白い袋の中身。
誤字報告感謝致します。
ウィリアムの足は厨房へ向かう。
朦朧とした中で、母を呼んでいたと思ったのに、姉の目は確りと自分を見ていた。
魔物の戦闘訓練を受けていない姉が、ゲオルグと共に残ったのは、この1ヶ月で再確認させられた才能のせいである。
観察力と発想力。この姉の力に賭けたのだ。
どんなに勉強をしても、どんなに体を鍛えても、どんなに経験を積んでも、魔物はずっと脅威でしかなかった。
スライムの様な魔物が出現する度に、尊い犠牲が出た。
姉の虫好きが高じて鍛えられた観察力と常識が無い故の発想力は、かるた作成にあたって、色々な案を打ち出していた。
兄が面白がってその案のひとつひとつを試した。もちろん全部ではないが、7割位の案が何らかの成果を見せた。
かるたを作成し始めてたった半月で、かるたは攻略本扱いになっている。
だから。姉が言うのならきっと倒せるのだ。
おかあさん (頼子)
めつくじ (ナメクジ)
たしんとあつ (浸透圧)
すらむ (スライム)
しお (塩)
頼子はナメクジを見ると必ず塩をかけていた。
つまり、エマはナメクジのようにスライムを塩で倒せると言いたかったのだ。
…………多分。
正直、あれだけ窮地に陥り苦しめられたスライムが、まさか塩で倒せるとは思えない。打撃も効かない。剣で斬れば分裂して増える。火を使えば爆発する。この世界のスライムは無敵だ。一匹を結界の外へ押し出すのに最低でも一人、捕食対象として犠牲が出る。
それが、たかが塩で倒せるなんてことが有り得るのか?
まだ、塩酸の方が納得出来る。でも、姉が、エマが言うなら従う。
結局、姉には逆らえない。
厨房の扉を開ける。
かくれんぼの範囲は屋敷内。ヤドヴィガが遊びに厳しいお陰で、この屋敷の中は把握している。
そのまま迷わず、奥の貯蔵庫へ向かう。半地下になっている貯蔵庫の階段を降りる。
「えっと……何を?探せばいいのかな?」
厨房に入った時点で狩人達が不安そうな顔になっている。
「塩です!塩を探してください!」
「しっしお?」
「あの……しょっぱい塩?」
更に不安そうな顔になる。ウィリアム自身も不安になってきたが、悟られないようにはっきり頷いて、探しに行く。
直ぐに見つかると思ったのに、貯蔵庫は広くて物に溢れていた。
流石、侯爵家の貯蔵庫。棚に並んでいる乾物やら油やら茶葉やら順々に見ていく。
「この辺じゃないかな?」
一人の狩人がウィリアムを呼ぶ。
色取りどりの紙袋がずらーっと並んでいる。
…………何故表記してない!?
この世界では、白が塩の袋、青が砂糖……というように袋の色で中身が決められている。庶民の識字率があまり高くないために分かりやすくしてあるのだが、逆に分かりにくいというまさかの事態。
残念なことに、ウィリアムも狩人達も台所に立った事が無い。
「……取り敢えず開けてみましょう!」
ウィリアムが赤い袋を手にする。ちなみに小麦粉である。
「違う……」
狩人が青い袋を開ける。砂糖。
「甘い……」
ウィリアムが黄色の袋を開ける。強力粉である。
「さっきとの違いがわからない」
狩人がオレンジ色の袋を開ける。でんぷん粉である。
逸る気持ちを押さえながら確認するが中々お目当ての塩に当たらない。
そのあとも、重曹、パン粉、グラニュー糖、白胡椒、黒胡椒、……もろもろ開けた最後にやっと白い袋を開く。
「しょっぱい!!これ塩!」
「おおー!!」
「やっと……やっと……」
まさか最後って……全員が複雑な表情をしている。
ひとつひとつ確かめるには重すぎる袋に大分疲れていた。
白い粉だけでどんだけあるんだよ!!……と愚痴りながら大きな塩の袋を各々担いで運ぶ。
(姉様……これ、絶対たおせるよね?たおせるよね?たおせるよね?)
