粘。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
王国最大の港シモンズ港から目と鼻の先ほど近くに、ロートシルト商会が所有する巨大な倉庫がある。
この倉庫は王都でクーデターが起きた際に、物資が不足した事態を重く見たヨシュアが、有事に対応できる設備が必要だと商会長である父を説得して建てた比較的新しいものである。
クーデター以降、いくつかの物資の不足はあるものの、王国民は平和でいつもと変わりない日々を過ごしていた。
そのような日々の裏で、王国が侵略されようとしていたなど誰が想像できただろう。
王都のどこにも火の手が上がることなく、王城のどこも破壊されてはいないのだから。
だが、帝国の侵略は実際に計画され、実行された。
その証拠に、侵略計画の第一の舞台となったシモンズ港にはまだ数隻の帝国船が大砲を載せた状態のまま停泊していた。
王国最大の港に停泊している船は、その帝国船数隻のみである。
現在、事実上シモンズ港は閉鎖されていた。
王城の命により、シモンズ港の使用が禁止されたのだ。
当のヨシュアも、まさかこんなにすぐに有事が起きるとは予想しておらず、シモンズ港が閉鎖された今、この倉庫の増設が間に合っていてよかったと、胸を撫で下ろす思いであった。
王都であの時期にクーデターが起きていなかったら、管理不能となった置き場のない荷が溢れ、ロートシルト商会は大きな損害を被ることになったかもしれないのだ。
なんというか、クーデターをやらかしてくれた王兄殿下に礼の一つでも言いたい気持ちになる。
シモンズ港の閉鎖に伴い、侵略者の捕縛に協力してくれた皇国の船も、王国の荷を積み込むや否やとんぼ返りを余儀なくされた。
当初、王城は混乱を極めており、皇国の船のことなど頭になかったようだが、皇族であるタスク皇子を巻き込んでは良好な関係にヒビが入りかねないと、内密にヨシュアが王城に進言し、【王城からの要請で】帰国してもらう形に持っていったのである。
タスク皇子も、虫友ミゲルも、イケオジ忍者ハットリも事が事だけに王城の要請に従い、スチュワート家に会う前に帰国を了承するしかなかった。
それが、ヨシュアの企みとは知らずに。
普段から管理の行き届いているシモンズ港が王城から【老朽化に伴う改修工事のため】という適当な理由で閉鎖されることに首を傾げる勘のいい商人も少なからずいたが、そんな彼等も表立って騒ぐことはしなかった。
シモンズ港が使えないことで外国との交易に支障が出かねない状況であっても、勘のいい商人達はそろって口をつぐんだ。
何故ならば、どこよりも大きな損害を出すであろうロートシルト商会が大人しく従っていたからである。
いくら勘のいい彼等といえども、王国最大の豪商が何も言わないのならば、黙るしかない。
王国の流通においてロートシルト商会の息が全くかかっていない場所なんて存在しないのである。
そんなロートシルト商会の所有する倉庫には、王国各地からシモンズ港の閉鎖を知らずに送られてくる荷がどんどん集まってきていた。
荷の中身を把握するにしろ、別の港に送るために割り振るにしろ、野ざらしでないだけ傷む心配も盗難のリスクも避けることができる。
そして、それらの賑わいが倉庫にある秘密部屋にある荷のカモフラージュとなり、秘密の荷を容易に運び出すことを可能にしてくれた。
ロートシルト商会の倉庫の秘密部屋には、皇国の船から降ろした積荷が大量に保管されている。
王城も皇国からの積荷の中身が【何】であるかは知っているが、【どのくらい】あるかは把握していない。
積荷の量は、皇国とロートシルト商会によって巧妙に隠されていたのである。
「な、なんだこれは!?」
秘密部屋での荷ほどきが進むにつれ、ヨシュアの胸ポケットの中で驚きの声が上がる。
「おや? 貴方なら、分かるでしょう?」
ヨシュアは悪い顔でニヤリと笑い、大量の木箱にぎっしりと詰まったそれを手に取り、己の胸ポケットに近づけた。
「マ? マジ? か? これ……こんだけ全部……魔石!?」
親指大の魔法使いは、ヨシュアのポケットの中で腰を抜かす。
帝国が欲しくて欲しくて仕方のなかった魔石が、王国の貴族街でも、王城でもなく、シモンズの港近くの倉庫の中に積み上げられていたのだから。
「はっ! しかも、なんて……純度の高い魔石……」
バランスの悪い胸ポケットの中でなんとか抜けた腰を立たせた親指大の魔法使いは、再び驚きの声を上げる。
世界一の魔法先進国である帝国から来た親指大の魔法使いでさえ、見たことがない良質な魔石を、いち商会が保有しているなんて、にわかには信じることができなかった。
