スライム。
「エマ!!!」
ゲオルグがエマに向かい走るが間に合わない。
水鉄砲がエマに届く寸前でヴァイオレットが吐いた蜘蛛の糸が間に割り込む……が。
「!!!!」
蜘蛛の糸によって直撃は免れたが、水鉄砲の飛沫がエマの右側半身に降り注ぎ、焼けるような痛みに襲われる。
「あっ……つっ!!」
その場で踞るエマに容赦なくスライムの2発目の水鉄砲が放たれる。
「エマっ!!」
間一髪、ゲオルグがエマを抱えて避ける。
そのまま庭の木陰まで一気に移動し、エマを確認するために一旦降ろす。ヴァイオレットが木の間を利用して、素早く巣を張りスライムから二人を守ろうとしてくれる。
「エマっ大丈夫か?」
呻き声を聞いてエマを見たゲオルグの表情が歪む。
飛沫がかかった部分……顔を含む右側上半身の皮膚が所々で赤くなり溶けていた。
特に一番多くかかった右腕の一部は侵食が続いているようで、傷口がどんどん広がっている。
「兄……様……ごめっ……ちょっ……と……痛い……かな?……っっ!つっ!」
喋ろうと口を動かす度に溶けた頬が引き吊り痛みが走る。
「くそっ女の子なのに!!」
少し動くだけで、皮膚が破れ血が流れ出す。右腕の侵食が止まらない。このままだと骨まで溶けて、右手を失うことになりかねない。ナイフも何もない、迷っているこの一瞬でさえ侵食は続く。
「悪い、エマ!痛いけど我慢しろよ!」
侵食が続く右腕の傷口を思いっきり噛み千切っては吐き出した。
「いっっ!!☆#%〒§&*‡!!ンンン!!ひっ!」
痛みで暴れようにも、ヴァイオレットを頭に乗せた兄の力は強く、押さえつけられていては、ただ耐えるしかなかった。
ゲオルグは最後に噛み千切った肉を吐き出し、エマの頭に結ばれていたリボンで右腕を止血すると直ぐにぐったりしたエマを抱えて走る。
口の中がスライムの体液でチクチクと痛むのでもう一度ぺっと吐き出す。
もうすぐそこまで、スライムが迫っていた。水鉄砲は撃ってこない。
エマは、ゲオルグの腕の中で痛みで朦朧としながらも必死で考える。観察した情報を組み立てようとするが上手くいかない。
①スライムは水鉄砲を撃つ度に少しずつ小さくなっているように見えた。
②一匹目のスライムは10発以上水鉄砲を撃っているが、二匹目は2発撃った後は撃つ素振りがない。
あと一つ違和感。ゲオルグに体当たりするときも、今も最短コースで追ってきていない。単純な生物ほど単純な行動を取るはずなのに何故?
「ゲオルグ兄様!!」
息を切らせてウィリアムが、帰って来た。手にはビネガーの瓶数本とレモンを抱えている。
ゲオルグに、抱えられてぐったりしているエマに気付き駆け寄る。
「姉様顔が!」
右の頬がぐずぐずと溶けて血塗れになっている。自分が傷つくよりも何倍も痛そうにエマを見るウィリアムを安心させようとエマは何とか口の端を無理やり上げる。頬に引き吊るような痛みが走る。
「ウィリアム、スライムは二匹いる。小さい方がエマを狙っているからそっちから試してくれ」
努めて冷静に話しているゲオルグだが、エマの状態は深刻だった。すぐにでも治療したい所なのに、二匹目のスライムを倒さない限りはエマを逃がすことができないのだ。一度捕食対象とされたものは捕食されるまで狙われ続ける。
二匹目のスライムはゲオルグが噛み千切ったエマの右腕の肉を、幾らか滴り落ちたエマの血液を捕食しその分少しだけ大きくなった。
ウィリアムが絶妙なコントロールでレモンをスライムに投げる。
見事命中したが、ぽいんっと間抜けな音で跳ね返されただけだった。
「あっ打撃効かないんだった……」
ウィリアムは戦闘に関してはポンコツだった。
気を取り直して、ビネガーの瓶をスライム近くの木に目掛け投げると木に当たってガラスが割れ、中のビネガーがスライムにかかる。
「これでどうだ!?」
スライムはビネガーの水分を吸収し、また少し大きくなった。
「駄目か!」
ウィリアムが悔しそうに叫ぶ。
「まだ……よ!中和させるな……らまだまだ量がいる……液体は吸収されて……るなら望みはあるかもしれない」
エマがゲオルグの腕の中で痛みを堪えてウィリアムに伝える。
一匹目のスライムは再び水鉄砲を撃ち始め、ゲオルグはエマを抱えたまま器用に避けている。なるべく衝撃を与えない様に動いてはいるが、着地の度にエマが小さく呻く。
次々とウィリアムが二匹目のスライムにビネガーを浴びせるがダメージを与えているようには見えない。
「っ駄目だ!全部使いきったけど、スライムが大きくなるだけだ!」
持ってきたビネガーを使いきり、途方に暮れる。
「でも……確実に動き……は鈍って……る」
一生懸命話すが口が上手く動かない。
