古代遺跡とコニー・ムウの手記。
語字脱字報告に感謝いたします。
今回の内容には地震描写があります。
昔むかしの大昔、コニー・ムウという魔法使いがいた。
彼は世界中を旅して人を助け、行く先々の結界を強化し、海を隔てた国と国の関係を繋いだ功績により、世界で唯一、大魔法使いの称号を与えられた人物である。
コニー・ムウの死後、彼を超える力を持つ魔法使いは現れていない。
彼の編み出した数々の魔法も、後の世に受け継がれることなく廃れ、ただ伝説だけが残っている。
そんな彼の手記が帝国で見つかったのは、今から二百五十年程前になる。
奇しくも彼を蝕んだ病の特効薬の発見の直後で、帝国で起きた大規模なプラントハザードがきっかけであった。
特効薬の原料は、結界の向こう側から侵食し、群生した植物魔物を寝床にしていた、みんな大好きうっくんことウデムシである。
他国には知られていないが、帝国の結界周辺には古代遺跡がある。
それは結界の向こう側まで続く巨大な遺跡群で、度重なる魔物との戦いにより昔よりも結界の位置が後退したことを物語っている。
大昔の帝国の土地はもっと広かったのだ。
ただ、その遺跡は、プラントハザードで侵食した植物魔物が根を張り、芽を出し、花を咲かせたことで、崩壊した。
僅かに残っていた住居跡も、石を敷き詰めた馬車道も、頑強過ぎて誰も入ることができなかった墳墓までもが、植物魔物が吐き出す毒によって崩れ落ちたのだ。
しかしながら、墳墓が崩れたことで誰も見つけることが叶わなかった内部に繋がる石室への入口が顕わになった。
その石室の中から、コニー・ムウの手記と石棺が発見されたのである。
コニー・ムウは伝説の大魔法使い。
遺跡や手記を調べれば第二、第三のコニー・ムウを育てることができるかもしれないと考えた帝国は、歓喜した。
が、手記の発見に沸く帝国が落胆するのに時間はかからなかった。
遺跡は植物魔物が張った根が出した毒のせいでみるみるうちに破壊されたのである。
石室の壁に描かれていた色鮮やかな壁画も、空気に触れることで更に傷み、ボロボロと崩れ落ちた。
そんな中で、不自然に無事であったのがコニー・ムウの手記と石棺だった。
何か保護する魔法でもかけてあるのか、羊皮紙に書かれた彼の手記や石棺に描かれた謎の幾何学模様は、当時のままと言っても過言ではない状態で残されている。
では、手記が残ったのにどうして帝国が落胆したのか。
なぜならば大魔法使いコニー・ムウ、彼の字が、常軌を逸する程に汚かったのである。
なぐり書きならまだよい。
幼い子どもの落書き程度なら、まだ良かった。
ミミズの這ったような字。
いや、もうそれはミミズ以外のなにものでもなかった。
書かれているのが、帝国語なのか古代帝国語なのか、はたまた別の言語なのかも分からない。
コニー・ムウの手記の解読は困難を極め、期待した魔法の知識も古代の知識も何も得られなかった。
特効薬として高額で他国へ売ることができたウデムシとは違い、遺跡は放置され、コニー・ムウの手記は長い間、解読されないまま保管されるも、殆ど忘れ去られていった。
今から丁度六十年前、当時閑職であった帝国魔法研究所という名のコニー・ムウの手記解読所にフアナは配属された。
その時フアナは、フアンという名前で、魔法使いに変化して間もない青年であった。
魔法使いに変化する前の彼は、小さな畑を耕す農民だった。
そんなフアンに、文字が読めるわけがない。
それなのに、フアンがどうしてコニー・ムウの手記解読所に配属されることになったのか。
単に、今よりも更に身分の差が大きかった帝国で、農民のクセに魔法使いになったフアンへの嫌がらせだった。
当時の帝国は既に、各国から魔法使いを集めていた。
十数人も集まれば、魔法使いの中にまで格差というものは生まれるのである。
魔法使いになったお陰で、三度の食事に困ることはなかったが、たまの結界強化以外は一日中ひたすらミミズの並んだ書物を眺めるのは、フアンにとって辛いものだった。
一年も過ぎれば、ミミズのような文字を見るのが嫌になり、挿絵を眺める時間が長くなるのは仕方がないことである。
絵の方がいくらかマシである。
といっても、コニー・ムウは絵も下手であった。
フアンは三年間、手記を見続けた。
その日も、こいつ魔法以外はポンコツだなと思いつつ、何百、何千回目かの絵を眺めていた。
「ん?」
とあるページをめくったその時、突然脳裏に懐かしき景色が浮かんだのである。
その下手くそな絵から、フアンは魔法使いになる前に耕していた畑を見た。
「これは……綿花?」
フアンが耕した畑には綿花を植えていた。
広大な帝国の土地を利用して、昔から綿花はこの国の主要産物であった。
ただ、この数年は魔法使いが増えたことで魔物被害が減り、人口の増加に伴って畑だった場所を人の住処にせざるを得なくなり、年々と綿の産出量が減ってきていた。
「これは……種? ならこれは? 魔法?」
魔法使いになって三年。
解読所に配属されたフアンは、半ば強制的に文字を学ばされていた。
最近やっと、帝国語を習得して古代帝国語を始めたところである。
フアンはその習いたての知識を元に、挿絵とその隣に書かれたミミズを見比べて単語を予測し始めた。
この右曲がりのミミズが土だとすれば……もしや、この尺取り虫みたいなミミズは水?
