恐怖を堪えて微笑むよりも。
誤字脱字報告に感謝いたします。
今回、最後ちょっとグロ注意です。
「うわぁーー! ああぁ!」
突如、キャンプ地に悲鳴が響き渡る。
何事かと見回せば、前線にいた騎士がガタガタと全身を震わし、魔物がいる方向を指差していた。
「どうし……!! うわっ!」
「そんなっ!! ギャッ!」
「どういうことだ!? ぐぅっ!」
騎士の指差した方向へと視線を向けた者達は次々に同じように悲鳴を上げ、震え出す。
その表情は恐怖で引き攣っていた。
彼らの恐怖にファイヤーフォックスの炎が引火する。
「見るな! 見ると燃えるぞ!」
それを見た者が魔物を見てはいけないと声を荒らげる。
「う、う、う、うわあぁぁぁ!」
だが、引火して勢いよく燃える仲間を目の前にして、精神を安定させられる者は少なかった。
恐怖とは連鎖するものなのだ。
指差した方向を見なかった者は見なかった者でまた別の恐怖が顔を出していた。
「あ、あそこに……な、何がいるんだ?」
こうなってしまえば、見ても見なくても恐怖から逃れることができなくなってゆく。
最初に悲鳴を上げた騎士が指差した先には虹色ラクーンがいた。
虹色ラクーンはファイヤーフォックスの隣に並び、器用に後ろ脚だけで立ち上がり、
「ギュイ、ギュイ、ギュイ!」
と、鳴き声と共に空いている前脚と前脚を重合わせ、天に向かって突き上げる動きを繰り返している。
ギュイ……と鳴いて重ねた両前脚を天に突き上げる度に、魔物にしては小柄な虹色ラクーンの体が、ポンっと一回り大きく膨らんだ。
ギュイ、ポンっ、ギュイギュイ、ポポンっと……と虹色ラクーンは繰り返し、どんどんと膨らんで大きくなっていった。
みるみるうちに巨大化していった虹色ラクーンを見上げた騎士が、狩人が、上から見下ろす虹色ラクーンの瞳の餌食となる。
虹色ラクーンの瞳を見たら最後、心の奥底にあるかないかほどの恐怖さえ、幻覚によって引っ張り出され、大きく増幅する。
そして、その恐怖にファイヤーフォックスの炎は反応し燃え上がるのだ。
「ギャァァァ!」
「ヒィー!」
突如始まった虹色ラクーンとファイヤーフォックスの逃げ場のない連携攻撃に、前線を守る騎士や狩人達は、なんの抵抗もできずパニック状態となった。
恐怖に引火した炎は、どんどんと激しく燃え上がり、事態はどんどん悪化していく。
「エマっ! くっ」
引火した騎士や狩人達の炎の熱気がエマとエドワード王子に襲いかかる。
恐怖の連鎖はもう、止められない。
騎士や狩人達が発する炎と悲鳴の中、王子の手がエマの目を覆う。
「うっ、エマ……絶対に、見るな!」
虹色ラクーンも彼らの燃える姿も、どちらも王子は見せたくなかった。
耳をつんざくような悲鳴がそこここで上がっており、今さら目を覆ったとしても気休めにもならないことは理解していた。
それでも必死で、できる限りエマを守ろうと足掻いた。
エマを失うかもしれない恐怖に、王子の脇腹の炎は、再び勢いを取り戻していた。
「メルサ、私の後ろに……エマもこちらに来なさい」
レオナルドはメルサを後ろに下がらせ、少し離れていたエマに声をかける。
「陛下、見てはなりません。顔を上げないで下さい」
アーバンは急激な事態の悪化を警戒し、国王の前に一歩出て、盾となる。
二人とも、先程までメルサに怒られ縮こまっていた姿とは打って変わって狩人の顔になっていた。
「助けてぇー!」
「わっ! ……あ……どうしよう……怖い。 あっ! ひっ」
ウィリアムの横にいた狩人が、勢いよく燃え上がる。
突然の炎に驚いたウィリアムの膝に、炎が引火する。
「ウィリアム!」
ゲオルグは狩人から離そうとウィリアムを引き寄せ、引火した炎を消そうと上着を脱いでウィリアムの膝に被せた。
だが、炎が焼くのは膝のみで被せた上着は燃えず、消火できない。
