男女の比率。
ちょっとだけ遡って、騎士団一般採用試験の前日。
試験の監督をする騎士達は、騎士団長室に呼び出されていた。
あまりにも緊急の呼び出しであったために騎士達は内心困惑していたが、表情を取り繕う。
騎士たるもの、何事にも動じず任務にあたらねばならない。
ポーカーフェイスを崩さぬ騎士達の前で、騎士団長は深刻な面持ちで大事な話がある、と口を開いた。
いつもは毅然とした騎士団長の表情が曇っている。
その切羽詰まった様子に、騎士達は各々がこれはのっぴきならない事態だと察し、覚悟を決める。
命をかけた任務かもしれない。
「よく聞いてほしい。皆、知っていると思うが……今年、マリオンが騎士試験を受けようとしている。つまり……分かっているよな?」
騎士団長の無駄に整った顔が騎士達を真っ直ぐに見つめ……いや睨みつける。
「「「!? ……イッィィイエッサー!」」」
騎士達は立場上、分かっているかと問われれば、分かっていると答えるしかない。
それが騎士団である。
彼らも巷で出回る騎士団長の娘に関する噂を知ってはいたが、まさかわざわざ念を押すためだけに呼び出されるとは思っていなかった。
それでも、縦社会の騎士団では上司の言う事は絶対なのだ。
「この、髪を見ろ! この私の髪色を目に焼き付けろ! もしかしたらマリオンはゴリゴリの男の格好をしてくる可能性がある。もしかしたらあの美しい髪を短く切ってくる可能性もある。もしかしたら偽名を使う可能性もある。だが、この髪色を変えることはできない。皆、この髪色を死ぬ気で覚えるのだ!」
「「「ッイエッサー!!」」」
騎士達の振り絞った返事に、騎士団長は満足そうに頷いた。
「うむ。もちろん、当日の試験には私も同行する。しかしながら、この試験の責任者はジョナサンだ。私はマリオンのこと以外では邪魔はしない。ジョナサン、お前は、お前の職務を全うするのだ。年々、辺境への応援要請が増えている。しっかりと辺境の魔物に対抗しうる人材を確保するように!」
娘のこととは別に、試験には万全を期すようにと、騎士団長は取ってつけたような言葉を加える。
名指しされた分団長ジョナサンは、驚きを隠せずに思わずツッコミを入れかける……が、
「うぇ!? あの、騎士団長? 庶民枠の試験は勝ち抜き戦ですけど? 見極めて精査できるのはむしろ貴族枠の方なんじゃ……? はっ! ぃ、イエッサー!!」
騎士団長の眼光が更に鋭くなったことに気付き、姿勢を正し答えた。
縦社会の騎士団、上司の言う事は絶対である。
ジョナサンに許されている返事は「はい」か「YES」の二つのみだった。
「よし、ではお前達は抜かりなく、髪の色を死ぬ気で覚えるのだ!」
「「「ッイエッサー!」」」
騎士団長の職権乱用じみた命令に、試験の監督にあたる騎士達も声を張り上げ、分団長ジョナサンに続いて答える。
正直なんだかなぁ……とは思うものの、これは応援要請で辺境に魔物狩りへ向かうよりもずっと安全で簡単な仕事だった。
しかも騎士らは、騎士団長の髪色なんて改めて言われるまでもなくしっかり覚えているのだ。
なにせ彼らは世代的に騎士になる以前の幼い頃から、母親によって貼られた騎士団長の絵姿がそこかしこにある家で育ってきた者達ばかりである。
男装し、髪を短くしているかもしれないマリオン嬢を見つけ出し、その申請書類さえ受け取らなければ良い。
試験会場前の一本道で見つけたなら、会場入りを阻止すれば良いし、見つけられなかったとしても申請書類を出す受付は対面で騎士が受け取るのだから見逃すことはない。
簡単なミッション。
そう、思っていた。
◆ ◆ ◆
翌日。
「騎士団長! 大変です!」
試験会場に設置されたテントに、血相を変えて騎士が一人、駆け込んでくる。
「なんだ!?」
テントの中でマリオンに見つからないように大人しく隠れて座っていた騎士団長が訝しげに立ち上がる。
「じょ、じょ、女子が、女子がなんだか多いです!」
テントの入り口を震える指で差し示して、騎士が叫ぶ。
「あ? お前というやつは全く……女性騎士の応募が多いからって喜ぶな! 毅然とした態度で職務を全うしろ!」
庶民枠騎士試験と同時に、今日は女性騎士と呼ばれる騎士の食事等の世話係の応募も行っている。
辺境への同行(といっても結界から離れたところまで)があると知られてから近年応募が激減していたのだが、今年から多少給金を上げたことで志望者が増えたのだろう。
騎士団長は落ち着きのない騎士に持ち場へ戻れとため息を吐く。
「っ……」
いや、そもそも本来なら騎士団長は王宮で会議があったのでは?
今まで庶民枠の試験に騎士団長が顔出したことないでしょう?
