常に持ち歩いております。
誤字脱字に感謝いたします。
「何だこれ!? 燃えるものなんてないだろう?」
森の前にあるキャンプ地はしっかりと整備されており、草一つ生えていない。
それなのに森から迫る炎の勢いは衰えず、一人の騎士が叫んだように、燃えそうな火種が何もないただの砂地の上でさえも、炎はお構いなしに燃え広がっていた。
「この、これは魔物の仕業だ!」
スカイト領の狩人の表情は明らかに焦りの色を見せている。
「耐火布なんて持ってきてないぞ!」
「これじゃ、真っ黒焦げになっちまう!」
魔物が出す炎に火種は必要ない。
炎を操る魔物に相対する時は、耐火布と呼ばれる魔物の火を通さない布が必要だった。
水を操る魔物の皮を鞣した特別な布で、辺境の狩人の必須アイテムの一つだ。
どんなに優秀な狩人であっても、宙に浮くことはできない。
足元にまで火が回れば逃げ場などなく、人はどう足掻いても燃える。
そこで火を通さない耐火布を敷き、足場を確保するのだ。
だが、ここスカイト領では必須アイテムの耐火布が必要になるような魔物は殆ど出現しない。
備品として倉庫にはあるが、狩りに持ち歩く常備品には含まれていないのである。
「くっ、耐火布があれば……」
既に、炎に囲まれ逃げ場はない。
今立っている場所もすぐに炎が覆い尽くすだろう。
スカイト領の領主は耐火布を常備品に選ばなかったことを後悔する。
あれがあれば、せめて国王と王子の二人だけでもこの魔物の炎から守れたというのに。
「あ、大丈夫ですよー?」
ぽんっと悔やむスカイト領の領主の肩に手が置かれる。
「スチュワート伯爵……?」
そうだ、スチュワート伯爵がいた。
彼が常備品として耐火布を持っていても不思議ではない。
彼は王国のどの辺境よりも広い魔物出現範囲を持つパレス領の領主なのだから。
スカイト領の領主は安堵と喜びの表情を浮かべ、振り向いた。
「……え?」
だが、振り向いた先のスチュワート伯爵が持っていたのは耐火布ではなかった。
いや、よくよく思い返してみたら伯爵は狩りの時もずっと軽装で耐火布なんて嵩張る物は持っている筈なかったのだ。
そして今、何故かドヤ顔で伯爵が持っていたのは……。
「え? えっと……それは?」
銀色の細い、それはまー細い弱々しい棒である。
武器にすらならない長さの、ただの細い棒。
それが、ごつい伯爵の右手に握られていた。
「安心してください。私、これだけは肌身離さず常備していますので……な?」
「ええ」
「え?」
「「「はい!」」」
そう言って伯爵が振り向いた先にはスチュワート伯爵一家。
伯爵夫人は、結ってある髪の中から伯爵と同じ銀色の棒をスッと取り出す(なんかカッコイイ)。
三兄弟もそれぞれどこかしらから銀色の棒を取り出し、にっこりと笑っている。
弟である領主代行アーバンだけが、伯爵の意図を掴めていないような戸惑った表情で、銀色の棒をベルトについた小物入れから、いそいそと取り出している。
「はっ! それは……もしや、魔法の杖ですか!?」
王国には魔法使いはいない。
皆、知っている。
だが、スカイト領領主は混乱を極めていた。
子供達が読む絵本では魔法使いは杖を持っているが、歴史資料などではそんなもの持っている魔法使いはいない。
だが、もう、スカイト領領主は、混乱を極めていたのである。
……そうか、一家は魔法使いだったのか……と思うくらいには。
「え? いえ。 これ、何の変哲もない、かぎ針ですが……?」
ん? とスカイト領の領主の言葉を伯爵は否定する。