「あ、ウィリアム君……あつっ!」
「うう……」
アーサーとマリオンもウィリアムを心配できる余裕はなく、増してゆく体の炎に顔を顰めて堪えるだけで精一杯であった。
一瞬だった。
ほんの数分前まで生温かい目をしてエマと王子を見ていた前線を守る騎士や狩人は、全身を炎に包まれて転げ回っている。
数分前まで笑いを堪えていたベル兄妹も炎の勢いが増し、動くこともできない。
王国最大の辺境領を治めるスチュワート家も、動こうにも火だるまになって転げ回る者にぶつかりそうで、周りを警戒しつつ手も足も出せなかった。
「これは……もう……」
全滅だろう。
あの国王が、ガクっと膝をついた。
魔物とこちらの間には、炎、炎、炎。
耐火布の外は辺り一面真っ赤に燃えている。
一か八かで攻撃しに走ったとしても、魔物に辿り着くまでにこちらが炭になるだろう。
打てる手が、見つからなかった。
今ここが地獄でなければ、一体どこが地獄だと言えようか。
国王は生まれて初めて本当の絶望を知った。
魔物は簡単に人間を、国を、滅ぼす。
この世界に生きる者ならば、誰もが知っていることだ。
だが、自分がその滅ぼされる側になるとは考えたことがなかった。
王都に暮らしていれば、魔物に出遭うことはまずない。
魔物は危険。
そんなこと誰もが知っている。
知っているだけで、その先を想像できなかった。
ほんの数分前まで己の命の終わりが近いなんて考えもしなかった。
なんとかなる、できる、なんならしてみせる、と思っていた。
覚悟はある、つもりだった。
その覚悟自体がとんだ甘ちゃんだったことをようやく理解した。
死への恐怖は確実に体を強張らせ、強張ったところから追い打ちのように、次々に炎が上がる。
燃えない耐火布の上で、燃えている皆が思った。
我が人生はこんなところで、こんなにも早く終わるのか? と。
ただ恐ろしい。
おかしくなってしまいそうだ。
誰か、誰か、助けて。
誰でもいい。
この恐怖から一刻も早く逃れる術を………!
恐れれば恐れる程にファイヤーフォックスの炎は燃え広がっていく。
五分後、十分後の未来さえももう、保証がない。
命を諦めるしかもう……。
その時、
「あの……殿下? 私は大丈夫ですから手を離して下さいませんか?」
エマが覆っていたエドワード王子の手を掴んだ。
いつものような、のんびりとした声だった。
「何を言っている!? まさか、エマ。魔物を見たいとでも言うつもりか?」
額に大粒の汗を浮かべ、エドワード王子はダメだ! と大きく首を横に振る。
「殿下、このままではいけません。突破口を見つけなくては」
ゲオルグのような力も、ウィリアムのような魔物の知識もないエマが、ここでできることは一つだけだ。
この時点で対策案が何も浮かんでこないならば、実物を見るしかない。
「私が、みつけます。あの魔物達を倒す方法をみつけてみせます」
「だめだ! エマ!」
王子が叫ぶ。
「ちょっ姉様、そんな毎回上手く見つけられるとは限らないのですよ!」
「エマ! 無茶をするな!」
膝が燃え、座り込んでいたウィリアムとその火を消そうと奮闘していたゲオルグもエマの言葉に反対する。
兄弟はエマの発想力が常軌を逸していることを充分に理解していたが、それでも止める。
今、魔物を見ることは、自殺行為だった。
危険過ぎる。
「エマ、こっちに来なさい」
「エマ、お願いだから言うことを聞きなさい!」
レオナルドとメルサも声を上げる。
「でもっ」
「にゃーん!」
皆が反対する中、大丈夫とでも言うようにスルリとコーメイがエマに擦り寄った。
「私はコーメイさんが側にいれば何も怖くないわ!」
家族がダメだと言って、やめるようなエマではない。
掴んだ王子の手を外して、一歩踏み出す。
「エマ……よせっ」
