王子と三兄弟。
ゲオルグとウィリアムは図書室に入る。
スチュワート家の屋敷にある図書室と比べると広くて蔵書も多く、内容も多岐に渡っている。
直ぐに王子を見つけ、臣下の礼をする。
「エドワード殿下は勉強熱心ですね」
基本勉強嫌いのゲオルグが尊敬の眼差しで声をかける。
王子の前に積み上げられた分厚い本はタイトルだけで難しい内容だと判るものばかりだ。
エドワードは視線を本から兄弟に移し、ため息をつく。
「君たちは今日も遊びに来たのか?」
お茶会以降毎週のごとく訪れては、母親を褒めちぎりヤドヴィガを手懐けて、使用人にまで気に入られている様だった。
あんなわかりやすいご機嫌取りに気を良くする母親も姫も使用人も正直バカなんじゃないかと思う。
心配すべきはこれからの王都での立ち位置だ。
今まで王の寵愛だけでなんとかやって来たが、母親も30歳を過ぎ若さを保つのに必死だ。他にやることは無いのかと呆れる位毎日、毎日自分を磨いている。
そんな母親が王都でなんと呼ばれているか、本当に頭が痛い。
自分は王になるつもりなど無いし、なれるとも思えない。5つ上の第一王子は申し分ない人柄だし、才覚もある。自分も第二王子として、この王国のために今は少しでも学ばなければならない。
目の前の辺境の金持ち伯爵とは立場が違うのだ。
「今日はローズ様にドレスを何着か作ってきました。今、試着されているので終わったら王子も一緒に見に行きませんか?きっと物凄く綺麗ですよ。姉のデザインしたドレスは評判が良いのです」
ウィリアムがにこにこと柔らかい笑みで貢ぎ物アピール&姉アピールをしてくる。どうにかしてスチュワート家のエマを自分の婚約者にしようと画策しているのだろう。見え見えの媚びは不愉快極まりない。
「悪いが勉強が忙しい。私には遊んでいる暇など無いのだ」
少し嫌みに聞こえるかも知れないが、この位言えば自分は他の連中のようにバカみたいに騙されないと伝わるだろう。
家庭教師に出された問題を今日中に済ませなければならないのに、目当ての本が見つからずイライラもしていた。
「よろしければ、お手伝いしましょうか?」
「君に出来る問題ではない」
ウィリアムの言葉を即座に否定する。実際の年齢は知らないが、どうみても年下である。
「殿下、ウィリアムはこう見えてもオレより頭が良いんですよ。聞くだけ、聞いてみては?」
兄のゲオルグが助け船を出すが、そこにプライドは無かった。
無造作に問題用紙をウィリアムに投げる。出来るものならやればいい。そもそもなぜに家庭教師は大昔の法律の問題なんか出すんだ。資料自体見つからない。
一通り目を通したウィリアムがふむ……としばし考える。
解るわけがない。
「これは、問題が間違っていますね。資料見つからないでしょう?」
ウィリアムが気の毒そうにこちらを見る。
躓いている問題を指差し、
「王歴256年にはこの法律は存在しません。これが出来たのは王歴326年の局地的結界ハザードが起こった時です」
「結界ハザード恐いよな」
ゲオルグが急に真面目な顔になる。
局地的結界ハザードとは、魔法使いに変異した者が現れない時代が長く続いた時に、結界の端ではなく局地的に結界に穴が開く現象の事を言う。
結界の端にある領には常に腕の良い狩人がいるが、そうではない領には狩人すらいない所も当時は珍しくなかった。
326年の局地的結界ハザードは、まさに結界の中心近くの領でハザードが一度も起きたこともなく狩人もいない場所に突如として現れ、甚大な被害が出た歴史的悲劇である。
もともと軍を持つことも許可されていない領で戦う術を知らない者ばかりだった。一番近い狩人がいる領から穴にたどり着くまでに3日を要し、その間領民は蹂躙され続けたのだ。
穴は狩人により特定され、魔物の殲滅と穴の回りに壁を巡らせる作業が同時進行で行われた。
この時魔物を殲滅するのに動いた狩人は10人ほどで、たった10人の狩人が居なかった為にこの領は1200人以上の犠牲者が出た。
