着せ替え人形。
王子と姫を招待したお茶会から1ヶ月。
スチュワート伯爵家と側室ローズは頻繁に交流していた。
ローズの実家、バレリー侯爵の屋敷を訪れた三兄弟は大量の荷物を持ってきていた。
「エマちゃん今日はお泊まりだとしても随分と大荷物ね、何を持ってきたのかしら?」
使用人だけでなく、三兄弟も大荷物を持って屋敷に入ってくる様子を二階の窓からローズは眺めていた。
「お母しゃま、エマちゃん来たのですか?」
ヤドヴィガ姫が母を見上げながら嬉しそうに聞いてくる。
お茶会の時は人見知りしてほとんど話さなかった姫だが、この1ヶ月でエマとおしゃれをして遊び、ゲオルグに肩車してもらい、ウィリアムに甘いお菓子で餌付けされているうちにすっかり懐いてしまった。
兄のエドワードと違い、子供らしい遊びにも全力で付き合ってくれる三兄弟は姫にとっては初めての友達と呼べる相手だった。
「ええ、ヤドヴィガ今日は何して遊ぼうかしら」
ローズも嬉しそうに答える。あれだけ毎日イライラしていたのが嘘のように穏やかな顔をしている。三兄弟は会う度に欲しい言葉をくれるし、王子や姫の黒髪を崇拝する素振りも全く無かった。顔を窺いながら恐る恐る母に話しかけていた姫も最近では甘えて来るようになり、娘との親子関係すら改善されている。
あのお茶会からずっと穏やかな幸せな日々が続いているのだ。
それなのに、思いがけず王都に帰って来いという手紙が届いた。
王からの命令は逆らえないので急ぎ準備をする中で、スチュワート伯爵家にも来週、王都に帰ることになったと手紙で知らせた。
三兄弟からは王都に発つ前に一度お伺いしたいとの手紙が来た。
それならばと最後なんだからお泊まりにいらっしゃいと提案した日が今日なのだ。
お互いの屋敷を行き来するには馬車で3時間以上かかるために、毎回滞在時間が短いと残念に思っていたので、ローズもヤドヴィガも今日のお泊まり会を心待ちにしていた。
コンコン……と控えめにノックされ、執事が大量の荷物と共に三兄弟を連れて入室する。三兄弟の寝室は用意してあるので、お泊まり用の荷物ではないみたいだ。
「ローズ様。スチュワート伯爵家のゲオルグ様、ウィリアム様、エマ様がお見えです」
執事の後ろにも使用人達が数人、荷物を持っている。
「皆さん、運んでもらってありがとうございます!」
エマの言葉にゲオルグとウィリアムも一緒に礼を言う。この三兄弟は屋敷の使用人からコックやら庭師やらどんな人間にも割と直ぐに感謝の言葉を告げる。
「滅相もございません。これが私共の仕事でございますので、ではお飲み物を用意して参ります」
普段から当たり前のようにしている仕事に礼を言われ、執事も使用人も一瞬動きを止めたが、ベテランの執事が如才なく答えて退出する。
「エマちゃん達は誰にでもありがとーて言うのねー?」
姫がなんでなの?と聞いている。王城ではあまり見られない光景であるから不思議なのだろう。
貴族も伯爵くらいになれば、屋敷に使用人がいるのが当たり前である。執事の言うとおり、それが仕事でありお礼を言われる事でもない。
「姫様、感謝って意外と言わなきゃ伝わらないんですよ?お仕事だとしてもしてもらって嬉しかったらありがとうって言っていいんですよ!」
エマが腰を落とし姫と目を合わせて話す。
ヤドヴィガがふんふんとエマの言葉に相槌をうち、
「じゃあ、エマちゃん達!今日お泊まり来てくれてありがとう。ヤドヴィ凄く嬉しいの!」
「ぐうかわ!!」
ウィリアムが奇声を発した。
「姫様、私も嬉しいです。ありがとうございます!ローズ様も、本日はお招きありがとうございます!」
ここでやっと3人が臣下の礼をする。
早い段階で、堅苦しい挨拶はしなくていいと言ったのだが、取り敢えず一回だけでもローズ様の美しさに敬意を表させて下さい!と懇願されてしまったために、三兄弟は毎回それはそれは丁寧な礼をしてくれるのだった。
「さて、今日は何して遊びましょうか?」
交流と言っても基本、遊んでいる。
社交界の情報交換や貴族間の牽制やマウンティング、弱いものいじめ等々王都で交流すると言えばこの類いなのだが、三兄弟は全くもってそれをする素振りがない。
遊びと言っても湖畔に舟を浮かべ優雅にお茶を楽しんだり、宝石商を呼び寄せアクセサリーを見繕ったり、自慢のコレクションを見せびらかしたり所謂貴族の遊びではなく、かくれんぼや鬼ごっこといったヤドヴィガがメインの遊びである。
「僭越ながら今日は……」
堅苦しい言い回しを見とがめて注意する。
「エマちゃん?臣下の礼が終わったあとは?」
「すみません!言葉使いは友達!でした!」
伯爵家の癖に三兄弟は敬語が下手くそだ。自覚もあるようで、常に仰々しくなるので普通に話せと言ったのが前回のままごとの時だった。
コホンっと小さく咳をしてエマが話し直す。
「ローちゃん今日は着せ替えごっこをしよう!」
言葉が雑になると緊張も和らぐのか、実に生き生きしている。