王子は必死で止めようと手を伸ばすが、限界だった。
脇腹の炎は既に広範囲に広がっていたのだ。
「やめろ!」
「姉様!」
「エマ!」
「やめて!」
止めようとする家族の手が届く前に、エマは思いきって顔を上げる。
騎士や狩人達の反応で、そこにファイヤーフォックスだけでなく虹色ラクーンもいることは分かっていた。
「っ!? 大きい!!」
軽く顔を上げた程度では全体像をつかめないくらい、虹色ラクーンは巨大化していた。
エマはゆっくりと顔を上げていった。
全てを見なくては何もわからないからと。
躊躇うことなく、虹色ラクーンの首から上までを一気に見上げた。
「っ………う……そ……?」
どの魔物の資料にも虹色ラクーンの顔の詳細は描かれていない。
なぜならば虹色ラクーンの目を見た者は正気を失うためだ。
そんな虹色ラクーンの顔を見たエマの目が、どんどん大きく見開かれていった。
見れば恐怖で狂うとまで言われる虹色ラクーンをエマは凝視する。
「まさ……か……」
ギギギッとエマの視線が隣のファイヤーフォックスに移る。
「こんなっ……事って……!」
「エマっ!」
突如、エマは駆け出した。
しかも恐怖のために二匹の魔物から逃げるのではなく、魔物に向かって駆け出したのである。
魔物側の耐火布の端には、前線の騎士や狩人達が火だるまになって転がっていたが、その間をもエマはすり抜けて走る。
視線はずっと魔物に釘付けで、狂ったように一心に魔物へ近づこうと走った。
「っエマ!」
追いかけて来たレオナルドがエマを止めたのは、敷いてある耐火布の内ギリギリのところだった。
耐火布の外は炎の海だ。
一歩でも出れば炭になる。
それなのに、エマに躊躇う素振りはない。
「しっかりしろ、エマ!」
レオナルドがエマの肩を揺する。
溺愛する娘があと一歩で燃えてしまうところだったと語気が強くなる。
「お……とう、さ……ま」
エマは父親の声に答えるも、魔物から目が離せない。
その声は小さく掠んでいた。
「エマ! 大丈夫だ! 私はここにいる!」
レオナルドは視線の合わない娘をぐいっと引き寄せる。
何があってもこの子は守ると毎日毎時間毎分毎秒心に誓って生きてきたのだ。
「エマ! 気をしっかり持ちなさい!」
レオナルドに遅れてメルサもエマのいる耐火布の端までやってくる。
キャンプ地を焼く炎の勢いで呼吸すら上手くできない耐火布の端で、魔物に魅入られた様子のエマに喝を入れる。
「エマ!」
「姉様! なんで、こんな無茶を……」
ゲオルグとウィリアムも必死で止めようと走ってきた。
ここで、エマが体を張るような展開はなしだ。
ゲオルグが現地で魔物を倒し情報を集め、ウィリアムがその膨大な知識量で補足説明し、エマが解決策を出す。
これがいつも魔物かるたを作るためにやってきた手順だ。
この手順だけは守らなくては。
エマが現場で自分の身を犠牲にして解決する。
そんな方法を、家族は絶対に絶対に絶対に認められない。
あの局地的結界ハザードの時のような、あんな苦しい思いを、レオナルドも、メルサも、ゲオルグも、ウィリアムも、二度と経験するのは御免だった。
「お……か、あ……さま?」
「大丈夫よ、エマ! ここにいるわ!」
か細い声で母を呼ぶエマに、メルサが答える。
「お……に、い……さ……ま?」
「エマ! しっかりしろ!」
震える声で兄を呼ぶエマに、ゲオルグが答える。
「ウィリ……アム……早く……早く……」
「はい! 姉様なんですか!?」
急かすような声で弟を呼ぶエマに、ウィリアムが身を乗り出す。
何でも言うことを聞くから、お願いだから魔物から目を離してくれという気持ちで。
「早く……お湯を、沸かして……」
「はいっ! お湯ですね? え…………お湯?」
はいっ! と反射で答えたウィリアムだが、エマの言葉に首を傾げる。
