脳のバグと噂の有効利用。
誤字脱字に感謝いたします。
「火が……消え……た?」
膝をついた国王が、辺りを見回す。
スチュワート家が編んだ耐火布以外が炎に包まれていた地獄の光景が一瞬で何事もなかったかのように元に戻っていた。
炎に絶望し、諦めた。
あの中で一人、エマちゃんだけがまだ望みはあると魔物に向かって走り出した。
たった一人、幼い少女が魔物へと走り出したというのに、王は止めることができなかった。
諦めの心が、国を失う恐怖が、己の無力さが体を重くしたのだ。
少女を追えたのは、家族だけであった。
国王の盾となっていたアーバンも、一緒に追いたかったのだろう、一歩だけ足を前に出した。
溺愛する姪と国王を天秤にかけ、自制した。
何か奇跡が起き、助かった場合に国王を守らなかったなどと誹りを受けることを避けたのだ。
頭が良いアーバンはきっとそこまで考え、血の涙を流し耐えたのだ。
兄家族が、エマちゃんを止めてくれると信じて。
それでも姪を失うかもしれない恐怖でアーバンの全身は燃え上がった。
一家はエマを魔物から守ろうと動き、アーバンは家族を国から守ったのだ。
その代償は己の命となろうとも。
「……あ……エ……マ……」
全ての炎が消えた今、殆ど炭になりかけているアーバンが横たわっている。
いや、アーバンだけではない。
王も、王子も、アーサーやマリオンも、騎士も狩人も火傷の大小が多少違うだけで同じ様なものである。
「!」
そこへ、スチュワート一家が戻ってくる。
炎が消えたということは魔物を倒したということだろう。
この一家は本当に奇跡を起こしてしまった。
それなのに、とぼとぼという効果音が似合いそうな程肩を落として帰ってくる彼らの姿に、歓喜の雰囲気はなかった。
彼らは、我々の状態に心を痛めているに違いない。
これ程の怪我を負ってしまっては、回復は望めないだろう。
ファイヤーフォックスの炎で負った火傷は治療法がないのだから。
皆、あと数日、命が保つかどうか……。
命をかけたアーバンのためにもこの家族を守るのが、王の最後の仕事となるだろう。
奇跡を起こし魔物を倒した一家が、王を守れなかったと言われないように、彼らに非はないのだと説明するまでは死ねない。
国王は途切れそうな意識を必死で保っていた。
「ううぅ……私のうどんがぁ……。あれ? アーバン叔父様?」
国王の頑張りはさて置き、空腹のエマが瀕死の叔父に気づき、駆け寄る。
「……エ……マ……無………事? 良かっ……」
息も絶え絶えにアーバンがエマに震える手を伸ばす。
「叔父様? なんで……こんなっ」
続いて走って来たウィリアムがアーバンの体を確認する。
「え? なんで?」
「アーバン!」
「どうなっているの?」
ゲオルグ、レオナルド、メルサもアーバンだけでなく、耐火布の上で呻き声を上げている者達を見て驚いていた。
虹色ラクーンも、ファイヤーフォックスも倒した。
幻覚で見えていた炎は消え去り、ウィリアムの膝も、レオナルドの髪の毛も元通りだ。
一家の、田中家の目にはアーバンも、国王も、皆、無傷に見える。
それなのに誰もが痛みに呻いていた。
「…………」
「ウィリアム、どう思う?」
エマが考え込むウィリアムに意見を求める。
魔物を倒したあとの考察は、膨大な知識量を誇るウィリアムの出番である。
「……幻覚……が体に影響? ……でも見た目には変化はないし……。なら問題は、脳? ……極度の精神的ストレスで脳がバグってるとか?」
「どういう事?」
ゲオルグがもっと分かりやすく言ってくれと弟を見る。
「うーん……。魔物による幻覚の作用が消えても、脳がその状態から戻ってこれないかもしれません」
「???」
「痛いと思い込んでしまうと、痛くないところでも痛みを感じるみたいな?」
「??? わからん」
ゲオルグは首を傾げる。
「世間一般の人の脳の構造は、兄様よりも複雑なのです」
「そうなのか?」
「……いや、兄様? 今のは怒って良いところですよ?」
エマの補足に頷くゲオルグにウィリアムがそこは頷いてはダメだと忠告する。
「でも、これは……困りましたね」
事態は深刻であった。
体が元気でも心が病めば、人間は生きてはいけない。
「ウィリアム? それ、痛くないよって教えてやれば良いだけじゃね?」
ゲオルグはまた首を傾げる。
「人の思い込みとはそんな簡単に修正できるものではありません」
ウィリアムが首を横に振る。