想定外の労力にウィリアムが嘆く。
知らないって罪深い。改めて思うのだった。
取り敢えず、持てるだけ持って外に出ると、人だかりがあった。
この辺は避難済みの筈なんだけど……と思っているとその中から声がかけられる。
「ウィリアム!!」
父、レオナルドと叔父のアーバンが走ってくる。
「お父様!!」
人だかりは、パレスからの応援の狩人達だった。
「みんな、無事か?局地的結界ハザードの場所はわかるか?大きさは?魔物は?」
矢継ぎ早に質問される。
心配そうな父の顔を見るのが辛い。
「ス、スライムが三匹。穴の大きさは3cm位です。エマ姉様が水鉄砲で……」
「スライム!!!?しかも三匹!」
「こんなとこでスライムが出るのか!?」
話し終わる前に狩人達が驚きの声をあげると同時に顔付きが変わる。
パレスの狩人は優秀で、局地的結界ハザード発生時の訓練も積んできている。緊急事態ではあったが、対処出来る案件と思っていたのだろう。
現れた魔物がスライムと知るまでは。
「場所は案内します!」
逆に、エマが水鉄砲の被害にあったと知った父と叔父は黙り込んでいた。
ウィリアムが指差す方向へ直ぐに走り出す。
「うわっ!父様!!」
ウィリアムを塩の袋と一緒に軽々と抱えて全力疾走する。
アーバンも狩人達もそれに続く。
「……エマは……?」
走りながら父が重い口を開く。
スライムの攻撃を受けるということは、捕食対象になったということ。
スライムの攻撃を受けるということは、助からないということ。
何と言っていいものか悩む前に猫達の姿が見えた。
「何で猫が!?どうやって来たんだ??……あれは?ゲオルグ!?血塗れじゃないか!?」
アーバンがゲオルグの姿を見て、速度を速める。
「あれは、エマ姉様の血です。猫達が来てくれて応急処置で止血は出来ています」
「生きて、いるんだな?」
ウィリアムを運ぶ父の腕に力が入った。
猫をかき分けエマの元へ行く。
半身を紫に光る何かに覆われたエマがコーメイさんに体を預けている。
「お父様!!」
ゲオルグが、驚いた様に声をかける。
「遅くなった。どういう状況だ?」
レオナルドがそっとエマの頭を撫でながらゲオルグに尋ねる。
眠っていると思ったが、エマは頭を撫でられると瞑っていた目をあける。
レオナルドが少しだけほっとした表情を見せる。
「スライムは三匹。捕食対象は俺とエマとエドワード殿下です。エマは右上半身を水鉄砲で負傷。スライムの攻撃は猫達が防いでくれています」
「にゃー!」
ブゥンっとかんちゃんがスライムを風圧で飛ばしたあとにレオナルドに挨拶するが、レオナルドもアーバンもパレスの狩人も、何故王子まで捕食対象に?と混乱していて、挨拶どころでは無くなっている。
肝心の王子は、猫に威嚇されエマに近付けないでいた。猫に怒られないギリギリの距離でバレリーの狩人達に守られている。
「ウィリアム、何を持ってきたんだ?どうやってスライムを倒す?」
時間が惜しい……とゲオルグがウィリアムとバレリーの狩人が抱えている袋を見て訊ねる。ここにも白い紙袋には塩が入っていると知らない男がいた。
「スライムを倒す?」
レオナルドもアーバンもゲオルグの言葉に驚きの声をあげる。
ウィリアムはエマの案を説明する。
「は?塩?」
「スライムだぞ?ナメクジじゃなくてスライムだぞ?」
「そんなんで倒せたら苦労しないですって!」
狩人達が口々に異議を唱える。
「……やってみよう!エマの案なら間違いない!」
「ですね!」
レオナルドのGoサインに、間髪容れずにアーバンが応える。
そんな子供騙しな案が通るわけがないと思っていた狩人達が一斉に思い出した。
そうだ。うちの領主、娘に激甘だった。それに、アーバン様は姪狂いだ。こんな緊迫した場面でも、ブレることないんだ。
狩人達から生暖かい空気すら漂う。
「しっしかし、スライムは素早いのでこれだけの量の塩をかける前に逃げられるのでは!?」
塩を運んだバレリー領の狩人が案そのものの実行が難しいことを指摘する。
