なんぼあってもいい……とはいかない。
「ううう……なんで俺が……」
王城内にある騎士団本拠地へと続く廊下を、一人の騎士が浮かない顔で歩いている。
その手には数枚の書類の束。
騎士団庶民枠試験の合格者名簿である。
運の悪いこの騎士は、結果報告業務を押しつけられたのだ。
本来ならば庶民枠本試験の責任者であるジョナサン分団長の役目であるというのに。
「あー……行きたくないなぁ。でもまあ、仕方ないよなぁ」
嫌だ嫌だとぶつぶつ文句を言いつつも、最終的に騎士はその役目を引き受けた。
なにせ、分団長が王都に帰ってきたのは、実に三年ぶりである。
辺境から辺境へ。
ジョナサン分団長はずっと魔物狩りの応援任務に就いている。
騎士は、分団長が明日にはまた別の辺境へ向かうために、王都を離れなくてはならないことを知っている。
分団長にとっては数年おきにしか帰れない王都での貴重な時間、そりゃあやりたい用事だらけだろう。
年々深刻になりつつある辺境応援任務に、誰よりも長く分団長が率先して就いてくれるお陰で、騎士らは少なくとも月に一度は王都へ帰ってくることができるのだ。
そんな分団長に頼まれては、断れない。
「仕方ないけど、あーでもやっぱり、行きたくないなぁ」
ただ、名簿を提出するだけという簡単なお仕事のはずなのに、どうにもこうにもなんとも気が重い。
騎士は己の手にする合格者名簿を見る度に、不安でいっぱいになった。
試験自体は、例年よりも早く終えることができた。
空が明るいうちに全てが終わるなんて、初めてではなかろうか。
ただ、今日の試験に問題がなかったとは口が裂けても言えないのはたしかで、例年の倍量の受験者に、ムキムキマッスルマリオン嬢の登場……からの、騎士団長の乱入……。
受付業務の間は、今日中に終わるかと心配になるほどにトラブル続きであったが、いざ本試験が始まってしまえば驚くほど順調に進んだのである。
辺境任務の現場を思えば、
「新人騎士なんか、なんぼあってもいい」
と、副騎士団長もよく言っていたくらい最近の騎士は人手不足に悩まされている。
とはいえ、誰も彼も採用というわけにはいかない。
庶民枠はワンチャン受かったらラッキーという心持ちで受ける記念受験者も多く、本当に実力に天と地ほどの開きがあるのだ。
ワンチャンの心持ちで受かった者が、しっかり職務を果たしてくれるのならいいが、大概はそうではない。
特に辺境へ行くことになる騎士は、軽い気持ちで行けばその日のうちに命を落としかねないし、トラウマなんて毎日更新され続けるくらい過酷な現場に身を置かなくてはならなくなる。
現場の騎士の意見としては、最低限敵前逃亡をするような者だけは避けたいというのが正直なところである。
真に恐ろしいのは、弱い心は伝染するということ。
騎士団が集団で動く以上、そのリスクヘッジだけは忘れてはならない。
あの、スカイト領での一件を聞いた後では尚更だ。
実際のところ本試験は、志の軽い者や心の弱い者を篩いにかけることを第一の目的としている。
強い者が残る、単純なガチンコ対決と見せかけて、試験官を務める騎士が受験者の人となりを品定めしているのだ。
だから、庶民枠の試験官には辺境任務で現場に就いている者が選ばれる。
試験が早く終わるということは、今年の上位合格者は、文句なしの実力者揃いだったということ。
それなのに、どうして騎士の足取りは沼地を歩くがごとく重いのか。
「うーん……」
騎士は名簿にちらほらと少なくない数、記されている名前にどうか騎士団長よ、気づかないでくれと神に祈った。
♦ ♦ ♦
騎士団本拠地内にある執務室。
「なんや?」
「こちら、採用が決まった騎士の名簿であります! ジョナサン分団長から預かって参りました!」
副騎士団長の問いに、騎士は間髪入れずに勢いよく答える。
良いのか悪いのか、報告すべき対象である騎士団長は不在であった。
代わりにいた副騎士団長に合格者名簿を提出したが、それを見た副騎士団長の眉がピクリと動く。
「で、では。失礼いたします!」
騎士はさっさと退散しようと目論むも、
「待たんかいっ」
間髪入れずに入った副騎士団長の一声で、まわれ右しようと後ろへ引いていた足をそっと元に戻す。
「な、何かありますでしょうか?」
内心ヒヤヒヤしているが、表情には出さないように騎士は必死に隠す。
背の高い騎士団長とは対称的に小柄な副騎士団長は、性格も色々細かいのである。