よく見れば棒の先が少し曲がっている。
「は? かぎ針?」
「ええ、レース編みには欠かせない大事な道具です」
スチュワート伯爵は大事そうにかぎ針を撫でる。
「え?」
「「「は?」」」
スチュワート一家に希望を見出していたのはスカイト領の領主だけではない。
様子を見守っていた狩人も騎士も王子も王様も意味が分からないと首を捻っている。
頼りの筈の一家はレース編み用のかぎ針を持って謎に笑っている。
「今、編みますから」
お任せ下さいとでも言うようにスチュワート伯爵はどんっと胸を打つ。
……いや、ゴリラ。
「何を言って……はっ!」
そこで、スカイト領領主は気付いてしまった。
スチュワート伯爵家はおかしくなったのだと。
そう、実際この状況は絶体絶命の危機だった。
耐火布なしでこの炎に対抗できる手立てなんてどんなベテランの狩人だって思い付かない。
誰よりも魔物と戦ってきた彼らはそれを瞬時に理解して、絶望したのだ。
絶望して現実逃避する彼らを、誰が責められるというのか。
「ここまで……か」
スカイト領の領主は己の死を覚悟した。
「じゃあ、ヴァイオレット……わっ!」
そんなスカイト領領主の心情なんて全く気付かないエマは、善は急げとスカートを握り、持ち上げる……寸前でウィリアムが止める。
「姉様! ダメです!」
「え? でも ヴァイオレットを……」
「いや、良いんですか? コソッ姉様がスカートの中に巨大蜘蛛入れてるの皆にバレてしまいますよ!?」
たくし上げかけたスカートを無理やり下ろさせながら、ウィリアムが注意する。
「え? ダメなの?」
残念ながら、エマはそれの何がダメなのか分からない。
「ダ・メ・で・す」
そんな姉をその場に座らせて、ウィリアムが再び声を潜める。
「ごめんね、ヴァイオレット? 糸出してもらえないかな? あの、魔物の火で燃えないやつを……」
どこの世界にスカートの中に蜘蛛を忍ばせるなんて奇行をする貴族令嬢がいるというのか。
ただでさえ魔物の炎でパニックになりかけているのに……。
ヴァイオレットが可愛いと思うのはうちの家族くらいだということをウィリアムはちゃんと自覚している。
あんなデカい蜘蛛が現れたら、苦手な者は燃え盛る火の海にだってダイブしかねない。
「あっ……ああ! そういう事か!」
エマを座らせて、他の人の死角になるように自分の体で隠しつつ、ヴァイオレットに糸を出してくれと頼むウィリアムを見て、アーバンがやっと分かったと隣に腰を下ろす。
「よしよし、ちゃっちゃとやるぞー」
「絵柄って何にする?」
「早くできる物でいいでしょう?」
レオナルド、ゲオルグ、メルサも続いてエマを囲んで座る。
「にゃーん♪」
それをコーメイがぐるりと囲む。
「あ、コーメイさんがお魚柄が良いって言ってるよ?」
「おっ、いいね。じゃやるか」
レオナルドがそう言った瞬間、一家の表情が変わった。
シュバババババババー!
「!?」
「!?」
「!?」
皆に背を向け座り、更に猫がガードしているために全貌は見えないが、一家の手が高速で動いている。
「あっ!」
国王も王子も騎士も狩人も、ポカンとその様子を見ている中、マリオンが一人だけ声を上げる。
あれは、エマ様が刺繍の授業で見せる動きに似ている……。
「本当に、レースを編んでいるのか?」
「「「え? なんで?」」」
マリオンの呟きに、皆さらに首を捻る。
前方の森も、キャンプ地の大半も、退路も全て燃えているこの状況で、なんでレース編みを?