「では、お人形を持ってこさせるわね」
「その必要はありません!」
ウィリアムがポケットからキャラメルを出しヤドヴィガに渡しながら答える。敬語が直ってない……。
「お人形はローちゃんがやるんですよ」
ゲオルグがヤドヴィガを膝に乗せながら続いて答える。微妙に敬語が直らない。
「わたくしが?」
きょとんとしていると、三兄弟は目配せしてから持ってきた荷物を解いていく。
「まぁ!」
「ドレス!いっぱい!きれい!」
ヤドヴィガと一緒に感嘆の声を上げる。それは色取り取りのドレスであった。
「本当はあともう少し作りたかったんだけど、王都に戻るって聞いて出来てるのだけ持ってきたの」
エマが一着をローズに見せてから、ローズの方が背が高いので持ってきた荷物の箱の上に乗って肩口をあわせる。
「お母しゃまきれい!」
ヤドヴィガがはしゃいでいる。
合わせられたドレスに触れると信じられないくらいのつるりとした肌触りに驚く。いつも着ているドレスに比べ、露出箇所の少ない品のいいシンプルな紺色のドレスだが布地がいつもの絹とは段違いに柔らかい。
「この……生地は?」
「うちのエマシルクですよ」
ゲオルグがなんでもない様に答える。
「!!!!!!!」
エマシルク!
伯爵の愛娘の名が付けられた絹は、同じ重さの黄金より高価だと言われている、あの?
市場で見ることですら稀で、パレスの絹全ての商品を唯一扱っている商会へのコネがなければ見ることすら叶わないというあの?
あまりの値段に、リボンや小物、ドレスのごく一部でしか使われていない筈のあのエマシルク?
「やっぱり、ローちゃん紺色似合う!知的美人度がすごいわー」
ローズは生地に触れる指すら震えるのにエマは呑気にドレスを掴んで褒めている。
ゲオルグもウィリアムもうんうん頷きながらまだまだある荷物をほどいている。
ぱくぱくと口は動くのに声がでない。よく見ると、このドレス……一部じゃなくて一着全てがエマシルクで出来ている。一着で城が買えるのでは?
「ウィリアム!」
エマがウィリアムに声をかけ、持っていた紺色のドレスをポイっと投げる。
「!!!!!」
正気か?この娘!?
「じゃエマ、次俺のオススメ!」
そう言ってゲオルグが赤いドレスをポイっとエマに投げる。
真っ赤なドレスはエマに見事キャッチされ、またローズに合わせられる。
つるりとした感触は先程のドレスと同じである。
……今投げたのも?エマシルク?正気か?この兄弟……。
目の端では紺色のドレスを受け取ったウィリアムが荷箱にドレスを丸めて入れている。
「ウィリアムくん!ドレスが傷んじゃうから!」
思わず叫んでしまう。叫んだ拍子に赤色のドレスに当たり、心臓がキュっとなる。
「ローちゃんエマシルクはシワにならないし、絹糸一本一本が強いから雑に扱っても大丈夫だよ?」
エマがにっこりして言う。
「お母しゃま!赤いのもきれい!」
エマシルクの価値を知らないヤドヴィガもはしゃいでいる。
赤いドレスは黒の絹糸で細かく花の刺繍がされて、紺色のドレス同様に露出は少なめかと思いきや、ドレスの足元から腰下近くまで深いスリットが入っており、歩く度に脚がチラチラ見えるデザインとなっていた。
「姉様!次は僕のイチオシで!」
ウィリアムがレモン色のドレスをエマに渡す。
レモン色の生地に蔦が絡んでいるような模様に見えるように鮮やかな緑色のビーズが縫いつけられている。
前から見れば初々しい清純なデザインのドレスだが、背中は大胆に開いて布地の無い部分にもビーズが繋がり素肌を心許なく隠す、前後ろで全く違う印象のドレスの生地もまた、エマシルクであった。
「このドレスもきれいですー」
ヤドヴィガがうっとりとビーズがキラキラ反射するドレスを見つめている。
「この三着、着てみて!」
エマがローズ付きのメイドにドレスを渡す。
王子が図書室に居るのでついでに挨拶してくると、着替える間はゲオルグとウィリアムは席を外す。
可哀想なのはドレスを渡されたメイドで、高価過ぎるドレスを持ってガクガクと震えている。
「ロッローズ様!私こんな貴重なドレス触るの怖いです!」
涙目でローズに訴える。
ローズも正直着るのが恐い。すばらしいドレスだが、何かあったときの弁償額を思うとただただ恐い。
「エマちゃん……これを着るのはちょっと……」
「お気に召しませんか?」
エマが不安そうに尋ねる。
「とっても素敵なドレスだけど、汚したり傷が付いたときに弁償できないわ」
一国の側室が情けないことだが、エマシルクはそれほど高価なものだ。
しかし、エマはきょとんと首を傾げて少し考える。
「ああっ!このドレスは全てローズ様のものですよ?私達からのプレゼントです!汚しても傷が付いても弁償などは必要ありませんし、エマシルクは普通の絹より丈夫ですので扱い易い素材です」
「ぷっプレゼント?」
まだ、合わせていないドレスが20着ほどある……これ全部?