騎士団長の不在という己の不運を騎士は呪った。
「いや、何かありますでしょうか? ちゃうねん。お前この名簿、おかしないか?」
「おかし? とは?」
騎士はとにかく必死でとぼける。
今できることはこれしかないと信じてそれはそれは必死で。
西側訛り強めの副騎士団長は、普段は陽気な男だが怒ると怖いのだ。
騎士はこれまでの諸々の訓練で副騎士団長のネチネチとした嫌な怖さを既に経験済みである。
「この合格者の名前んとこ、よぉ見てみぃ!」
「え? ……と?」
副騎士団長が名簿を見せてくるが、騎士はそれでもまだ必死でとぼける。
「見えへんのか? この一番上や、ここやここ! ほれ、声出して読んでみぃ」
しかし、どれだけとぼけたとて副騎士団長は見逃しはしない。
「マ、マー、マリオンであります!」
騎士団では上司の命令は絶対だ。
騎士が名簿の一番上にある名前を渋々読み上げる。
名簿の一番上にある名前、つまり首席合格者の名には【マリオン】とだけ書かれている。
基本、庶民枠名簿にはファミリー・ネームは記されない。
王国では貴族でなくとも姓を名乗ることを許された者も中にはいるが、庶民の大半は姓がない。
識字率の低い階層の中、自分の名前が書けるだけでも凄いことなのだ。
が、
「そりゃ、マリオンやないかい! マリオンゆーたら騎士団長の娘のマリオン嬢やないかい!」
副騎士団長がツバを盛大に飛ばしながら、突っ込む。
【マリオン】は、騎士団長が絶対に合格させるなと言っていた愛娘の名である。
騎士団に属す者なら誰もが知っている。
いや、騎士団どころか王都で知らぬ者はいないくらい、彼女は有名人だ。
「あー……」
庶民枠試験の現場にいた騎士は、この【マリオン】が、騎士団長の娘ではないことを知っている。
なぜならマリオン嬢は、突如乱入してきた騎士団長が理不尽なまでに追い返したのだから。
最初から覚悟していたのか、騎士団長に見つかってしまったマリオン嬢は、大した抵抗もなく帰っていった。
あんなにムッキムキのバッキバキに身体を仕上げていたというのに、なんとももったいな……気の毒でならない。
騎士は居た堪れなさから、この首席の【マリオン】はマリオンでもマリオン違いだと、きちんと説明しなくてはと謎の使命感に駆られる。
「ですが、分団長が言うにはですね。その名簿にある【マリオン】、それはそれは目の覚めるようなピンク色の髪をしていたそうですよ」
実際、騎士も現場で直接そのピンクの髪を見ているのだが、この面倒な事態を押しつけられた腹いせに、全ての責任をジョナサン分団長のせいにしようと、あえて聞きかじっただけのように振舞って、予防線を張っておく。
分団長には世話になっているが、それとこれとは別の話である。
保身は〜大事〜、分団長はピンチ〜。
になろうとも仕方がない。
「あー……。ほな、マリオン嬢と違うかぁ……。マリオン嬢の髪は代々のベル家の色。騎士団長やアーサーと同じミルクティー色やもんな。それやったら、マリオン嬢ちゃうかぁ……」
副騎士団長はそれでもあんまり納得していないような顔で一応、頷く。
「はい。マリオン嬢と同じ髪色は試験の前日、騎士団長に嫌と言うほど見せられましたし、見間違うことはないかと」
さすがに、ミルクティー色とピンク色は見間違わないと、騎士も念を押す。
「しっかし、ピンクの髪っちゅーのもえらい珍しいんとちゃうか?」
様々な色の髪を持つ王国人でもピンクは割と珍しい色である。
庶民枠の試験とはいえ、騎士試験首席ともなれば相当な手練であることは間違いない。
ピンク髪のゴリマッチョかぁ……と、副騎士団長はその首席の男に同情の念を抱く。
「! あの、自分も珍しい色だなとは思いましたが、分団長が言うにはですね? 本試験の姿を見れば髪色なんて、気にならないとかで。何やら剣捌きがすごいらしくて。特にスピードが半端ないらしいですよ。あまりの速さに試験を受けた者達の半分も太刀筋を追えていないようだったと、えーと……そう! 分団長が言ってました!」
騎士は、ピンク色の髪をなびかせつつ疾風の如き美しく繰り出される素早い剣技に、本試験の最中に何度も見惚れてしまっていたことを思い出して、思わず口を挟んでしまう。
もちろん、【分団長】の名を出すのだけはちゃっかり忘れない。
「は? いや、それ、マリオン嬢やないかい! マリオン嬢の剣は疾風の如き目にも留まらぬスピードで、稽古をつけた騎士の中でも有名な話や! 絶対それ、マリオン嬢やないかい!」
