王の帰還。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
スチュワート家とフアナのお見合いから、四日後の王城。
「陛下、申し訳ございません。私の浅はかな行動で王国を危険に晒してしまいました」
第一王子マクシミリアンは、無事に帰還した国王の前に膝をついた。
謁見の間は厳重に人払いされており、王と第一王子以外には王妃と側妃、宰相と騎士団長、王についていた近衛騎士が数人のみ入室を許されていた。
王城の中で、帝国から侵略を受けたという事実を知るものは、驚くほどに少ない。
「いや、皆が無事で何よりだ」
スカイト領から急ぎ戻った国王が見たのは、恐れていた事態が何も起きていない、拍子抜けするくらいに平和な王都であった。
帝国による侵略の気配なんて微塵も感じさせない、いつもと変わらぬまま都は存在していた。
最悪の事態さえ考えていた国王は、信じられない思いと共に深く安堵した。
第一王子マクシミリアンは、国王譲りの頑強な肉体と、王妃譲りの明晰な頭脳を併せ持った国王と王妃の良いとこ取りのような息子である。
国王の血が入っているとは思えないほど真面目な男だ。
帝国に遊学に出ていたため、マクシミリアンとは久しぶりの再会だったが、自慢の息子の第一声は、謝罪だった。
「わ、私は愚かにも帝国の本性を何も知らず留学し、まんまと操られ王国を危険に晒しました」
帝国の船が王都を破壊するために大砲を載せていることをマクシミリアンは知っていた。
知っていたどころか、自らその船を港に停泊できるように動いた。
魅了魔法のせい、と簡単に片付けて良いものではない失態である。
帝国がその大砲をどう使うか計画を立てている間、ずっと見ていたのだ。
声を出すことも、体を張って止めることもできず、ただ、見ていたのだ。
自分が、自分の国を壊す手引をする光景をただ、見ることしかできなかったのだ。
「マクシミリアン?」
大きく嘆くマクシミリアンを見て、国王は目を見開く。
王妃からの手紙に、マクシミリアンは洗脳されている可能性があると書かれていたが、今は完全に解けているようだった。
目の前に跪く息子に、洗脳された者特有の違和感のようなものは見られない。
正確には洗脳ではなく、魅了魔法によって操られていたのだが、国王がそれを知る由もなかった。
「陛下が王国を守るために、スカイト領へと赴き、帝国軍の進軍を自ら止めようと尽力してくださっていたというに、私は、私ときたらっ!」
そして、マクシミリアンの懺悔は続き、なにやら発言の雲行きが怪しくなってきていた。
「う? ……うむぅ……?」
そ、そんなことはしていないぞ?
当の本人である国王は、息子の中で一人歩きしている偉大なる国王像に、ビクッと肩を震わせる。
帝国が攻めて来るなんて、知るわけがないし、気づけるわけがない。
「ご、ゴホッ……ゴホン」
とはいえ、せっかく良いように解釈してくれる息子の手前、知らなかったとは言い難い。
「き、気にするな。マクシミリアンよ、大事にはならなかったのだから。か、顔を上げなさい」
今回の騒動なんて、国王は王妃からもらった手紙で初めて知ったので、予期どころか寝耳に水であった。
「陛下! 第一王子でありながらこの情けないまでの失態。どうか、私に罰をお与え下さい!」
頭を下げたまま、国王の情けと見せかけた実質保身の発言に、第一王子マクシミリアンは首を大きく振る。
真面目な息子は、父王が許そうとも己を許せないようだ。
マクシミリアンは国王とは違って、とても真面目な男だった。
そう、国王と違って。
「うむぅ……」
……気まずいぞ、とにかく気まずい。
真面目じゃない方の王族こと国王は、内心頭を抱えていた。
国王はマクシミリアンに、罰なんて与えるわけにはいかないのだ。
だって、やらかしている度合いでいえば、国王も第一王子も一緒なのだから。
魅了魔法にかかって己の自由を奪われた息子が、魔物の血を浴びて好き放題ヒャッハーした父親に罰を請うている。
なんというか……非常に、気まずかった。
よくよく振り返れば、帝国の侵略を全く予見してなかった国王は、課外授業で遥々スカイト領まで行って、ヒャッハーしただけで、特に何もしていない。
楽しかった。
すごく楽しかった。
そんな国王が、操られたことを悔やんでいる息子に、罰を与えるなんてできるだろうか。
いや、できない。
できるわけがない。
罰を与えるべき人間を一人出せというならば、選ばれるべきは呑気に魔物の出現する森に入り、意気揚々とヒャッハーした国王の方で間違いない。
「……」
だって、さっきから一緒に帰還した近衛騎士達からの視線が痛い。
それはもう、チクチクと刺しにきている。
目は口ほどに物を言うとは、よく言ったもので、とても居心地が悪い。
この場にもう一人の息子、第二王子エドワードがいないことだけが唯一の救い。
エドワードには直接ヒャッハーを見られてる。