「お湯?」
「は?」
「なに言って……?」
寒いのか? とレオナルドがエマを抱こうと手を広げたが当のエマは違う、そうじゃない! と父親の腕を振り払う。
「エマっ!?」
「アレを、見て!」
エマは真っ直ぐに魔物がいる方向を指差した。
先程同じ方向を指差した騎士も、その声に反応した者達も今では同じように火だるまになって転がっているというのに。
「姉様……何を言って……もう……」
ウィリアムがもう姉は手遅れなのかと顔を歪める。
「いいから、早く! 大丈夫だから! 早くしないと逃げちゃう!」
エマが叫んだ。
見ろと言う場所には魔物しかいない。
明らかにエマの様子がおかしかった。
だが、
「ウィリアム?」
「……はい」
ゲオルグとウィリアムはお互いに目を合わせて頷いた。
どの道打つ手はもうないのだ。
ならば、
「そうね。エマを、信じましょう」
メルサも覚悟を決める。
「あ、ああ。そうだ。父親が信じなくて誰がエマを信じるというのか」
エマが見ろと言うならば見るだけだと、レオナルドも覚悟を決めた。
「いいか? せーのっで、顔をあげるぞ?」
レオナルドが緊張で噴き出す冷や汗を拭う。
ここで、一家が倒れれば間違いなく王もろとも全滅するだろう。
それでも、
「ええ!」
「はい!」
「はい!」
メルサ、ゲオルグ、ウィリアムも異存はなかった。
そう、エマがおかしいのは今に始まったことではないのだから。
「せーのっ」
エマに倣い、四人はしっかりと魔物がいる方へと向かって顔を上げ、目を見開いた。
「「「「っ!」」」」
レオナルドも、メルサも、ゲオルグも、ウィリアムも、ソレを見た瞬間言葉を失う。
そして、エマと同様、虹色ラクーンからファイヤーフォックスへ視線を動かす。
「「「「はっ!」」」」
大きく目を見開いたあと、再びファイヤーフォックスから虹色ラクーンへ視線を戻す。
一家は二匹の魔物を首だけ動かして何度も何度も見比べた。
その揃った動きは警戒中のミーアキャットのようだった。
そのくらい真剣だった。
レオナルドの冷や汗が頬を伝い、流れ落ちた。
なんと虹色ラクーンは、一家にとってはとても見覚えのある姿をしていたのである。
前世日本の、ど田舎で生まれ育った田中家はその動物を知っていた。
少々の違いをあげるのならば、森を背にしているために、毛色が生い茂る木々の色になっている。
「「「「…………」」」」
そして隣には真っ赤に燃えるファイヤーフォックス。
田中家だった頃の記憶は、寸分の迷いなく二匹の魔物の姿をあるものに連想させていた。
真っ赤に燃えるファイヤーフォックスは、
「あ……赤い色のきつね………?」
ゲオルグが唇を震わせる。
木々の緑を毛色にした虹色ラクーンは、
「み……緑色の……た……ぬき……?」
ウィリアムが唇を震わせる。
「だ……よな……?」
「……そう、ね?」
レオナルドとメルサも息子達に同意する。
その瞬間、ポンっという破裂音がして、虹色ラクーンとファイヤーフォックスが、
「「「「「あっ!!」」」」」
例のあの、おなじみのカップ麺に変化した。
この時既に、一家は虹色ラクーンの幻覚に囚われていた。
何度も言うが、虹色ラクーンは人の恐怖心を増幅させることができる。
恐怖に繋がるイメージを大きくして幻覚を見せ、人間をパニックに追い込み狂わせるのだ。
虹色ラクーンの幻覚は、一家に対し見事に成功していたのである。
だが、虹色ラクーンとファイヤーフォックスの姿がアレだったために、一家の恐怖に繋がるイメージは統一され、具体的かつ特殊な、この世界には存在しない形へと変貌したのである。
きゅるるるるるるる✕5
腹の虫が、鳴く。
大合唱だ。
辺境を治めるスチュワート家は、ほんの数年前まで食べる物にも困る極貧生活をしていた。
