ミソとハシ。
「サキヅケ……前菜でございます」
いただきますを合図に給仕が料理を運び始める。
……何かの魚の煮こごり? 茄子の田楽? だし巻き……玉子?
この世界で見ることの無かった和食のような料理が並ぶ。
「皇国では、こちらを使って食事をするそうです。宜しければお試し下さい」
そう言って給仕が目の前に置いてくれたのは……箸だった。
一本ずつ箸を握ったロバートが皇子に話しかけている。
エマに対する無礼な態度と違い、公の場にふさわしい振る舞いだ。
普段はどうであれ公爵家の生まれ、慣れている。
「タスク皇子、これはどのようにして使えばよいのでしょうか?」
「これは『箸』と言います。こうやって片手で二本を持って食べ物を掴むのです」
皇子もにこやかにロバートや、箸を使ったことのない同じ席の面々に実際に見せながら説明を始める。
「おっとっ……これは、難しいですね」
「ああ、グーで握るのではなく私の指をよく見てください、こうです」
「皇子、こうでしょうか?」
「いえ、少し惜しいです。こう、箸がクロスするのは良くありません。ペンを持つようにですね……」
なるほど、異文化交流である。
皇子は、箸を使ったことのないロバート、ベアトリクス、エドワード殿下に丁寧に教えている。
「ああ!エマ嬢は大変お上手ですね」
何も聞いてこないエマを皇子が気にかけると、丁度だし巻き卵を箸を使ってパクりと食べる瞬間であった。箸の持ち方は、頼子に厳しく躾られている。
「エマ嬢!凄いね。ハシ使ったことあるのかい?」
「エマは器用だな」
アーサーと王子もエマの箸捌きに驚き、褒めてくれる。一方エマは、一切れをそのまま豪快に口に入れたので直ぐに返事ができない。タイミングが悪すぎた。
急いで、だし巻き卵を咀嚼して飲み込んだあと、にっこり誤魔化し笑いで答える。
「はい。以前に少し使ったことがありまして」
皆と同じように、箸を習う振りをしておけば良かったのだが、久しぶりの和食を目の前に抑えられる筈もなく、口に運んでしまった。
昆布だしの効いた、だし巻き卵……もっと味わって食べたかったのに。
それに、しゃしゃり出るのは良くないとおばあ様に叱られそうだ。貴族めんどくさい。
「タスク皇子、この茄子に絡めてあるソースは不思議な味ですね。今まで食べたことのない風味ですわ」
エマ一人目立つのは面白くないとベアトリクスが料理の感想を述べる。
箸を一旦諦め、ナイフとフォークで食べたようだ。
「ああ、それは『味噌』ですね。えーと……『大豆を発酵……?』……『こうじ菌……?』すいません、言葉が慣れず、お伝えできませんが、我が皇国ではよく使う調味料です」
皇子が味噌の説明に悩む。
皇国とは国交を始めたばかりと陛下が仰っていただけに、皇子の留学が決まって、言葉を勉強するのに充分な時間が取れていないのかもしれない。細かい単語はまだ、わからないと謝っている。
「ミソ?変わった響きですね。味はこくがあって美味しいです」
「確かに、食べたことのない味ですが、美味しいです。我が王国には、無い食材ですねこれは」
アーサーも王子も茄子の田楽を食べ、気に入った様だ。
皇子がもどかしそうに笑う。
あ、この笑顔……知ってる。
不意に前世の記憶が甦った。エマ、というか港にも覚えがある。
独身貴族の港はよく一人旅をしていた。お気に入りは京都。そこで何故か港は高確率で外国人に道を聞かれるのだ。
日常生活では、全く聞かれないのに、観光地に行くとexcuse me~と声をかけられる。これは、100%日本人顔の宿命だろうか?
学生時代、英語の成績は悪くは無かったが、話すとなると格段に難易度が上がる。
ただ、真っ直ぐに進んで右側に神社があるので通りすぎたら駅が見えて来ますよ、と伝えたいだけなのに焦りと、何年も勉強してきた英語のあるはずの引き出しが仕舞い込みすぎて出てこなかったりで、伝えたいのに伝わらない、もどかしい思いをよくしていた。
あの時の自分の笑顔は、皇子と同じ笑顔ではなかったか?
