捕獲第一号。
誤字報告に感謝致します。
「いえ、結構です」
即答だった。考える前に口が勝手に、国王の言葉から間髪を容れずに断ってしまった。
「えっエマ!……」
「ちょっ姉様……!」
国王陛下の発言にも驚いたが即行で断ってしまうエマにゲオルグとウィリアムが不敬罪で捕まったらどうするんだと肝を冷やす。あと王子が気の毒過ぎる。
港だった頃の面倒な恋愛を思い出した直後だったからか、エマは殆んど反射的に答えていた。答えたあとで、相手が国王陛下だったと思い至る。言葉を包むオブラートはどこで買えるの?おずおずと陛下を見ると、婚約を断られると思ってなかったのか、きょとんとした表情をしている。
怒っている様子では無さそうなので一安心……だろうか?
「あー……えー……んー……」
国王はエマのあまりの即答ぶりに気まずそうに、ガリガリと頭を掻きながら言葉を探す。ローズの隣に座っていた王子から、絶望的な空気が漂ってきて、見るのが怖い。 よかれと思って言ったことが完全に裏目に出てしまった。王子との婚約を断る令嬢がいるなんて、考えたこともなかった。
「陛下!……陛下にはデリカシーが欠けております。急に婚約だなんて……エマちゃんも困ってしまいます」
ローズが陛下に怒りながら、王子の背中を撫でて気をしっかりと持てと励ましている。
「あっあの……陛下……王子の婚約ともなると国の大事、いつも言っておりますが思い付きを直ぐに言葉にされるのはどうかと……」
部屋の隅で控えていた秘書官が慌てて注意している。
この国王の秘書官を務めるのは、大変そうだ。
「エマは……私では不服か?」
俯いたままで、暗い暗い声でエドワード王子が恐る恐るエマに尋ねる。
まさか、自分から想いを告げる前に振られるなんて……そもそもなんてタイミングで婚約なんて切り出したんだ陛下……。
自分が知らないだけで、エマには想う相手がいるのだろうか?
エマの肩に掛けられた男物のジャケットの存在が気になって仕方がない。ゲオルグとウィリアム、どちらかのであれば話は早いが二人ともしっかりジャケットを着ている。
「婚約を断る無礼をお許し下さい。王子が……ではなく、わたしは誰とも結婚する気はないのです」
すっとエマが視線を下げる。視線に国王が入るとじろじろとイケオジ観察してしまう。自重せねば。一国の王子との婚約を断るなんて、普通はない。普通はないが、港の記憶もエマの性格も結婚を求めていないのだ。母には悪いが今世も孫は厳しいかもしれない。
非常識な虫好き令嬢などと婚約しては、王子にも迷惑をかけてしまうだろう。バレリー領で過ごした時も、ゲオルグやウィリアムとは打ち解けていた様だが、コミュ力の低い自分とは会話が上手く続かないことも多かった。
王子にはもっとちゃんとした令嬢が、相応しい。
「誰とも……?」
エマが悲しそうに視線を下げるのを見て、国王は自分の発言の至らなさに漸く気が付いた。
局地的結界ハザード関連の報告書では、エマの傷跡は見えている頬だけでなく、右上半身に広範囲に残っているとあった。医者の見立てによると、時間が経てば消える様な傷ではなく、体の成長に添って傷跡も大きくなる可能性もあるそうだ。
ローズの言う通りなのだ。婚約なんて、将来的には男に傷跡を晒せと言っている様なものではないか。
ただでさえ、王子を夢中にさせるほどの美貌を誇った少女が、顔にも、体にも消えぬ傷を負い、苦しまない筈がない。
一年で、体は回復したかもしれない。だが、傷ついた心はそんなに早くは治らない。それなのにこの少女は、周囲に心配かけまいと、元気なふりをして、無理にでも明るい笑顔をつくって……なんて……なんて……健気……。
ぐすっ
「へっ陛下!?」
急に涙ぐむ国王を見て、ゲオルグとウィリアムが慌てる。国王どうした!?
