スチュワート家の日常。
誤字脱字報告に感謝致します。
「……っ!?」
マリオンは信じられない光景を前に、何度も目を擦る。
スチュワート家にお世話になって数日、まさかまさかと思い、深く考えないようにしていたことがある。
それはベル家とスチュワート家のメイド達の差、だった。
ベル家のメイドは風景の一部となっており、視界に入っても何も気になることなどなかったが、スチュワート家のメイドはどうしても二度見、三度見をしてしまうのだ。
「どうなさったのですか? マリオン様」
ゴシゴシと目を擦ってはキョロキョロと周りを見渡す客人を見て、スチュワート家従業員組合会長であるマーサが心配そうに声をかける。
スチュワート家に宿泊する客人は、これまで壊血病の船乗りだったり、忍者や料理見習いの少年、あとは帝国の捕虜くらいで、ここにきて突然の公爵家の令嬢にマーサは不備があってはならないと気を張っていたのである。
「いや、あの……」
マリオンは、マーサの問いに目の前の驚くべき光景を指差すが、
「?」
「だから、あれ……」
「?」
「あれ、と申されても……」
マーサにはその驚くべき光景が分からない。
マリオンの示す方向には、食材を運んでいるメイドしかいない。
スチュワート家で日常的に見られる、ただの風景である。
どこにも驚くことなど、ない。
「お、おかしいよね?」
「おか……しい……?」
客人に何か無礼があったのかと、マーサは緊張の面持ちで背筋を伸ばす。
謝罪は誠意をもって行うことが大切なのだ。
「あ、あれを見て何も思わないの?」
「あれ……とは?」
あれ、と言われてもマリオンの指摘が何に対しているのか分からず、マーサは困惑する。
よく見ても、いつも通りメイドが食材を運んでいるだけで、特段おかしなことなどない。
運んでいるものも、少々特殊な皇国からの荷ではなく、普通のごく一般的な王国で食べられる食材である。
よくある何の変哲もない小麦や塩、ワインの樽等々……。
強いて言えば、スチュワート家に入ってくる食材は全てロートシルト商会が手配し、何度も検品された安心安全な食材で、はっきり言って王族に提供されるものよりもしっかりと管理されている。
エマ様に変なものを食べさせるわけにはいかないという、ヨシュアの気持ちが大きく影響しているので、普通の食材よりは想いが重いわけだが、ぱっと見で分かるはずもない。
「マーサは小麦一袋がどれくらい重いか知っているのかい?」
マリオンは大きな袋を抱えたメイドを凝視している。
「小麦の重さ?」
マーサは、はっとしてやっと合点がいったかのようにマリオンを見る。
そう、マリオンが言いたいのは想いの重さではなく、単純な重さの話のようだった。
「塩の袋も一番大きいのだし、ワインも瓶ではなく、樽を……全部メイドが一つずつ持って……」
ベル公爵家ではこれらは男性の使用人が運んでいた。
公爵家+常駐騎士達の食を賄うには大袋購入は仕方がないのだが、あれらはメイドが持てる重さではないからである。
「ああ、申し訳ございません。マリオン様」
マーサが頭を下げる。
メイドの不手際でなく、己の不手際であると。
「あの、実は王都はこれまでいたパレスとは違い、もろもろの値段が高く、落として駄目にしては大変だと、一つずつ運ぶように私が言ったのです」
「は?」
マーサに謝られたマリオンは混乱する。
マリオンは責めているのではなく、驚いているのだから。
マーサにはこの驚きが通じていないのかとマリオンが眉を寄せると、マーサは更に礼を深めて釈明する。
「たしかに、たしかに持とうと思えば二つ三ついけはするのですが……経費を無駄にするわけにはいきませんので、どうか効率には目を瞑っていただけますと……」
スチュワート家が事業で大成功する前から働いているマーサは、貧乏が染みついている。
今では小麦一袋だめにしたところで傾くようなスチュワート家ではないと重々承知しているが、どうしてもあの暗黒貧乏時代を思うと食材を適当に扱うことができないのだ。