多分、スライムを中和するにはビネガーでは酸が低いのだろう。でも、効いていない訳ではない。僅かだが、二匹目のスライムの中が濁っている。あれから水鉄砲も撃てていない。
一匹目のスライムはいつの間にか大きさを取り戻し、また10発ほど撃ったあと、水鉄砲が止まる。何かある筈なのだ。半身が熱い。体に力が入らない。
「…………ウィリアム、お前は一旦逃げろ」
三兄弟の生存優先順位はウィリアムが一番である。
ビネガーが決定打にならない以上、弟を生かさなければならない。幸いなことに局地的結界ハザードの穴の大きさは見つけた時のままで、広がる様子はない。あの大きさなら他の魔物は通ることは出来ないだろう。三匹目のスライムが出る前にこの場からウィリアムを離さなければ。
「そんな!兄様っ」
兄の有無を言わせぬ顔を見て黙る。腕の中の姉は意識がないのか、体がだらんと弛緩してぴくりとも動かない。
「っと!」
一匹目のスライムがゲオルグに体当たりする。避けた衝撃でまたエマの体に痛みが走る。おかげでふっと意識が戻った視線の先にスライムがいた。
不思議と、スライムが通った芝生は青々と元のままで溶けている様子がない。
スライムの本体は、少なくとも外側は液体ではない。当たり前だ。そうでないと丸く形作ることなど出来ない。
では今、何故不思議と思った?何が引っかかった?もう少しで何か掴めそうなのに……また、意識が遠退いていく。
「こっちだ!!!早くしろ!!!」
ガヤガヤと人の気配が近づいてくる。バレリー領の狩人が集まって来た様だ。
「王子!!!何故!?」
10数人の狩人を引き連れ、エドワード王子が走ってくる。
ゲオルグがまた、スライムの体当たりを避けてから舌打ちする。
「ウィリアム!王子を連れて逃げろ!」
「はっはい、何で王子が!!」
しかし、エドワードはウィリアムの制止を振り切り真っ直ぐエマを抱えたゲオルグに向かって走ってくる。
「なっっっっ!!あれは!スライムか!」
「二匹も!!?」
「たった三人で二匹のスライムを相手にしていたのか!?」
狩人達が驚きの声を上げている。
三兄弟の周りの芝生は殆んど溶けている。スライムの攻撃を幾度となく避けていることにあり得ない……と全員が息を呑む。
「エマ!?何があった?エマ!エマ!?」
王子が血塗れのエマを見て夢中で呼びかける。王子の声でエマの意識が浮上する。
何で……王子がいる?素人が狩り場にいては……。
「王子!スライムが来ます!避けて!」
ゲオルグがスライムが王子に向かないように離れる。そのままスライムはゲオルグの方へ体当たりするが、その前に……王子が反射的にスライムを持っていた剣で切った。
「なんてことを!!」
ウィリアムが後ろから叫ぶ。
最悪、自分とエマが死ぬだけで被害が収まる様に動いていたのに、ゲオルグが舌打ちして王子を自分の後ろに隠す。
一匹目のスライムが切られた所で分裂し、三匹目のスライムを作ってしまった。
三匹目のスライムの捕食対象は、勿論剣で切った王子になる。
バレリー領の狩人から悲鳴が上がる。
「なっ!切っても死なないだと?」
王子が驚きの声を上げるが、王子以外は全員知っている。
狩り場に素人がいることほど危険なことはない。捕食対象にされた王子は逃げることすら叶わない。
「見ただろう。何故王子を連れてきた?」
青い顔をした狩人達にゲオルグが怒る。
「俺は、二匹で手一杯だ!王子は死ぬ気でお前らが何とかしろ!」
エマを抱えているゲオルグは自動的に二匹から攻撃を受けている。
二匹目のスライムの動きが鈍いのとヴァイオレットのお陰で何とか凌いで来たが、三匹目までは相手に出来ない。
エマを抱え、両手がふさがっているので王子を庇うのも限界がある。
一番年かさの狩人が一言ゲオルグに謝り、王子の剣をもぎ取る。
スライムに対する時は剣を持ってはならない。どんなに細かく切ったとしても分裂して増える。
スライムが増えるごとに捕食対象が、命の危険に晒される人間が増えるのだ。
あと、二時間。
このままスライムが増えず、攻撃を避け続ければパレスの父と叔父や狩人が来てくれる。パレスの猟犬なら離れていてもあの笛の音を聞き分けている筈だ。パレスにはエマが作った塩酸がある。あれならスライムを倒せるかもしれない。
…………でも。
エマはもたない。
ゲオルグの服はエマの血でぐっしょりと濡れていた。
この世界で輸血の概念はない。血が流れすぎている。エマはもたない。
それでも、ゲオルグはエマを抱きかかえる。
もたないエマは捨て置いて、王子を守るのが本当は正しい。
…………でも。
出来ないのだ。
ゲオルグは、航は、
エマの、港の、
お兄ちゃんだから。妹を守るのがお兄ちゃんだから。