再会。
誤字報告ありがとうございます。
一年ぶりのエマは変わらず可愛い。
考えてみれば、スチュワート伯爵家は第二王子派の筆頭と噂されているのだから、エマが洗礼の被害に遭う確率は高かったのだ。
「エマ大丈夫か?怖い思いはしてないか?もう少し早くこれたらよかったのだが……」
エマを立たせるのに手を貸し、王子は心配そうに気遣う。
「大丈夫ですよ?ドレスもウィリアムが拭いてくれたので問題ありません」
エマが、ドレスの裾を摘まんで上げて拡げて見せてくる。
チラリと見えたエマの細い足首に目を奪われ、心臓がぎゅんっと収縮したが、表情に出さない様にドレスを確認する。
「ドレスは無事な様だな。フランチェスカ嬢、それでも貴方の罪に変わりはない」
王子の言葉にフランチェスカは震えている。
王都ではスチュワート家の娘が第二王子と婚約しようと弱味に付け込んで接近していると噂されていた。
しかし、これは……どう見ても王子の方がエマに夢中になっている。あんな王子の笑顔、誰も見たことがないのだから。
もしかしたら、公表されてないだけで既に婚約しているのかもしれない。王族の婚約者に嫌がらせでワインをかけてしまった自分はどうなるのだろう。
「殿下?別にわたし、フランチェスカ?様から嫌がらせなど受けてませんよ?うっかりワインは溢しちゃいましたけど、そんなに怒らないであげて下さい」
きょとんとエマは不思議そうに首を傾ける。
公開処刑のような断罪が始まる直前に被害者であるエマ本人が、フランチェスカを庇う。
動向を見守っていたパレスの子息、会場の招待客はその言葉に驚き、感動する。
なんて優しい子なんだ。さっきまであんなに酷いことをされていたのにフランチェスカに罰が科されることが無いようにきょとんとした芝居まで無理にしているではないか。
とか。
大人しく、引っ込み思案な性格なのに、こんなに人の目に晒されて内心、心細いだろうに、フランチェスカ嬢を庇うなんて天使なのか?
とか。
あんなに華奢な体で虐めに耐え抜き、虐めた相手にまで心を砕く……なんて意思の強い優しさのある子なんだ。一瞬ベールをめくった時に見えた笑顔がめちゃくちゃ可愛かった。
とか、エマを知る者も知らない者も会場にいるほぼ全ての人々のエマへの好感度が爆上がりしていた。
「……そんな庇わなくていい。エマが優しいのはわかるが、フランチェスカ嬢の嫌がらせは度を越している」
「殿下?本当に嫌がらせなど受けて無いのです。どうか酷いことをしないで下さい」
王子はなぜ、フランチェスカに罰を科そうとしているのか、エマは本当に分からなかった。いつ、嫌がらせなどされたのか……初めから思い返してみる。
エマが、ぽけーと立っていた時にフランチェスカが給仕に赤ワインを頼んでいた。
この世界のワインはどんな味だろう。お酒の味を懐かしく思ったのを覚えている。
転生前、田中家は揃いも揃って酒好きで港はワインも好んでよく飲んでいたが、他にワインを好きな友人もいなかったので少し寂しかった。
フランチェスカは堂々と給仕にこれでは足りないと、ワインをグラスにたっぷりと注がせていたので凄いと思った。
港もグラスに半分弱しか入れてもらえない事に不満はあったが、人前では我慢していた。
香りを楽しむとかどうでもいい。とにかく量を飲みたかった。駄目な方の酒飲みであると自覚はあるものの流石に人目は気にする。
なのに、フランチェスカは給仕に命じてグラスに入るギリギリまで赤ワインを注がせていたのだ。ここは、自宅ではなく王城の広間だ。誰もが畏まる場で堂々とたぷたぷのワイングラスを持って歩くフランチェスカを見て、確信した。これは、相当の酒飲みだと。
友達になりたい。
前世で叶わなかったワイン談義に花を咲かせてみたい。と思っていたら、当のフランチェスカが口元に笑みを浮かべこちらに向かって来る。
そこでフランチェスカが、大事なワインを溢してしまった。
フランチェスカは、エマが来る前から大分飲んでいたようである。酔っぱらいは、基本飲み物を溢す。
どこの居酒屋でもどこかのテーブルでグラスが倒れているものだし、周囲の反応を見ても毎年お酒に酔って何かしらこの令嬢は仕出かしているのだろう。
殆んどのワインはエマにかかってしまったが、これはこれでテンプレ展開となってしまい面白い。後ろに控えている様に見える令嬢とセットで悪役令嬢と取り巻きに見えなくもない。
「あら、ご免なさい」
フランチェスカは、謝ってくれた。
