魔物の正体。
誤字、脱字報告に感謝致します。
「そんなバカな!? ファイヤーフォックスだと!?」
スカイト領の領主はウィリアムの言葉に己の耳を疑う。
ファイヤーフォックスが王国に出現するなんて聞いたことがない。
魔物学の授業でも【上級】を受けなければ名前を見ることすらないくらい、この国での知名度はかなり低い。
ウィリアムが知っているだけで十分驚くほどなのに、よりによってそれが出現したと言われても、簡単に頷けはしない。
どう考えても、王国でファイヤーフォックスの出現はあり得ない。
「ヴォルフガング先生、この特徴的な火傷を見て下さい。……炎を扱う魔物の中で人間の肌だけを焼くなんて芸当ができるのは、ファイヤーフォックスしかいませんよね?」
懐疑的なスカイト領領主の様子に、ウィリアムは学園の魔物学の担当教師に判断を仰ごうと声をかける。
「う、うーむ。ファイヤーフォックス……はさすがに……違……いや、これは……!」
火傷を見た瞬間、魔物学の教師が驚きの表情で狩人の実技の教師を見た。
「これは……ファイヤー……フォックスの火傷……だ……」
続いて火傷を見た狩人の実技の担当教師も頷く。
「どうすれば……」
魔物狩りにおいて一番重要になるのは魔物の判別である。
それが叶ったというのに、二人の教師の表情は暗い。
「気の毒に……」
魔物学教師は火傷の痛みに苦しむ騎士に同情し、顔を歪める。
この火傷は治療ができない。
ファイヤーフォックスの火傷は、冷やしても薬を塗っても時間が経ってもなんの効果もなく、回復しない。
この騎士は今後、治らない火傷の痛みに耐え続けるか、腕を切り落とすかを選択しなくてはならないだろう。
ただ、この状況を脱することができればの話だが……。
「にゃーん」
「え、ダメなの?」
エマがスライムの時のようにヴァイオレットに治療を頼もうとスカートを掴むが、コーメイに止められる。
「うにゃ」
これはヴァイオレットの糸でも無理にゃとコーメイが首を振る。
ヴァイオレットもスカートの中でカサカサとあれはできないと訴えていた。
スライムの時の怪我とは全く違うから、と猫と蜘蛛が教える。
「にゃーにゃ!」
カサカサ!
「え? 外からの治療は何もできない……ん? どういうこと?」
愛猫と愛蜘蛛の主張に、エマは首を傾げる。
「なんで! なんでお前ばっかり!」
突然、負傷した騎士に寄り添っていた騎士が悔しそうに地面を叩いた。
「こいつ……子供の頃、家が火事で燃えて兄貴を亡くしたんだ。それなのに……また、火がっ」
火傷を負った騎士は過去の出来事から特別に火を恐れていた。
それが仇となってしまった。
「火を、怖がってはいけないのです」
メルサが慰めるように、嘆く騎士の肩に手を置く。
そして、皆にも聞こえるように声を張る。
「皆様、よく聞いてください。ファイヤーフォックスの炎は人が恐怖する心に引火するのです」
相対する魔物の情報は周知徹底すること。
魔物狩りにおいての鉄則である。
それがどんなに救いのない情報だとしても皆が知らねばならない。
知らないことで状況を悪化させるのを回避し、局地的結界ハザードでのエマのように何か、誰かが、打開策を見つける可能性もあるのだから。
「恐怖? に、引火?」
国王が聞き返す。
見えもしない恐怖なんてものに火がつくと言われても国王には理解ができない。
「はい。陛下、皆様も……どうか気持ちを、心を強くもって下さい。何か楽しい事を考えるのです。現状、それ以外にこの炎から逃れる術はありません」
アーバンが国王に答える。
どんなに馬鹿げた方法に聞こえたとしても、生き残りたいならば実行してもらわなければならない。
「この状況で……怖がるなということですか?」
アーサーも理解し難いと質問を重ね、アーバンも真剣な顔で答えた。
「ええ。無理矢理にでも別の、恐怖とは結びつかないことを考えて下さい」
「……それは、なかなか難しそうですね」
