ジェイコブさんの娘さん。
誤字脱字報告に感謝いたします。
スチュワート家、応接室。
迎えに出た一家に促されるままに、豪華な応接室に通されたイケオジの船乗りと漁師の兄弟は、室内の高級そうな諸々の品を前に青ざめていた。
普通は、船乗りや漁師が貴族の邸宅を訪ねても容赦なく門前払いされるのだが、スチュワート家門番のエバンは彼らを顔パスであっさり通し、一家は一家で快く迎え入れる。
同じ急な来訪であるのに、いつぞやの騎士団長が可哀想になるほど、スムーズかつフレンドリーな出迎えであった。
レオナルドが応接室で所在なさげに辺りを見回しているイケオジ兄弟に、ソファに座るように勧めたが、二人は滅相もないと大きな体を縮こませ、その場で膝をついて頭を下げる。
身綺麗にしてきたつもりではあるが、あそこには、絶対に座れねぇ……座ってはならねぇ……と、イケオジ兄弟二人は目配せもなく意思の疎通を完了させていた。
なぜならば、船乗りや漁師といった荒くれ者ですら察してしまうほどの、どこぞの名高い職人が手掛けた芸術品に違いない精巧な刺繍が施されているソファカバーのせいである。
勧められようとも座るどころが触れることすら恐ろしくてできなかった。
「ジェイコブさんと弟さん、大丈夫?」
応接室の中心で膝をついて縮こまる船乗りのジェイコブとその弟である漁師と視線が合うように、エマが自然な動きで膝をつくと、他の家族達も当たり前のようにその場に座りだす。
「ああ、天使……じゃねぇ……エマ様っ。あの、すんませんっ! 俺達、巷で噂になってる話をどうしても確かめたくて来ちまいました……申し訳ねぇ!」
ジェイコブの弟が頭を地面に擦るほど下げて、声を張り上げる。
が、
「っ!」
あれ? この敷物、すげぇふかふかなんだが!?
下げた額に当たる敷物(最上級の一角兎の毛皮でできたカーペット)の感触に驚き、ジェイコブの弟は目を見開く。
そう、スチュワート家の応接室に死角はない。
「噂とは?」
せっかくソファカバーを作ったのに、あまりにも来る客、来る客座ってもらえないことに、少し寂しくなりつつ、レオナルドがジェイコブの弟の話を訊く体勢をとる。
「へ、へいっ。あの、ベル公爵家の令嬢が騎士試験を受けるっていう噂……ですっ」
見目美しすぎる男装の麗人マリオンは、そのサービス精神旺盛な性格も相まって、王都周辺に住む者ならば知らない者はいないほど人気者であった。
それ故に僅か数日で距離の離れたシモンズ領まで噂が届いていてもなんら不思議ではない。
「あ、ああ。私は今年の騎士試験を受けるつもりではある……が、それがどうしたんだい?」
ベル公爵家では絶対に訪れることのないであろうタイプの訪問者に、戸惑いを隠しきれていないマリオンだったが、それでもスチュワート家に合わせて一角兎のカーペットに膝をつき、ジェイコブの質問に答えた。
「あ、あのっ! し、失礼ながらっ! 女が、女が騎士になれるんでしょうか!?」
ジェイコブの弟が思い切って声を張り上げる。
失礼だと分かっているが、一か八かの勝負に出る。
「それは……」
マリオンは言葉を詰まらせる。
それはマリオンが一番知りたいと思っていることだ。
騎士になるために家出までしたマリオンが、一番不安に思っていること。
そもそも、女が騎士になれるのか。
「えっと、制度的には可能ですよ」
言葉を詰まらせるマリオンの横から、ウィリアムがあっさり問いに答える。
「え?」
「ほ、ほ、本当ですかい!?」
弟の横でずっと黙り込んでいたジェイコブが、膝をついたままウィリアムを見る。
ジェイコブの表情は弟よりも更に、切羽詰まっていた。
イケオジの圧が凄い。
「え、ええ。実は僕、ここ数日王立図書館に所蔵されている騎士関連の書物を一通り読んでみたのです。その中に【女性は騎士になってはならない】といった記述はどこにもなかった。と、いうことはですね? 王国は一応、法治国家なので、法が禁止してないなら【なれる】と、考えて差し支えないと言えますね……」
屁理屈とも取れるような言い回しではあるが、ウィリアムは得意気な様子である。
「ちょ、え? いやいや、待って? 今、騎士……関連……? を、一通り……って?」
マリオンは驚きの声を上げる。
騎士関連書籍……王立図書館の蔵書だけでも相当な冊数である。
数が数だけに誰も実行しようなんて者はいない。
「少々骨は折れましたが、ちゃんと司書さんにもお手伝いいただいて、漏れなく読破したので安心して下さい」
「……は?」
