おうちへ帰ろう。
誤字脱字報告感謝致します。
経済学の授業も終わり、三兄弟とヨシュアは歩いて帰る。
お腹はまだまだいっぱいで全く消化が追い付いてない。胃の限界の向こう側に行った代償は大きい。
2年目以降からは、午後にもう1科目受けることが出来るがエマ達は今年は1日3科目までである。
同じ1年目の双子のキャサリンとケイトリンとも途中で会い、一緒に帰ることにする。双子は自領と親交のあるサン=クロス国のサン=クロス語の授業を受けていたらしい。
「サン=クロス語は楽しかったわねケイトリン」
「サン=クロス語は楽しかったわキャサリン」
パレスでは外国人と会うことは滅多にないので、三兄弟は受ける気のない科目だ。
「サン=クロス語で"こんにちは"って何て言うの?」
双子が楽しそうに話すのでエマが質問する。
「「ラックルですわエマ様」」
元気に答えてくれる。
「じゃあ、"ありがとう"は?」
「「ラックルですわエマ様」」
「一緒なの?」
「「はい!ラックルは直訳すると"こんにちは"とか"ありがとう"とか"了解です"とか"いいね"とか"最高!"とかなんか色々あるんですよエマ様」」
長文を見事にハモりながら双子が答える。
「それは……便利?なのですかね?では、ごめんなさいは何て言うんですか?」
「「ロックルですわ。ロックルも"ごめんなさい"とか"さようなら"とか"いいえ、嫌です"とか"最悪"とか"最近太ったんじゃない?"とか色々あるんですよウィリアム様」」
なんだその外国語……前世で英語が壊滅的だったゲオルグですら興味がわいてくる。
「えっと、最近やせた?はサン=クロス語で何て言うの?」
「「それもラックルですわゲオルグ様。私達、サン=クロス人がいつもラックル、ロックル言っていたから気になっていたんですが……ほとんどの会話はそれで事足りるらしいのです!」」
双子は自領で会話しているサン=クロス人の様子を見てずっと不思議に思っていたことが解明されたと喜んでいる。
「たしかに、僕が通訳に教えてもらったサン=クロス語は買いますと買いませんだけなんですけど、買いますがラックルで買いませんがロックルでした」
「流石にヨシュア様はよくご存じですわねケイトリン」
「流石にヨシュア様はよくご存じですわキャサリン」
パレスの絹は彼の国にも輸出しているとヨシュアが教えてくれる。
販売はロートシルト家に任せているので三兄弟は知らなかった。
「パレスのシルクはラックルですわねケイトリン」
「パレスのシルクはラックルですわキャサリン」
双子が褒めて?くれた様なので三兄弟も声を揃えて、ラックル!(ありがとう)と答えておく。何とかなるものだ。
双子と話しながら学園の正門を出ると、馬車が何台も停まっていた。
正門前に無駄に広いスペースがあったのはこの為だったのかと合点がいく。
ヨシュアによると、学園内は許可が無ければ馬車を走らせることが出来ないので、家が遠かったり、身分の高い貴族の令息、令嬢は正門を出てから迎えの馬車に乗るらしい。
ヨシュアの店は歩いて10分、スチュワート家はそこから更に10分の場所に屋敷を構えたので、のんびり徒歩通学をしている。
徒歩20分は、免許取得後の前世なら間違いなく車で行った距離だが、若い肉体は苦もなく歩けてしまう。馬車を準備する手間を思うと、三兄弟は迷わず徒歩を選ぶ。
使用人はスチュワート家に仕えていた者と王都で新たに雇った数人で数は多くないので仕事を増やすのも申し訳ないのだ。
「私達は寮なのでここでお別れですわねケイトリン」
「私達は寮なのでここでお別れですわキャサリン」
双子が交差する道の前で立ち止まる。
エマ達は大通りをそのまま真っ直ぐだ。
「「では、皆様。ごきげんようロックルですわ」」
双子が揃ってちょこんとスカートの裾を持ち、頭を下げるのでこのロックルは"さようなら"の意味だと理解し、エマも同じように挨拶する。
「キャサリン様、ケイトリン様。ごきげんようロックルですわ」
「帰り道気を付けてね、ロックル!」
「また明日、ロックル!」
「ロックル」
各々がロックルを言い合い、別れる。
使ってみると違和感なく通じるので面白い。
馬車に気を付けながら、大通りを進むとお洒落な店が建ち並ぶ商店街に入る。パレスの令息達も、ロバートもこの商店街でエマへのプレゼントを購入していることからも分かるように、学園の生徒もよく利用する。
ヨシュアの任された店も大通り沿いの一等地にあり、3階建ての大きな店が見えてくる。
「ヨシュアの店も大分出来てきたな」
ヨシュアの店を眺めながら、ゲオルグが少しだけ申し訳なさそうに呟く。
今はまだ改装中だが、3階建てのうちの1階と2階が店舗として使われ、3階にヨシュアの生活スペースが設けられている。
