我輩は猫である。
猫語り
田中諸葛孔明。
長いので、割愛してコーメイと呼ばれている。
生まれてまだ目も開かないうちから母親から言い聞かされていたことがある。何でも先祖が田中家一家に大恩があり、代々我々一族は田中家の家を中心とした三丁目界隈の平和を守るべく縄張りにしているのだと。
時折、霊力の強い猫が生まれたときは田中家の飼い猫として力を役立てる。
目が開いて自分の足で動ける様になった頃、母はコーメイを田中家の庭に連れてきた。
名前を付けて貰うためだ。
野良猫でも名前を貰うことで餌を貰いやすくなり、生存率が上昇するらしい。
しかし、父親一志には気を付けろと母は言った。
母は既に三丁目のボス猫として君臨し、白くてむちむちの体からは想像できないほどの機敏な動きで塀を掛け登る。
無類の猫好きの一志に捕まると長時間拘束されてしまう。
そしてなにより、一志にネーミングセンスなるものはない。
名前を付けるのが一志だった場合はあきらめろ……と。
一志に名付けられた母の名は「白玉もち子」であった。
ボス猫としての威厳が揺らぐ名前である。
幸いコーメイが、田中家の庭で最初に出会った第一田中人は母親頼子で、この少し長いが異様な貫禄のある名前を貰うこととなった。
並外れて霊力の高かった自分はそのまま田中家の飼い猫となり、飯の心配は無くなった。
日々、平穏に暮らしていたが大人になると、ある問題が自分を苦しめることとなった。
自身の霊力の高さ故に、子供が上手く育たない。
腹の中で、母体の力に当てられ死んでしまう。仔猫自体にある程度の霊力がないと形にすらならなかった。
何度かの死産の後、やっと生まれた仔猫も一瞬の隙でカラスに持っていかれた。
その時は情けないやら、悔しいやら、悲しいのか、怒っているのか嵐のように感情が暴れ、狂うかとも思った。
そんな時に生まれたのが港だった。
ある日、突然現れた田中家の赤ん坊はよく泣いた。何かを感じとり、怖れ、異常なほどよく泣いた。
母親の頼子がいない隙に害されないように、守ってやることにした。大概のものはこの霊力で一声鳴けば、蹴散らしてやれる。
隣で寝ると安心したようにいつも泣き止んだ。
ぽかぽかと縁側での添い寝が日課になった。
また、しばらくして平太が生まれ賑やかになった。
平太は喘息を持っていた。
毛が舞うからと家の中に入ることが禁止されてしまい、添い寝の回数は減った。
一志は器用にコーメイ専用の寝床をDIYで庭に作ってくれたが、その時の資材を入れていたダンボールが気に入り、寝床にした。
一志は恨めしげな顔でこちらを見てくるが、大事なのはフィット感だ。このダンボールは最高だ。
港が自力で庭に出てこれるほど成長すると、また、一緒に過ごせる様になった。
その頃には母もち子から縄張りを継ぎ、霊力も更に磨きがかかり、縄張りの内であれば港の恐れるものから守ってやれるようになった。
港が縄張りから出なければずっと守ってやれたのに、幼稚園、小学校と縄張りから出る時間が増えるようになった。
帰ってくる時間を見計らい玄関先の門で寝るのが次の日課になった。
たまに変なモノを憑けて帰ってくるので、油断はできない。
ある時、港の帰りが遅い事があった。
頼子なんかは、今日は友達と遊んでるんじゃない?なんて思っている様だが、港に限ってそれはないだろう。
嫌な予感がした。
すぐに縄張り内三丁目の一族の猫達に招集をかけ、港を探させる。
縄張りの外にある小学校を見に行かせた、ハチワレ猫のバットマン(名付け親:航)が報告に来た。
「ボス、どうやらラブの野郎がみなちゃんを追いかけ回しているそうですぜ!」
いつもは繋がれている犬が抜け出し、その上がりきったテンションで港に絡んで行った……と。
庭で寝ているコーメイに港はいつも言っていた。
通学路にいるラブラドールレトリバーのラブが恐いのだと。
可哀想に港は必死で逃げているだろう。
どうして犬って奴はああも構われたがり、可愛がられたがりなんだ?あんなでかい図体して自分の欲求を抑えることも出来ないのか?
ちょっと教育的指導してやらないと。
ラブを見つけるのは早かった。
森の前でうろうろ、キョロキョロ行ったり来たりしている。
「あんたがうちの港、追いかけ回しているっていう犬かい?」
シャーッっとついつい威嚇しながら話しかける。
こちらの威嚇に犬は既に逃げ腰で後退りする。
「港どこやった?」
犬が不安げに森を見た。
頭に血が上る。
逃げ腰の犬を逃がさず、爪を思いっきり出した猫パンチを数発お見舞いする。
あの森はヤバイのだ。
あの森だけは入ってはいけない。
犬は港を追いかけるだけ追いかけ回し、森に逃げる港を見て初めて正気に戻ったのだろう。
普通に生きている動物なら、あの森の異様さは感じとることが出来る。犬は森に入らなかった、何故なら危険だから。
港を森に追いやっておきながら……だ。
「港に何かあったらただじゃ済まさないからな!」
犬に飛びかかり、耳の後ろを思いっきり噛む。
「キャウン!キャウン!」
犬が吠えながら逃げて行くのを見送ると、コーメイは迷わず森に入った。
アーオ(みなとーどこだー)
アーオ(みなとー返事しろー)
アーオ(みなとー)
この森に入るのは2回目だった。
一回目は仔猫を拐ったカラスを追いかけた時。
あのカラスは、あの悪魔は、この森に住んでいた。
あの時……仔猫は見つからなかった。
港は……港は……港だけは絶対に見つけてみせる。
アーオ(みなとー)
アーオ(返事しろー)
アーオ(頼むから)
アーオ(頼むから)
アーオ!(無事でいてくれ!)
森の闇が刻々と迫ってくる。
夜になる前に出なければ。夜目の利かない港を連れて森を歩くのは危険だから。
せめて、もっと自分の体が大きければ、港を運べるくらい大きければ。
二度と大事な子供を森になんかやるもんか。
港は絶対に返してもらう。
アーオ(みなとー)
アーオ(みなとー)
アーオ(みなとー)
たまに、襲ってくる瘴気を霊力で跳ね返しながら、港を呼ぶ。
……と、森の瘴気をよくよく見てみると一定の方向に流れている。
瘴気を辿りながら森を進み、一番濃く、澱んでいる箇所を注視する。
瘴気で澱んで、視界が歪められてはいるが、微かに港がグズグズ泣く声が聞こえた。
ここまで視界が歪められていたら、人間では見つけられなかったかもしれない。
可哀想な港は瘴気の中で泣いている。あれだけ澱んでいてはきっと動くことも出来ないだろう。
「にゃー」
一声、鳴いて瘴気を霊力で飛ばす。
その声に港が顔を上げる。
「コーメイさん?」
「にゃー」
やっと見つけた。応えながらさらに瘴気を飛ばす。
「迎えに来てくれたの?」
「にゃー」
港の周りの瘴気を全て飛ばし、近づいて膝に乗る。
泣きはらした顔を舐めてやると港がふふふと笑った。
「コーメイさんありがとう!」
「にゃー」
このまま、落ち着くまで慰めてやりたいが闇が迫っている。
すぐに森を出なければ。港についてこいと一声鳴く。
今度は取り返せた。大事な子供を。
世界はすぐに大事なものを奪おうとする。力をつけなければ。
港を守る力を。