農民の経験と文字を習いたての先入観のない頭、そして魔法使いとしての知識。
フアンの境遇が、誰も成し得なかった手記の解読をうっかり偶然、奇跡的に成功させてしまったのである。
手始めにフアンは、手記に書かれた通りに、魔法を使った綿花の栽培に着手した。
それはもう、笑ってしまうくらいの大成功だった。
魔法を使って少ない土地で、大量の綿花を育てることができるようになったのだ。
帝国は改めて綿を外交の要に据え、より富を蓄えることに成功した。
もう国を豊かにしたフアンを、農民だからと馬鹿にできる者はいない。
ひとつ、嘘を吐いたのだ。
フアンはその手柄を全て自分のものにしたのである。
他の者が解読できるようになればその地位を脅かされると悪知恵が働き、コニー・ムウの手記にある魔法を、全て己が考え出したことにした。
失われた大魔法使いの魔法を、あたかも自分の才能であるかのようにしたのである。
フアンが着々と名声を上げるのと比例して、帝国もどんどん豊かになっていった。
その分、魔石の消費が増えたが日々発展する生活を止めようと言う者はいなかった。
解読できても、フアンと大魔法使いとでは、魔力量が圧倒的に違う。
コニー・ムウの魔力は、帝国が集めた魔法使い十人分を優に超えていた。
フアンは魔力量の少なさを、魔法使いの数と魔石で補填することで、どんどん手記に書かれた魔法を再現していった。
もう、あんな惨めな身分に堕ちるのは嫌だった。
革新的な魔法を生み出すフアンに、帝国はさらなる次を求めた。
与えても、与えても、その次を求めたのである。
十年、二十年、三十年……フアンはその求めに応じて魔法を使い続けたが、とうとう体が悲鳴を上げた。
それでも、ごまかしごまかし使ってきた体も、老いには勝てなかった。
七十、八十と齢を重ねるうちに、用を足す事すら人の手を借りるようになった。
それでも、帝国はフアンに次を求めるのを止めなかった。
この体では、もう無理だと悟ったフアンはコニー・ムウの手記の一番最後に書かれていた禁断の魔法を使う決心をした。
それはあの、大魔法使いが失敗した魔法であったが、勝算はあった。
一番難しい部分は、大昔に彼が済ませてくれていたからである。
大魔法使いコニー・ムウは己の体が病に冒されてから、とある魔法の研究に取りかかった。
手記にはこう、書かれていた。
人の根源たるは魂。
肉体は器に過ぎない。
器が壊れたなら取り替えればよい。
と、そこからは実験と失敗の記録が綴られていた。
一番の問題は、大魔法使いコニー・ムウの魂を受け容れるだけの器が、この世界になかったことである。
世界中を旅した彼は、探すまでもなく知っていたのだ。
己がこの世界で唯一無二であることを。
唯一無二の魂の器は唯一無二でなくてはならない。
皮肉な事に、コニー・ムウがコニー・ムウでなければこの魔法はもっと簡単なものであった。
コニー・ムウでなければできない魔法が、コニー・ムウだからできない。
それでも彼は諦めなかった。
新しい器を、異世界に求めたのである。
己の魂に耐えうる器となる肉体を次元を超えて探したのである。
荒唐無稽な話だが、大魔法使いコニー・ムウにはそれが可能であった。
そして、程なくして彼の魂に耐えうる器を見つけた。
その器こそが、田中港である。
都合の良いことに彼女の世界では、疾うの昔に魔法が失われていた。
魔法使いによる魔法防御措置が施されていない世界への干渉は容易い。
コニー・ムウは、早速召喚魔法を使って器を呼び寄せようとした……が、失敗した。
魔法のない世界で小さな何かが田中港を護っていたのである。
そしてコニー・ムウよりも先に、田中港を欲している存在がいることに気づく。
小さな何かはずっと黒いもやのようなそれから田中港を護っていたのだ。
そこに、コニー・ムウも加わった。
田中港の全てを護ろうと足掻いた小さな何か。
田中港の肉体を欲したコニー・ムウ。
そして、黒いもやのようなそれは田中港の魂を欲していた。
田中港を巡る三つ巴の戦いは、コニー・ムウの寿命をごりごりに削ることになった。
護っていた小さな何かは、何度か代替りして戦ったが遂には果てた。
最後まで力を持っていたのは、最も彼女を欲した黒いもやのような存在であった。
