マリオンのわがまま。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
あけましておめでとうございます!
ベル家は代々騎士団長を輩出してきた由緒正しき公爵家である。
他国からの侵略というか他国を侵略するという発想自体がないこの世界で、騎士の仕事は治安維持が中心となる。
弱きを助け、強きを挫く。
騎士は警察であり、裁く者であり、英雄でなくてはならない。
祖父も父も叔父も騎士団に在籍するベル家に生まれ育ったマリオンが、騎士を志すのはごく自然なことであった。
兄と一緒に剣の稽古がしたいと父に強請ったのはマリオンが三歳の頃だ。
よちよち歩きを始めたと思った幼子が一つ年上の兄を真似て、懸命に木剣を振るう姿が可愛いと、大人達は相好を崩して見守っていた。
当時はマリオンの夢を否定する者などいなかった。
きっと成長とともに、剣を忘れ女の子らしいものに興味が移るだろうと、大人達は思っていたのだろう。
レースをふんだんに使ったドレスとか、眩いばかりの宝石、素敵な王子様との恋物語を題材にした芝居……世の中には女の子が好きなものが溢れているし、公爵家であるベル家はそれを惜しみなく与えてやれる財力を持っていた。
もう少し、大きくなれば……マリオンもリボンを欲しがり、化粧を始め、推しの舞台役者の一人や二人できるだろう。
そう思って大人達が可愛い、可愛いと見守り続けること十数年……。
大人達は、ある日突然可愛いなんて言っている場合ではなくなっていることに気づいた。
マリオンの興味は剣から離れず、木剣から模擬剣、真剣と年を追うごとに握る剣が変わっていっても、稽古を続けていた。
ドレスやリボン、化粧の出番はほとんどなく、剣の稽古に支障のない動きやすい格好でいることを好んだ。
ベル家の稽古場は、自主練ができるように非番の騎士達に常時開放されている。
成長したマリオンは、そんな彼らをみつけては稽古をつけてくれとせがむようになっていた。
現役の騎士達が、マリオンの師匠となった。
生まれながらの才能に英才教育が加わり、同じ年頃の令息でマリオンに勝てるのは、一緒にやってきた兄くらいしかいない。
もう、大人達が気づいた時には遅かった。
可愛いなんて言って、ほっこりしている場合ではなかったのだ。
大柄な騎士の重い剣を、マリオンはひらりと躱し、軽やかな動きで反撃に転じる。
その美しい太刀筋に見惚れ、非番の騎士達が思わずため息を溢すことも珍しいことではない。
マリオンの可動域の広い、靭やかな体から繰り出される技は、硬い筋肉で体を覆った男達とは明らかに異質だった。
もう、誰も疑わない。
間違いなく、マリオンには剣の才能があった。
だがその反面、マリオンの実力が確かなものになればなるほどに、マリオンの父親はマリオンから剣を遠ざけるようになっていった。
騎士になりたいという、マリオンの夢は他でもない父によって阻まれている。
父は、
「女は騎士にはなれない」
とマリオンに何度も言い聞かせた。
騎士という職業が、どれほど危険な仕事をするのか。
騎士団長であるマリオンの父は、嫌と言うほど知っている。
結界の効力が弱まりつつある近年は、狩人の人手不足を補うために辺境へ赴くことも珍しくない。
辺境の任務は屈強な騎士達でも、無傷で帰って来れる者は少なかった。
父親として可愛い娘に、そのような仕事をさせられるわけがない。
マリオンがどれだけ才能があっても父の思いは変わらなかった。
そんな父に面と向かって、異を唱えてくれる者は誰もいなかった。
一つ上の兄も、剣の師匠となった騎士達も、マリオンを憧れの君と仰ぐ令嬢達ですら、本気でマリオンが騎士になれるとは思っていなかったのだ。
だって、そういうものだから。
女が騎士になるなんて、普通じゃない。
それは、マリオン自身も分かってきた。
将来は騎士になると、疑わずにいられた子供の時期は疾うの昔に過ぎ去って、向き合うにはあまりに高くて分厚い、現実という壁があることを知ったのだ。
いくら剣の実力があっても、父の言葉に反発して男の格好をして足掻いたとしても、マリオンが女であるという事実は変えられない。
男よりも男らしく、騎士よりも騎士らしく、誰よりも紳士に振る舞ったとしても。
この国で生まれ育った以上、納得はしてないが理解はできる。
ならばせめて、せめて学園を卒業するまでは騎士のように振る舞いたい、騎士を志す自分でありたい。
そう、思った。
貴族の令嬢の大半は、学園の卒業とともに結婚する。
マリオンとて、例外ではない。
結婚し、母となる前に残されたほんの少しの時間を自分のために生きる。
マリオンにとって、最後のわがままだと思った。
だが、そんなマリオンの思いを、課外授業での数々の壮絶な体験がひっくり返してしまったのである。
課外授業に参加することで、実際の騎士の仕事に間近に触れた。
不測の事態が起こり死を覚悟したマリオンは、後悔したのだ。