当時の生活不安と空腹は簡単に忘れられるようなものではなかった。
一家の根底にある【恐怖】とは、即ち空腹だった。
前世を思い出した後からの日本食への異様な執着も、食い意地の張りようも、全てはあの時期を過ごしたことで拍車がかかっている。
一家も人間だ。
虹色ラクーンの瞳を見ることで他の者と同じように、心の奥底から恐怖が湧き上がっていた。
そう、恐怖(空腹)が。
恐怖(空腹)する一家の前にいたのは、最強タッグの魔物、ファイヤーフォックスと虹色ラクーン。
虹色ラクーンの力により、どんどんと恐怖(空腹)が増幅されてゆく。
そんな、腹ペコ一家の目の前にいるのは……。
なんとも美味しそうな【赤い色のきつね】と【緑色のたぬき】だった。
暮れなずむキャンプ地の炎と阿鼻叫喚の中、空腹の一家が叫ぶ言葉は。
「「「「「なンですかぁ~これはぁ〜!」」」」」
一つしかない。
そうなれば、空腹を堪えて蹲るよりも、目の前の食料に飛びつくのが、スチュワート家である。
「兄様! まずは蓋を蓋を剥がすのです!」
一家で一番始めに幻覚に陥っていたエマが指示を出す。
「お、おう!」
ゲオルグが幻覚により姿を変えた魔物に向かって走り出す。
「お父様! 粉末スープを取り出して!」
「よしきた!」
レオナルドもゲオルグに続いて走り出す。
魔物の術中にどっぷりと浸かっている二人は耐火布の外がどんなに燃えていようが、躊躇うことはなかった。
最優先は空腹を満たすことなのだ。
「ウィリアム、何してるの!? 早くお湯よ!」
「そ、そんな、急にお湯なんて……いや、こんなに燃えているんだから……この水筒の水も沸騰しているはず!」
ウィリアムはお湯を探してキョロキョロと見回した後、自分の腰にぶら下げていた水筒に気づく。
ウィリアムの膝は先程から燃えていて、炎がなんともいい具合に水筒を炙っていた。
「母様! ウィリアムがお湯を入れたら数えますよ! いいですか? 三分ではなく五分ですからね! ここ重要です!」
「そうね。間違えやすいところね。六十かける五……三百秒ね!」
メルサがエマの注意事項にしっかりと頷く。
お湯、剥く、数える。
美味しく食べるための手順は、奇跡的にも数日前に仕留めたロック鳥と似ていた。
「ギュワァーー!」
虹色ラクーンの叫び声が辺りに響き渡る。
「兄様? 何をぐずぐずしているの!」
空腹時のエマは厳しい。
「あれ? これ? 蓋が……なかなか剥がれないぞ?」
幻覚で蓋に見えているものをゲオルグが懸命に引っ張っている。
実際は虹色ラクーンの尻尾を引き千切ろうとしていた。
「ゲオルグ、先に外側のフィルムを外さないとダメだ!」
蓋より先に透明のフィルムだとレオナルドが気づく。
「あ、ああ。そうでした! フィルム……これ、このフィルムも剥がしにくい……あ、そうだ」
ゲオルグは、耐火布を編むのに使っていたかぎ針をポケットから出し、何の迷いもなく緑色のたぬきに突き刺した。
「ギュ、ギュワァーー!!」
刺された虹色ラクーンが、叫ぶ。
幻覚を見ている人間に攻撃されるなんて、初めてだった。
「グルルルルル!」
突然の反撃に反応が遅れていたファイヤーフォックスが、虹色ラクーンを助けようと動いた。
「おっとぉ! ゲオルグ、うどんの方は私に任せなさい!」
そう言うと、レオナルドも愛用のかぎ針を取り出しファイヤーフォックス目がけて突き刺す。
「グルルルルルァー!」
レオナルドにがっしりと掴まれたファイヤーフォックスは動けない。
虹色ラクーンとファイヤーフォックスは混乱を極めた。
魔法の気配など全くないのに、虹色ラクーンの目を見た人間が攻撃を仕掛けてきたのだ。
虹色ラクーンは己の仕掛けた幻覚に手応えを感じていた。
あの人間達は、恐怖が最大限に増幅されている筈……。
それなのに、効いていない?
なぜ?
