ヨシュアのミス。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
無限に続くと思われた地獄は、突如終わりを告げた。
暗闇の中、覚醒と気絶を繰り返し朦朧としていたフアナ達は、微かな光を見た。
それは懐かしき天窓からの光だった。
いつの間にか、真っ暗闇の地獄から光の当たる場所へ馬車は移動していたのである。
ガチャ……。
安堵のため息を吐く間もなく、馬車の扉が開く。
「ヒッ!」
フアナも魔法使い達も反射的に後ずさる。
あの、地獄に住まうバケモノ共が再び襲いに来たのではと、恥も外聞もなく声を上げる。
この明るい場所でアレを見る勇気なんて、ない。
「あ、おはようございます。よく眠れましたか?」
聞こえてきたのは人の声だった。
カササ……でも、カサカサ……でも、カサ! でもない人の声。
しかも聞き覚えがある。
扉を開けたのは、そばかすの少年であった。
彼こそが、フアナ達を恐怖のどん底の底の底でまで落とした張本人。
その反面、地獄の中で誰よりも乞い願うほどに会いたかった人間だった。
ここから救い出してくれる者がいるのなら、彼以外に考えられないのだから。
「あ……あ……」
全身がガタガタと震えるせいで、うまく喋れない。
信じられないことに嬉しいという感情に満たされている。
フアナも、魔法使い達も扉の向こうにいたのがアレではなかったことに叫びだしたくなるほどの喜びを感じていた。
地獄は終わったのだ。
これほど嬉しいことが未だかつてあっただろうか。
心の中に感謝以外の言葉が見つからない。
「ああ、皆さんお元気そうで何よりです」
どれだけそばかすの少年が悪魔のようなセリフを吐いたとしても。
実際には一晩。
もっと正確にいえば、ウデムシによるおもてなし接待は、ほんの数時間の出来事であった。
ここまで不眠不休で働いていたヨシュアにも疲れが見えるものの、接待を受けていただけの囚人達のほうがぐったりとしている。
たったの数時間で、万能感すら漂わせていたフアナの余裕は全て失われてしまった。
接待を受ける前までは、魔法を防がれ捕らえられても、辺境からやってくる帝国軍が助けてくれると信じて疑わなかった。
だが、地獄にいたアレは帝国軍がどうこうできるものではない。
フアナは既に帝国の敗北を確信していた。
帝国が侵略しようとしたのは、世界で一番手を出してはいけないモノが住む国だったのである。
「王城から迎えが来る前に少々お話を聞かせてもらってよろしいですか?」
そんなフアナに、そばかすの少年は低い声で尋ねる。
「はっ? 王城……?」
王城は昨夜、大砲で燃やし尽くしたというのに、なんとも悠長な質問である。
そればかりか、たかだか商人の息子が、王城の者よりも先に情報を得ようとするのはどう考えてもおかしい。
王でも、宰相でも、騎士団長よりも先に帝国の侵略計画について聞かせろと言うのか。
もしやこの少年、王にでもなるつもりなのだろうか。
無害そうな顔で笑って、なんと腹黒い。
だが、
「……何でも訊いてくれ」
フアナは答える。
そう、答えることしかできないのだ。
少年が望むままに、従う以外に選択肢はない。
もう、二度とあそこは、あそこだけは行きたくなかった。
もはやフアナの中に、帝国への忠誠なんて気持ちは残っていない。
あるのは、今生きている喜びと、再びあそこに戻されるのではないかという恐怖のみだった。
♦ ♦ ♦
その、少し前。
「着いたー! コーメイさんお疲れ様!」
「にゃーん!」
うーんと体を伸ばしてから、エマが元気に馬車から飛び降りてコーメイに駆け寄る。