マリオンは信じられなかった。
本なんて十冊も読めば始めの一冊の内容はおぼろげとなり、二十冊も読めば始めの十冊なんてほぼ頭から消え去り、途中で本によって内容が違うと気付いて読み直そうにも、どれだったか分からなくなっているものである。
少なくとも、マリオンの周りにそんなことをしようと言う人間はいない。
これは一度読んだ本は忘れないウィリアムだからこそできるローラー作戦である。
「ただ、……禁止はされてはいないのですが、前例もなかったです」
過去に一人でも女騎士がいればもっと話は簡単だったのですが、とウィリアム。
「いや、でも、まぁ……前例なんて作ればいいだけじゃね?」
大概のことは筋肉で解決してきたゲオルグが、大丈夫、なんとかなるとお気楽なことを言うと、
「じゃ、じゃあ! 俺の娘も騎士になれますか!?」
ジェイコブが目を輝かせる。
「……え? 娘さん? え? ジェイコブさんの?」
ウィリアムはそういえば今、聞いていたのはジェイコブさんの話だったなと思い出す。
「実は、うちの娘が突然、男以上に稼ぎたいとか言い出したんですよぉ~」
ジェイコブは悩ましげな表情で娘について話し始めた。
なにせ娘がお金に執着し始めたのは、病気で家族を困窮させてしまったジェイコブのせいなのだ。
ジェイコブの不治の病は、エマの看病によって回復したものの、娘は当時の不安な生活を覚えている。
今、ジェイコブは回復したと言っても船乗りというのは危険な仕事である。
いつ、あの頃に戻ってもおかしくはないのである。
だから娘は娘の力で働きたかった。
でも、現実は厳しい。
庶民の若い女が男以上に金を稼ぐ方法なんて殆どないのだ。
悲しいかなジェイコブの頭では若い娘が稼げる職業なんて、娼館くらいしか思いつかない。
金のために、生活のために、娘を娼館に売るなんてジェイコブにはできない。
たとえ娘がそれを願ったとしても。
そんな時に、ベル公爵家のマリオン嬢が騎士を目指しているという噂を耳にしたのだ。
今の騎士団は現国王の意向が色濃く反映されているらしい。
家柄よりも剣の腕を重視している王のもと、騎士団は実力次第で庶民でも高い階級を得られる数少ない職業だった。
実はジェイコブの娘は、はっきり言ってその辺の男よりも腕っぷしが立つじゃじゃ馬娘なのだ。
いや、騎士でなくともいいのだ。
何か、何か、他に年頃の娘が稼げる職はないか、噂の中でベル家の令嬢がスチュワート家に滞在していると聞いた瞬間に、居ても立ってもいられなくなった。
だって天使はジェイコブに言ってくれたのだ。
困ったことがあればいつでも会いに来てくださいと。
「うーん……稼げるって考えると狩人って手もあるけど……」
ジェイコブの話を聞いて、それならばとレオナルドが口を開く。
パレスの狩人は比較的給料が高いことで知られているし、完全歩合制。
そこに男女の差はない。
腕っぷしに自信がある者なら、こちらからスカウトに行きたいところである。
「あ、狩人!」
結界や魔物災害から最も縁遠いシモンズ領で暮らすジェイコブは狩人があったか、と声を上げる。
辺境パレスがここ数年で豊かな領になっていることは、王国民なら周知の事実である。
「あ……いや、でも父様。パレスは遠いですよ?」
パレス領は南の端、シモンズ領は北の端にある。
距離でいえば王国内で一番離れている。
パレスでなくても、狩人の職場は辺境領に限られる。
どこもシモンズ領からは遠く、現実的に見て通うのは無理がある。
「馬車で……半月以上かぁ……」
それに生計を分けることになれば、日々の生活の出費は無駄に嵩む。
稼いだお金を送るのにも、たまの休みに里帰りしようにも、これだけ距離が離れてしまうと出ていくお金は少なくない。
家族のためにと稼いだお金が、家族に届くまでに半減するのでは意味がないだろう。
ゲオルグはうーんと唸る。
家族のために働きたい娘を家族から離すのは違う気がする。
それに、男女平等とはいってもそれは雇用条件の話で、女性狩人は男性よりも危険に晒されることも多かったりする。
魔物の中には、人間の男と女を見分ける小賢しい種もいる。
魔物側に立って考えれば、人間の女は男よりも力がない上に、肉質は柔らかく、男よりも脂肪を蓄えているとあらば、狙わない手はない。
「うーん……まだ、騎士の方がいいかもしれない」
ゲオルグが唸る。
騎士も人手不足の辺境に駆り出されることはあるが、交通費は騎士団持ちだし、危険手当もつくのだから。
「えっと……」
マリオンは複雑な表情を浮かべている。
