ロバートの逆襲。
誤字脱字申し訳ありません。
誤字脱字報告に感謝致します。
「ふっふっふっ」
ロバートは嬉しそうに両手で持っている箱を慎重に運ぶ。
授業が終わってから急いで作らせたものを箱に入れ、なんとか学園まで帰って来た。
二時間の昼休憩の大半は費やしてしまうことになったが、後悔はない。
その道のプロに無理やり作らせたが素晴らしい出来であった。
ほとんどの生徒が過ごす食堂に入り、目当てのエマを探すが見当たらない。
「うわっもうランチ終わりそうじゃないですか!?」
ブライアンが急いでテーブルに座る。
「ブライアン!何やってるんだ?これをエマ・スチュワートに渡すんだろ?」
マイペース過ぎる幼なじみに文句を言うが、ブライアンは運ばれてくる料理を片っ端から食べている。
「ロバート様、あと20分で昼休み終わりですよ?ご飯食べられなく……今日のランチ……めちゃくちゃうまいな!」
その後は、何を言ってもブライアンは答えず、食べることに夢中になっている。
仕方がない……とロバートはエマを探しに中庭へ足を向ける。
……そうだ。そもそも、スライムの授業で気持ち悪くなっていたなら食堂にいる筈がないのだ。
中庭でエマの姿を見つけた時は自分の考えの正しさに勝利を確信する。
「……ううう……もう、食べられないー」
令息達に貰ったお菓子を、残さず食べたエマが満腹に唸る。
「当たり前だ!エマ!なんで全部食べきる必要があるんだ?」
ゲオルグが呆れている。
「ううう……そこに……お菓子が……あるから?」
どこぞの登山家の様な台詞が口からこぼれ落ちる。
双子も何枚かのクッキーを摘まみはしたが、昼食直後のおやつのためかすぐに手が止まる。
アーサーはあまり甘いものが得意でないらしく手をつけなかった。
ゲオルグとウィリアムも可哀想な令息に思いを馳せているうちに、エマが食べきっていた。
フランチェスカとマリオンも一枚だけもらったが、食べるよりも話に夢中になっていたのでそれ以上食べることはなかった。
「そろそろ、次の授業に向かいます?」
ヨシュアが休憩時間に15分ごとに鳴るチャイムを聞いて提案する。
これが7回目のチャイムなので、次のチャイムは授業の始まりを意味する。
次の授業は、三兄弟とヨシュアは経済学で後は皆バラバラに別れてしまったので、向かう教室も色々だ。
そこへ、ロバートが大きな箱を持って現れた。
「調子が悪そうだな、エマ・スチュワート!!」
お腹がいっぱいで唸っているエマを嬉しそうに見る。
何やら、既に勝ち誇った表情で、持っている箱をエマの目の前の机に置く。
「ロバート……またいちゃもんつけにきたの?」
アーサーが面倒臭そうにため息をつく。
「いちゃもんとは失礼なっ!私はエマ・スチュワートのことを心配してきたのだ!」
わざとらしく心配そうな表情を作り、ロバートはエマを見る。
「魔物学の授業、辛かったんだろう?」
エマは、ぐっと言葉を飲み込む。
正直、あそこまで辛かったことは中々なかった。あんなにお腹が空くなんて思ってもみなかったのだから。
そんなエマの顔を見たフランチェスカとマリオンはやはり、スライムの授業は辛かったのか……と少し心配になる。
「昼食も満足に取れなかっただろ?」
隠しきれない嫌な笑みを浮かべつつ、ロバートは見当違いなことを言い出した。
「ん?」
「ん?」
「ん?」
「ん?」
シチューをおかわりした上に、パンも2つ食べた挙げ句にデザートに令息から貰ったクッキーとチョコレートを完食したエマに満足な昼食が取れなかったなどと誰が言うのだろうか?因みに紅茶も4杯は飲んでいる。
「これは、私からのプレゼントだ!」
そう言って、ロバートは持って来た箱を開ける。
「うわっ!」
「なっ!!」
「ひぃっ!」
アーサーもマリオンもフランチェスカも思わず声をあげ、嫌悪感いっぱいの表情になる。
「なんて悪趣味なのケイトリン!」
