の成果とも言える。
「エマ様……全部、食べたのですか?」
あの大量の甘いスイーツ達を……フランチェスカが食べればきっと太ってしまうだろう量をエマはペロリと平らげていた。
「デザートは別腹ですわ」
ふふふと嬉しそうに笑うエマが、遅れて中庭に来た(やっと王子から解放された)ゲオルグとウィリアムとヨシュアに気付く。
「エマ様!今日は、フィナンシェを持ってきましたよ。召し上がりますか?」
ヨシュアがエマにフィナンシェの入った箱を渡す。
その甘いにおいだけでアーサーはうううっと視線を逸らす。そのくらいは大量のスイーツを今日は見ていた。
「ありがとう!ヨシュア!フィナンシェ大好きよ!」
箱を開ければ更に強く甘いにおいに包まれる。
ヨシュアの用意するスイーツはいつだって高級品だ。
貴族といえども手に入らない人気の店や珍しい異国の厳選されたスイーツをエマのために苦もなく集めてくる。
美味しそう……だけれどもあれだけのスイーツを食べた後にフィナンシェは重たい。
アーサー、マリオン、フランチェスカ、双子が止める前にエマはパクリとフィナンシェを口に入れる。
「んーー!紅茶と相性抜群だわ!!もう1ついただ………………!!!」
2個目のフィナンシェに伸ばすエマの手をゲオルグとウィリアムが止める。
「エマ、そのくらいで我慢しよう」
「姉様、給仕が大量のお菓子の包み紙を処分していたのをさっき見ましたよ。あれ、まさか全部食べてないでしょうね?」
ん?何のことかしら?と白々しくすっとぼけるエマを睨みながら、兄弟は残りのフィナンシェをアーサー、マリオン、フランチェスカ、双子に勧めるがエマのあの食欲を見ては、皆甘いものは当分うけつけない……と遠慮する。
誰も食べようとしない様子を見て、では、もう1つ……と手を伸ばすエマをゲオルグ、ウィリアムが二人がかりで止める。
「…………あと1つだけ……だめ?」
上目遣いで、瞳を潤ませながらエマ嬢がお願いしている。
「「駄目!!」」
あの激烈に可愛い過ぎるお願いを直接くらってなお、ゲオルグもウィリアムもバッサリと断る。
流れ弾だけで、ヨシュアは胸を押さえて耐えているというのに。
やつらのハートは氷か何かで出来ているのか?
小さくて、優しくて、可愛い妹…………を持つのも大変なのかもしれない。
甘いものは別腹。