騎士を諦めた自分が、情けなかった。
父が反対するから、許してくれないから、やめる。
そんなの子供が言うセリフではないか。
父が何と言おうとも、騎士を目指せば良いのだ。
縁を切られようが、野垂れ死ぬことになろうが、女の身で騎士になろうとするならば覚悟を決めなくてはならない。
だからマリオンは、王都に戻るなり父に宣言した。
「私は、騎士になります!」
と、しっかりと目を見て堂々と高らかに声を張り上げた。
「マリオン、それは許さない。娘を騎士になんてさせられん」
だが、父の答えは、変わることはなかった。
「では、出ていきます」
変わったのは、マリオンの覚悟。
「は? 何を!?」
ベル家を出て、一人で生きてゆく。
学園にももう、戻れないかもしれない。
それでも、マリオンはどうしても騎士になりたかったのだ。
◆ ◆ ◆
朝の稽古の途中で出てきたせいか、街はまだ静かであった。
どこの店も開店前、開いていたとしてもお金がない。
「だから、父も追っては来なかったのか……」
頭が冷えれば帰って来るだろう。
そう、父は思っているのだろう。
だが、マリオンの覚悟はこれまでの比ではない。
もしマリオンが、スチュワート家に生まれていたら、このような家出なんてしなくて済んだかもしれない。
不意に、そんな思いが頭をかすめた。
課外授業で会ったエマの家族は、マリオンの家族とは全く違った。
賑やかで、元気で、楽しそうで、何よりも愛に溢れていた。
マリオンがあの家の娘ならば、騎士になりたいという夢をきっと応援してくれただろう。
マリオンの足は、ふらふらと引き寄せられるようにスチュワート家へと向かった。
そこで、マリオンのキメにキメた覚悟がグラグラと揺らぐことになろうとは思いもしなかったのだ。
「マリオン様! 何はともあれご飯を食べましょう」
突然、家出してきた泊めてくれと言ったマリオンに、エマはにっこりと笑って手を伸ばした。
「お腹が空けば空くほど、辛いことも悲しいことも大きく膨らむものです。お話はご飯を食べてから聞きますわ」
エマはマリオンよりも年下だ。
それなのに、たまにものすごい年上ではないかと思ってしまうときがある。
何があったのか聞く前に、朝食に招待してくれるエマからは大人の余裕すら感じる。
自分も、そうなりたい。
マリオンは素直に思った。
お話はご飯のあとだと言ってくれる優しい友人に、マリオンは己の覚悟を聞いてもらおうと、思った。
ちょっとやそっとじゃ折れない覚悟なのだと……。
「ほら、マリオン様! こちらにお座りになって?」
スチュワート家が集うテーブルの一席へと、エマがマリオンの手を引く。
既に席に着いていたスチュワート一家は、満面の笑みでマリオンを迎え入れてくれた。
「マリオン様、いらっしゃい」
「ようこそ、スチュワート家へ!」
「座って、座って!」
「早く食べよう」
理想の家族の風景が目の前に広がっていた。
「あ……えっ……と。……え?」
はち切れんばかりの笑顔を見せる家族を前に、マリオンはビクッと体を震わせる。
「どうされたの? 早くお座りなさい」
「う……あ……。え? は……い」
破天荒なスチュワート家の中では一番の常識人だと認識していたスチュワート夫人に促され、マリオンは観念したように席に着く。
「たくさん、食べてくださいね?」
「!?」
つい先ほど、なんて優しいんだと思ったばかりのエマの言葉に、マリオンは絶句する。
エマは言った。
話はご飯のあとに聞く……と。
「う……」
もしや確固たる信念のもと、腹をくくったばかりの覚悟を、マリオンは試されているのだろうか。
「よし、では、食べよう」
スチュワート伯爵が、悪魔かと思うような宣告をする。
『いただきます!』
『『『『いただきます!』』』』
「!? たっタタタキムス? ……うわぁ……ひっ」
タタタキムスという謎の呪文のあと、一家は食事を始める。
公爵令嬢として生まれ育ったマリオンは、隣に座るエマの様子を見て瞬時に手を引っ込める。
駄目だ。
無理だ。
私には、無理……だ。
こんなの重々失礼だと承知の上で、マリオンは己の口を手で塞ぐ。
泥水を啜ってでも騎士なろうと覚悟したマリオンだったが、これは無理だった。
なぜならば朝食といってテーブルに並べられているのは、マリオンが見たこともないものばかりだったのだ。
しかも、恐ろしいことに一家が我先にと手に取った皿の中身が、どう見ても明らかに腐っているのである。
二本の棒を器用に使って、エマが腐ったそれをぐちゃぐちゃにかき混ぜていた。
「ひっ! うう……」
さらに、ぐちゃぐちゃするだけでは飽き足らず、エマはその腐ったそれを棒二本で掴み、ぐいーんと上に持ち上げた。
「うわぁ……」
糸、引いてるぅ~。
「マリオン様も遠慮なく食べてくださいね」
にっこりと天使のような笑顔で、悪魔の言葉を放つエマにマリオンは、恐怖した。
そう、本日のスチュワート家の朝食は納豆ご飯であった。