倒し方を間違えると爆発したり、仲間を呼んだり、呪われたりと魔物の処理は難しい。二次被害、三次被害が次々と起きたことも犠牲者を増やすことになった。
そこで出来たのが問題にされている領主魔物管理6ヶ条である。
①領主は最低限魔物の知識がなければならない。
②ハザードが起きた時のマニュアルを作成し、王政府に提出し許可をもらわなければならない。
③領主一族の男子は王都の学園にて狩人としての教育を最低三年間は受け、狩人としての知識と力を身に付けなければならない。
④辺境の領主はハザードが起きた際、積極的に協力し救済しなければならない。
⑤辺境の領主は自領で、定期的に魔物の出現の無い領の狩人を受け入れ教育しなければならない。
⑥魔物の出現の多い領は減税される。
「近年、魔法使いの変異が現れないので出題者も局地的結界ハザードが起きた時の対処法を王子に意識して欲しかったんでしょうね」
そう言いながらウィリアムは問題に対する的確な資料に成りうる分厚い本を王子に手渡す。王子は驚きながらもその本に目を通し、更に驚く。
領主が覚えるべき最低限の魔物の知識がずらずらと書かれている。
恐ろしいことにこの分厚い本全てがそれで埋まっている。更にはタイトルには第一巻の文字。
「最低限知識範囲は、第一巻~第六巻までです。ハザードで出現する魔物はある程度限られるので」
ウィリアムがにっこりと王子に説明する。ゲオルグはウンザリした表情でさらにとんでもない事を言う。
「うちのように結界の端にある領は出現する魔物の種類が多種多様なので第一巻~第三十二巻覚えることが暗黙の了解となっています。それでも全てが本に載っている訳では無いので、5~10年位に一冊新しい本が出ます」
ここまで努力して、辺境の領主が得られるのは減税だけである。この法律が出来てから辺境の領主の没落が絶えない。代わりの領主が直ぐに用意出来るわけなく、隣の領主が兼任することが大半だ。その為に辺境付近の領は軒並み土地が広い。
スチュワート家はこの法律が出来てから代々意識的に頭の良い人間か武術に長けている人間を伴侶に選ぶ様に教育される。母メルサも王都の学園一の才女であった。父が土下座して嫁に来てもらった話はスチュワート一族では武勇伝として語られている。
「知らなかった……」
王子がぽつりと呟く。
この国で一番大変なのは自分達王族であるとずっと思っていた。しかし、他国との交渉術や人心掌握術、帝王学、毎日、毎日やっている勉強に命の危険はない。
ゲオルグは既に魔物を狩りに行っていると言う噂は耳にしていたが、この本に載っている図の様な恐ろしい魔物と日々対峙しているのだ。
王都でもバレリー領でも魔物が出ることはほぼ皆無だ。ページを捲るごとに魔物の恐ろしさが伝わる。
「こんな……恐ろしい魔物と対峙して怖くはないのか?」
エドワード王子が素直な質問をゲオルグにぶつける。
「いや、俺は体動かす方が得意なので……。逆に王子の様に何時間も図書室に籠って本を読むことの方が恐いですね」
苦笑いしながらゲオルグは答える。得意不得意は誰でもある。ウィリアムは頭が良いが力が無い。エマは行動力と発想力はあるが常識が無い。
「俺がラッキーだと思うのは俺の苦手な所を妹と弟が補ってくれることですね。一人だとやはり限界があります」
あの父でさえ、魔物の知識を覚えるのには苦労したと言う。母のサポート無くしては無理だったと勉強に挫けそうなときに話してくれた事がある。
「兄様……」
普段から蔑ろにされがちな末っ子のウィリアムだが、王子の前で褒められ、必要とされ感動している。
エドワードは外面だけを見て、スチュワート家を誤解していたと気付く。
ゲオルグは妹弟を認め、自分の弱さを認め、強さを肯定できる確りとした長男。ウィリアムは兄姉を土台から支え、賢さをひけらかす事なく控えめに自分の役目をこなしている。ではエマはどうだろう?