と、いう言葉を騎士はぐっと飲み込む。
この世の中は、理不尽なことでいっぱいなのだ。
理不尽を飲み込んでこそ、大人である。
女子が好きなのは否定しないが、騎士だって仕事中はちゃんと仕事をしている。
「ち、違うのです! そのっ、女子達は皆、騎士採用の申請書類の受付の列に並んでいるのです!」
「は? どういうことだ?」
騎士が見たのは異様な光景であった。
騎士採用の列の男女比がほぼほぼ半々くらいだったのである。
はじめ、騎士は並ぶ列を間違ったのかな? っと思ったし、ちゃんと彼女らに声もかけたのだ。
ここは騎士志望の受付の列で、女性騎士採用の受付はあちらですよと。
だが、並んでいた女子達は口を揃えてこう答えた。
「いえ、間違っておりません。私は騎士試験を受けにきたのです」
と。
「あの……自分が思うに、御令嬢の噂が広がったことで、巷で女性でも騎士になれると勘違いした者が試験を受けに来たのではないかと……?」
「は? そんなバカなっ!」
騎士団長は騎士の言葉が信じられず、自らテントの入り口の垂れ幕を上げる。
「! なんだ!? この人数は!?」
試験会場は、賑わっていた。
これまで聞いていた一般試験応募者の人数の倍は軽く超えている。
しかも、騎士が言うようにその半分ほどは女性だった。
普段騎士の訓練に使っている殺伐とした訓練場である試験会場が、なんだか心なしか華やかな雰囲気すら漂わせているように感じる。
「騎士団長! やっぱり女子が多いでしょ!? 見てくださいよ、あの列! 先頭から男、女、男、男、女、男、女……ん? ……ん? ……お、女? 女?」
受付に並ぶ列の先頭から男女の確認をしていった騎士が目を擦る。
なんか、一人、すごいのがいる。
そのあとも男、女、男、男、女、男、女、男、女、女、男、女、男、女、男、男、女……と列は続いていた。
隣でワナワナと小刻みに体を震わせる騎士団長の横で、騎士はあのなんかすごい女子を極力見なかったことにして、男女の確認に集中した。
逆に、騎士団長の視線はそのなんかすごい女子に釘付けである。
最早、ワナワナというか、ガクガクレベルで震える騎士団長に騎士はどうしていいか分からずに、ただ無心で数え、訊かれてもない結果を報告する。
さも、これが朗報であるかのように、今にも崩れ落ちてしまいそうな上司を鼓舞するように声を張り上げる。
「騎士団長! 男子が若干女子より多いですっ!」
「そうか……。そんなことはどーでもいい!! どーでも、いいんだ……」
騎士団長はその場でガクンと膝をつく。
「騎士団長!」
騎士が騎士団長へと手を伸ばす。
こんなしおしおのへなへなになった騎士団長、見たことがない。
「なあ、お前、あれ……どう見える?」
一気に老け込んだようにすら見える騎士団長は、か細い声を震わせる。
「あ……あれって?」
あの、なんかすごい女子のことを言っているのだと騎士は分かっていた。
分かっていて、尚、訊き返す。
騎士団長に、真実を伝えるのが怖かった。
「ふっ……ふっくっ! 分かっているんだろう?」
「え、騎士団長、泣いて?」
騎士団長の目からツゥ……と、一筋の液体が溢れるのを騎士は見逃さなかった。
「言え、あれがどう見えるかを」
騎士団長の声は掠れていた。
たしかに言えと言っているのに、その表情は言わないでと叫んでいるかのように歪んでいた。
「うっ……」
「言うんだ。これは命令だぞ」
騎士団では上司の言う事は絶対である。
言わねばなるまい。
それが、目の前の上司を絶望させることであっても。
「あ……あれは……」
騎士は、なんかすごい女子へと視線を向ける。
もしかしたら見間違いということもあるかもしれない。
一瞬見て、目を擦って、確認して、騎士団長と見比べて、その間違いようのない色に、騎士は覚悟を決める。
「あの、じょ、女子の髪色は……騎士団長と同じ色に……見えます」
騎士は確信だけを言った。
……それ以上、言えなかった。
その子は、騎士団長の予想通り、髪を短く切り揃え、騎士団長の予想とは違い、男の格好ではなくレースたっぷりのドレスを身に着けていた。
騎士は知っている。
騎士団長はずっと娘にあのようなドレスを着て欲しいと願っていたことを。
だが、騎士団長の顔に喜びの表情なんてものは見られない。
騎士団長は予想だにしていなかっただろう。
あの、マリオン嬢がこんなに離れた場所からでも分かるくらいムッキムキになっているなんて。
「いや、あれは違う。絶対に違う……あれはマリオンではない」
何かにすがるように、騎士団長は呟く。
「騎士団長……」
騎士だって俄には信じられなかった。
鍛えに鍛えている騎士団にだって、あれほどのマッチョはそうそういないのだ。
たった一ヶ月やそこらでここまで様変わりするなんて……。
スチュワート家……なんかヤバいもんマリオン嬢に食わせてないだろうな?
「アレは違う! ぜったい、違うんだぁ!」
「あ、騎士団長!」
現実を受け止めきれず、騎士団長がテントから飛び出し、試験受付の列へと走り出した。
「え? あれ!? 列が進んでる!?」
騎士団長が向かう先を見た騎士は、また別の意味で驚きの声を上げる。
騎士団長が絶望している間に、列はどんどんと進んでいたのである。
ムッキムキ……いや、ゴリマッチョ……でなくて、なんかすごい女子ことマリオン嬢は、受付まであと一人というところまできていた。
「ああ……ジョナサン分団長……嘘だろ……まさか、女子も受け付けてるのか……?」
騎士は受付に座る分団長を見て、頭を抱える。
普段は殆ど辺境領に駐屯しているジョナサン分団長は、どの騎士も嫌がる魔物狩りの応援任務に好んで志願する変人である。
男爵家の三男という生まれから貴族枠で入れる騎士団に、これまた好き好んで庶民枠で応募し、ぶっちぎりで試験に合格した話は、二十年近くたった今でも騎士達の間で語り継がれている。
騎士団の中でも五本の指に入るほど実力を持っていながら、出世欲皆無の謎の分団長。
「なんで……」
なんで、よりによって今回の試験の責任者がジョナサン分団長なんだ。
騎士は、巡り合わせの悪さに青ざめた。
もう、試験はめちゃくちゃだ。
始まってもいないのに。