エドワードは……もしかしたらもう、無理かもしれないが、マクシミリアンにはまだ偉大な父だと思われたかった。
姑息と言われようが、国王は息子から尊敬されたかった。
「マクシミリアン、王国が魔法使いを失ってから三十年以上経っている。魔法を知らぬお前に、魔法を防げなかったことを罰するなんてことはせん」
だから、魔物を知らなかった国王が、魔物の血でヒャッハーしたことも許してほしい。
「陛下っ……」
そんな王の諸々の気持ちが籠もった言葉に、第一王子マクシミリアンは一層深く頭を下げた。
第一王子マクシミリアンは思い知った。
これが、一国を治める者としての器なのだ……と。
「これから、そう。これから挽回すれば良い」
国王は息子に……いや、己に言い聞かせる。
近衛騎士達の視線はまだ痛いままだが、突き通すしかない。
「よ、よし。では早速、捕まえた者達の口を割らせ、帝国の意図を……」
あまりの後ろめたさに、国王は強引に話を進める。
そうだ。
大事なのはこれからなのだ。
今のところ、王都は平和……そう、何でか良く分からないけれど、とにかく王都は平和だ。
聞けばいくつもの偶然が重なったとかで、仕事でシモンズ港を訪れていた商人が、たまたま異変を察知して、たまたまその商人は王城への連絡手段を持っていて、騎士の要請を行い、たまたま入港していた皇国の船にいたタスク皇子の協力を得て、不審人物の捕縛からの連行までまるっと全部やってくれた……らしいのだが……。
そんな偶然があってたまるかと、叫びたいところではあるが……実際に今、王都は無事なのである。
あとは、しっかり事情聴取を行い国王として、父親としての威厳を……。
「あの……陛下実は……」
ここでようやく、王妃ビクトリアが口を開く。
ビクトリアは、己が産んだ息子の失態を庇うようなことは一切しなかった。
王妃の隣に並んで控えていた側妃ローズの方が心配そうに、表情を変えないビクトリアの手を握っていた。
ローズはマクシミリアンを罰しないという王の言葉にも安堵の表情を浮かべ、ビクトリアの代わりに喜びを顕にしていたが……。
ん? この二人こんなに仲良かったっけ?
国王が疑問に思ったところで王妃が報告をする。
「大体の聴取は終えております」
「は?」
国王は王妃の言葉に耳を疑う。
「捕らえた帝国の水夫から兵士、魔法使いまで皆、自白したのです」
さすがの王妃もこれには驚かずにはいられなかった。
彼らは、え? そんなこと言っちゃっていいの? と、尋問官が焦るくらいなんでも答えたらしい。
「え? なんで?」
王国はそれなりの大国である。
だから帝国も侵略のために、貴重な魔法使いを投入し、大規模な魔法を使い、軍を動かして、魔物までも用意したのだ。
帝国といえども、かなり慎重かつ綿密な計画のもと実行されたと考えて良いだろう。
その計画を担っていた者が、何の抵抗もせずに自白するだろうか。
本来ならば、多少の拷問くらいで口を割るなんて絶対にない者達の筈である。
「彼らは皆、我が王国の騎士に恥も外聞もなく縋りつき、何でも喋るから明かりだけは消さないでと懇願してくるのだそうです。そして、本当に訊けば何でも喋るのです」
「え? なんで?」
「さあ……」
王妃も分からなかった。
争い事に長けていないだろう魔法使いだけでなく、厳しい訓練を受けているだろう兵士まで喋る喋る……。
彼らの言葉に嘘はなかった。
そのことにマクシミリアンも驚いていた。
魅了魔法にかかったマクシミリアンは、体の自由は奪われたが、その反面、ずっと意識は保っていた。
ある程度、帝国の事情は把握しているため、彼らが嘘を吐けば分かっただろう。
王妃もマクシミリアンの証言と照らし合わせれば、彼らが嘘を吐いたとしても見破れると踏んでいた。
だが、彼らは嘘を吐かなかった。
王国へ侵略したのは、帝国の魔石が不足したからである。
三十年以上、魔法使いが現れていない王国なら、大量の魔石を保有していると思った。
シモンズ港に停泊した船から王都、王城への大砲攻撃と、スカイト領からの魔物、帝国軍の攻撃で簡単に落とせると思った。
軍の指揮はいつも社交シーズンに王国に訪れていた正使が、停泊している船の指揮は帝国が誇る魔法使いフアンです。
その魔法使いフアンというのが、最近王国教会が聖女だと発表したフアナです。
そう、ここでやっとフアナが国王の御落胤という疑いが晴れたのである。
「……それならば、奴らは何を要求したのだ?」
しばらく考えて、国王が口を開く。
囚人がなんでも喋ると言うことは、その見返りに何かを求めているということだ。
司法取引というやつだ。
「いえ、それが……」
王妃ビクトリアは言い淀む。
「何か、あるのだな?」
世の中そう甘くないことくらい、国王も知ってる。
「いえ、それが……。強いて言うなら先ほど言った牢の明かりを絶やさないことと、掃除用具……です」
「は?」
掃除用具……だ、と?
