5人一緒に。
誤字脱字いつもすみません。
誤字脱字報告感謝致します。
刺繍の授業といっても、大概の令嬢は幼い頃から刺繍を嗜んでいるので、基本的な説明はさらりと触れるだけである。教師が仕上げた刺繍をカフリンクスにするやり方を黒板に書きながら説明を始める。
フランチェスカ・デラクールは、頭を抱える。
どうして、こうなったのだろう。
同じ席に、スチュワート伯爵家のエマ様、シモンズ侯爵家のキャサリン様とケイトリン様、そして、ベル公爵家のマリオン様がいて、一緒に授業を受けている。
王城でのパーティーの一件以来、デラクール侯爵家は窮地に立たされていた。第一王子派からも第二王子派からも、中立派からでさえも風当たりが強く、王城で働く父の立場は崩れ落ちる寸前である。
フランチェスカ自身も殆んどまとまりかけていた婚約が白紙に戻され、週に何十枚と届いていたお茶会の招待状も一枚も来なくなった。
ほんの数週間前まで、ライラ様のグループでライラ様の一番の仲良しというポジションにいたが、今は誰も目を合わせようともしない。あのきらきらしたグループで当たり前の様に学園生活を謳歌していたのが嘘のように感じる。
でも今は、戻りたいとは思えない。人を傷つけてまで手に入れるほどの価値はそこにはない。
ダンスが得意で、授業も上のクラスを取り続けていたが、今年は誰もパートナーとなってくれる令息がいない。
仕方がなく、今まで受けたことのない刺繍を選択したものの、ライラ様と同じ授業になるとは思わなかった。
かといって、ライラ様のグループに入れる訳もない。あの日から、私は存在していない者として扱われているのだから。
後から教室に入り、同席を断られるのが怖くて、誰よりも早く登校し隅の席に座る。
ぽつぽつと生徒が集まり始めても、誰も私の隣に来ない。
「あっあそこ空いてるわよ?」
数人のグループの令嬢がこちらに向かう声がする。
「ちょっと待って、あれはフランチェスカ様よ?」
「ねえ、あそこなら二人と三人で分かれれば座れるわよ?」
予想通り、第二王子派の家の令嬢は言うまでもなし。第一王子派の家の令嬢であっても、数週間前まで私の隣を競うように取り合っていたのに、同じ席に着くどころか話しかけてもこない。
これは罰なのだ。洗礼を執行してきた自分の。
教室の端で顔を上げることすら出来ず、俯いて授業の開始までひたすら堪える。
学園を卒業したら、修道院に入って誰にも迷惑をかけないよう、ひっそりと生きていこう。一人で俯いて、ぐるぐる考え、更に暗いところへ追い詰められていく。
「あの、お隣よろしいですか?……フランチェスカ様」
顔を上げると、スチュワート家のエマが自分に話しかけている。
「エマさま!?、何故?」
屈託のない笑顔でこちらを見ていたのだ。
私なんかと同じ席ではエマ様まで仲間外れにされてしまう…と、直ぐにでも断らねばならなかったのに、久しぶりに向けられた優しい笑顔に無意識ですがってしまい、動きが止まる。
「私、王都に来たばかりだから、未だに女の子のお友達がフランチェスカ様しかいないのです。ご迷惑でなければ、ご一緒してかまいませんか?」
エマ様はストンっと隣に座ってしまった。
本当に私と友達になってくれるのだろうか?小さな期待を調子に乗るなと別の自分が戒める。
何気ない風に、エマ様が話しかけてくれる。また、小さな期待が生まれる。
自分はちゃんと話せているだろうか?
それから、あれよあれよという間に、空っぽだった席が埋まってゆく。
今年から入学のシモンズ侯爵家の双子は、異国の王族の血を引いていると噂の姉妹。この国では珍しい褐色の肌を持っている。
海に囲まれたシモンズ領は貿易が盛んで、王国一の大きな港があり、異国情緒溢れる街並みは観光地としても人気だ。
そして、全ての令嬢の憧れの君である、マリオン様。
女性ながら、騎士道や狩人の実技を選択し、並外れた運動能力で男に引けを取らない成績を修めている。
代々、騎士団を率いる家系のベル公爵家は名門中の名門で、二人いる兄はどちらも騎士道クラスでトップの成績を誇っている。
シモンズ家もベル家も中立の立場を崩さず、第一王子派、第二王子派双方ともに喉から手が出るほど引き入れたいと画策する家柄である。
エマ様は、そんな両家の令嬢に向かって、何でもない事のように席をすすめるのだ。
普通は気構えたり少々下手に出たりする筈なのに、ふわっとしたあの笑顔で、双子も、マリオン様も、落ちぶれ令嬢の私ですらなんら区別せずに接している。……天使か?