悪びれもしない態度はアルコールで楽しくなってしまっているからかもしれない。陽気に酔えるのはポイントが高い。エマがお酒を飲めるまでまだ何年か先になってしまうが是非、目の前の令嬢と朝まで飲み明かしたい。
そう思っている内に給仕がワインの滴を拭くように、布を差し出してくれた。礼を言った後、足元に視線を落とすとカーペットに染みが出来ている。
この染みは早く対処しないと落ちなくなる。今日のドレスは幸い防水加工をほどこした試作品で、ヴァイオレットの糸を混ぜてある。
なにせ、たぷたぷいっぱいのワインが全部溢れてしまったのだからカーペットの惨状は酷かった。しばし、夢中でカーペットの染みと格闘して……。
……やっぱりフランチェスカは罰が科されるほどのことはしてないのだ。
ただ本能に忠実にお酒を飲みすぎただけだ。社会人になってもお酒の失敗は絶えないのに、まだ若そうなフランチェスカに罪はない……はず。
ドレスの弁償云々も言っていたが、元々丈夫なエマシルクにヴァイオレットの糸を混ぜてある今日のドレスは染み一つ付くことは無かったのだから必要ない。
ずっと頭を下げて震えているフランチェスカを助け起こしエマは優しく励ます。酒飲みの失敗は、他人事とは思えない。毎年、お酒に酔って迷惑をかけたかも知れないが、今、これだけ震えて反省しているのだから、来年からは量を調節するだろう。
どうしてもグラスたぷたぷで飲みたいなら家に招待して好きなように飲んで貰うのも良いかもしれない。もう数年はエマはお酒を飲めないが、貴重な酒飲み友達候補は確保しておきたい。
「フランチェスカ様?少しだけ酔ってしまっただけですものね。この通り、私のドレスは無事ですので、弁償なども必要ありませんよ。フランチェスカ様のドレスは大丈夫ですか?」
パーティーの会場でフランチェスカに唯一優しい言葉をくれるのは、たった数分前まで自分が虐めていた女の子だった。
助け起こされた拍子に偶然見えてしまった右側の頬には深い傷跡があった。
第二王子と交流していた時に魔物に襲われた噂も耳にしていた。その時の傷を盾に王子に婚約を迫っているという噂もあった。
でも、目の前の女の子は絶対にそんな事しないだろう。
どうしたら、こんなに優しくなれるのだろう。自分が恥ずかしくて仕方がない。
洗礼は、ずっと第一王子派の令嬢に引き継がれていた。三年前からは自分がする事になって、初めはやりたくないと思っていた。でもやらなければ、父の立場が悪くなる。
嫌々ながら、洗礼を成功させると面白いようにマウンティングカーストの上位に踊り出ることになり、取り巻きと呼ばれる令嬢も出来た。
第一王子派の中では英雄の様な扱いをされて、勘違いしてしまったのだ。
自分が価値のある人間だと。
本当に価値のあるのは、目の前のエマ・スチュワートという華奢で顔に深い傷跡のある年下の女の子だ。
王子相手にも怯まずに私なんかを守ろうとしてくれている。
一番初めの加勢が現れた時点で、すっと居なくなった取り巻き達よりもこの子の方が何倍も私を気遣ってくれている。
「ご……ごめんなさ……い。私、貴方に酷いこと、いっぱい……」
フランチェスカが涙を流し、エマに謝る。洗礼が咎められても絶対に認めてはならない。謝ってもいけない。引き継ぎの時に強く言われたが、そんなの関係なかった。悪いことをした自覚があるのだからちゃんと謝りたかった。
「フランチェスカ様?お気になさらないで下さい。ドレスにワインがかかったとき、直ぐに謝ってくれたじゃないですか」
フランチェスカの溢れる涙をそっと拭いながら、エマは優しく、でも皆に聞こえるように言う。あんな、おざなりな、逆に逆撫でしそうな言葉を謝罪だとエマは言ってくれるのだ。
「私、貴方に……なんてお詫びをして良いのか……本当に、ごめんなさい」
心の底から頭を下げる。
まだまだ、お酒も飲めない女の子だ。初めての王都で、初めてのパーティーで、きっと怖かったはずだ。
エマが、お詫び……と小さく呟く。
「ならば、フランチェスカ様!わたしのお友達になってください。王都での初めてのお友達に。学園を案内してください。帰り道に美味しいケーキ屋さんってありますか?一緒に食べに行きましょう?」
エマが楽しそうにフランチェスカの手を握る。
あっ……この子……天使だわ。背中に羽が無いことがおかしいと疑うレベルの天使だわ。
フランチェスカの心の声は、会場のほぼ全員の総意であった。
ゲオルグとウィリアムだけが、エマの考えていることを察して生温い表情になっているが、どうやらお茶会だけでなく社交界にもエマ無双が存在するようだった。
あ……ヨシュア喋ってない(笑)