「なんて悪趣味なのかしらキャサリン!」
大抵のことは、呑気に面白がっている双子でさえも嫌そうな顔でロバートを睨む。
「……お、お前には、やって良いことと悪いことの区別すらつかないのか!?」
最初の衝撃から、ふつふつと沸いてくる怒りを抑え、アーサーが声を荒らげる。
エマの目の前に、スライムがいた。
今日の魔物学で、ヴォルフガング先生が黒板に描いたそのままの姿が忠実に再現されている。
丁度、エマに水鉄砲を浴びせたやつと同じくらいの大きさのスライムだ。
クッキーを食べながら、更に傷について訊いてきた双子に、エマは詳しく教えてくれた。
エマが受けたのは水鉄砲の飛沫だったにもかかわらず、皮膚は溶け、大量に出血し、骨にまで達しかねない箇所さえあったこと。
治療するために傷口を水で流しただけで、皮膚がぐずぐずに崩れ落ちてしまったこと。
3日間高熱にうなされた後、1ヶ月以上も意識が戻らなかったこと。
顔も腕も右側の上半身にも、大きな傷跡が沢山残ったこと。
ここまでの試練を神は何故、年端もいかない少女に課したのか。
皆のクッキーを食べる手が止まったのは仕方のないことだった。
その原因となったスライムを模したものをロバートはエマの眼前に突き付けたのだ。こんな、最低な、人の道に反したこと許すわけにはいかない。
アーサーは決闘を申し込もうと立ち上がる。
代々騎士の家系に生まれ、作法も言葉を話せるようになる前から叩き込まれている。同じくらい、軽はずみに決闘をしてはならないこともわかっている。
でも、この行為は断じて許すことが出来ない。
一瞬遅れて、マリオンが止める。
「お兄様!いけませんっ堪えてくださいっ」
「止めるなマリオン、許すわけにはいかない!」
アーサーとマリオンの形相に、ロバートが怯む。
「おっお前には関係ないだろ?アーサーっ」
ダサい。
「お兄様が手を汚すわけにはいきません!ベル家の存続に関わります。ここは、末娘の私が……」
マリオンは、ロバートの心臓を指差し、決闘を申し込もうと口を開く。
「ちょっ!だから、お前も関係ないだろう?マリオン!これは私とエマ・スチュワートの問題だ!」
心臓を指され、決闘を口にしようとするマリオンに大慌てで、ロバートがやめろと叫ぶ。はっきり言って、相手がアーサーでもマリオンでも勝てる気がしない。
決闘するなら本人同士だ。エマ・スチュワートになら勝てる気がする。
……ダサい。
「なにを、バカなことを!!……っっっエマ嬢!?大丈夫かい?」
怒り狂いそうなアーサーだったが、ロバートがエマの名前を口にしたことで、やっとエマの様子を確かめる。
きっと震えて泣いて………………………ない…………だと?
なんだかキラキラした目でスライムを見つめている。
「ロバートさ……ま……?もしかして……これ?」
やはり、声が震えている。
キラキラした目は自分の勘違いだったか?とアーサーは再びロバートを睨む。
「スライムのゼリーだ!うまそうだろう?」
マリオンの指が心臓から離れたことで、少し余裕を取り戻したロバートがエマにまた、嫌な笑みを浮かべ答える。
「やっぱり!!これ!!食べられるんですよね!?」
「ん?」
「ん?」
「ん?」
「ん?」
残念ながら、キラキラした目は間違いではなかった。
エマは、ずーっと辛かったのだ。
魔物学でヴォルフガング先生が一番始めに描いて、最後まで消さずに残されていたあのスライムのイラスト……。
なんて、
なんて、
なんて、
美味しそうなんだろう……と。
授業を受けるためには黒板を見なくてはならない。
しかし、黒板にはなんとも美味しそうなスライムのイラスト。
お腹が空いて仕方がなかった。
空腹を堪えようにも、勝手に鳴き出すお腹の虫。
でもヴォルフガング先生の授業は凄く面白い。
でも、黒板には美味しそうなスライムのイラスト。
こんな辛いこと、今まであっただろうか?