「それにしても、随分遅くなってしまいました。急ぎましょう」
驚く親指大の魔法使いを尻目に、ヨシュアは商会の者を急かす。
ロートシルト商会の倉庫では、着々と皇国船から降ろされた積荷の確認が進められていたが、ものがものだけに仕分け作業に時間がかかっていた。
加えて侵略の後始末関連にも人手を取られ、倉庫の秘密部屋を知る信頼に足る従業員の数も限られているため予定が大幅に遅れてしまったのである。
「うへぇ……若旦那ぁ~。これやっぱり処分しましょうよぉ」
部屋の奥からなんとも嫌そうな顔で洗濯バサミで鼻をつまんだカルロスが木箱を抱えて現れた。
「これ、絶対に中身腐ってますって!」
カルロスの持つ木箱の中には枯れた植物を小さくまとめて結んだものが敷き詰められていた。
王国に数人残った忍者によれば、信じがたいことに食品らしいのだが、この木箱はスチュワート家宛の荷の中でも一際異彩(異臭)を放っていた。
恐る恐る結ばれた植物の中身を確認したカルロスは、目にした瞬間にゴミ箱へと投げ捨てたいという衝動と戦わねばならなかった。
枯れた植物の中には、およそ食品とは程遠そうなねっちょねちょのネッバネバの物体Xが入っていたのである。
かつては多分、豆……だったのだろうと思われる粒々の形状は視認できたが、誰がどう見ても腐っている。
スチュワート家が揃いも揃って全員変わっているとはいえ、腐敗した食料を貴族家に持ち込むなんてこと、王国一の豪商として名高いロートシルト商会に属する者としては看過できない。
ただ、廃棄前提としても一応、若い責任者を立てるつもりでヨシュアに見せておくかとカルロスが珍しく気を使ったのが、良くなかった。
あろうことかヨシュアは腐った物体Xの廃棄に反対したのである。
はっきり言って、正気の沙汰ではない。
「カルロス、さっきも言ったように、これは皇族からスチュワート家への荷、捨てるか捨てないかを僕らが判断するべきではない」
「でも、若旦那ぁ~これは……」
カルロスはヨシュアの気持ちが変わらないことに絶望の表情を浮かべ、情けない声を上げる。
いや、皇国の皇族のためにも捨てるべきでは?
スチュワート家に持って行って怒られるのはカルロスなのだ。
なにせ、あそこのメイドはめちゃくちゃ怖い。
メイドなのに、スチュワート家の従業員組合の会長までやっている。
「もし、これがエマ様の大好物だったらどうするんだ?」
エマ様の笑顔を奪うことは万死にあたる。
ヨシュアはもう、ほんの小さな可能性すら見逃すわけにはいかないのだ。
「いや、そんなわけないでしょうよ。さすがのエマ様も腐ったもんは食べませんて……」
「カルロス、お前にエマ様の何が分かるというんだ?」
「はっ! 心外ですよ若旦那! 女の子に関して俺が若旦那ごときに劣るとでも? 女の子はもっと甘くて可愛いものが好きなんですよ」
「カルロス……浅いな」
「そこまで言うなら、俺知りませんからね! しっかり俺は止めたけど、若旦那が持って行けって言ったってエマ様に直接渡しますからね!」
半ばやけくそ気味に、カルロスはスチュワート家へ運ぶ荷を積んだ馬車に木箱を入れた。
「若旦那なんか、エマ様に嫌われてしまえばいいんですよ!」
頑として譲らないヨシュアに諦めたカルロスは、せめて、これ以上腐って酷くなる前に持っていってやろうという気遣いと、これ以上倉庫に置いていては他の荷に臭いや菌がついたら大変だという危機感から、翌朝に予定にしていた出発を早めますと、捨てゼリフを吐いて馬車に乗り込んだ。
◆ ◆ ◆
そんなこんなで、ヨシュアのお陰で無事にスチュワート家に納豆が届けられたのが昨夜の遅い時間であった。
カルロスの健闘虚しく、結果はヨシュアの圧勝である。
カルロスはエマを、いや、スチュワート家を見くびっていたのだ。
「イヤッホーウ! 『納豆』だーー!」
「フォー! 追加で米俵もあるぞぉ!」
「イエス! 醤油もあるぅ!」
「これは、早急に生卵が食べられるようにしなくては……」
「とりあえず近くの養鶏場のチェックだね」
納豆を見た瞬間、一家は歓声を上げ、エマはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
「お母様! 明日の朝は絶対にご飯を炊きましょう! 納豆ご飯に、お味噌汁にお漬物……楽しみすぎるぅ~。ああ……これから眠れるかしら」
その頃、深夜まで荷解きを進めていたヨシュアの手が止まる。
「むにゃ……どうした? 休むか?」
胸ポケットでうつらうつらしていた親指大の魔法使いが、動きを止めたヨシュアを見上げた。
ヨシュアは、おもむろに顔を上げ恍惚とした表情を浮かべていた。