第二王子エドワードの幼馴染みで護衛のアーサーは周囲を見回して、引きつった顔で笑う。
見えるところの殆ど全て、炎に覆われている。
魔物の姿が見えなくとも、ここはもう戦場と同じくらいに危険な場所になっていた。
フランチェスカ嬢と双子が保護者達の機転により、いち早く離れていたのは不幸中の幸いであった。
荒事に慣れていない令嬢では到底耐えられそうもない状況なのだから。
アーサーは運悪く、この場に残ってしまった令嬢である妹のマリオンとエマを心配し、様子を窺う。
だが、アーサーの心配をよそに女の身で騎士になりたいというだけあり、緊張はしているが妹マリオンに極度に怖がっているような様子はない。
我が妹ながらさすがである。
それとエマちゃんは……? うん。
巨猫の胸毛のモフモフを堪能中……っと。
こちらも魔物が多い辺境パレスで育ったせいか、肝の据わり方が十三歳の令嬢とは思えない落ち着きようである。
令嬢達が毅然としている中、自分が弱音を吐いている場合ではないな、とアーサーは気を引き締めた。
ただ、スカイト領の領主や狩人達の狼狽する様子に不安そうな顔を見せる騎士も少なからずいた。
「……で、どうやったらアレを倒せる?」
シン……と、周りが黙り込む中、国王が口を開く。
そう、国王が【アレ】と目で示すことができるくらい、ファイヤーフォックス本体と思われる火柱はもうすぐそこまで迫っていた。
そんな状況で場違いな程落ち着いた国王の声は、力強く好戦的であった。
王国の王たる威厳に溢れている。
「陛下……ファイヤーフォックスの倒し方は今のところ一つしかありません」
だが、国王の視線から逃げるように、魔物学教師は目を伏せる。
「おお! あるのだな? して、その方法は?」
倒し方が分からなかったスライムとは違い、ファイヤーフォックスにはあると聞いて国王の顔が明るくなる。
逆に一つしかないと聞いたウィリアム、アーバン、メルサはやはりそうかと項垂れた。
たった一つ確立されているファイヤーフォックスを倒す方法、それは……。
「魔法……です」
「は?」
「魔法で、恐怖を感じなくするのです」
北大陸でファイヤーフォックスは、スライム同様に国を滅ぼしかねない危険極まりない魔物とされている。
北大陸に位置する帝国が国を保てているのは、魔法使いの存在が大きい。
他国から横暴ともとれる方法を使ってまで魔法使いを集めていた理由に、この魔物への対策も大いに含まれていた。
恐怖さえなければファイヤーフォックスは怖れるにあらず。
だが、恐怖を感じない人間などいないのである。
魔法を使わない限りは。
唯一といえるファイヤーフォックスを倒す方法は、魔法使いのいない王国では使うことができなかった。
「……それでは、我が国では何も手立てが無いということですか?」
エドワード王子が、魔物学教師の言葉に思わず声を上げる。
魔物を倒すには知識と経験に基づいた正しい方法に沿うことが何よりも重要なのだと、王子は、局地的結界ハザードで痛いほど理解していた。
指針となる正しい方法が使えないことの恐ろしさも。
なんて、恐ろしい事になってしまったのか……。
「ふはっ。大丈夫だ! 落ち着けエドワード。これは、朗報である!」
ショックを隠せない王子を国王が励ます。
国王は笑っていた。
「は? 陛下なにを?」
「聞いただろう? 恐怖さえ感じなければ倒せると。魔法になんぞ頼らずとも、そんなもの気合いで乗り越えればいいのだ。ここにいる騎士も狩人も王国が誇る精鋭だということを忘れてはならない」
我国の騎士も、狩人もこんな魔物に屈する訳がないと声高に言い放つ。
その国王の言葉は、自信に満ちていた。
国王は己を、騎士を、狩人を信じていると笑った。
「そ、そうだよな?」
「あ、ああ。火にトラウマさえなければこのくらい、取り乱すことはない」
「我ら、日々鍛えてきたのは肉体だけではないんだ!」