「うわっ! すげー!」
エマに続いてスラムのニンジャ少年ヒューイが顔を出して、ゴシゴシと目を擦り驚きの声を上げる。
昨夜出発した馬車は翌朝、王都にあるスチュワート邸の門をくぐっていた。
「え? エマお嬢ちゃま?」
門番のエバンが、眠そうな目を擦りながら小走りで迎える。
「もう数日はあちらにいる予定では?」
主一家の予期せぬ帰宅に、門番もヒューイと同じように驚いている。
「やあ、エバン。少し不穏な話を聞いて心配だったが……うん、大丈夫そうだな?」
「え? ええ。特に問題なく……」
ヒューイの後からレオナルドが馬車から降り、エバンに手を上げて挨拶する。
課外授業へ行く前と変わりない屋敷を見て安心したと笑っている。
逆にエバンはレオナルドの言葉に、言いようもない不安に襲われる。
「お、王都……無事でよかったー!」
「だなー?」
そんなレオナルドの後から、ウィリアム、ゲオルグの順で馬車から降り、
「何もないのが一番です」
最後にメルサが顔を出すと、スッと慣れた動きでレオナルドがエスコートする。
一家は昨夜なんだかんだで帝国軍を拘束後、スカイト領を出発した。
夜道は危険だと止めるスカイト領領主に、猫は夜目が利くので大丈夫……と笑顔で答えた。
王都を心配する一家に、コーメイが馬の代わりに馬車を引いてくれると申し出てくれたのだ。
「ヴァイオレットもお疲れ様!」
カササ!
コーメイの頭の上にいた蜘蛛がエマの肩に移動して、お安い御用だと言わんばかりに元気に飛び跳ねる。
スカイト領から王都へは、どんなに急いでも馬で四日はかかるが、コーメイ✕ヴァイオレットのお陰で、一家はふかふかの猫馬車でぐっすり寝ている間に、王都に帰ってきていた。
「ペロペロ、うにゃ~ん」
馬車を引くために繋がっていたハーネスをエバンに外してもらい、コーメイは久しぶりにいっぱい走って楽しかったと満足そうに顔を洗っている。
「え!? エマ様?」
そこへ目を丸くしたヨシュアが走ってくる。
ヨシュアはウデムシ達にフアナらを任せ一旦帰宅し、イレギュラーの出来事で滞ってしまった商会の仕事を片付けてから、スチュワート家に戻ってきたところであった。
「あ、ヨシュア。おはよう!」
「ふあっ」
ひらひらと手を振るエマの前で、ヨシュアは足が縺れ膝から崩れ落ちるように蹲る。
「ヨシュア?」
「どうした?」
「大丈夫か!?」
三兄弟が倒れたヨシュアを心配して手を伸ばす。
「ご無事で、何よりです!」
差し出された手のうち、全く迷いのない動きでエマの手を握ったヨシュアは、ああっと深い安堵のため息を吐いた。
課外授業には、一家もコーメイもヴァイオレットも一緒に行ったのだから、無事なのは頭では分かっていたが、エマを前にすると喜びが隠せない。
「ふふふ、ただいま」
エマはそんなヨシュアの手をぎゅっと握り返してにっこり笑う。
王都も、屋敷も、ヨシュアも無事で良かったねと。
「はっ、はうう! おかえりなさいぃ。ありがとうございますぅぅぅ」
バタン……。
「うわっ! ヨシュア!」
「ヨシュア!」
だが、朝日をバックにしたエマの笑顔は、一睡もせずに働き続けたヨシュアにとってご褒美どころか刺激が強過ぎたようで、再び地面に倒れ込むほどの衝撃を与えてしまう。
「エマ!」
「姉様!」
ゲオルグとウィリアムが仰向けで昇天しているヨシュアを助け起こそうと膝を折り、きょとんと不思議そうに見ているエマを睨む。
「え? 今の私のせい? え?」
酷い言いがかりである。
「にゃっ!」
コーメイがスンスンとヨシュアを嗅いでとても幸せそうなにおいがするから、大丈夫だと鳴く……が。