「では妹はどんな役目を果している?どんな子なんだ?」
王子が他人に興味を持つことは初めてであった。
えっ?とゲオルグは一瞬戸惑いながら答える。
「エマは……その……可愛いです。特に笑顔が可愛いです」
兄弟から見てもエマは変わっている。人の考えの斜め右を左折する。訳のわからない行動の末、何故か正解の道をショートカットして辿り着く。王子にそのまま伝えて良いものか……良いわけがない。答えがしどろもどろになるが可愛いのは事実である。スチュワート家の男にはそういう呪いがかかっている。ウィリアムに視線で助けを求める。
「ぼっ僕も最近お茶会をして気付いたんですが、姉は物凄くモテます!姉がニッコリ笑うと軒並み皆、恋する顔に変わるんです」
姉の人に言っていい褒め所が難しい。虫の知識は膨大で天才と言ってもいいが令嬢としてどうだろう?食い意地が張っているのは良い所では無いし、ウィリアムに対しては毒舌なので優しいとは言えない。
兄弟の必死の気遣いを勘違いした王子は爆弾発言する。
「つまり、私の婚約者にふさわしいと?」
「「そんなわけ無いじゃないですか!!!!」」
兄弟が揃って大声で叫ぶ。
「エマは俺の側からなるべく離しませんよ!(何するかわからないから心臓に悪い!)王家などに嫁がせる訳には行きません!(国がどうなっても良いんですか?)」
「そうです!姉様を家族から離すわけ無いじゃないですか!(そんな無法地帯虫だらけになるよ?)」
「「絶対に王子には嫁にやりません!(これ以上の被害者を出すわけには行きません!)」」
二人の剣幕に王子は驚きと共に、全く興味も無かったエマへの関心が生まれる。男兄弟が騎士の様にエマを護っている。さながら自分は大事な姫を奪わんとする敵となった気分だった。
そこへ、
「まあまあ、エマちゃんは本当に愛されているのねぇ」
図書室の入口から母の声が聞こえる。
振り向いたそこには、品の良い紺色のドレスを纏った母の姿があった。今まで身に着けていた肌を出すドレスとは違い、極限までに露出を抑えている筈なのに、ピッタリと体の線に添うように作られたそれは不思議と一番セクシーに見えてしまうのだった。初めて母を心から美しいと思ってしまった。
先程ウィリアムはエマがデザインしたドレスだと言っていなかったか?
ヤドヴィガが袖を引っ張る。
「おにーしゃま、お母しゃま凄く綺麗でしょ?」
思わず頷きかけるが、先に恥ずかしさに襲われ口をつぐむ。
「もーおにーしゃま!思っていることは意外と伝わらないんだよ?ちゃんと言わないとー」
ヤドヴィガがエマに言われたことを真似て王子に文句を言う。
小さなヤドヴィガから諭され、何故か今日は素直にエドワードはそうかもしれないと思えた。
「あの……お母様、とても似合っています。凄く綺麗で見とれてしまいました」
恥ずかしくて、顔を見られず言ってしまったものの返事の無い母の反応が気になり顔を上げると……母は涙ぐんでいた。そして、とてもとても嬉しそうに王子を抱き締めに来る。
何年ぶりかの母の抱擁に自分は何を意固地になっていたのかと反省する。綺麗と言われただけでこんなにも喜んでくれる可愛い人に自分はどれだけ冷たい目を向けていたのか。
騎士になろう。
その時ふと思った。
自分もゲオルグとウィリアムの様に、母とヤドヴィガの騎士になろうと。
父王の寵愛が無くなれば、二人を護れるのは自分しかいないではないか。
母の肩越しにニッコリと笑うエマの姿があった。
スチュワート一族のお姫様の心からの笑顔が。
これは、反則だ。
なんて、なんて可愛い笑顔なんだ。
姫を奪うのはいつだって王子の役目。そんな思いが頭を過る。
一気に顔に血が昇るのがわかった。どうしよう。エマの前には手強い騎士が二人もいるのに。あの笑顔を自分の物にしたくなってしまった。
エマの笑顔を見たエドワード王子が恋する顔に変わったのを、ゲオルグとウィリアムが見て、頭を抱えている。
(何でなんだ?姉様?まだ一言も王子と喋ってないよね?)
(エマ……お前、今この状況で図書室にある昆虫大図鑑見付けてんじゃないよ!その笑顔早く仕舞えよ!被害者が増える!)