「これ……食べて……良いんですか?」
夢にまで見た食べられるスライムにエマは、満腹を忘れる。
「あ?ああ。ランス公爵家御用達のパティスリーに作らせたから、味も悪くないはず……ん?」
「へ?」
「は?」
「ん?」
「え?」
ロバートだけではなく、アーサーもマリオンも、フランチェスカも双子も呆気に取られている。
紅茶に砂糖を混ぜる時に使っていたスプーンを、エマは手にしてスライムゼリーの真ん中に刺す。ぷるんとゼリーが大きく揺れる。
そのまま、たっぷりゼリーが載るようにすくい取ると、スライムが小刻みにふるふる震える。
しっかり冷やされて、つるんとした食感。
期待通りのサイダー味にエマは、最大級の笑顔になる。
「かっ可愛い!!!」
皆が呆気に取られる中、場違いにヨシュアだけがエマの笑顔に悶えている。
「お前……流石に……それは……」
「姉様……何よりも、食い意地が……勝つのですね?」
ゲオルグとウィリアムすら引いている。
「言われてみれば美味しそう……かしらケイトリン?」
「言われてみれば美味しそう……かもしれないわキャサリン」
ちょっと食べる気にはなれないけれど……と双子も美味しそうにゼリーを口に運ぶエマを見守る。
「なっ何食べているんだ!?エマ・スチュワート!」
全くダメージを受けないエマにロバートが叫ぶ。
こんなバカなこと起こるはずがない。
本当なら震えて、泣いて、怖がって、必死でロバートに謝り、助けを乞う筈だったのだ。
しかし、念願のスライムゼリーを頬張るエマは幸せそうだ。
ぐぎゅるる。
ロバートのお腹が鳴った。
エマの様な可愛らしい音ではなく、派手に大きくなったが為に全員が聞くことになった。
今日のロバートは狩人の実技で汗を流した後、魔物学で一悶着、二悶着起こし、スライムのゼリーを作らせる為に学園外のパティスリーまで走って行った挙げ句、昼ご飯も食べていない。
お腹が空いて当たり前なのだ。
アーサーと同い年の18歳なのだから、食べ盛り中の食べ盛りなのだ。
ロバートのお腹の音を聞いたエマは、知らぬ間に給仕が持って来ていた人数分のスプーンを1つ取り、差し出す。
「ロバート様も食べますか?」
食べ盛り中の食べ盛りのロバートは、この申し出を断る事が出来なかった。
人は極度の餓えには逆らえない。
「いっいいのか?」
今までの言動からは想像できないくらいに素直にスプーンを受け取ると、スライムゼリーを恐る恐る口にする。
……美味しい。
さすが我が公爵家の御用達パティスリー。味付けにも手を抜いていない。
そして何より、空腹は最大のスパイスである。
一口、また一口と一心不乱に食べ続けてしまった。
最後の一口を食べ終えたと同時に、次の授業の始業のチャイムが鳴る。
周りを見れば、誰もいない。
次の授業は経済学上級。
公爵家として絶対に合格しなければならない大事な科目だ。
しかも、担当の教師は"時は金なり"と言って遅刻に厳しいことで有名だった。賄賂も効かない。
状況を理解したロバートはサーッと自分の血の気が下がる音を聞いた。去年も一昨年も経済学上級は不合格だった。今年こそ何が何でも合格しなければならないのに、初日から……遅刻?
変わらず気の利く給仕がそっとロバートに渡したナフキンを握り、ふつふつと沸いてくる怒りで、下がったばかりの血の気が昇る。
「エマ・スチュワート!!覚えていろ!!」
一言捨て台詞を吐いて、ロバートは経済学上級の教室に向かって全力で走る。サボったと思われるよりは、遅刻の方がいくらかマシな筈……と祈るような気持ちで。
給仕がせっかく渡したナフキンを使う事なく、経済学上級の授業に着いたロバートは、口の周りに付いたゼリーを何とかしなさいと遅刻を咎められる前に教師から注意を受けることになるのだった。
エマの胃袋は宇宙かもしれない。