どうしても騎士になりたくて家出までしているのに、ジェイコブの娘には消去法で騎士をさせようなんて話になっているのだから無理もない。
「娘さんが騎士……? ああ、それ……ありかもしれませんわ」
戸惑うマリオンに反して、エマが何やら思いついたとニヤリと口角を上げる。
もしかしたら、マリオン様にとっても、娘さんにとっても悪い話ではないのかもしれない。
「姉様、また何か……?」
「なんか……嫌な予感が……」
兄弟の不安げな視線に、エマは頭の中で計画を練り始める。
そう、数は力だ。
「きっと、ジェイコブさんの娘さんの他にも騎士を志望する女性がいるかもしれないわ。ちょっとヨシュアに探して来てもらいましょう?」
「ね、姉様? 何を企んでいるのです?」
「エマ、なんで俺を見て笑うんだ?」
既に嫌な予感がしているウィリアムと、更にエマの視線に気付いたゲオルグが、恐怖すら感じ始める。
「動きやすいドレス、あと何着か考えないと……。いや、むしろお揃い? うん。いいかも。あ、ハロルドさんにも連絡して……ふふふ、これは面白くなってきたわ」
「あ、だめだ、これ……。聞いてない」
「こうなったら、もう、止められないよな……」
兄弟はもう、うんざりした表情を浮かべるがこれまでの経験から腹を括る。
「うん、合宿もいいわね。美味しいご飯と適度な運動……腕が鳴るわ」
「エマ……様?」
マリオンは、いつも通りの天使と見紛うばかりのエマの笑顔のはずなのに、何故か背筋にゾクッとしたものが走るのを感じた。
◆ ◆ ◆
一ヶ月後、騎士試験会場。
「き、ききき騎士団長ぉーー!」
「大変ですーー!」
「うわぁ……なんか、すっごいムッキムキだぁ……☆」
快晴の空に、受付担当の騎士達の叫び声が響きわたる。
まだ、試験は始まってもいないのに。
更新遅くなり、本当にすみません。
(作者平謝り)
ラブコメ貴腐人「皆様、お久しぶりですわ。今回作者、書いたり削ったりを繰り返して大分最初と内容が変わってしまったのですわ。わたくし、削った箇所の一部をこっそりゴミ箱から回収しておきましたの。わたくしとしては、なんとか残せないものかと交渉を重ねたのだけれど、力及ばずでしたわ」
コメディの旦那「いや、脱線にも程があるだろこれ? いらんだろ」
ラブコメ貴腐人「お黙りなさい! この世界にもわたくしの同士がいたと証明される重要なシーンでなのですよ!」
シリアス「ん? なんだこれ?」
ピンチ「ま、待て! 見ちゃだめだ! シリアスにはまだ早い!」
シリアス「え? あっ痛っ」
ピンチ「シリアス!?」
シリアス「ああ、大丈夫だよ。ピンチ、ちょっと紙で指を切っ……え?……血が止まらない……え? 血が、止まらないよ? ピンチ、どうしよう……ピ……」
ピンチ「シリアス? え? シリアス? シリアーース!!」
ラブコメ貴腐人「はっ、突然のインスピレーション! 新刊のタイトルは没原稿の中心でシリアスと叫ぶで決まりですわぁ」
ウィリアム君、君は本当に王立図書館の本を読んだのかい……? 関連書籍全てを?」
信じられなかったのだ。
王立図書館の蔵書数は、王国一、いや世界的に見てもかなり多い。
様々な法や制度を把握するためには、その蔵書を隈無く読み漁るしかないとはいっても、騎士関連だけに絞ったとして、その数は百や二百どころではないのてある。
小さいのに、普段からよく本を読んでいて偉いなぁと思ってはいたが、そんな膨大な量を読破していたとは感心を通り越して恐ろしい。
「え? はい。あっ! うわ、まっ……まあ、ええ。まさかこちらの世界にもBL本が存在しているとは僕も思いませんでしたよ……?」
ウィリアムはマリオンの驚いている表情に、はっと何かに気づき、慌ててモゴモゴと弁明を始める。
王立図書館の騎士関連の蔵書を一通り見たと言いきったということは、言い逃れできないジャンルがあった。
そう、騎士関連の蔵書の中でも一際目立っていたジャンル、騎士BLである。
因みに王立図書館にある騎士BLは、
麗しの騎士団長と一介の騎士。
騎士団長は、夜に豹変する。
眠りの森の騎士団長。
の三部作だった。
モデルが誰かまるわかりなのは言うまでもない。
王立図書館の蔵書は、国が認めた書籍しか置いてないというのに、何気に目立つ所に置かれていた。
どうやらこの三冊、国が認めざるを得ないほど、物凄く売れた人気作らしい。
今世も腐女子の勢力は恐ろしいな……とウィリアムがBLに意識を持っていかれていたところに、ジェイコブが再び声を上げる。