「つまり、体の中に虫が蠢いてるって苦しんでいる薬物中毒の人に、いくら虫はいないと言っても全く信じてくれない……みたいな感じ?」
「いや、姉様……例え方……」
エマの例えにウィリアムがゲンナリとした表情に変わる。
「でも、それだと……治せなくね?」
薬物中毒であれば体内の薬を抜くことで回復が見込めるが、彼らは薬であの状態になったわけではないのだ。
「でも、何とかしないといけません。このままでは食事を摂ることも難しいでしょうから」
メルサが心配そうにアーバンの額の汗を拭う。
「はい。それに僕らには無傷に見えますが、資料を読む限り、他の人には火傷しているように見えるみたいです」
王国で手に入れられるファイヤーフォックスの資料には、炎は幻であるとは書かれてはいなかった。
書かれているのは、治療が不可能な火傷を負うという記載のみである。
「治療者をも巻き込んだ集団催眠? それとも……幻覚の後遺症? 最後っ屁? どちらにしろ、症状が続くし、続いて見えるってことです。きつねとたぬきに化かされたってイメージが持てる僕らは、魔物を倒したことで終わりだと切り替えができたけど……」
そのイメージの文化のないこの世界の人間は、一生苦しまなくてはならないのかもしれない。
ファイヤーフォックスの火傷による死だといわれている原因の大半は、きっと餓死なのだろう。
食事を取れないほどの痛みと苦しみが人を殺すのだ。
「そんな……アーバン」
レオナルドがアーバンの手を握る。
家族にはいつもどおりの美しいアーバンの姿だが、本人は全身の火傷の痛みに言葉も交わせないくらい衰弱していた。
「このまま見てるしかないってことかよ!」
ゲオルグが声を荒らげる。
助かったのは、田中家だけだった。
「……エ………マ」
アーバンが愛するエマを呼ぶ。
「………」
「姉様?」
最後の力を振り絞るようエマを呼ぶ叔父に、応えるでもなくエマはじっと考え込んでいた。
「エマ、アーバンの手を握ってやってくれ」
「エマ、お願い」
「エマ?」
レオナルド、メルサ、ゲオルグがエマを見る。
「つまり……思い込みを上書きすれば良いのよ……」
そうだ、そうだ、とエマは思いついた案に一人納得する。
「どういう……」
ゲオルグが倒して、ウィリアムが補足説明、エマが解決策を思いつく。
いつもの魔物かるたの手順が、ここで発揮される。
よし! と覚悟を決めて頷いたエマはレオナルドと代わり、アーバンの手を握る。
「叔父様、エマです。聞こえますか?」
「エ……マ」
弱々しくアーバンが頷く。
「叔父様、よく聞いて下さい。実は私、【聖女】なのです」
「せ………じょ……?」
「はい。【偽物】ではありませんよ? 【本物の聖女】なのです」
エマの声は真面目で、真っ赤な嘘を言っているようには聞こえない。
「姉様……なにを?」
「こいつ、相変わらず堂々と流れるような嘘を……」
ウィリアムはエマが何をしようとしているのか分からず、ゲオルグは前世で港の嘘で痛い目を見た苦々しい記憶を思い出す。
「叔父様、知っていますか? 【聖女】って凄いのですよ? 魔法のように怪我を治せるのです!」
兄弟の声は無視して、エマはどんどん嘘を重ねていった。
「叔父様の火傷なんか、ちょちょいのちょいなのです!」
「……っふ」
この可愛い姪は、気持ちだけでも楽にしてくれようと、こんなにも真剣に嘘を吐いてくれるのかとアーバンの口元が緩む。
「あ、叔父様、信じてくれないのですか? 本当なんですよ! ずっと王都で【偽物】扱いされて、噂……とか流されても何も言わずに黙って耐えてたのに……。お、叔父様だから、勇気を出して、初めて打ち明けたのに……エマ、悲しい……」
そう言ったエマの瞳は潤み、ツゥーと一筋の涙が頬を伝い、アーバンの頬に着地する。
「っ! っち! 信んっ!!」
突然の可愛い姪の涙に、瀕死の様相だったアーバンが必死に首を横に振り、反応する。
「あいつ……あの嘘泣きに俺がどれだけ……」
騙されたか。
エマ、というか港に……とゲオルグはさらに苦い顔をする。
「姉様……まさか……いや、無理があるでしょうソレは……」
ウィリアムは姉のやろうとすることを察して、それでも難しいだろうと予測する。
が、エマはどんどんとアーバンの洗脳(?)を進めてゆく。
「嬉しい! 信じてくれるのねっ! 叔父様、だーいすき!」
「!」
愛しい姪に、ぱぁぁぁぁぁっとアーバンの顔が明るくなり、盛大にデレる。
