お見舞い。
誤字報告感謝致します。
エマは目を覚ましてからは、体調を崩すことなく順調に回復していった。
ご飯は美味しいし、初めはふらついていた足も今では問題なく歩けている。
相変わらず、ヴァイオレットの糸は剥がすことを許されずそのままだがここ最近はちょっと痒い。
無意識に掻こうと手を伸ばす度にコーメイさんの肉球に阻まれている。
「コーメイさん……そろそろ……」
「にゃー(ダメ)」
コーメイさんは片時も離れなくなった。寝るときも食事のときもトイレまでずっとエマの側にいる。
よっぽど心配させてしまったみたいで今や、父より過保護で母より厳しい。嫌いなお風呂も毎日一緒に入るので毛並みはより一層ふわふわで気持ちいいのは嬉しい誤算。モフモフが止まらない。
暫くは、ベッドでおとなしくするように言われているエマに3日と空けずヨシュアが見舞いに来てくれる。
コーメイさんも最初は警戒していたが、何度も通ううちにヨシュアが来てもエマの隣で大人しくしている。
エマの傷の様子を聞いて少し、腫れ物のように扱う親戚達が多い中、態度が全く変わらないヨシュアと話すのは楽しい。手土産のおやつも毎回美味しい。
「エマさま、今日は王都の焼き菓子を持ってきましたよ。お気に入りの紅茶もあります」
……着々と餌付けされている。
ヨシュアから聞かされる王都の様子はクーデターがあったとは思えないくらいに安定している。王自らが戦う姿は民衆に良い印象を与えた様で、支持率は鰻登りとのことだった。
「あと、エマさまデザインのローズ様のドレスは大変好評のようですよ」
頑張って作って良かった。思わずふふふっと笑うとヨシュアもにっこり笑っている。
「エマさまマジ天使……」
何か呟いていたけどよく聞こえなかった。
「ヨシュアは王都に行ったことある?学園ってどんな感じ?」
来年から住むことになる王都はどんなところだろうと興味が湧いてきた。
もともと学園に通うだけなら、寮もあるので子供達だけで行けば良いのだが、父がエマと離れたくないがために家族で移住することが決まっている。
前世では、田舎過ぎて地元で職を見つけることが出来ず、子供達は就職する度に家を離れることになった。
長い休みには帰っていたが、寂しいことには変わりなかった。
まだ、もう少しだけでも家族一緒にいられるのは嬉しい。
「王都ですか?大きな学園都市ですよ。中心に王城があってそれを取り囲むように学舎があります。アーバン様が在籍されている王立大学は成績優秀な生徒しか入れませんが、その他は貴族ならば誰でも好きな学舎で授業を受けることが出来るそうです」
ヨシュア曰く、王都全体が学園の様なもので、年齢、性別関係なく自分の興味のある授業を予約し受けることが出来るそうだ。
年に一回テスト期間が設けられ、その年に一時間でも受けた授業のテストが課せられる。そのテストで、合格点が出せれば単位が取得出来る。
欲張って色々な種類の授業をつまみ食いするとテストが山のようになり、大変な思いをすることになる。
100種類の単位が取れれば晴れて卒業資格が得られ、好きな分野の卒論を一本提出し、評価がもらえれば卒業出来る。
前の世界の学校とは違うシステムに少々戸惑う。
「女性は行儀作法や刺繍なんかの授業が人気で、授業の種類も作法だけで50くらいはあるそうですよ……エマさまそんな嫌そうな顔しないで下さい」
自分なら絶対に選択しないであろう授業の話に顔が勝手に曇っていたらしい。この直ぐ顔に出るのは直さないと。
「貴族の男性は、必須科目があります。魔物学と経済学と狩人の実技がこれに当たります。この三教科のテストで合格点がとれない限り卒業は出来ない上に貴族として認めてもらえないそうです」
男女で卒業年齢に差が出るのはこのためである。女性は貴族に必要な礼儀作法を身に付け、10代の内に卒業し、結婚。男性は20代で卒業出来れば優秀な方で30代でも学園に通うものも少なくないそうだ。
「特定の教科でテストの上位3%の成績を修めると、アーバン様のように王立大学への進学の権利が与えられます」
王立大学を卒業すれば、身分の低い貴族でも重要な役職に就けるために領地を継がない次男以降の男子はそこを目指すものが多い。
昔、母がその特定の教科で軒並み一位を取ったら、特に次男以降の貴族の息子達に女のくせにと非難されたとか。
そんな中、一度も話したことのない父がいきなり土下座して嫁に来て下さいと叫んだらしい。男は器のでかさで選びなさいとこの話が出たときに母に言われたことがある。確かにグチグチ言ってくるやつは格好悪いし、学園一の才女に土下座してまで嫁に来てもらう父の方が格好いいのかもしれない。
「ヨシュアは何でも知っててすごいね」
商人の情報収集能力は高いが、その情報を上手く把握して活かせるかが商売のポイントになるらしい。
ヨシュアはヨシュアでエマの興味の有りそうなことを重点的に予習してから見舞いに来ている。顧客のニーズに応えることも大切。エマの好感度を上げるためならヨシュアは努力を怠らない。
「エマさまの役に立てるなら何でもしますよ」
さらっと器のでかさもアピールする。
ゲオルグとウィリアムから第二王子がエマに恋したという話を聞いて、少し焦っている。権力には逆らえない。
