恐怖の牢獄
誤字、脱字報告に感謝いたします。
「どうします?」
小さな天窓しかない薄暗い馬車の中、拘束された魔法使い達が不安そうにフアナを見ていた。
本来ならば、王都を砲撃し終えた段階で、フアナと魔法使い達の任務は完了となるはずだった。
魔法使い達はシモンズ港に停泊させた船をそのまま出港させ、帝国へ帰還できるはずだった。
遠く離れたシモンズ港からの遠距離攻撃に危険などあるはずがなかった。
王国の騎士に囲まれ、馬車でどこかへ護送されている今の状況は明らかに想定外の事態なのである。
しかも、魔法が使えない状態で。
魔法使いが魔法を使えない。
じわじわと忍び寄る恐怖の感情が彼らを余計に不安にさせていた。
魔法使いがいない王国に、魔法使いを封じる術があるなんて思いもしなかった。
長くフアナの下に就いていた彼らは、世界で一番魔法について研究した、世界で一番魔法に詳しい人間であると自負していた。
我々の計画は、王国側に漏れていたのだろうか。
数時間前に起こったことが、まだ信じられない。
あの、全てを見透かしたような顔をしたそばかす顔の少年が、魔法使い達は恐ろしかった。
だが、
「このまま、待つ」
逃げるでもなく、魔法が使えないことへの答えでもない、ただ待つとフアナは言った。
その答えに、部下達は落胆する。
「ふん、心配するな」
車内は薄暗く、部下達の表情は分からないが、息を飲む彼等の気配にフアナは焦ることはないと笑う。
決して虚勢を張っているわけではなかった。
そう深刻な事態ではないと、よくよく考えれば分かることなのだ。
たしかに今は、魔法が通じず、王国側に身柄を拘束されるというイレギュラーの中にいる。
だが、我々は第一目的である王都への砲撃をしっかりと成し遂げている。
やることはやったのならば、あとは。
「軍を、待てば良い」
それだけだ。
フアナ達が現状できるのはこれくらいである。
日が暮れたということは、既に帝国軍が王国へ侵入している頃だろう。
魔法陣を使って転移した帝国軍にスカイト領は、今頃砲撃を浴びた王都とそっくりそのまま、見るも無残な光景となっているだろう。
王国が帝国のものになるという結果は変わることはない。
そもそも、だ。
「ふっ」
フアナは再び口元に笑みを浮かべる。
「我らは魔法使いだぞ?」
フアナも部下達も帝国が集めに集めた貴重な魔法使いの中でも精鋭と呼ばれる者達だ。
どこの世界に魔法使いを手荒に扱える国が存在するというのか。
何が起ころうともまず、殺される心配はない。
ましてや、ここは三十年以上も魔法使いが出現していない王国。
どこよりも切実に魔法使いを欲している国である。
殆ど可能性はないが万が一、軍が負けることがあろうとも、フアナ達が酷い目に遭うことはない。
それほどの価値が、魔法使いにはあるのだから。
「そ、そうですよね。きっと軍が助けてくれますよね?」
部下達は馬車の中で、その揺れに身を任せるように脱力し、安堵する。
彼等の乗る馬車が、火の海と化しているはずの王都を爆走しているとは知らずに。
フアナのその甘い考えは、すぐに間違いであったと思い知らされることになる。
世界で貴重な魔法使いであっても、この世の地獄は、しっかりと口を開けて待っているのである。
♦ ♦ ♦
「ここは、王国で一番安全な場所ですから」
馬車から降りたヨシュアが詰め寄ってくる騎士達を牽制する。
騎士とヨシュア、拘束した帝国の魔法使い達を乗せた数台の馬車が辿り着いたのは、王都のスチュワート邸の門前であった。
ヨシュアの予想通り、深夜の王都に異変はない。
馬車から見える範囲において、建物や道に損傷らしき箇所もない。
砲撃なんてなかったと言わんばかりに、家々の明かりは落とされて、王都は平和な眠りについていた。
暗く静まり返った深夜の王都に、火の海なんてどこにも見当たらない。
夜が明けて明るくならないと定かではないものの、馬車が一度も止まることなくスチュワート邸まで走ってこれたのが何よりの証拠であった。
王都は、無事だ。
そんな王都に騎士達も拍子抜けしたような様子で先頭を走るロートシルト商会の馬車を追っていたが、商会の馬車がスチュワート邸の前で止まったために、不満の声を出さぬわけにはいかなかった。
まず、真っ先に王城へ赴き報告するべきだ。
王城には多くの騎士が常駐しており、捕らえた捕虜を入れるための牢もある。
王は不在だが、ぶっちゃけ王よりも平和に解決してくれるだろう王妃がおられる。
更に今は第一王子も一時帰国しており、城にいると聞いている。
王城はもうすぐそこなのに。
騎士達は、スチュワート邸へわざわざ寄るヨシュアの意図が分からなかった。
「王城は今、安全の保証が取れていません。まずは、先に様子を見てからです」
困惑顔の騎士達に、ヨシュアは丁寧に説明する。
聖女フアナは帝国の魔法使いであった。
その彼女が暮らしている王城が、はたして安全なのか分らなかった。
敵国となった帝国に留学していた第一王子が、このタイミングで都合よく帰国しているのも怪しいのだ。
第一王子の帰国は、偶然なのか必然なのか、そもそも正気なのかも疑わしい。