副騎士団長が騎士の言葉に、再び突っ込む。
「あ……」
騎士は言わなくても良い事を言って話がややこしくなってきたと気づき、急いで補足説明を始める。
が、あまりに急いだせいで、余計なことまで言ってしまう。
「自分も一瞬そうじゃないかなぁとは頭に過ったのですが……。でも、あの、分団長が言うにはですね? 剣を交わしてない時は、その子、凄いなんか、本当に【可愛いらしい女の子】らしいんですよ」
その首席となった受験者は女性にしては身長は高いものの、身に着けている服や小物は可愛らしいものばかりであった。
ウェーブのかかったピンク色の長い髪に、フリフリレースのワンピース。
自前で持ってきた珍しい形の剣の柄には猫の模様が施され、袖口のカフリンクスには、貴族女子が色々な意味で大好きな一角兎の刺繍……。
こんなに女子女子している格好の女子はなかなかいない、とジョナサン分団長が言っていたと騎士は訊かれてもいなのにペラペラと話してしまう。
「あー……。ほな、マリオン嬢と違うかぁ……。マリオン嬢は学園の令嬢の憧れの君、超絶イケメン男装女子やもんなぁ……」
騎士団長譲りの整った顔に、騎士団長に似つかわしくない愛想の良さ。
正義感強く、女子供に優しい。
年頃の女の子が求める王子様像を100%体現した憧れの君こそがマリオン嬢なのだ。
そんな、王子様に憧れる女子側のような格好、マリオン嬢がするはずがない。
騎士になりたいがために、マリオン嬢はずっと騎士らしい見た目と行動を己に課していたのだから。
……ん?
副騎士団長は一瞬納得したものの、騎士の話の何かに引っ掛かり首を捻る。
そして、もう一度騎士の言葉を頭の中で反芻してからハッとする。
「お前、今、女の子と言わんかったか?」
「あっ! え? え?」
今年の騎士試験合格者に女子が入っている。
騎士は一番気づかれたくなかったことを、自分から言ってしまったのだ。
「どおゆうことや!」
「ひぃっ! じょ、ジョナサン分団長が、さ、採用しちゃいましたぁ!」
副騎士団長に詰め寄られ、騎士は仕方なく白状する。
副騎士団長の顔が怖すぎるのだ。
「っ! まさか!」
騎士のビビり方に、嫌な予感がした副騎士団長は、もしやと急いで合格者名簿を始めから最後まで細かく見直していく。
すると……。
「次席……モルガナ? 一つ飛ばしてゾーイ? 十番目がマーガレット……マーガレット!? は? え? ここも? これも? 待て待て待て待て……ジュ、ジュリエッタ?」
ペラペラと捲る名簿に、チラホラと明らかなる女性名が混じっている。
ほな、マリオン嬢と違うかぁ……なんて言っている場合ではなかったのである。
「おまっ……。女を合格させたんか!? しかも、何人も何人も?」
副騎士団長の顔が怒りを通り越して青ざめる。
「じょ、ジョナサン分団長が、言うには、自分は女性を合格させるなとは、聞いていないって……」
騎士団では上司の言う事は絶対である……が、言われてなければセーフだと、笑っていた分団長に騎士は声を大にして言いたい。
分団長、全然セーフじゃなさそうです、と。
青ざめる副騎士団長の姿なんて、見たことがない。
「どうするんやこれ……」
副騎士団長は頭を抱える。
こんなの、前代未聞だ。
一度合格させた者をやっぱり駄目です、なんて言えば、どんな批判がくるか分かったものじゃない。
騎士は女性を悲しませてはならない。
これは、分団長ごときが独断で決めて良いものではない上に、副騎士団長の自分が判断できる範疇を超えている。
「くっ……ついてこい!」
副騎士団長は震える騎士の胸ぐらを掴み、執務室の扉を開ける。
「うわっ! 副騎士団長ぉ。ど、どこへ行くのです?」
騎士は、副騎士団長に引きずられながら不安そうな声を出す。
「これは騎士団で収めきれる問題ではない。騎士団長……いや、陛下に判断を仰がねばっ!」
現国王と騎士団の距離は、他国よりもずっと近い。
騎士団の問題を手っ取り早く解決するには、国の最高権力者に聞くのが早いと副騎士団長は近衛騎士専用の演習場へと騎士を引きずって行く。
この時間ならきっと王は近衛の演習場にいるはずだ。
いつも通りならば、公務をサボっ……抜けて近衛と汗を流している頃である。
「へ、陛下!? ひぇぇ!」
陛下、と聞いて騎士が悲鳴を上げるが、叫びたいのは自分だと副騎士団長は首根っこを掴む手に力を込めた。