「そ、そう言えばエドワード殿下から見舞いのお手紙が届いたとか?」
エマには、ローズに意識が戻った知らせと心配をかけた詫びの手紙を出した返事でローズからだけでなく王子からも手紙が来ていた。
とても心配してくれていた様で、自筆でびっしりと書かれた手紙は逆に申し訳ない気持ちになった。
「そうそう、ローズ様って字ですら綺麗で可愛いんだよ!手紙も凄くいい匂いしたしっ!」
王子の話を聞いたのにローズ様の手紙の話になっている。
エマの興味が、王子よりローズの方に向いているようでヨシュアは少しだけ安心する。
コンコンと控えめなノックと共にゲオルグと大きな箱を持ったウィリアムが部屋に入ってくる。二人の兄弟は用事が終わるとなんだかんだエマの部屋に顔を出してくれる。
「ただいまーってまた来てたの?ヨシュア」
虫の世話を終えたウィリアムがヨシュアを見て呆れている。
「ヨシュア……仕事とか大丈夫なの?」
狩りから帰ったゲオルグもヨシュアを見て呆れている。
商人の父からヨシュアは三店舗の店を任せられており、その売上がお小遣いになるとゲオルグは聞いたことがあった。
商品の買い付けのために、パレスを離れて遠出することも多い。店の経営が上手く出来れば、次の誕生日毎に一店舗貰えることになる。
14歳で複数の店のオーナーであるヨシュアは基本忙しいのである。
「ヨシュア……いつも忙しいのに来てくれてありがとう。でもね無理しないでね?私、大分元気になったし……」
ゲオルグの言葉にエマは反省する。ついついヨシュアには甘えてしまうのだ。おやつも会話もエマの求めるものをヨシュアは提供してくれる。
商売人のヨシュアのマーケティング能力は常にエマを中心に発揮されているのだから無理のない話ではある。
「ちっゲオルグ様……余計な事を……」
ヨシュアが小声で悪態をつく。
「エマさま!僕が会いたいので無理なんてしていませんよ?大丈夫です。全く問題ありません!むしろ毎日でも会いたいです!」
そっと、王都で流行っているキャンディを手渡しながらヨシュアはエマに言い募る。
猫の相談を受けた後、急遽出掛けた一月半の買い付けから帰ってくると、スチュワート家にはでかい猫が四匹、第二王子とのお茶会からの交流、バレリー領の局地的結界ハザード、エマの負傷……とヨシュアのいないところで目まぐるしく事件が起きていた。側にいないと守れない。悪い虫も寄ってくる。
ヨシュアの優先順位はダントツでエマが一位なのである。
人を使うのにも慣れて来たので店も順調。睡眠を少し削れば全く問題なくエマとの時間が作れる。
「でも……ヨシュア目に隈ができてるよ?一緒にお昼寝する?」
ヨシュアの目の下に出来た隈をキャンディを持っていない方の手でなぞりながらエマが心配そうに覗き込む。エマのベッドは広いので二人で寝ても問題ないだろう。
「ねーえーさーまー」
ウィリアムが頭を抱える。これ?ほんとは計算でやってないか?
「えーまー……おまえ……」
ゲオルグが頭を抱える。これから学園で会う男全員にこんなことしないだろうな?ヨシュアはもう救えないくらい末期だけど俺がしっかり止めないと増え続けるぞ。早くも来年の学園生活が不安である。
ヨシュアは椅子に座っていたのにも拘わらず、膝から崩れ落ち踞り、震えながら神に感謝の祈りを捧げている。
「と……尊い!神よ感謝致します!僕の下にこんなに尊い天使を……感謝致します!」
この光景を見たエマはキャンディを口の中で転がしながらニコニコと見守っている。
ヨシュアは信心深いから、神様に決められた正確な時間に祈りを捧げているんだなくらいに思っている。
ヨシュアを気の毒そうに横目で見ながら、ウィリアムが持っていた大きな箱をエマに渡す。
「いつも通りこっそり持って来たのでマーサにはバレてないはずですよ」
そっと蓋を開けると中にヴァイオレットがいた。部屋から出られないのでマーサに見つからないように毎日こっそりとウィリアムが持ってきてくれるのだ。
エマのベッドで寝そべっていたコーメイさんがぬっと箱を覗いてヴァイオレットに挨拶する。
「にゃー!」
ヴァイオレットはコーメイさんの頭にカサカサと登っていく。
すっかり仲良しになっている。
「この子がヴァイオレットですか?エマさまの言った通り綺麗な紫色ですね」
お祈りを終えた(復活した)ヨシュアがヴァイオレットを見て笑顔でエマに話しかける。ちょっと大きい紫色の蜘蛛と聞くには聞いていたが、想像の何倍も大きくて内心では驚いているが、態度には出さない。
「可愛いでしょ?」
ヴァイオレットを褒められて嬉しそうにエマが笑う。
再びお祈りを捧げそうになるのをヨシュアは必死で堪える。
「にゃー?にゃ?」
コーメイさんが何やらヴァイオレットと会話している。
ただただ可愛い。
「にゃーにゃにゃ?」
エマを見てまた、会話に戻る。コーメイさんもヴァイオレットも可愛い。
そんな二匹を和んだ表情でみんなで暫く眺めていると、コーメイさんがエマに向いて一言、
「にゃん!」
と言った。
「え?これ剥がしていいの?」
何がどう通じたのか、エマが傷を塞いでいる蜘蛛の糸を指差してコーメイさんに訊ねる。
「にゃー!」
やっとお許しが出たようだ。
……多分。