捕食対象にならない限り、よっぽどのことがなければ攻撃はされないが、スライムの動きは機敏で大人しく塩をかけられてはくれないだろう。
「ん?どうした?」
エマがレオナルドの服を引っ張る。
視線でヴァイオレットを示している。
「ヴァイオレット、かしてくれるのか?」
コクンッとエマが小さく頷く。
エマの横にくっついていたヴァイオレットをレオナルドが頭に乗せてにっこりと笑う。
「え?ちょっと!え?」
「いや?あの、え?でかっ蜘蛛でか!」
「ん??ん?え?」
ヴァイオレットの存在を知らない狩人達が何をどう突っ込めばいいか悩んでいる。緊急事態のために、今まで見てない振りをしていた大きすぎる蜘蛛を領主が満足そうに頭にのせている。何の解決にもなっていない上に正気を疑う。
「取り敢えず、一番小さいのからやってみるか」
そう言って塩の入った大きな白い紙袋を担ぐ。
「りょっ領主!ちょっと待っ!!」
バビュン。
狩人が止める間もなく、レオナルドが一瞬で消えた。
消えたっと認識すると同時に遠くでザァァと塩が溢れる音が聞こえた。
「えええええええええええええええええ!!!」
バビュン。
狩人の驚きの声が終わる前に、レオナルドが目の前に現れる。
「えええええええええええええええええ!!!」
再び、狩人が驚きの声をあげる。
驚く狩人達を無視して、塩の袋を新たに持ったレオナルドが消える。
バビュン。
バビュン。
三匹のスライムの上に10秒かからずにこんもりと、塩が被されていた。
狩人達は口をあんぐり開けたままで固まっている。
「いやいや、初めてやってみたけど、ヴァイオレット凄いなー!」
全く疲れを見せず、レオナルドが爽やかに笑う。
「お父様が一番速いですよ!」
「ヴァイオレットの能力はその人の運動能力に比例してスピードが上がるみたいですね」
ゲオルグとウィリアムが父に駆け寄る。
「スピード……というよりは身体能力全般が上がってる気がする」
狩人達は口を閉じることが出来ない。
「にゃー?」
かんちゃんが首を傾げている。
三匹のスライムからの攻撃が止んでいた。塩を被された後は、その場でもがき苦しんでいる様にうねうねと波打っている。
「え?スライムが変だ!」
「これ、いけるかも!」
ゲオルグとウィリアムの言葉で口を開けたままの狩人達の首がギギギっと軋む様なぎこちない動きでスライムの方に向く。
「「「はあぁぁ!?」」」
そして、また、驚きの声をあげる。開いた口が塞がらない。
スライムが苦しんでいる。
それはこの世界では誰も見たことのない光景であった。
数分も経たず、動かなくなり、スライムが塩で溶けたように見えなくなった。
「……?本当に倒した?スライムを?」
「塩で?……え?塩で?」
「いや、スライムだぞ?え?」
「ま?ま?ま?まじ?」
やっと口が利ける様になった狩人達がそれぞれ目を擦ったり、眉間を揉んだりしている。
かんちゃんが近くのスライムの塩の山まで行ってスンスン臭いを嗅ぐ。
「にゃー?」
前足で塩山を崩すと、爪に何か引っ掛かっている。
ゲオルグとレオナルドも近づき、引っ掛かっている物を見る。
「……サ◯ンラップ?」
ぽつりとレオナルドが呟く。
「あ、それ俺も思いました」
それは、薄くて透明な転生前の世界でお馴染みのサ◯ンラップにしか見えなかった。他の二匹のスライムも同じようにサ◯ンラップになっていた。
直接触ると溶ける筈のスライムだが、この状態だと溶けることはなかった。
サ◯ンラップよりは、くっつきにくい。
ぺらっぺらの透明なそれは、ほんの少し前まで命がけで戦っていた魔物とは思えない。
「所詮、スライム?」
すると、ウィリアムが走ってくる。
「エマ姉様が、水分含むと復活するかもしれないから、今の内に丸めて局地的結界ハザードの穴に返せって言ってます!」
「え?なにそれ?こわっ」
ゲオルグが急いでくしゃくしゃとスライムラップを丸めて穴に詰め込む。
三匹とも丸めて詰め込んだ後で、出てこない様に塩で蓋をする。
国を滅ぼしかねない大災害、局地的結界ハザードはこうして幕を閉じたのだった。