「殿下、『味噌』は大豆をこうじ菌で発酵させたものですよ。大豆なら我が国でもお馴染みの食材です」
思わず、皇子の伝えたいだろう言葉を引き継いで説明していた。
しゃしゃり出たらおばあ様に叱られるかもしれないのに、口が勝手に動いたのは、あの日の記憶を思い出したせいだ。
「大豆……ミソが?全くわからなかった。エマは物知りだな?」
「発酵ってことは、ヨーグルトみたいな感じなんだね。本当によく知ってたね」
「女の癖にしゃしゃり出るなよ」
「…………」
王子とアーサーが素直にエマを褒め、ロバートが面白く無さそうに文句を言う。ベアトリクス嬢は少し驚いたようにエマを見ている。やっと視線があったのでにっこりと笑顔を返しておく。
「あの、すみません。エマ嬢は先ほどなんと言ったのですか?聞き取れない単語が多くて……」
エマの言葉で皆が反応するので皇子が申し訳無さそうに聞いてくる。
何となく雰囲気で笑って流すこともできるだろうに、一国の皇子がちゃんと謝って、この場の会話を理解しようとしている。
良い子だ。
ロバートみたいにすれてないし、ロバートみたいに女をバカにしないし、見習えよロバート……。
どうやら、皇子は自己紹介や、箸の持ち方を教えるのは想定内だったのであらかじめ調べてきたが、わからない言葉も多く、日常会話に支障がないレベルになるのはもう少し勉強が必要そうだ。
『エドワード王子が王国にはない食材だと仰ったので、味噌は大豆をこうじ菌で発酵させたもので、大豆なら我が国も馴染み深い食材だと私が説明致しました』
皇子にも分かるように、日本語に訳してエマが先程の会話を説明する。
…………。
…………。
…………。
あれ?何だか急に会場がシーンと静まりかえる。
……。
……あっ!
いただきますとか味噌とか発酵が偶然、日本語と被ってただけで皇国語=日本語ではない可能性に思い至る。
え?それだと、物凄く恥ずかしいんじゃ……!?急に私、意味不明な言葉を喋り出したことになってるとか???
「あ、あの……えっと今のは……」
や、やらかした?何の言い訳も、誤魔化しも思い付かない。
この格式高めな晩餐会で………またもや……やらかした?
「エ、エマ様?もしや皇国語を、お話しになられるのですか?」
ガタンっとタスク皇子が席を立ち、エマの座る席まで移動して、がしっとエマの両手を握る。
「あっ……私……あの、ちゃんと言葉、通じましたでしょうか?」
皇子の言葉で少し勇気づけられ、おずおずとエマが聞くと、皇子はぐわっと更に近づいて、ぶんぶん首を縦にふる。なんだか興奮しているようだ。
「かんっっっっぺきです。発音も、文法も、敬語まで何もかも完璧な皇国語です。王国の方には、我が国の言葉は理解し難く、会話は困難だと聞いておりましたが、こんな、こんな完璧に話せる人、初めてお会いしました!」
よほど嬉しかったのか、皇子の勢いは止まらず、今にもハグをしてきそうな程である。
状況について行けずに、え?え?え?と周りを見るが、王子もアーサーもロバートもベアトリクスも大人達も、なんならおばあ様すら驚いた顔でエマを見ている。誰か、誰か、固まってないで皇子に抱きつかれる前に助けて欲しいのですけど!
これが前世なら皇子の手を払って、落ち着いてって言えるのだけど、今、晩餐会真っ只中だし、おばあ様も、なんなら会場中ガン見してるし、かと言ってこのまま抱きつかれたら令嬢的にアウトなのでは……。
やっぱり、私が騒ぎを起こしてるんじゃないよね?騒ぎの方がやって来るんだよね?
エマの声無き心の叫びが届いたのか、皇子に後ろから引っ張られなんとか無事に解放される。
顔を上げると国王陛下がテンションの上がった皇子の声を聞いてエマから離してくれたようだ。
が、
「ちょっエマちゃん!!こっこっ皇国語話せるの!!!?」
今度は陛下がエマの両方の二の腕を掴み、焦った様子で聞いてくる。
なんで、陛下まで騒ぎに参加するの?おばあ様、ホントにホントに恐いんだからね!?