エマに向かって、辛かったね……とか頑張らなくて良いんだよ?とか何でも相談しなさいとか私が力になろうとか言っている。
全くもって理解が追い付かないが、エマはこの国で最強のパトロンを手に入れた様だ。
この世界でのおじさんホイホイに第一号が捕獲された瞬間であった。
エマは国王に手を握られ、これでもかとかけられる労いの言葉を右から左にスルーし、今がチャンスとじっくりイケオジ観察する。何故か急に涙ぐむイケオジ……貴重画像ありがとうございます。
呆れ顔のローズが国王にハンカチを差し出し、受け取るために握られた手が離れる。その横で、泣きたいのは自分だと王子は思う。
この一年は、エマに相応しい男になるよう努力してきた。王都で再会したら……学園生活は……と色々考えていたのに、いきなり婚約しろなんてぶち壊しだ。
しかも、陛下はどさくさに紛れて、手まで握っている。エマが微妙に嬉しそうなのも腹立たしい。
自分とは婚約したくないという意味でなかったことに少しばかり安堵したが、あと数年もすれば誰もエマを放っておかないことは目に見えている。
奥ゆかしいエマは、傷跡を引け目に感じて結婚できないなんて思っているかもしれないが、実質傷跡なんて、なんの障害にもならない。
その証拠に、今日だけでも殆んど顔すら見せていないのに、ライバルが100人は増えてしまったのではないだろうか……。
エマに想う相手がいないのならば、ライバルが100人だろうが1000人だろうが負けるつもりはない。
王や王子、三兄弟達の様子を見て、いつだって空気の読めるヤドヴィガがそれならば良いアイデアがあると、口を開く。
「それなら、私がゲオルグ様と婚約してはどうでしょうか?」
「ヤドヴィガはダメ!!!!」
国王がかぶせ気味に声を上げる。
「ヤドヴィはお嫁にはやらない。ヤドヴィはお嫁にはやらないよ!わかってるねゲオルグ君」
目の端に拭いきれなかった涙を光らせながら、国王がゲオルグに凄んでいる。
「ごめんなさいね、ゲオルグ君。陛下……娘には……ちょっと……アレだから……」
ローズが国王を宥めながらゲオルグに謝る。
「いっいえ……うちの父も大概アレなんで、解ります。だっ大丈夫です」
スチュワート家でもよくある光景だが、流石に国王に凄まれるとビビる。
横ではウィリアムがぶつぶつと嘆いている。
「ヤドヴィガ様……なんでゲオルグ兄様!?年の近さなら、普通僕でしょ?」
ウィリアムだけに聞こえるように、ロリコンちょっと黙って?……とエマは弟を貶しながら、涙目で凄むイケオジを愛でている。
ロリコン少女はおさわりNGなのに、イケオジはさわり、さわられ放題なのが納得できないとウィリアムが不満を訴える。
どっちもどっちの、残念な姉と弟であった。
「まあ……婚約の話は急ぐことはないから、頭の片隅に置いておいてくれるかい?」
エマには心の癒える時間が必要……と勝手に解釈した国王が、含みを持たせつつ話を切り上げる。
ヤドヴィガの発言は無かったことにされた。
そこへ、忙しなくノックが聞こえる。
秘書官が咎める様にやや顔を曇らせ部屋を出るが、直ぐに戻ってきて国王に耳打ちする。
「陛下、火急の報告がございます」
秘書官の表情は硬い。
国王への火急の報告を聞くわけにはいかないので、三兄弟は席を外すことになった。パーティーの広間へと、再び案内される。ヨシュアを見つけ、合流する。
「ヨシュア、ジャケットありがとう!……なんだか騒がしいね?何かあったの?」
広間の招待客は、ざわざわと興奮を隠せない様子で、エマ達が入って来たのとは別の扉を見たり、指差したりしている。
「国王様に三人が呼ばれて広間を出た直後に、入れ替わりのように一人の令嬢が現れたのですが、なんとその令嬢、瞳の色が黒だったのです。流石に騒ぎが大きくなったので令嬢は、王城の者に連れられ退室しましたが……」
「え?目の色が黒いだけで騒ぎ?」
三兄弟が揃って首を傾けるのでヨシュアは丁寧に説明してくれる。
「瞳の色が黒ということは、少なからず王族の血が入っていると思われます。しかし、誰もその令嬢のことを知っている者がいないのです」
王族スキャンダル……ということらしい。この国では黒い目だけでも珍しい。
元日本人の三兄弟には共有できない感覚なので気付くのが遅れる。
「その令嬢、髪の色は黒とは言い難いですが、黒に近い茶色の髪で、血は濃いようですので、王か、王の兄であるカイン様の御落胤ではないかと言う者すらいます」
国王への火急の報告はこの令嬢と関係ありそうだ。
ローズ様を差し置いて、国王が外で子供を作ったとは考えにくい……でも……イケオジだもんな……。
そもそもカイン様は、クーデターを起こした後、どうしているのだろう?
地方の領には箝口令が敷かれ、クーデター自体無かったことにされ、王都では軍隊の模擬訓練という扱いになっているとアーバン叔父様が教えてくれた。大分苦しい言い訳だと思うのはエマだけだろうか?
まあ、何にせよ自分には関係ないか……と他人事と思っていられたのは、ほんの少しの間だけだった。
学園にその令嬢が通い始めるまでのほんの少しの間だけ。