「よし、できた!」
しかし、その説明を求める間もなくエマの声がレース編みの完成を告げる。
「「「え?」」」
いや、コースター一枚だってそんなすぐ出来るわけがない。
「あっ! 兄様!? ちょっそれ、イルカじゃないですか!?」
固まって座っている中からウィリアムの声がする。
「ん? 魚だろ?」
「イルカは哺乳類です! もー……あ、クジラもいる……魚類で揃えましょうよ」
「にゃーん」
「兄様……」
「「ゲオルグ……」」
家族が、跡取り長男を可哀想な目で見る。
「え? いや、だってそんな……あっエマだってアンコウだぞ? アンコウ。魚って言われて普通選ぶかなアンコウを」
「え、だってアンコウ鍋美味しいんだもん……アンコウ食べたいなー……」
「姉様、それ絶対にヨシュアの前で言わないでくださいね? ヨシュア深海まで潜りかねないですよ?」
こんな場でなければ微笑ましい家族団欒の風景である。
ただ、今いるのはそのこんな場で……。
「「「…………………」」」
首をひねっていた王様も王子も騎士も狩人も、どうしていいか分からない。
ただ、もう終わりだ……と、スチュワート家がおかしくなる程の状況に覚悟を決めた。
「ほら、ほら、時間ないのよ? 皆、立ってレース広げるわよ」
あの、冷静なスチュワート夫人も、
「うーん、しばらく見ないうちに皆レース編み上手くなったね」
あの、知性の塊であるアーバン博士も、
「エマ、パパも深海魚にしたんだよ? お揃いだねぇ」
あの、ゴリラ……屈強なスチュワート伯爵も、
「うわあ~、お父様のリュウグウノツカイ、カッケェ!」
あの、将来狩人として有望なゲオルグも
みんなおかしくなったのだ……。
「せーのっ」
ブワァァァッッ
だが、天使と見紛うばかりの美少女エマの掛け声を聞いた瞬間、皆の覚悟が消し飛んだ。
「「「え!? えぇぇええええええええ!!?」」」
弧を描いて突如紫色のレースが現れた。
ふわりと地面に広げられたその面積は目算で五十メートル×五十メートルの正方形。
大事な事なのでもう一度言おう。
五十メートル×五十メートルの正方形である。
「「「え!? ええぇぇぇええええ!?」」」
一家が座ってから五分も経っていない。
「あ、ほら、皆さん! 早く火が迫ってますよ! このレース編みの上に乗って!」
皇国でモテにモテた賢くて美少年のウィリアムが手招きする。
火の勢いは今もなお衰えずにキャンプ地を侵食しているのだ。
が、そんなことどうでも良くなりそうなことが目の前で起きている。
「え? えーと伯爵? これは?」
スカイト領領主が地面に広げられた紫のお魚柄レース(超巨大)を指差す。
「ああ、即席の耐火布ですよ。特別な糸で編んでいるので多分、火を通さない筈です」
ぐっと親指を立てるスチュワート伯爵。
「いや……え?」
その場にいる誰もが、それ以外の言葉は出なかった。
いつも田中家、転生するを読んで頂き誠にありがとうございます。
「田中家、転生する。」1〜4巻なんと、電子書籍にて半額セール中だそうです。
ピンチ「宣伝だな、シリアス」
シリアス「ああ、間違いなく宣伝だなピンチ」
コメディの旦那「確実にウェブ版より誤字は減っているぜ」
作者「ごめっ……」
ラブコメ貴腐人「わたくし、一巻の書き下ろしはもう少しウィリアム君襲われても良かったと思うの……」
作者「え?」
ウィリアム「え?」
ラブコメ貴腐人「ほら、もっと新しい扉を開く的な展開、あったと思うの」
作者「ふむ」
ウィリアム「おい」
ピンチ「宣伝だな、シリアス」
シリアス「え? これ宣伝なのかな? ピンチ」
ラブコメ貴腐人「せっかく受けのポテンシャルがあるウィリアム君をそのままにしておくのはもったいないですわ」
作者「ふむ」
ウィリアム「そんなポテンシャルないよ!」
ピンチ「あ、これ洗脳だわ、シリアス」
シリアス「洗脳だな、ピンチ」




