商人と貧乏貴族。
誤字、脱字誠に申し訳ございません。
誤字報告感謝致します。
パレスは新しい。
王国の端にある領は常に魔物の脅威にさらされている。
海に面していない南側は出現範囲が広く、パソット領、レングレンド領、スチュワート領の三領主は厳しい環境で何とか各々の領地を守っていた。
今から6年前、パソット領が経済破綻し、レングレンド領の領主と後継ぎである息子が魔物に殺され、同時期に2つの領が没落した。
中央の領には貴族が有り余っているにもかかわらず、誰も辺境の領主になろうとするものがいない。
スチュワート領も領主が魔物狩りの際に負った傷が元で亡くなり、息子に代替わりしたばかりだった。
魔物の出現の多い領地を治める者がいないのは国としても大問題で、結局王命によりこの三領をスチュワート領を治めるスチュワート伯爵が治めることになった。
ヨシュアが初めてスチュワート伯爵一家に会ったのも6年前である。
王都に近い領で、商いをしていた父が何を思ったか三領がひとつになった新しくパレスと名付けられた辺境の領へと移ったのだ。
父の仕事を手伝う中で一番嫌いなのが、貴族へのご機嫌伺いであった。
「いいか、ヨシュア。いつも通り何を言われても我慢するんだぞ」
父はいつも念をおす。
外側ばっかり気にして、中身がお粗末な人種。
ヨシュアの知っている貴族は皆、偉そうだった。何をすればそんなに尊大でいられるのか単純に理解できなかった。
「わかってるよ、父さん」
今日の仕事は馬鹿にされに行くことだ。ヨシュアは膨れっ面で応える。
運の悪いことに今日行くスチュワート伯爵家には同じ年頃の子息、令嬢もいるらしい。前の領では貴族の子供にお気に入りの服を破られたことがある。平民の癖に良い生地の服を着るなとか言われて。
「パレスで商いをするためには、領主に気に入られなければ」
新しい土地での商いに父もいささか緊張している様だった。
辺境とはいえ、パレスという広大な土地で唯一の貴族になってしまったスチュワート伯爵家のご機嫌を損ねることはあってならない。
代々、辺境の領地を治めるスチュワート伯爵家は、ヨシュアが今まで訪れた貴族の屋敷の中でダントツに地味だった。
庭はそこそこ広いものの、屋敷の中に案内されても華美な装飾品が全くない。
事前にアポをとって時間厳守で訪ねても、ドタキャンされたり、長時間待たされることが多かった今までと違い、この日は到着してすぐに応接間に案内された。
「お初に御目にかかります。ダニエル・ロートシルトと申します」
父より一歩下がり頭を下げる。礼節を重んじる貴族は下げる角度が浅いと途端に機嫌が悪くなるので意識して深く深く、貴族の許しが出るまで頭を上げることは許されない。
「これはご丁寧な挨拶を、頭を上げて下さい。少し散らかっていて心苦しいのですが、どうぞこちらにお座り下さい」
顔を上げると、応接間の至る所に白い布が溢れていた。
すすめられたソファーの周り以外は、繊細なレースや質の良い絹で埋め尽くされている。
その中に、天使がいた。
金色に輝く髪と緑色の瞳。ふんわりとした柔らかい顔つき。瞳と同じ色のシンプルなワンピースが似合っている。
「これは、とても良い生地ですね」
天使にみとれていたヨシュアをソファーに座らせながら父が伯爵に話かける。たしかに、どれも父が扱っている絹織物より見ただけで上質とわかる。
「スチュワート領は養蚕が盛んだからね。ようこそ、パレスへ。領主のレオナルド・スチュワートです」
伯爵は自然な動きで、父と握手をするとヨシュアの方に目を向ける。
「息子のヨシュアです」
天使と同じ金色の髪をした伯爵はにっこりと笑ってヨシュアにも握手する。
貴族に握手を求められるなんて初めてのことだった。父も表情には出さないが、驚いている。
「ヨシュア君は何歳?」
「今年で8歳になりました」
ヨシュアに代わり父が答える。
「へぇ随分大人びて見えるね。ゲオルグのひとつ下だね」
そう呟くと、伯爵は子供達を呼び寄せる。
天使の他に男の子がふたり白い布の中から顔を出す。
エマ……と呼ばれた時に天使が顔を上げて、布をかき分け伯爵の膝の上に乗る。
「長男のゲオルグだ。9歳になる」