ああ、でも陛下なら抱きつかれてもいいかも……むしろ抱きつかれるチャンスでは!?
なんて身を固くして、思わず待ちの姿勢に入ったところで、陛下も後ろに引っ張られ離れる。
「陛下!!エマの右腕を掴むのはお止め下さい!傷跡に響きます!」
二の腕を掴まれたエマを見て、いち早くショックから立ち直った王子が今度は国王をエマから引き離していた。
一瞬、余計なことを……と思ってしまったが、本気で心配してくれる王子の顔を見て申し訳ない気持ちになる。
王子には、治療前のでろでろの状態の傷も見られている。陛下が掴んだ二の腕は、一番傷が深くて、酷い箇所でもあった。
ごめん王子。あの、全然、治ってるから大丈夫なんです。
ダンス踊りたくないからってちょっと後遺症ありますみたいなこと言ったけど、本当は、全回復してるから。全然、全然心配しなくても大丈夫なんです。と、心の中で謝る。
「あああ!エマちゃん!痛かった?大丈夫?」
はっと気付いて国王も気遣わしげにエマを見る。
王族は簡単には謝ってはならない……陛下……顔、顔!言葉にしてなくても顔が謝りすぎですよ?この表情は脳内イケオジフォルダにありがたく保存させてもらいますけども!
ガシッと掴まれた感触は、まだ残っているが元々痛いという程、力は入っていなかったので平気だ。
ただ、皇子といい、陛下といい、反応がおかしい。皇国語が話せるのは珍しいと言っていたが……。エマは皇国自体、今日、初めて聞いた国なので状況が理解できないままだ。
「だっ大丈夫です、陛下。お気になさらないで下さい」
にっこりと安心してもらえるように笑ってはみるが、こうなってはエマが騒ぎの中心である。恐ろしくておばあ様の方を見ることができない。冷や汗と震えが同時にやって来る。
王子とアーサーがエマの両側から、とにかく座った方がいいよと支えてくれて、それはそれは優しくゆっくりと椅子に座らせてくれるが、注目されるほど、さらに冷や汗が出てきて、もう今日は確実に怒られるなと絶望する。
ごめんなさいーごめんなさいー元気です。私、元気なんですー。なんなら、スクワットとかして見せますけど?
立ち上がろうとするが、皆に押し止められて椅子に戻され、スクワットは披露できなかった。
「大丈夫ですか?エマ?」
ヒィィ!!とうとう、おばあ様の手が背中に添えられロックオンされ……。
こんなところでお説教が始まるのかと俯いていた顔を上げるとおばあ様は、怒っていなかった。
どうしよう。めちゃくちゃ、心配してくれてる。いつもと眉毛の角度が逆になってるし……。大丈夫なんですよ?おばあ様?そんな顔しないで下さいよ!
そんな、そんな心配そうな顔、見てて辛い……。
これはもう怒ってもらう方がまだマシだ!
しーんぱーいないさーって叫びたい!!
パニックがパニックを呼び、額に玉の汗が浮かんでいるのが感覚でわかる。
休み明けに学園行ったら、汗っかき令嬢とか後ろ指さされないかしら……。
「おばあ様、皆様も、本当に私、大丈夫、ですので。あのっお席にお戻り下さい」
変な緊張感の中で、無理やり口の端を上げて笑顔を作るが誰も席に戻らないし、おばあ様だけでなく、皆の眉がハの字になってこっちを見ている。
ううう、どこか、どこか私の入れる頃合いの穴ありませんか?
「陛下、エマを別室で休ませてよろしいでしょうか?」
エマの願いを聞いたかのように王子が国王に頭を下げ、席を外してもいいか許可を求める。
「そうだな、早く休ませてあげなさい」
ありがとう!陛下!ナイスアシスト!殿下!
これで少なくても、この雰囲気から逃れられる。そうと決まれば早速、脱出させて頂きます。
と、思った瞬間、体がふわっと浮き上がる。
「では、失礼致します」
王子が国王に一言断り、足早に会場の出口へ向かう。
エマをお姫様だっこして……。