「叔父様、エマの言うこと絶対、絶対疑っちゃダメだからね?」
デレデレアーバンはコクコクと力強く頷く。
瀕死の人間って、こんなにも頭を上下に動かして無事でいられるものだろうか、と端から思うほどにそれはそれは激しい動きだった。
「エマ、【本物の聖女】なの!」
コクコクと激しく頷くアーバン。
「聖女はね、怪我を治せるの!」
コクコクと激しく頷くアーバン。
「叔父様の怪我だって、治せるの!」
コクコクと頷くアーバン。
「見ててね? 痛いの、痛いの、飛んでいけー!」
コクコクと頷くアーバン。
「ほら、治ったでしょう?」
「………!」
コクコクと頷きかけたアーバンが、体に異変を感じて、ガバッと上半身を起こす。
「「アーバン!」」
「「叔父様!?」」
レオナルドとメルサ、ゲオルグとウィリアムが叫ぶ。
「……痛みが……ない? え? 本当に? な……おってる?」
アーバンは一瞬で真っ黒に焦げた体が治ったことに驚く。
姪狂いは姪の言葉を百パーセント信じたことで助かった。
エマにより幻覚から醒めた……もしくは洗脳の上書きが成功したのである。
「凄い……うちの姪が聖女だったなんて、しかも私も知らない途轍もない能力を……」
ワナワナと可愛い上に素晴らし過ぎる姪を持った喜びに震えるアーバンに、違う、そうじゃない……とメルサ、ゲオルグ、ウィリアムが首を横に振る。
助かったのに、可哀想にという同情の眼差しで。
「あれ? エマは?」
はっとして、アーバンは命の恩人である姪を探すが、そこにエマの姿はない。
「陛下、よく聞いて下さい。実は私、聖女なのです」
エマは国王を前にまた、嘘を吐いていていた。
「ほら、アーバン叔父様を見てください! 私が治したのです」
「え、エマちゃんが? え?」
「くすんっ……。陛下は、エマのこと信じてくれないのですか? 陛下もエマのこと、偽物だっていじめるの?」
「なっ! そんな訳ないぞ! 私はエマちゃんを信じるとも!」
どんな時も、どんな時も、おじさんホイホイの効果は絶大である。
「痛いの、痛いの飛んでいけー!」
「な、治った……だ……と?」
国王は、己の頭を触って確認する。
「エマちゃん……君はなんて子……あれ? どこに!?」
命の恩人であるエマは、国王の側からいなくなっていた。
エマは倒れているエドワード王子の元へ移動していた。
「殿下、実は私、聖女なのです!」
「せ……じょ? てん……しでは……なく……て?」
エドワードは死に際に現れた天使のようにキラキラ眩しいエマを見上げる。
「ん? まぁ、この際どっちでも良いですけど……。私、聖女で天使なので怪我とか治せるんです。ほら、陛下も元気になりましたよー」
この調子で、エマは次々とファイヤーフォックスの炎で負傷した者達を癒やしていった。
嘘も方便とはよく言ったもので、エマが吐けば吐くほどに皆が回復していった。
謎に集まっていく確かなエビデンスが、エマのことを詳しく知らない、接点の少なかった騎士や狩人までをも信じ込ませることに成功したのである。
「うわっ……姉様……ガチで一人で治しちゃった……」
耐火布の上に倒れていた人々が次々に起き上がるのを見たウィリアムが、こんなに上手くいくのかと驚いて、若干引いている。
「あいつ……ちゃんと成功率高そうな人から試してやがる……」
手のひらで転がし易いおっさん(アーバン、国王)を先に狙っているあたり、確信犯だとゲオルグは頭を抱えた。
「航兄、おじさんはね? 手のひらで転がすのではないの、皆、自ら進んで転がりに来るの。私はただほんの少しだけ、そっと指先で押してあげるだけなの。そうすれば、自分から転がり始めたおじさんは、もう、何もしなくても勝手に転がり続けるわ。その姿がとても可愛いと思わない?」
そう言って笑う港の笑顔は小悪魔なんてものでは決してなかったと、前世で港から聞いた言葉を思い出したゲオルグは震えた。
シリアス「おれはっ負けねー! ゼェゼェ」
ピンチ「も、もうやめようよぉー。シリアス何回死ぬ気なんだよ〜!」
コメディ「まあ、現場久しぶりだから肩慣らし程度にしとくかな? お? 貴腐人お友達か?」
ラブコメ貴腐人「うふふ、彼女そろそろ動きたいって言うから連れてきちゃった」
ホラーの姉貴「恐怖、恐怖って連呼してたから来ちゃった。あら? でも、もう終わっちゃった?」
コメディ「ああ、前言ってたヤンデレの……」
ラブコメ貴腐人「シィーーっ!!」