帝国のように魔法に頼らなくても、王国の騎士には、狩人には、この鍛え抜いた筋肉と強靭な精神力がある。
腑抜けた帝国とは違って我々は恐怖に囚われることはない。
国王の姿に騎士達の心に希望の光が灯る。
一つも状況は好転していないのに国王の、国王たる強い言葉が場の空気を一変させたのである。
「陛下……」
エドワードは強き国王である父親を見上げる。
皆が恐怖という敵を迎え撃つ覚悟を決め、生き生きとした表情に変わっていた。
そう、恐怖とは己との戦いなのである。
絶対に生き残る、皆の心がひとつになる。
「!?」
だが、奮起した人間達の決意を挫くかのように、ファイヤーフォックスの攻撃は次の段階へと移行していた。
「うわ! 気を付けてください! 本体がきますっ!」
ゴォォォと音とともに遠くから見えていた火柱が、目の前にあった。
魔物との戦いはまだ、始まってもいなかったことを人間達は知ることになる。
ファイヤーフォックスが、ついに姿を現した。
国王の鼓舞が、鼻で笑われるくらいの想定外の大きさで。
「なっ! デカいぞ!」
思わずスカイト領の領主が叫ぶ。
火柱の中にいる魔物は、領主がこれまで見たどの魔物よりも大きい。
「な、何だ⁉ アレは⁉」
「あんなの……倒せるわけ……」
「ひっ」
スカイト領に出現する魔物は比較的小型の種が多いために、領主と同様に狩人達にも動揺が広がっている。
「そんな……大きすぎる!」
更には、大型の魔物が出現するパレスに生まれたウィリアムまでも頭を抱えている。
こんなの……知らない。
ウィリアムが読んだファイヤーフォックスの資料には、見上げるような大きさだとは書かれていなかった。
「これが、本当にファイヤーフォックスなのか?」
「おかしいわ」
ウィリアム同様に資料に目を通したことのあるアーバンとメルサも顔を見合わせている。
魔物が現れたここは既に狩り場である。
想定外の事態があろうとも相手は待ってなどくれない。
「!」
人間達を見つけたファイヤーフォックスは、即座に目を光らせ、スウゥゥとゆっくり顎を上げていった……。
「うわっ! 攻撃動作に入った! この大きさでまさかのファイヤーブレス!? え? え? 逃げ場なんてないんじゃ!?」
ウィリアムが叫ぶ。
あたり一面見渡す限り、炎に囲まれているキャンプ地で、炎がないのは耐火布の上だけであった。
ファイヤーフォックスは遠距離攻撃でじわじわと人間を追い詰めるのを好む魔物だ。
十分逃げ回れる広さを考えて作った筈の耐火布だったが、それはファイヤーフォックスが従来の大きさだった場合である。
「うわぁーー! どうしよう!」
ファイヤーフォックスがその想定外の体躯に見合う攻撃をしたならば、攻撃範囲はグンと広がって……つまり、逃げ場がなくなってしまう。
「来るぞ!!」
ゲオルグが叫ぶ。
「みんな! 何か、何か楽しかったことを考えて! っ! 炎に囲まれても、何が何でも!」
回避できないならばもう、できることはそれしかない。
アーバンが声を荒らげる。
この状況で、楽しいことを考える。
そんなこと誰もができることではない。
だが、やらなければ炎は容赦なく肌を焼くのである。
ファイヤーブレス。
こちらの世界でも、はたまた前世の世界でもよく聞く攻撃技である。
炎系に分類される魔物であれば、大概備わっている。
誰もが知っている単純な技だ。
ただ、火を噴くだけ。
だが、巨体から繰り出されるその威力は凄まじく避ける場所もない。
「にゃ!」
唯一、ファイヤーブレスに反応できたのはコーメイだけであった。
コーメイは炎が来る前に一家を自らの体で覆う。
しかし猫が守るのは、猫にとって大切なのは一家だけである。
ファイヤーフォックスの攻撃が止んだ時、そこには地獄絵図が広がっていた。
シリアス「空気が……旨い!?」
ピンチ「いそが……しい!?」
コメディの旦那「今のうちに旅行でも行くか」