ゲオルグと呼ばれた少年がニカッと笑って軽い会釈をする。
「次男のウィリアムは3歳」
ウィリアムもゲオルグの真似をするようにニカッと笑って軽い会釈をする。
「そして、この天使が長女のエマ。もうすぐ6歳」
伯爵が天使の頭を撫でる。
天使だと思ったのは間違いなかったようだ。
「近くに同じ年頃の子供がいなくてね。ヨシュア君が仲良くしてくれると嬉しいな?」
辺境の領主だけあってがっしりした体のスチュワート伯爵がヨシュアに軽く頭を下げる。子供のためとはいっても平民の子供の自分なんかに。
変な貴族だな……偉そうじゃない貴族なんて初めて見た。
すると、天使がヨシュアの顔をじっと見つめている。
ヨシュアの顔にはそばかすがある。美意識の高い貴族の子供達に汚いと散々からかわれ、貶されてきた。
その中にはそばかすを濃い化粧で誤魔化している奴すらいたのに。
物心ついたときからそばかすはヨシュアにとって一番のコンプレックスだ。こんな可愛い天使がいるのなら、慣れない化粧をしてくればよかった。
なぜか目の前の天使にできるだけ嫌われたくないのだ。
それに、この可愛い天使に詰られたら変な趣味が開花しそうである。
ととととっと天使がヨシュアの前に来た。そばかすを近くで見ようとしているのか、顔を近づけてくる。
ヨシュアとは違い、透き通るような白い肌にはそばかすなんて無い。
天使にみとれているとさらに顔が近づいて来て……
ちゅっ
一瞬、柔らかい感触がヨシュアの鼻の付け根あたりに落ちてくる。
「「なっっっ!!」」
ヨシュアと同時に伯爵も声を上げる。
「ヨシュア君?仲良くとはそういう意味じゃないよ」
ものすごい低い声で怒られたが、答える余裕なんてない。ヨシュアの顔は真っ赤に茹で上がっていた。ヨシュアがキスされたのはコンプレックスのそばかすが濃い箇所でそんなところに、ちゅってされた衝撃は大きい。
天使がふふふっと笑う。神々しいほどの天使スマイルだ。
「顔のそばかす、チャタテムシがいっぱいいるみたい。素敵ね」
後で知ることになる虫を見るときのエマの笑顔だった。
たったこれだけで、コンプレックスがチャームポイントになった。天使が、エマが素敵ねと言ってくれた。昇天しそうな程、嬉しい。そばかすがあってよかった。
「ヨシュア君?仲良くとはそういう意味じゃないからね」
エマの手を取り、再び膝に戻した伯爵は言い聞かせるように低い低い声でヨシュアに釘を刺す。
残念ながらヨシュアはもう、そういう意味でしかエマを見れなくなっているのに。
カチャっと扉が開き、強そうな美人がティーセットを持って入ってくる。優雅な所作でゆっくりと香りの良いお茶をいれてゆく。
その香りのお陰で、伯爵もヨシュアも少し落ち着くことができた。
それぞれにお茶が行き届いたところで伯爵が美人を紹介する。
「妻のメルサだよ。メルサ、ダニエルはパレスで商売をするために挨拶に来てくれた」
たしか……伯爵の奥様は、王都で名を馳せた才女。
その才女がメイドのようにお茶を出す。ついに、父のポーカーフェイスが崩れる。
「おっ奥さまにお茶を入れて頂けるとはっ大変光栄なことで!」
慌てる父にメルサが笑う。
「昨日、一角兎が大量に出現したので屋敷の者は総出で毛皮の処理にまわっているの。お茶の味の方は保証できませんがどうぞ」
一角兎は群で出現する。毛皮は早めに処理が必要になるために人手がとられていると伯爵からも説明される。
「来週には市場に出ると思うから、試しに買ってみるといいよ。パレスは温かいからあまり売れないけど北の方に持っていけば小遣い稼ぎくらいにはなるかもしれないよ?」
小遣い稼ぎどころか、一角兎の毛皮は王都でも人気な上に出現しても狩人の腕が悪ければ毛皮に出来ないことも少なくない。総出で毛皮の処理にあたる程の量を確保できれば相当な儲けになる。
「市場では、因みに一匹いくらで?」
商人の父の目が光る。ロートシルト商会はなんでも取り扱っているし、国内外の販売ルートも確保している。
「……今回は大量に出たから、そうだね銀貨二枚くらいかな?」
父もヨシュアも思わず息を呑む。
安い。安すぎる。この領主商売下手くそか?