あの黒いもやのような存在は、ずっと虎視眈々と田中港を殺そうと動いていた。
それが、止めと言わんばかりに大地を揺らしたのだ。
小さな何かが果てた今、田中港の肉体は崩れた建物によりぐしゃり、と潰され……なかった。
彼女の上に彼女の、兄が、弟が、父が、母が覆い被さったのである。
彼女以外は即死だった。
それでも、彼らは魂の状態になっても妹を、姉を、娘を護ろうと動いた。
田中港の魂に家族の魂が肉体と同様に覆い被さったのだ。
その家族の想いが、黒いもやのような存在に、一瞬の隙を作ったのである。
魂を得る絶好の機会に、家族の魂が重なり合ったことで、どれが田中港のものか分からなくなったのだ。
コニー・ムウは、その一瞬の隙を突いて残った殆どの魔力を使って召喚魔法を起動した。
だって、家族がバラバラになるなんて可哀想ではないか。
あんなものを見せられて何もしないなんて大魔法使いの名が廃るってもんだ。
あの黒いもやのような存在に捕まれば、田中港の魂は輪廻転生から外れるだろう。
あの家族が生まれ変わっても、二度と田中港には会えなくなってしまう。
だから、コニー・ムウは五人分の魂と一つの肉体をこちらの世界に召喚した。
それは、一か八かの試みだった。
重さにして二十一グラムの魂が、異なる次元の召喚中は最も重い物質に変わる。
それが五つも入った器の召喚、大魔法使いといえども成功する確率はとても低かった。
失敗すれば、コニー・ムウの命は危うかった。
召喚中の魂は、散り散りに別の世界へと分かれてしまう可能性だってあった。
輪廻転生は神の介入がない限り、一つの世界で巡ると決まっている。
だから、絶対に成功させなくてはならない。
俺の世界においで。
きっと、また会えるようにしてあげるから。
病に冒された体にムチ打って、コニー・ムウは踏ん張った。
だが、いつまでも黒いもやのような存在が追いかけて来ていた。
次元の間で、魂を持たない黒いもやのような存在の動きは速かった。
ついには、田中港の体に黒いもやが触れた……っと思った瞬間、
「にゃーん」
小さな何かの声が聞こえた。
「うわっ!」
突然、真っ白でもちもちの小さな何かが、五つの魂を咥えて次元の間から飛び込んできたのだ。
「にゃーん」
小さな何かが口を開けると、五つの魂が天へと昇ってゆく。
「おお! 良かった。もう大丈夫だ。これで、あの家族はバラバラにならなくて済むな……」
コニー・ムウがボロボロの小さな何かに声をかける。
「にゃーん……」
真っ白で、もちもちの小さな何かが答える。
あたしの役目はここまで。
あとは娘と孫とひ孫に任せるわ。
白玉のような、真っ白でもちもちの小さな何かはスゥっと溶けるように消えた。
「……役目ねぇ?」
小さな何かは、ずっとあの家族を一族で護り続けていたのだ。
泣けるじゃねぇか。
コニー・ムウは石棺に、保管の魔法陣を描き始める。
召喚魔法の到着点はこの石棺の中に定めていた。
今、この中には、コニー・ムウが欲した田中港の肉体が入っている。
でも、
「これじゃあ使えねぇわ」
今、この石棺を開ければ体に触れていた箇所に残った黒いもやの断片が解き放たれてしまうだろう。
少なくとも、あの一家の魂が、天へ昇って転生し、小さな何かと出会うまでは、封印しておかなくてはならない。
数百年も経てば、本体と離れた黒いもやの断片も消えるだろうから。
コニー・ムウは、己の命を諦めた。
いや、今世を終える決心がついたとでも言おうか。
死んでも、魂が巡ることに価値を見出したのだ。
「どうせなら、次はあの一家と同じ世に生まれてーな」
大魔法使いコニー・ムウが、己の死地にと選んだのは王国であった。
彼の国の王族は、あの一家と髪と目が同じ色だったことを思い出したのだ。
♦ ♦ ♦
全てを話し終えたフアナは、ぐったりと椅子にもたれかかる。
「……いや、そんな手記読んで、よく石棺の体を使おうと思いましたね?」
ウィリアムがドン引きした声を出す。
フアンは老いた己の肉体を捨て、コニー・ムウが封印した石棺の中に保管された港の体に魂を移したのだ。
「数百年経てば大丈夫と、手記に書いてあったからな」
フアナは使えるものは使わないと勿体ないと鼻で笑う。
「異世界の肉体は理が異なるために、老いることがない。永遠の若さが手に入るのに何を躊躇うことがある?」