ベル公爵家に仕えている優秀なメイドともなれば、小麦の袋もワイン樽も、軽々と四つ五つくらいまとめて運んでいるのかもしれないが、スチュワート家では荷をだめにするのを避ける方が優先されるのだ。
日本人特有のもったいない精神が、一家に長年仕えているマーサにも宿っていた。
「いや、そうではなくて……」
マリオンは、必死に説明するマーサを前に途方に暮れる。
違う、そうじゃない。
「あ……ワインの樽……の方、でしたか? もちろん普段、提供する時は瓶に移しております。……が、樽で買っておかないと、いざという時に追いつかなくなるのです」
普段飲むのはレオナルドとメルサの二人だけなので一日四、五本あれば足りるのだが、親戚の大叔父らが突然来た時には、一食で五十本分近く消費するため、瓶では間に合わない。
三日もすれば、厨房が空瓶で埋め尽くされるために、大叔父らが来た時は、もう食堂に樽ごと置いてセルフで飲んでもらっていた。
きっと公爵家では許されない所業なのだろう。
「いや、そうではなくて……」
やはり、マリオンの言いたいことは、マーサに全く伝わっていなかった。
そこへ……。
「お母様っ! ごめんなさいっ! もう、もう、内緒で虫のお迎えはしませんからぁっっ!」
「その言葉、何度聞いたと思っているの? なんですか、これは!? チャタテムシはあれほどダメだと言ったわよね!?」
小脇にエマを抱えたお怒りモードのメルサが、階段を猛スピードで駆け下りてきた。
「でも、でも。だって、だって。ほら、ちゃんと雄しか連れてきてないもん。増えないもん」
チャタテムシのオス・メスの選別はちゃんとしてから連れてきたのだと、エマは足をバタバタとさせながら母に反論している。
「性転換する種類だったらどうするの!?」
「お母様、お詳しい!! ですが、この子たちはチャタテムシでも性転換しない種だから、大丈夫ですよ!」
母の言葉に目をキラキラさせるエマ。
だが、
「分からないでしょう!? しかもまた、こんなに大きくなって……。この子、下手したら『缶コーヒー』くらいあるじゃないの! これ本当にチャタテムシなの!?」
エマを抱えていない方の手には、見たことのない虫らしきものが握られていた。
虫と呼ぶには……デカい……というか気持ち悪い。
「うわぁ……」
メルサの勢いに、さすがのマリオンも一歩後退る。
「ううう、お部屋でこっそり飼おうと思ってたのにぃ〜。チャったん、こんなに大きくなったらバレちゃうでしょぉ……」
ショキショキショキショキ!
エマが母の握るチャタテムシに声をかけると、つぶらな瞳でチャタテムシが何やら音をだして答えている。
文句に近い文言であるにもかかわらず、エマの声は慈愛に満ちていたし、チャタテムシもメルサに握られたまま大人しくしている。
「ほんとにもう、お掃除に入ってくれていたメイドちゃん、びっくりしてたわよ? またヒルダお母様に躾けてもらったほうが良さそうね?」
採用要項に虫は平気かと盛り込まれているが、想像していた虫とスチュワート家の虫がかけ離れているために、エマの部屋の掃除はメイド達にとって鬼門である。
「ひっ、そ、それだけは、それだけはぁ……!」
ご勘弁を〜。
エマの悲痛な叫び声が庭へと消えてゆく……。
「エマ様……また、隠れて虫を……」
よくあることだと言わんばかりに、マーサは困ったものだとため息を吐く。
見つけたのが自分だったら、卒倒していたかもしれないと、可哀想な後輩メイドに同情する。
これがスチュワート家の日常である。
「おかしい」
「はい。エマ様におかれましては、お友達におかしいと言われても仕方がありません」
マリオンの溢した呟きに、マーサは深く頷く。
こればっかりは言い訳も否定もできない。
「え?」
マリオンはマーサとの認識の違いにまたもや驚いた。
「え?」
マーサは、マリオンが驚いたことに驚いている。
マリオン様は、エマ様がおかしくないとでも言うのだろうか?