「それでは皆さん!やり方は分かりましたね?各自、用意した道具を出して作業を始めて下さい。分からないことがあれば手を上げるように!」
少し太めの教師が、よく通る声で作業を促す。
その声にハッと我に返り、授業に集中せねばと教師に従う。
裁縫道具と、予め購入しておいたカフリンクスの台座を出そうと鞄を開ける。
そこで、エマ様の大きな鞄の中身が気になっていたことを思い出し、チラリと横に視線を向ける。
大きな鞄からは、自分と同じような裁縫道具とカフリンクスの台座が出てきたが…量がオカシイ。
「エマ様……?一体幾つ持ってきましたの?」
じゃらじゃらと大量のカフリンクスの台座は10や20どころではない。更に刺繍糸も色とりどりの糸が鞄から次々と出てくる。
「二時間で作れる量……と持参品リストにあったので、とりあえず100用意したんですけど……」
少な過ぎましたか?なんて聞いてくる。
プロの刺繍屋でもその量は厳しいのでは?とフランチェスカだけでなく、双子もマリオンも目を丸くする。
「ひゃっ100は……多いと思うけど」
「「100は多いですわ!」」
マリオン様と双子の指摘になんとかなります……とエマ様は答えてから、図案も下書も用意せず、真っ白な布に刺繍枠をセットし、そのまま針を刺し始める。
シュバババババっ
「「「「!!!!!」」」」
目にも止まらない速さで刺繍が出来上がっていく。
「早っ!」
このスピードなら100個……可能かもしれない。
信じられないものを見たと、双子とマリオン様と思わず目が合う。
「ぷっ」
誰からともなく吹き出し、そのまま笑いが止まらなくなる。
「エマ様っ神業過ぎます!」
「私、こんなスピードで刺繍する人を初めて見たわケイトリン」
「私、こんなスピードで刺繍を仕上げる人を初めて見たわキャサリン」
「刺繍に関してはエマ師匠と呼ぶことにするよ」
気が付けばエマ様を囲んできゃっきゃと、初めて交わす言葉とは思えないような、元々仲の良いグループのように会話をしていた。
こんな、楽しい気持ちになったのはいつぶりだったか。
「もうっ皆さんも口だけではなく、手も動かして下さい。先生が睨んでますよ?」
エマ様の言葉にドキリとして、また、顔を見合せふふふと笑い合う。
忠告通りに手も動かしながら、エマの出来上がってゆく刺繍をチラチラ見る。
「猫ですか?」
「「猫ね!」」
「猫だな」
エマ以外の4人の声が重なる。
驚異的な早さで、1つ目のカフリンクスが完成する。
「うちで飼っている猫なんですよ」
三毛猫柄の刺繍部分が良く見える様にとフランチェスカの手に置いてくれる。じっくり堪能してから、順番待ちの様に手を出しているキャサリンに渡す。キャサリンからはケイトリンへケイトリンからはマリオンへと阿吽の呼吸で渡されていく。
「エマ様の刺繍……あの一瞬でこんな細かい猫ができるなんて……」
「よくよく見たら、文字も刺してあるわ」
「コーメイ……?」
「うちの猫の名前よ」
シュバババババ
「「「「!!!!!」」」」
エマ様を見ると、既に2個目に取りかかっている。
スピードは、衰えるどころかさっきより早い。
「これが、リューちゃんで」
シュバババババ
「こっちが、かんちゃん」
シュバババババ
「この子はチョーちゃん」
三毛猫と黒猫と白猫の刺繍が目にも止まらぬ早さで、3個出来上がる。
「エマ様!私、この黒猫すごく好き」
「エマ様!私は白猫のが好き」
キャサリンとケイトリンがうっとりと出来上がったカフリンクスを眺めている。
「では、よろしければ、お二人の作ったカフリンクスと交換いたしません?」
「「いいの?」」
双子は声を揃えて喜ぶ。
「この素敵な猫ちゃんと交換するなら気合いをいれて作らなきゃね、ケイトリン」
「この素敵な猫ちゃんと交換するなら気合いをいれて作るわね、キャサリン」
双子が自分の刺繍を真剣に刺し始める。
「エマ様、私も交換したいのだが、良いかな?」
「勿論です、マリオン様。フランチェスカ様もよろしければ交換いたしませんか?」
友人同士で、作品の交換をするのは、刺繍のクラスではよくあることだが、エマ様の刺繍と交換ともなると、双子を見習い真剣に刺繍を刺す必要がある。恥ずかしい物を渡すわけにはいかない。
きゃっきゃとはしゃいでいたのも束の間で、全員が集中して刺繍を刺し始める。
――あっという間に2時間が経った。
エマ様は、本当に100個のカフリンクスを作り、4人どころか教師もクラスの生徒も驚いていた。