「エマ様が、喜んでいる気配がする」
「いや、怖えぇよ……」
◆ ◆ ◆
翌朝。
「ほらほら、マリオン様! 遠慮は不要ですよ!」
「い、いや、ウィリアム君? 私は遠慮は……していなっ……」
「なあ、マリオン様は『箸』に慣れていないんじゃないか? フォークかスプーン持ってこようか?」
「ヴァ、ヴァシ? って何? い、いや、そもそもゲオルグ様、そういう問題でなくてですね?」
「マリオン様? もしかして体調が悪いのでは?」
「は? いや、エマ様? 体調はすこぶる元気ではありますが……なんと言いますか……」
スチュワート三兄弟は、代わる代わるでマリオンに納豆を勧めていた。
昨夜届いたばかりの納豆を朝ごはんに食べるのを楽しみにしていたせいで、喜びと興奮が抑えられなかった。
とはいえ、普段から好き嫌いなく何でも食べるマリオンも、外国人が嫌がる日本食の代表である納豆は少々敷居が高過ぎたようで、そもそも論あれは口に入れても大丈夫なのかとドン引きしている。
だが、転生に気づいた日から、乞い願い続けた日本食納豆を前に三兄弟はマリオンのドン引きに気づけない。
「ほら、あーんして下さい! 私が食べさせてさしあげます」
「い、いや、エマ様? 遠慮するよ?」
「マリオン様、ほら、スプーンだと沢山すくえますよ!」
「う、うん。ゲオルグ様? そうではなくて、ですね?」
「やはり、フォークの方がいいですか?」
「違う、そうじゃない。そういうことではないんだよ、ウィリアム君!」
マリオンは途方に暮れる。
こんなにも会話が通じない子たちだっただろうか?
そこへ、
「おやめください。ウィリアム様もゲオルグ様もエマ様も、無理強いするものではありませんよ」
「!」
背後からかけられた助け舟に、マリオンが振り向くと、
「ましてや、そんなもの……」
振り向いた先には、皿を持ったメイドが一人立っていた。
主人一家を前に、堂々としたそのメイドは鼻に洗濯バサミを挟んで嫌そうな顔でエマの持つ物体Xを睨んでいた。
「そんなものって! マーサ! 酷いわ! 『納豆』は、皇国では皆、普通に美味しく食べているのよ!」
エマはマーサの顔の前に納豆をズイっと差し出す。
「やめてください! ここは王国ですよ!」
「むぅ……」
マーサに怒られ、エマは頬を膨らませる。
「うちのお嬢様方がすみません。マリオン様、私達と同じものでよろしければ、こちらをどうぞ」
むくれるエマを華麗に無視し、マーサはスコーンとクロテッドクリームが盛られた皿をマリオンの前に置く。
「かっっ ありがとう! 助かるよ」
稽古後のために、お腹が空いていたマリオンはメイドに笑顔で答えた。
物体Xとは打って変わって、焼きたてのスコーンにマリオンはゴクリと喉を鳴らす。
そうそう、こういうのでいいんだよ。
メイドに向かって神様、と声を上げそうになるくらいには助かったと安堵し、これ以上物体Xを勧められないようにスコーンを頬張る。
「えー……。絶対『納豆』の方が栄養あるのに……」
「だよな?」
「ですよね?」
「そうよね?」
「うんうん」
エマの呟きに、ゲオルグもウィリアムもメルサもレオナルドも同意する。
一家は既に二杯目の納豆ごはんを食べ終えようとしていた。
マリオンに勧めながらも、しっかり食べることも忘れていない。
「すまない、エマ様。ちょっと……うん。これは無理かな?」
きっと珍しいものなのだろう。
もしかしたら美味いのかも、しれない。
でも、生理的に受け付けないのだとマリオンは心を込めて謝った。
「マリオン様、謝ってはなりません。隙を見せてはランチに海藻、ディナーに生魚を食べさせられますよ?」
「ひっ!」
マーサの善意からの忠告を聞いたマリオンの背筋にゾワッと悪寒が走る。
お腹を壊すどころではない。
危険すぎる。
マリオンは魚に火を通さずに食べるなんて考えたこともなかった。
海藻に至っては食物ですらない。
「マーサったら、もう。おにぎりについてる『海苔』のことを海藻って言ったり『お刺身』のこと生魚って言うの止めてくれる?」
「じょ、嬢ちゃん!!」
エマがマーサにおにぎりにおける海苔の重要性とお刺身の素晴らしさについて語ろうとしたその時、突然扉が開き、門番のエバンが慌てたように脚をもつらせながら転がり込んで倒れた。
「「「エバンさん!?」」」
「エバン? 大丈夫か?」
一家は驚いて立ち上がり、レオナルドが素早くエバンのもとへと駆け寄る。
エバンはガシッとレオナルドの腕を掴んで叫んだ。
「は、早くコーメイさんを、止めてください!!」
「コーメイさんがどうしたの!?」
作者近況。
突如、スマホ画面に緑色の線が現れて困惑中。