「ギュワァー!」
「グルルルルルァー!」
最後は、あっけないものであった。
人間に負けるはずがない最強魔物タッグの断末魔の叫びがキャンプ地に響き渡る。
「「よし、ウィリアムお湯だ! お……ゆ? ……あれ?」」
生き生きとした顔で、レオナルドとゲオルグがウィリアムにお湯を求めたところで、二人は虹色ラクーンの幻覚から覚めた。
二匹の魔物が息絶えたのだ。
今の今まで見えていたものがなくなっていた。
「え!? うどんは!?」
レオナルドが驚いて辺りを見回す。
「あれ? そばは!?」
ゲオルグも驚いて辺りを見回す。
「「フィルム剥がして、蓋剥がして、粉末スープの中身出したやつ、どこにいった!?」」
あとはお湯を入れて五分間待つだけだった。
「「ん? なんだこれ?」」
うどんとそばがあった筈の場所には、生皮をきれいに剥がされた挙げ句、腹を割かれ、臓物を引っ張り出して、引き千切られたあとに元に戻された、無惨な二匹の魔物の死骸が横たわっていた。
「ん? いや、違う。違うぞ! ここに、この世界にカップ麺がある訳がないんだ!」
レオナルドがあれは前世のものだったと頭を整理する。
「はっ! あれ? あ! そう……ですね?」
え? だったら今まで見ていたあれはどこに? とゲオルグ。
「あれ? うどんは? そばはどこに行ったんですか? ひっ! グロっ! なんですか? これっ」
水筒を持って走ってきたウィリアムがファイヤーフォックスと虹色ラクーンだったものを見て、反射的に目を背ける。
「うわぁ……魔物だろうと……こんな酷い仕打ち……一体、誰が?」
「…………」
「…………」
そこにいるのはレオナルドとゲオルグだけである。
「いや、あー……」
「うん、えーと……」
非常に気まずい空気が流れる。
「ウィリアム! 早くお湯を入れてって! え? あれ?」
「どうしたのです?」
いくら待ってもお湯を注がないウィリアムに待ちきれずにエマとメルサも走ってくる。
そして、幻覚から醒めてしまった一家に悲しい現実が降りかかる。
「嘘、でしょう」
「これは……」
エマがショックで膝をつき、メルサも驚いて一歩後退る。
「ねぇ、嘘だと言って! 私のお腹はもう、うどんのお腹なのよ!」
酷いっと全てを悟ったエマが地面を叩いて全力で嘆き悲しむ。
「全部、幻覚だったってこと? うどんも、そばもないの……? 私達、きつねとたぬきに化かされてたってことなの?」
変わり果てた姿で横たわるファイヤーフォックスと虹色ラクーン。
そびえ立つほどの巨体は、見る影もなく萎んでいた。
いや、この大きさが本来の大きさであり、幻覚により大きく見せていただけだったのである。
「あ、あー! どうりで、昔から虹色ラクーンを倒す度に麺が食べたくなったわけだ」
合点がいったとレオナルドが一人頷いている。
以前に遭遇したのは、前世を思い出す前だった。
魂だけが覚えていて、緑色のたぬきを見ることで麺欲が刺激されてしまっていたのだ。
「え? 父様? その時魔物の資料協力できたのでは?」
その当時に資料協力して姿絵が魔物図鑑に載っていれば、ここまで追い詰められなかったかもしれない、とウィリアム。
「ウィリアム、皆が皆、図鑑の魔物の絵のあるなしを覚えているとは思わないでくれ」
当時はレオナルドも勉強中の身で、そこまで気がまわっていなかったのだと言い訳する。
「父様……」
「あなた……」
「え? は? そんなの皆覚えているんですか!?」
「兄様……」
「ゲオルグ……」
スチュワート伯爵家の将来に一抹の不安を覚えつつ、国をも滅ぼす最強タッグの魔物はなんとなく残念に倒されたのであった。
シリアス「ピンチ! 今だ、今しかねぇ!」
ピンチ「い、いや、シリアス落ち着け」
シリアス「今日は朝から調子がいいんだ。」
ピンチ「あ、ああ。コメディの旦那のリモートも動いてない……だが……」
シリアス「ふふふ、これからは俺たちの時代だーー! ……ごっふっ!」
ピンチ「シリアス!?」
コメディ「ただいまー! お、二人共働いてるか? いや、さすがに車の運転中はリモートできなかったなぁ」
シリアス&ピンチ「コメディの旦那!?」
コメディ「旅行で休んだ分、ちゃんと働くぜ☆」
シリアス「ごっふっ! ゲホッ!」
ピンチ「旦那やめて! シリアスのライフはゼロなんだよー!」
コメディ「ん? 俺はライスは大盛り派だぞ?」