販売の手伝いをしたことのないヨシュアでさえおかしいと分かる。一角兎の毛皮の相場はどんなに質が悪くても仕入値でも銀貨二十枚以下は見たことがない。
「伯爵。10倍出すので、私に全て買い取らせて頂けませんか?」
降って湧いた儲け話に父が飛び付く。まとまった量が手に入るなら商売の幅も広がる。
「ん?そんな悪いよ、私と弟が仕留めた100匹分くらいならお近づきの印に差し上げますよ?」
スチュワート伯爵が何でもないように父に応じる。
もう一度言おう。この領主商売下手くそか?そもそも目の前に広がっている白い布もかなり高く売れそうだ。なのにスチュワートが養蚕業をしていることすらヨシュアも父も知らなかった。
「あの……伯爵……この布はどうするのですか?」
恐る恐る訊いてみる。
「ああ、ごめんね散らかってて。うちのメイドが結婚することになってね!花嫁衣装を家族で作ってるんだ。中々時間が取れなくて切羽詰まってるんだ」
手作りかよ!いやいやこの布売れば、王都で花嫁衣装くらい数着買えると思う。あとこの繊細で細かいレースなんか王妃が使うレベル……とそのレースを見ていくと、伯爵の手元まで続いている。
「ごめんね。本当に切羽詰まってて」
伯爵の手元が高速に動いていた。繊細で細かいレースを伯爵が編んでいる。
職人かよ!
よく見ると、3歳と紹介された末のウィリアムは白い布に白く光るビーズを絶妙なバランスで縫い付けているし、ゲオルグは花と間違える程にリアルな造花を作っているし、天使は可愛い……じゃなくて、父親にレースのデザイン画を見せている。
「あの……衣装ですが……うちでも取り扱っていますのでご購入されてはどうでしょう?」
父が高速で動く伯爵の手元を見ながら、提案する。
今出来ているレースだけでも買い取りたいと顔に書いてある。
「いや……なにぶん我が領は貧乏でね。家族、使用人のものは全て手作りするしかないんだよ。屋敷の物は大体売ってしまったしね」
恥ずかしそうに伯爵が応える。手は高速で動き続けている。
あ、この領主商売下手くそだ。
しかも世界で一番下手くそだ。
目の前に超絶高く売れるものが山となっているのに。
誰か教えてあげなよ。え?領民も下手なの?嘘でしょ?
「スチュワート伯爵……領の特産品の管理、私に任せてもらえないでしょうか?」
大きな儲けに飛び付く……というよりも、みるにみかねてといった様子で父が口を開く。伯爵の腕ならレース編んでるだけでも家が何軒も買える。
どうやったら、貧乏になれるのか教えて欲しいくらいだ。
「え?任せてもいいの?」
二つ返事で伯爵が了承する。絶対、今までに少なくない数、騙されている。
これが領主なのかと心配になる。ヨシュアですらひしひしと感じているのだ、父なら尚更かもしれない。
自分が何とかしてあげないと。
こうして、品質の良いパレスの特産品の数々がヨシュアの父の力で日の目を見ることになる。何代にも渡って屋敷の物を売っては、何とか領地経営を続けてきたスチュワート家は屋敷そのものを売る直前で持ち直すのであった。
数年後、ただでさえ上質だった絹がエマの力により最上級の絹になったことで、パレスは国で一番裕福な領となった。
父のダニエルとスチュワート伯爵は酒飲み友達となり、仲良くしている。
「ヨシュア、今年もお前に任せた店の売上は好調だ。次の誕生日はどの店が欲しい?」
父が三店舗の帳簿を眺めながら訊いてくる。ヨシュアの答えは決まっている。
「父さん。その三店舗は父さんに返します。代わりに王都にある支店を任せてもらえませんか?」
父が頭を抱える。
「お前……本気か?」
王都の支店は、第一王子派の不買運動のせいでロートシルト商会で唯一赤字を出している。店への嫌がらせも度々報告されている。
でも。
「来年から、エマさまは王都ですから。大丈夫ですよ父さん、第二王子には負けません」
エマの前では絶対に出さない悪い顔でヨシュアは答える。
知らないところで今回みたいに怪我をされるのだけは止めて欲しい。心臓が幾つあっても足りない。エマを失うなんて耐えられない。
「学園にも通いたいので、そろそろ爵位も買いましょう?」
お金を出せば、男爵位くらいまでは買えるのだ。ただ、額が額なだけに簡単に買えないだけで。
ヨシュアはいつだって本気だ。
次回から王都編になる予定です。(多分)
どうでもいい情報ですが……。
金貨一枚、10万円。
銀貨一枚、1500円。
銅貨一枚、100円。
くらいのイメージで書いてます。
数字に弱いのでいつか間違えるかもしれない。