もし、フアナの魔法が王城をまるっと全部支配していた場合、ヨシュアと十数人の騎士達だけで対処するのは厳しい。
皇国の忍者達には、魔法使い以外の帝国軍の兵や船乗りの監視を任せているためにこちら側の戦力は多くない。
場合によっては、猫達の力を借りることも考えておかねばならない。
「一応、極秘裏に側妃ローズ様にコンタクトは取ってあります。ですが、どこまで情報が王城に伝わったかまでは正確には分かりませんので……」
直接王城に行くのは待ってほしいのだ、とヨシュアは騎士達に頭を下げる。
「!」
騎士達は目の前の少年の、恐ろしく回る頭と用意周到ぶりに驚いた。
少年とはいえ、彼は商人だった。
内密に王族へ話を通すなんて騎士にはできない。
「一度、我々だけで王城へ様子を見に行きましょう。彼らを連れて行くのはその後でも遅くはありません」
騎士らを説得し、ヨシュアはスチュワート邸の門の大扉横にある小さい扉を叩く。
王都を火の海にしようとした大罪人を置いておくことができるのはここしかない。
「おや、ヨシュアの坊っちゃんではありませんか?」
眠そうに目をこすりなから門番のエバンが出迎える。
「エバンさん、夜分遅くにすみません。少し預かってもらいたい者達がいまして」
ヨシュアはチラリと門前の道に並べて止めてある馬車を見る。
「ほっほ……なるほど?」
ヨシュアが示す馬車の周りを、屈強な王国の騎士達が囲んでいる。
これはまた、知らない間に何かしらの何かが起きているな、とエバンは瞬時に察した。
主人一家不在時の、深夜の突然の訪問にもかかわらず、エバンは快く馬車が通れるように大扉を開ける。
この程度のことを判断できなければスチュワート家の門番は務まらない。
馬車が通るための大扉が開くと、ヨシュアは御者に行き先を耳打ちする。
「えっ!? あそこに!?」
スチュワート家によく出入りしている、ロートシルト商会の御者は、ぎょっとした顔で聞き返す。
「あそこが一番安全ですから」
微かに震え始める御者にヨシュアはにっこりと答えた。
「あん……ぜん……?」
御者は馬車に乗った客人に心の底から同情した。
魔法使い達を乗せたロートシルト商会の馬車だけ、スチュワート邸の門をくぐる。
その広い敷地をまっすぐ馬車で進むこと十数分……。
「あの、本当にここに?」
恐る恐る御者が手綱を引き、馬車を止めたのは、本館となる屋敷からはかなり離れた場所であった。
あまりに広いスチュワート家の敷地内には洞窟まである。
ここは、虫愛でる伯爵令嬢であるエマのお気に入りの虫達の住処となっていた。
御者はそのお気に入りの虫達の姿を思い出し、震えがとまらなくなっている。
コンコン、とヨシュアは洞窟の入口をノックする。
虫相手に何を……と普通思うはずの疑問は御者にはない。
あの……アレ……は、もう、虫の域を超えているのだ。
カサカサ?
「ひぃっ!」
恐ろしさのあまり、御者は目を覆った。
何度見ても、どうしても、慣れない。
ヨシュアはそんな御者に肩を竦め、馬のハーネスを解いておくようにと指示をだしてから、玄関(洞窟の入口)に出迎えに来たウデムシに軽く会釈する。
たしか、夜行性だと聞いていたので夜遅くの訪問の断りは省いた。
「少し、預かってほしい者がいるのですが、お願いできますか?」
いつも虫愛でる伯爵令嬢がしているように、ヨシュアはウデムシに話しかける。
この虫達は賢い。
何度か見るうちに、ヨシュアはこの虫達が人の言葉を理解していることに気が付いていた。
カサっ? カササっ?(え? ええ?)
洞窟内は真っ暗で、微かにウデムシ達の動く音が聞こえる。
「助かります」
カッカササ?(ちょっええ?)
残念ながら、ヨシュアはウデムシの言葉は分からない。
だが、この虫達は善良でお人好し。
お願いを断れないことは知っていた。
こういう時は言ったもの勝ちである。
「では……頼みます。あ、逃げ出さないようにだけ気を付けてくださいね?」
カサ? カ、カサッ(へ? あ、気を付けます)
結局、ヨシュアの虫がいいお願いを、人のいいウデムシ達は、了承した。
「あ、あのぅ……できました」
半泣きの御者が、馬車を引いていた馬のハーネスを解き、ヨシュアに声をかける。
自由になった馬は、敷地を流れる小川で喉を潤している。
「では、ロープを馬車の後ろ側の牽引フックにくくりつけて……ああ、ありがとう」
一刻も早くこの場を去りたい御者は、瞬時に動き、フックにくくったロープをヨシュアに差し出す。
「では、よろしくお願いします」
そのロープを、ヨシュアはウデムシの長い第一歩脚へと絡ませる。
カサッ!(うん!)
ズズズ……とウデムシが後退するのに合わせて、フアナと魔法使い達を乗せた馬車が洞窟の入口に吸い込まれていく。
「助かりますー! お礼は今度持ってきますね!」
ニコニコとヨシュアは馬車を飲み込んだ洞窟の入口に向かって手を振った。
「あわわわわ……」
ロートシルト商会の御者は、ただただ客人の無事を祈る。
どんな悪人であろうとも、あんな仕打ちを受けなくてはならないなんて可哀想だと思わずにはいられなかった。
長々と更新を止めて大変申し訳ございませんでした。