「永遠……の、若さ?」
ゲオルグが開きかけた口を慌てて閉じる。
田中港、三十五歳の肉体を若いとしても良いのか問題については黙っておくことにする。
「でも、それで帝国の魔石の殆どを使いきったのアホ過ぎやしませんか?」
魂を別の器に移す魔法には、あの石棺を覆い尽くす程の魔石が必要であった。
フアンは、独断でそれを使ったのだ。
「コニー・ムウが欲した肉体だぞ? その肉体を手に入れれば、大魔法使い並みの力が得られると思ったのだ」
「でも、その様子では得られなかったのですよね?」
心なしか弱々しいフアナの返答に、ウィリアムが追撃する。
「ああ、体は得たが少々事故があった……」
フアナは己の手のひらを見つめる。
果たしてこの体は成功だと言えるのだろうか。
「協力してくれた二人の部下を犠牲にした」
「もしや、これのことですか?」
黙って聞いていたヨシュアがポケットに入れっぱなしにしていた魔法使いを取り出す。
「フ、フアナ様ぁー!」
取り出された小さな親指大の魔法使いが叫ぶ。
魔法を行使するにあたり、限界まで魔力を使ってしまった彼は親指大にまで小さく萎んでしまったのである。
そして、もう一人は色を失った。
「頼む、こいつらは死んだことになっている。こんな姿になっては帝国では生きていけないのだ」
それは、王国でも変わらないだろう。
彼らの存在を公にしないでほしいと、フアナは頭を下げる。
「こいつら……?」
ヨシュアが眉間を寄せる。
「こいつらって、どう……!」
そこへ、ノックの音が聞こえる。
「あのっ、王城の騎士様が捕虜を迎えに参りました」
時間切れである。
「分かった、秘密にするわ。だからあなたの体のことは私達以外には話さないで」
騎士に引き渡されるために、立ち上がったフアナにエマが声をかける。
「助かる」
フアナは、衝立の向こう側の猫耳に深く頭を下げ、退出した。
♦ ♦ ♦
「……うーん。なんだか分かったような分からないことが増えたようなスッキリしない感じではありますが、一応一件落着ですかね?」
ウィリアムは、フアナの話を反芻する。
フアナの体は、前世の姉の体であった。
でも、なぜ前世の姉がいろんなものに狙われていたのかが分からなかった。
「港、お前召喚獣だったんだな?」
ゲオルグが感心したように呟く。
「ちょっと兄様? 人をどっかのバハムートみたいに言わないでくれる?」
違う、そうじゃない。
とエマは兄を睨む。
あの難しい話をゲオルグなりに、理解しようとした結果、ゲーム知識に頼るしかなかったのだろうが、なんかズレている。
「あの、父様? そろそろ泣き止んで下さい」
ウィリアムがグシグシと泣き続ける父レオナルドにハンカチを渡す。
「だっ……て、ウィリアム、あれ、絶対もち子さんだよ。最後、に助けてくれた真っ白でもちもち小さな子……」
「にゃーん」
コーメイがきっとあれは母だったと、レオナルドの言葉に頷く。
「コーメイさん達、ずっとずっと護ってくれてたのね。ありがとう」
「「「「にゃーん!」」」」
ずっと一緒にいるって約束したから、と四匹の猫達は胸を張る。
「……」
「母様? どうしました?」
黙り込んでいるメルサにゲオルグが気づく。
「これは、大変よ」
メルサは真剣な顔でエマを見て、ワナワナと震え出す。
「「「母様!?」」」
「メルサ!」
王立学園きっての才女であるメルサは、その優秀な頭脳により気づいてしまったのである。
「あのフアナ様の体は、間違いなく港のもの……と、言うことはレオナルド、私達……」
メルサが夫であるレオナルドにしがみつく。
「どうした? メルサ?」
「私達、もしかしたら、前世の孫も抱ける可能性があるんじゃないかしら!?」
くわっと目を見開いて、メルサが叫ぶ。
「母様!?」
「え? そっち?」
「嘘でしょ!?」
「にゃにゃ!?」
母の血走った目に三兄弟は、驚く。
「何を言ってるんだ、メルサ!」
メルサの言葉に、レオナルドが憤慨する。
言って良いことと悪いことがあるだろうと。
ただでさえ怖い顔が、怒りで更に鬼のように吊り上がっている。
「港は嫁にはやらん!」
レオナルド……いや、一志は本気で言い放った。
「父様!?」
「え? そっち?」
「嘘でしょ!?」
「にゃにゃ!?」
田中家は、今日も今日とて平和であった。