「そんな!こんな高価なものは貰えないわ」
金遣いの荒い側室と言えど、ある程度の常識は身に付けている。こんなもの貰っても返せるものがない。
「大丈夫です、この全てのドレスのデザインは私がしました。パターンは兄が引きましたし、縫製も家族でやったので人件費かかってません。スチュワート家の者は物心ついて直ぐ稼業の手伝いをするので一通りは出来るのです」
この短期間に20数着のドレスを作り上げるのはただ事ではないが、家族全員ローズの美しさに触発され、興が乗ったとしか言いようがないテンションであーだこーだしているうちに出来上がってしまったのだ。
家族団欒の時間はずっとローズの話をしながら手だけが高速で動き、ドレスが完成していった。
「それに、サイズもローズ様専用に作ってあるので他の方に着せても合わないですし」
「私専用?」
ローズの金遣いが荒いと言われる原因の一つに既製品では胸がキツく、腰回りが緩くとサイズが合わないために全てオーダーメイドになってしまうことが挙げられる。人並み外れたスタイルのデメリットでもある。
しかし、エマにサイズを測られたことはない。
「私は小さな頃から虫の観察と服作りばかりしていたので、サイズなんかは見ればわかります!」
スチュワート家の稼業とエマの趣味が融合した結果備わった特殊能力で、よく屋敷の使用人の誕生日などでサプライズプレゼントとして服を贈るときに重宝されていた。
この子……ぽやんとした見た目に反して出来る。
ローズは目の前の少女の才能に驚愕した。ドレスのデザインも縫製もプロ顔負けの仕事に見えるし、何よりドレスを作る時には何ヵ所も寸法を測らなくてはならない。見ただけで解るなんてあり得ない。
「でもね、エマちゃん。この生地はとても高価でしょ?」
気になるのはやはりエマシルクの貴重さなのだ。
「エマシルクですか?これは虫好きの私が叔父様の研究を基に改良したもので家に沢山あるんです。商会も中々、買ってくれないので増える一方でローズ様に着て頂ければ無駄にならなくて助かるんですけど……」
「エマちゃんが作ったのー?」
それまで黙っていたヤドヴィガが、ここで急に話しかける。
「そうですよー、絹は蚕と言う虫の繭から出来るんですよ。私は小さい頃から虫が大好きで虫の事ばっかり考えてたので、スチュワートに生まれてなかったらどんな目で見られていたか……」
今も大概奇異の目で見られているが、稼業のお陰で役に立てている。普通の令嬢が同じ様に育てられることは難しいだろう。
この家にして、この子あり。エマは成るべくして成り、育つべくして、育ったのだ。子供の才能をここまで伸ばせるスチュワート伯爵夫妻にローズは尊敬の念を抱く。
「なので、この辺のことは内緒にしてもらえると助かります。私達も来年には王都に暮らすことになるので出来るだけ普通に過ごしたいです。エマシルクのドレスもローズ様だけが着る分には商会も文句は言わないと言っていましたので着てもらえると凄く嬉しいのです」
「メグ……ドレス着せて頂戴」
まだガクガクと震えるメイドに意を決して指示する。ここまでしてもらって着ないわけには行かない。後でメグにもヤドヴィガにも秘密を守るように念押ししなくては。
この日、全てのドレスに袖を通したローズの単独ファッションショーは、三兄弟の絶賛の賛辞と共に幕を降ろす。
ローズの美しさに見慣れている筈の侯爵家の者ですら一瞬、王子と姫を忘れるほどそのドレスは似合っていた。
貴重で高級な生地はローズを引き立てて、胸元が隠されたデザインは逆にセクシーに、大胆に開いているドレスは素肌の美しさを強調し、ローズのローズによるローズのためのドレスは品よく光輝くのだった。