「にゃ?」
ピクリと鼻を震わせたコーメイは、辺りのにおいをしきりに嗅ぎ出した。
「どうしたの? コーメイさん」
「にゃ!」
「え?」
コーメイは突然、ぐるりと己の体でエマを包み、
「にゃっ!」
昇天によって約三十時間振りの睡眠入ったヨシュアを容赦なくしっぽではたき起こす。
「う、うーん……なに? もふもふペシペシ……なに?」
「にゃっ!」
「うわっ!」
目覚めたヨシュアの目の前にコーメイの顔が近づいてくる。
「コーメイさん?」
「どうしたの?」
突然のコーメイの過保護モードにレオナルドとメルサが敏感に反応する。
コーメイのしっぽが膨らんで、少し警戒しているのに気づいたのだ。
「にゃにゃ!」
「え?」
エマがキュッとコーメイのもふもふの毛を握る。
「姉様? コーメイさんはなんと言っているのです?」
「エマ?」
メルサがエマの肩に手を置き、落ち着きなさいと声をかける。
「あの、う、うちに聖女……フアナ様がいるって……」
エマの声は震えて、その顔から笑顔が消えた。
「申し訳ございません!」
その瞬間、ヨシュアが勢いよく起きて叫ぶ。
一家が予定よりも早く帰って来たがために、フアナとエマがスチュワート家の敷地内にいるという状況を作ってしまったのだ。
「すぐに、すぐに王城へ連れて行きます! エマ様の目に触れないようにすぐに」
これは完全なるヨシュアのミスだった。
あの一家が予定通りの行動をするはずがないことを、知っているのに。
わざわざ自分からフアナをスチュワート家に連れて来るなんて……。
ヨシュアは、フアナを見たエマが取り乱したことを、忘れたわけではなかった。
忘れられるわけがない。
それなのに、魔法使いという存在を前に、無意識に警戒し慎重になってしまった。
フアナや魔法使い達を、ウデムシ達に任せることを選んでしまったのだ。
誰でもないヨシュア自身が。
「僕は……僕は、なんてバカなことを……」
どれだけ大きな利点があったとしても、優先すべきはエマ様だというのに。
ヨシュアの顔は青ざめ、頭を抱える。
情けない。
僕がエマ様の笑顔を奪うなんて。
どれだけ疲れていようが、寝ていなかろうが、仕事に追われていようが、これだけは間違ってはいけないのに。
己が、エマ様を害する行動をしたことに、絶望する。
自分が、許せない。
「にゃっ!」
コーメイに包まれていたエマがするりと抜け出して、酷く狼狽するヨシュアの手を握る。
「ヨシュア、大丈夫。私は大丈夫よ」
もう、エマの声は震えていない。
だが、
「姉様!」
「エマ!」
「先に、我々がここを離れた方が早い」
「そうね、行きましょう」
家族の行動は早かった。
ゲオルグとウィリアムはエマに寄り添い、レオナルドとメルサは移動を促す。
「にゃ!」
カサカサ!
コーメイとヴァイオレットも馬車を指して、まだまだどこまでも走れると頷く。
エマを守る。
家族の気持ちはひとつなのだ。
「うーうん。逃げちゃだめなの。ちゃんと向き合わないと」
心配する家族に、エマは首を横に振る。
「話を、聞こうと思う」
「「「エマ!」」」
「姉様!」
「エマ様!」
「にゃ!」
皆が、心配してくれている。
でも、守られるだけでは、逃げるだけでは、解決しない。
フアナに、訊かなければならない。
どうして、港の姿をしているのか。
分からないから、怖いのだ。
だって、無知でいることは罪なのだ。
魔物と相対するときと同じ。
怖くても、痛くても、知りたくなくても、知らなくてはいけない。
ちゃんと知って、対策して、打ち負かすために。
それが、辺境領を守るスチュワート家のやり方だから。