もともとは、パレスの絹や一角兎の毛皮などを扱っていたが、ヨシュアに店を任せるにあたって店も商品も一新することになった。
本来なら、学園が始まる時期には完成予定だったが、エマの……
「学園帰りに、美味しいスイーツのあるカフェとかあったら毎日通っちゃうかも」
の一言で、急遽2階部分にカフェスペースを増やしたがために間に合わなくなってしまった。新装開店は来週の予定だ。
本来なら、猫の手も借りたいくらい忙しいはずのヨシュアが、お茶でも飲んでいきますか?と招待してくれるが、ヨシュアにとってはこれからが仕事の時間で、従業員が指示を待っているのだから邪魔をしてはいけないと今日のところは遠慮する。
「それは残念です。また、いつでも来て下さいね。お茶もお菓子も沢山用意して待ってますから」
にっこり笑うヨシュアにまた明日ね、ロックル!と手を振って別れる。
学園帰りの買い食いが楽しみだったが、別れた後も未だに満腹なので寄り道せずに大人しく帰ることにする。
そのまま更に大通りを真っ直ぐ、商店街を抜けると大きな屋敷が目立つ貴族街に入る。
王城で働く領地を持たない貴族や、王都に近い領地の貴族の住宅がゆったりと広い間隔で建てられている。
大通りから小道に入り少し歩くと、貴族街の中でも一際大きくて広い屋敷の門にたどり着き、その正面で三兄弟は一旦立ち止まって、誰からともなくため息をつく。
「……でかいね」
「でかいな……」
「でかいよ……」
王都での生活をするにあたって用意した屋敷は、スチュワート家の収入に見合ったそれはそれは豪華なものだった。
パレスの家は庭は広いが建物自体は小ぢんまりとした造りだった上に、売れるものは全て売り払った残骸の様な屋敷だったので、そのギャップに慣れることが難しい。
ロートシルト家の力で復興した今でも、その暮らしぶりは大きくは変わっていない。
派手な生活をするには、貧乏が長過ぎた。結局売り払った物すら使わないよね……と殆んどは買い戻すこともしていない。
それなのに……
目の前に立ちはだかる大きな門にもう一度ため息をつく。
「何度見てもでかいね」
「いつか慣れるのかな?」
「さあ……」
当初、父レオナルドは、スチュワート家もヨシュアの店に居候させてもらうつもりだった。しかし、ヨシュアの父であるダニエルにバカなことを言うなと怒られてしまった。
ヨシュアの店の生活スペースは3階だけだが、充分広い部屋が沢山余っている。従業員寮として元々は使われていたが、学園に入学してからはヨシュア一人しか使わないと聞いていたので、断られるとは思っていなかったレオナルドは、焦った様子で理由を聞く。
「どこの世界の金持ち伯爵が商人の店舗に居候するんですか!?家賃は払う?そう言うことじゃなくてですね?え?王都の安い賃貸物件?何言ってるんですか?王都で暮らすならきちんとした屋敷を買うに決まってるでしょう?あんたホントに貴族なのか?見栄とかプライドとかないの?そんなんでお腹は膨れない?あーーーもうわかったよ!俺が全部用意しとくから、金だけ払ってくれ?ん?なるべく安く?だーーかーーーらーー………」
長い付き合いのうちに気付けばダニエルはしばしば敬語を忘れがちになったが、気にするレオナルドではない。ただただ、ダニエルの説教を大人しく聞く。
そんな姿に仕方なく、衣食住に殊更お金をかけないスチュワート家に、王都で恥ずかしくない屋敷を購入するためにダニエルは奔走することになった。
こうなったら、何が何でも凄い豪邸買わせてやる……半ば意地になっていた。
「ん?だっダニエルさん?あの?0の数が3つ位多くないですか?」
「レオナルド様?3つってどんな屋敷に住もうと思ってるんですか?王都の物価は高いですよ?」
「いや、郊外でもいいですけど……」
「……学園から遠くなるとエマ様の通学が大変になりますよ?」
「……よし、ダニエル。そこは学園から近いところだな。そうしよう」
「そうでしょう?この屋敷は中々良い物件なんですよ」
「……!だっダニエルさん?でもここは、学園から近くて良いのは良いんだけど……よく見ると……なんか……広すぎない?うち家族5人なんですけど?」
「レオナルド様、よく考えてみて下さい。ここだと屋敷も庭もかなり広いので……猫が喜びますよ?」
「……よし、ダニエル。そこに決めよう。そうしよう」
レオナルドはチョロかった。
ダニエルは知っていた。
エマと猫を使えばこの男は幾らでも金を積むことを。
こうして無事に、レオナルドよりスチュワート家の資産を把握しているダニエルのお陰で、王都で有数の敷地面積を誇る屋敷が用意されることになったのだ。
パレスで王都の地図と取り寄せた屋敷の図面で決めたがために、王都へ行き、購入の手続きをレオナルドの代わりにした際のこと。
初めて実物の屋敷を見たダニエルが、あ、やべ、やりすぎたかな?