そんな訳ないではないか。
マーサには高貴な生まれの令嬢の驚きポイントが全く分からなかった。
「私が驚いていたのはメルサ様が軽々とエマ様を小脇に抱えていたことだよ?」
彼女がどれだけ細いといっても、30キロはあるだろうに。
片手で軽々と持ち上げて、運んでいる。
「え? ええ、まぁ……エマ様の一人や二人くらいなら、運べますよね?」
「……」
マーサの返す言葉に、マリオンは黙り込む。
マリオンだって鍛えているから、エマ一人を抱えて歩くくらいはできる。
だが、それは運ばれる側の協力あってのことだ。
あんなに手足をバタバタと動かされながら階段を駆け下りるのは、マリオンにはできそうにない。
それをメルサ様は軽々とやってのけているし、マーサも当たり前のような顔をしている。
これは、絶対に普通ではない。
「おかしい、絶対におかしい……」
◆ ◆ ◆
「え? 皆の力が強い?」
「はい。メルサ様もマーサも他のメイド達も、明らかに普通の一般的な女性よりも力が強いですよね?」
その日の夕食時、マリオンは意を決して一家に尋ねる。
これはマリオンのムキムキ計画の重要な手掛かりとなるはずなのだ。
「そう……かしら?」
たが、当のメルサは何の自覚もない様子である。
「そうです、メルサ様。よく聞いてください。普通の御婦人は十三歳の女の子を軽々小脇に抱えませんし、普通のメイドはワイン樽を一人で運べません」
「「「「「え!?」」」」」
マリオンの至極真っ当な指摘に、一家は揃って驚きの声を上げる。
世間一般の普通の御婦人の認識が間違っているなんて、思っても見なかったのだ。
「そんな……」
「え?」
「あれ?」
「でしたっけ?」
「まって、あれ? そうよ、そうだったわ」
メルサはこめかみに手を当てて、記憶を辿ってみる。
「たしかにサリヴァン家のメイド達、ワイン樽も小麦の大袋も運んでなかったような……ん? そういえば私も……?」
よくよく考えるとメルサ自身も、二十年前よりも格段に力持ちになっている気がしてきた。
母は強しと言うし、子供を産んだからと何となくそんなものかと受け入れていたが、おかしいのかもしれない。
更に記憶を辿って、前世の頼子の体力を思い出せば、今の方が格段にパワフルな気がしてきた。
「エマ様もです」
「え、私?」
マリオンは他人事のような顔をしているエマにも力持ちエピソードがあることに気づいていた。
「いつも刺繍の授業がある日は鞄に裁縫に使うものをパンパンになるまで詰めてきてますよね? 他にも突っ込むことが多すぎてずっとスルーしてましたが、あの鞄、結構な重さになっているはずです。エマ様、ハンカチが二百枚入った鞄を普通に軽々と持ち運んでましたよね?」
「え、そんな……それくらいなら……」
皆持てるような……と、言うエマに、マリオンは首を横に振る。
少なくとも普通の令嬢には重すぎるのだと。
「つまり、皆俺のことゴリラゴリラ言うけど、皆もゴリラだったってこと?」
「「それは、違うわ」」
ゲオルグの言葉を、エマとメルサが即座に否定する。
「スチュワート家だけでなく、血の繋がりのないメイド達まで力持ちなのは、何か秘密があるはずなのです」
マリオンは、それが知りたいのだと声を上げる。
ムキムキになるためには絶対に聞いておきたいのだ。
「秘密……」
「秘密……ねぇ……」
「うーん」
「心当たりがなにも……」
「ないですね?」
そう言われてもエマも、メルサも、ゲオルグも、レオナルドも、ウィリアムも、全く身に覚えがない。
レオナルドとゲオルグは鍛えている分、見た目もムキムキであるが、メルサもエマも自分が力持ちになっていたことすら気付いていなかったのである。
「あの、よろしいでしょうか?」
皆で考え込んでいると、給仕をしていたメイドが発言を求めてきた。
「なんだい?」
「私は、王都で採用されて半年になるのですが……」
スチュワート家が王都に引っ越した際に採用されたメイドが、レオナルドの許可を得て話し始める。
「実は、この半年で私、ものすごい力持ちになりました」
このメイドは薄々気づいていた。
パレスからの古参メイド達の異様な体力の存在を。
そして知らぬ間に自分までも、その力を手にしつつあることを。
「へぇ~凄いねぇ」
そんなメイドの告白にエマがのほほんと柔らかい笑みを溢す。
「いつも、頑張ってくれているものねぇ」
メルサもニコニコとメイドを労う。
スチュワート家で働くメイド達はみんな働き者である。
「え、あの、そんな……もったいないお言葉……」
メルサの言葉にメイドが嬉しくなって顔を赤らめる。
「ふふふ」
「ははは」
なんともほっこりとした雰囲気が漂う中、マリオンは思った。
違う、そうじゃない。
メイドはとても大切なヒントをくれたのに、この一家は……。
そこへ、
ノックの音がし、使用人が食堂へと入ってきた。
「あの、失礼します! お食事中に申し訳ございません」
「ん? どうしたんだい?」
「どうしてもマリオン様に会いたいと、船乗りのジェイコブ氏とそのお兄さん方がやってきまして……」
「え? ジェイコブさん!?」
「マリオン様に? 何かあったのでしょうか?」
エマとウィリアムは顔を見合わせる。
「とりあえず、話を聞いてみようか?」
ふむ、とレオナルドが立ち上がる。
「そうね」
と、メルサも立ち上がる。
「うーん……なんだろう?」
と、ゲオルグも立ち上がる。
「マリオン様。ジェイコブさん達、悪い人じゃないのでお話だけでも聞いてあげてください」
と、ウィリアムも立ち上がり、
「行きましょう」
と、立ち上がって、エマがマリオンを誘う。
「……え? あ、ああ……はい」
こうなったら流れに身を任せるしかなさそうだとマリオンも立ち上がる。
スチュワート家のムキムキの出所は謎のまま、新たに飛び込んでくる問題に前のめりで首を突っ込みに行く一家であった。