「小さい頃から沢山作ってきたので……」
俄に注目されて、少し照れたようにエマ様がはにかむ。
……刺繍のクラスで良かった。ここに男子生徒がいれば漏れなくキュン死にしていたに違いない。
「フランチェスカ様とマリオン様、お好きなのを選んで下さい」
私なんかが作ったカフリンクスを大切そうに受けとるとエマ様は作品群を示して選ばせてくれた。
猫と何故か虫の柄の多い作品群の中から、1つを選ぶ。
「まあ!フランチェスカ様、それはヴァイオレットです。うちで飼っている蜘蛛なんですけど、凄く綺麗な紫色なんですよ?」
エマ様の傷に似たクモの巣と蜘蛛のデザインの刺繍は綺麗な紫の糸が使われており、光の加減できらきら光って見える。
「私はこれを貰うよ」
マリオン様はふわふわのウサギ柄を選ぶ。
「マリオン様は一角兎ですね。魔物だけどふわふわで可愛いですよね」
意外なことにマリオン様は可愛いものが好きなようだ。
「皆さん!次の授業に遅れないようにね」
刺繍の交換に勤しむ生徒達に、一言釘を刺してから教師が退室する。
楽しかった刺繍の授業は終わり、また一人になってしまう。
フランチェスカが次に受ける予定の授業は、普通の令嬢が積極的に選ぶようなものではない。
「みんな、次の授業は何を選択しているの?良かったら近くまで一緒に行こう」
道具を片付けながら、マリオン様が提案する。
あの授業を受けるなんて、変な目で見られないかと不安になり、フランチェスカが躊躇っている間に双子が勢いよく答える。
「次は魔物学だったわよねケイトリン?」
「次は魔物学だったはずよキャサリン!」
双子の言葉に全員が驚いた表情をする。普通の令嬢は魔物学なんて選択しないのだから。
「驚いた!私も魔物学なんだ。去年、狩人の実技の初級を選択したんだけど魔物を知らないことには次の中級は難しいと思ってね」
「私達のシモンズ領は海に囲まれてて、魔物が出ないから逆に興味があるの」
一体何の偶然か、実はフランチェスカも次の授業は魔物学なのだ。二人のように積極的な理由で選択したわけではないが。
チラリと隣のエマ様の様子を伺う。
魔物によって傷を負ったと噂の彼女の前では、中々言い出しにくい。辛い経験を思い出させてしまわないか、マリオンと双子の話にもハラハラする。
「魔物学は女の子は少ないと聞いてましたけど、そうでもないんですね?私も次の授業は魔物学を選択してるのよ」
フランチェスカの心配など全く必要なさそうな調子でエマが会話に加わる。
「エマさまも!?」
思わず聞き返してしまう。
「まぁ……もってことはフランチェスカ様も魔物学?」
まさかの同席したメンバー全員が令嬢の殆んどが受けることのない魔物学を選択していた。
「凄いわね、運命かしらケイトリン?」
「凄いわ、きっと運命ねキャサリン!」
双子が嬉しそうにはしゃぐ。
「私は辺境生まれなので、魔物学は必須なんです」
エマ様が傷に触れながら答え、フランチェスカ様はどうして?と聞いてくれる。
「あの、私は……兄のサポートで……」
魔物学を選択する令嬢の理由で一番多い兄弟のサポート目的である。
領を継ぐ者は、魔物学を修めねばならないが、残念ながらフランチェスカの兄はあまり学問が得意ではない。婚約の可能性もなくなったフランチェスカはせめて兄のサポートをしろと無理やり魔物学を選択させられたのだ。
嫌だ嫌だとごねたが、許されなかった。
「ふふふ、どこのお兄様も一緒ですね」
エマ様の共感する言葉につられ、フランチェスカも笑顔になる。
「魔物学は、覚えることが多くて大変だと聞く。皆で協力して合格を目指そう!」
「「お勉強会いたしましょ」」
まだ、授業が始まってもいないのにテストの話をするマリオン様に双子も同意する。
「私の兄の頭はポンコツですけど、弟は皆さんの役に立つと思いますわ。それに、暗記科目は基本女子の方が上手なはず、全員一年で合格して驚かせてあげましょう?」
エマ様も乗り気になっている。魔物学の一年目テスト合格率は10%を下回る。合格するまでに平均4年。学園で一番難しい科目だ。
この女子5人が一年で合格すれば、前代未聞の大騒ぎになることだろう。
それは……楽しそうだ。
偉そうな兄も見返すことができる。
「私、頑張りますわ!」
今年の魔物学を受ける予定の令嬢はいつもより少し多めの5人。
フランチェスカ、エマ、マリオン、キャサリン、ケイトリン、偶然にも刺繍のクラスで同じ席になった5人であった。