と、思ったのは内緒である。それくらい王都の屋敷は広くて大きくて豪華だった。大通りから少しだけ離れているので、人目につきにくいのがせめてもの救いと思うしかない。
コンコンと門の大扉ではなく、従業員用の小さな扉をノックすると、待ってましたと言わんばかりに開く。
「にゃーん」
大きな三毛猫が器用に前足で扉を開けてくれる。
「コーメイさんただいま!」
「にゃん♪」
もふんっとエマは、コーメイの首にしがみつき柔らかな毛を堪能する。
学園から帰るといつもこうして迎えに来てくれるのだ。
それは、港達が学生の頃、玄関先の門で帰りを待っていてくれた時と同じように日課になっている。
初めは大きな猫にビビっていた門番もすっかり絆されて、エマ達が帰ってきた時だけ、コーメイが扉を開けようとするのを優しく眺めている。
「お帰りなさいませ。お坊っちゃま、お嬢ちゃま」
ニコニコと門番が声をかけてくれるが、三兄弟はうへぇっと顔を歪ませる。
「エバンじいちゃん。お願いだからその呼び方やめてー」
「ほっほっほっ私から見れば皆さん坊っちゃん、嬢ちゃんですよ」
白髪目立つ初老の門番は、しっかりと門の扉の鍵を閉めながら抗議を却下する。
門番は、元々貴族として生まれたが領地経営が回らなくなり、浮浪者の様な生活をしていたところをスチュワート家に拾われ10年になる。
王都でアーバンの御者として働いていたが年を取り、馬の世話も辛くなってきて、そろそろお役御免で首を切られるのではと内心ドキドキしていた。
「エバンさん、今度から門番してもらえる?」
軽い調子でアーバンが言うので、小さな家でも買ったのかと、まだ働かせてもらえるなら喜んでと受けたのだが。
「……あの……この……豪邸の門番は……ちょっと……」
案内された屋敷を見て、震える。
子供の悪戯くらいは、追い払おうと受けた仕事がまさかの組織ぐるみで襲撃されかねない豪邸だった。
「大丈夫!うちには猫がいるから」
アーバンと交代で王都に来たレオナルドに自信をもって答えられる。
エバンにしてみれば……だから何!?っと叫ばずにはいられなかったが、実物を見て納得する。
あれは、猫と呼んで良いものなのか……。
目の前でエマにすり寄っている姿は正しく猫だが、如何せんでかい。
しかしながら、子供達が帰って来る時間が判るのか甲斐甲斐しく門の前で待機するコーメイに慣れるまでに時間はかからなかった。もふもふは嫌いじゃない。
「コーメイさん、お昼寝しよ?」
エマの言葉に猫が幸せそうに答える。
「にゃーん」
温かくなってきたので、庭にある大きなハンモックを指差すエマについていく。
今日は少々変なものを憑けて帰ってきたが問題ない。
一言鳴いて祓っておいた。
「??ちょっとお腹落ち着いて来たかも!晩御飯食べられる気がしてきた」
ハンモックの上で猫にくるまれながら、エマが呟く。
「にゃー」
大好きな港と大好きなお昼寝がこの先ずっと出来るように猫は港を優しく包んでいつまでも守ってあげるからねと一声鳴いた。
もふ不足のために久々にコーメイさん登場です。