いや、なぜだ?
国王は意味が分からな過ぎてビクトリアを見つめる。
「彼らは、その、牢の中を一心不乱に掃除しているのだそうです」
答えるビクトリア自身、意味が分からなかった。
「いや、え? なんで?」
聞いた国王だって、意味が分からない。
「牢屋番曰く、今、王城の地下牢……ピッカピカらしいです」
「ピッカピカ?」
「はい。それはもう、ピッカピカだそうで……」
掃除用具を手に入れた囚人達は、血走った目で、何かに追い詰められるかのように掃除をした。
それも、一人残らず全員が。
指揮を執るのは元聖女フアナだった。
「いいか、お前ら? 虫一匹出すんじゃねーぞ? 隅から隅まで入念に拭き上げろ!」
「「「はい!」」」
凄まじい統率力だった……と、狂気を目の当たりにした牢番は震えていた。
「いや、え? なんで?」
国王は、聞いても聞いても意味が分からない。
「囚人達は、その理由だけは頑として口を割らないのです」
王妃も、言っても言っても意味が分からない。
「いや、え? なんで?」
それは、永遠の謎である。
「と、とにかくですね? これから、色々と後始末をしなくてはならない上で、今回の帝国の侵略において一番の被害者にも話を聞きました」
考えても正解が出ないことは置いておきましょう、と王妃が仕切り直す。
「一番の被害者?」
国王はフム……と顎に手を当てて考える。
王都は無事、スカイト領からの侵略もなんとか防ぐことができた。
その中で一番の被害を被った者とは……。
「スチュワート伯爵家のエマ嬢です」
フアナが聖女とされたことで、偽物とされたのがエマ・スチュワートであった。
もともと体の弱いことで有名な令嬢が、非難の目に晒されたことで、一時期は命が危ぶまれる程に衰弱したとまで噂されていた。
事実として、しばらくの間彼女は学園を休んでいたのである。
「……エマちゃん……ん?」
国王は首を傾げる。
ビクトリアは一番の被害者に話を聞いたと言わなかったか?
国王はついさっき、王城に戻ったところであった。
スカイト領の狩人とスチュワート家に帝国軍の捕縛を任せて、国王は数人の現在進行形で刺すような視線を送ってくる近衛騎士達を連れ、先んじて出発したのだ。
帰路はスピードを重視して、馬車ではなく自ら馬に跨り、必要最低限の休憩だけで国王は帰って来た。
それでも辺境スカイト領からは四日はかかる。
最短で帰ってきた国王よりも先に、スカイト領に置いてきたエマちゃんが王都にいるはずがないのである。
「そんな、エマちゃんが王都にいるみたいな言い方……」
「え? いましたが?」
「え? ……え?」
「二日前から、兄弟揃って学園に通ってますよ?」
「ええぇぇ!?」
「ふふ、陛下ったら何を今更……。だってほら、エマちゃんですもの」
ビクトリアの言葉に驚く国王に、ローズが笑う。
それで万事オッケーと解決していいものだろうか?
こんなことなら、出発前に家の馬車で送りましょうか? とスチュワート伯爵が言ってくれた時に断らなかったら良かった……と国王は頭を抱える。
はっ。
猫か?
猫なのか!?
猫が馬車を引いたのか!?
ふいに、国王をぷちっと潰せる大きな猫が頭に浮かんだ。
「くっ……それでエマちゃんはなんと?」
「それが……」
基本、無表情のビクトリアに困惑の色が浮かぶ。
「特に、何も求めない……と」
「は?」
「エマ嬢が言うには、戦争終結において誰かが得をすることは避けなくてはならないと……」
「は?」
「たとえば、誰かが戦争で大儲けした場合、英雄と担ぎ上げられた場合、賠償金で国全体のQOLが向上した場合、それを失った時に再び戦争をしようという動機が生まれる可能性があると言うのです。世界がまだ、戦争を知らないならば、知らないままにしておいたほうがいいこともあると……」
魔石がなければ奪えばいい。
魔法使いがいなければ奪えばいい。
旨味を知った人間は、貪欲になる。
足元にどれだけ不幸な人間が転がろうとも、一度知った甘い蜜を求めるのに躊躇いがなくなるのだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
物事の良し悪しは、いとも簡単に戦争によって変わる。
だから、エマ・スチュワートは何も求めない。
戦争がないことが最良なのだ、と。
「……そんな」
国王は、衝撃を受ける。
「だって、それじゃ……」
どんなに酷い目に遭おうとも、未来のために、世界のためになかったことにしようとエマ・スチュワートは言うのか。
そんなの……。
「聖女じゃん!!」
国王は叫ばずにはいられなかった。
そして、謁見の間に響いたその叫びを否定する者は、誰一人としていなかった。
ただ、王城から少し離れた大きな邸宅で、派手なクシャミをした令嬢が一人いただけである。




