傷痕。
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漸くコーメイさんのお許しが出たので、エマは右側の頬に手を伸ばす。
ぱしっ
コーメイさんではなく、ウィリアムに止められた。
「ちょっと姉様っそんなにあっさりと剥がそうとしないで下さいよ!」
お許しが出たから別に良いのかと思ったけど何か問題でもあっただろうか?
エマが不思議そうに顔を傾ける。
「……取り敢えず、父様と母様を呼ぶから待ってろ」
ゲオルグがため息をつきながら部屋を出ていく。
エマの傷については、本人より周りの人間の心配の方が大きい。特に傷口を直接見ているゲオルグとウィリアムは深刻な顔をしている。
「エマさま。家で雇っている腕の良い医者を呼んできます。剥がすのはそれまで待って貰えますか?」
ヨシュアにまで労るような懇願するような顔で言われては、無理に剥がすことは出来ない。
「お医者様?でももう痛くないのよ?」
今まで見せたことのない心配そうなヨシュアの顔に少し驚く。
「それでも……です。何があるか分かりませんから万全の準備をさせて下さい。……みんなのために」
俯いているウィリアムの頭にぽんっと手を置いてからヨシュアが医者を呼びに行く。
エマ自身は自分の不注意からの傷なので覚悟というか諦めはついている。
今となってはあの焼け付くような痛みが無いだけでもヴァイオレットに感謝しっぱなしだ。
周りの人間の反応を見て心配したコーメイさんがエマを自身の体でくるむ。
もふっとした感触と温かい体温に、みんなの反応を見て少しだけ緊張し始めていた体が緩んだ。
「コーメイさん……ありがとね」
ヨシュアの言う準備が整うまでモフモフの体に埋もれて待つことになった。
「エマっエマっ」
モフモフのコーメイさんにくるまれ、いつの間にか眠っていたエマは父レオナルドに優しく起こされる。
「準備できた?」
眠い目を擦りながら体を起こすと、父、母、ゲオルグ、ウィリアム、ヨシュアが一斉にこっちを見ていた。
すぐ隣に白い服を着た女性が座っている。
「お医者さま?」
母より少し年上に見える栗色の髪のその女性はゆっくりと頷く。
「エリアと申します。皮膚を専門に診ているので安心してお任せ下さいね」
ヨシュアがエマのために王都から呼び寄せておいた医者である。
目を覚ます前にも一度、エマを診察しているのでエマ以外は面識がある。
「エリアさん、よろしくお願いします」
家族全員が医者に頭を下げる。
息を飲んで見守る中、エリアの手がエマの右頬に伸びる。
ぺりっ
ぺりぺりぺりぺり
ぺりっ
いとも簡単にヴァイオレットの糸は剥がれていった。
「っっつっ」
父の顔が曇る。母が父の胸に顔を寄せる。
「あっ」
ゲオルグとウィリアムは意外そうな、少しほっとした表情にも見える。
ヨシュアは終始穏やかな笑みを崩さない。
傷を見た家族の反応がバラバラなので、不安になっているとエリアからそっと手鏡を渡される。
諦めがついているとはいえ、鼓動が速くなる。手鏡に自分の顔を映す。
溶けた外側の皮膚は綺麗に再生していた。
ゲオルグとウィリアムの話では外側の皮膚は水で流すだけで剥がれていく程のダメージを負っていたらしいが、ケロイドもなく、引き攣ることもなくつるんとしている。もちろん血なんて流れてない。
……ただ。
スライムの体液が直接当たった箇所である放射状に刻まれた深い傷とその線を繋ぐようにして出来た少し細い無数の傷は痕が残ってしまっていた。
ヴァイオレットの糸の色を写したような紫色の傷痕は腕にも体にも刻まれているようだった。
エマの肌の状態を診察したエリアは治療は必要ないと両親に告げた。
「傷痕は残ってしまいましたけど、負傷時の話を聞く限りではこれ以上無い回復です。蜘蛛の糸を剥がした時に皮膚が破れる心配もありましたがこの通り綺麗に再生しています。これは奇跡と呼んでも差し支えないくらいに綺麗に治っています」
傷痕を見て涙する母を励ますように静かに淡々とエマの状態を説明する。
「傷痕はっ治らないのですか?」
それでも母は質問しないではいられなかった。
「……残念ですが」
エマはじっと鏡に映る自分の顔を眺めている。
一言も声を発することなく深く刻まれた傷痕を確認している。
「エマ……大丈夫だよ。傷は残ったけどエマが可愛いのは変わらない」
レオナルドがぎゅうとエマを抱き締める。
「エマ、ケロイドも引き攣れもない。スライムの傷がこんなに良くなるとはヴァイオレットに感謝しないと!」
「姉様。凄く凄く綺麗に治ってます!」
直接傷を見ているゲオルグとウィリアムもエマを元気づけようと言葉を尽くすが、エマは黙ったまま傷痕を見続けている。
「……カッコ良いですよね?」
ずっと黙っていたヨシュアが口を開く。
家族が場違いな発言に怒る前に、エマがばっとヨシュアの方に顔を向ける。
その瞳は爛々と輝いている。
「ん?」
「えま?」
エマの予想外の反応に戸惑う家族とエリア。
「ヨシュアもそう思う?」
エマが嬉しそうに鏡に再び目を落とす。
「はい、蜘蛛の巣みたいでカッコ良いですよ、傷痕」
放射状に刻まれた深い傷とその線を繋ぐように無数の少し細い紫色の傷痕は、言われてみれば蜘蛛の巣に見えないこともない。
というか、一度気付くともう蜘蛛の巣にしか見えなかった。
「……姉様……もしかして?」
ウィリアムが恐る恐る口を開く。
「うん!この傷痕、気に入ったわ!」
エマは満面の笑みで応えるのだった。