夫人の布陣。
誤字脱字報告に感謝致します!
キャンプ地。
「あ、あの……。本当に良いのでしょうか?」
キャンプ地を護衛するために残ったスカイト領の狩人がビクビクと辺りを警戒し、夫人に声を掛ける。
「ええ。もちろんよ」
ビクつく狩人に対して夫人は普段と変わらず凛とした表情を崩すことなく答える。
「あ、あの、ここまで勝手なことをして我々は……」
咎められるのではないか、とキャンプ地に残っていた数人の騎士も不安そうな面持ちで覗っている。
「よく、考えれば分かるはずです。これだけ陛下の帰りが遅れているのです。既にこれは不測の事態と呼んでもいいでしょう。命令に従っていれば気は楽かもしれませんが、頭を使って動くことも時には必要なのです」
スチュワート伯爵夫人、メルサ・スチュワートはそう言って冷ややかな視線で狩人と騎士を黙らせた。
「あ、あの、夫人! わ、私らも出発させてはもらえないでしょうか?」
会話を遠巻きに聞いていたデラクール家とシモンズ家の御者、保護者がメルサに懇願する。
数多くいた課外授業に参加していた生徒達とその保護者の馬車は、メルサの指示によりキャンプ地を後にしていた。
キャンプ地に残っている馬車は王家とその護衛騎士、ベル家、スチュワート家、そしてこの懇願している二つの家の馬車のみで、数刻前まで賑やかだった分、ガラリと空いた空間が余計と不安を煽る。
「なりません。万が一ここで魔物と戦闘となった場合、貴方達が仕える大切な令嬢を逃がす足が必要となります。陛下は性格上、その場に残り戦うことを望む筈です。と、なれば……王家の馬車も、騎士の馬車もベル家の馬車も陛下を置いて逃げる訳にはいかないのですから」
もちろん、相手が魔物ならばスチュワート家の馬車も。
男気溢れる国王は臣民には人気だが、その護衛をしなくてはならない騎士にしてみれば、その行動の数々が毎度悩みの種となる。
窮地でクマのような王を説得できる余裕がある人間なんて、そうそういないのだから。
我が国の王はクーデターに自ら参戦しちゃう困ったちゃんなのである。
「こ、ここ。危険なんですよね?」
シモンズ家の御者が暗くなってゆく辺りをビクビクと見回している。
大人数でいた時には何とも思わなかったキャンプ地だが、目の前には魔物が出現する森がある。
魔物の出現しない、海に囲まれた領地で貴族家に仕える御者が不安になるのは仕方がない。
そもそも、どうしていつの間にうちのお嬢様達は森に入ったのだ? と頭を抱えずにはいられない。
「ま、待ちます……。わ、私はフランチェスカお嬢様を無事に連れて帰ると旦那様と約束しましたから。ですが、お嬢様が森から帰って来られたらすぐにでもここから離脱させてもらいます!」
デラクール家の保護者はメルサの言葉に納得しているものの、やはり気味が悪いのか辺りを警戒するように見回している。
ある程度腕の立つ護衛を担う保護者だとしても、魔物相手にフランチェスカを守れるかと言えば自信がない。
そもそも、どうしていつの間にうちのフランチェスカお嬢様は森に入ったのだ? と頭を抱えずにはいられない。
「お嬢様、早く無事に帰ってきてください。とにかく早く……」
シモンズ家、デラクール家の御者はお互いに頷き合って、すぐにでも出発できるように御者台に座り、手綱を握る。
そして保護者は大切なお嬢様の帰りをいまか今かと、じっと森の入口を睨むように凝視して待ち構えている。
「!」
「!」
そんな緊張の糸が張りに張り詰めていた時に、空気を読まない巨体が、猛スピードで勢いよく森の入口から飛び出した。
キャンプ地の異変を察知した瞬間にいち早く駆け出した国王である。
「わっ!」
「うわっ!」
待ち構えるように睨んでいたシモンズ家とデラクール家の保護者は、その国王の勢いに驚きの声を上げる。
そのスピードと巨体から魔物かと思ったら国王だったのだ。
「おおっと? おおおお?」
その国王は国王で出発前と戻って来たキャンプ地が様変わりした様子に驚いている。
「コホンッ。おかえりなさいませ、陛下。お一人ですか?」
そこへメルサが咳払いして、臣下の礼で国王を迎える。
その表情は他人が見れば無表情もしくは冷淡に映るが、家族が見ればこれはちょっと怒ってるなと分かる顔だった。
護衛の騎士すら連れず現れる国王、まじ勘弁してほしい。
「スチュワート伯爵夫人……ん? ああ、心配ない皆無事だ。他の者もすぐ後から来る」
「……へいっかぁ……そうじゃ……ないんすよぉ」
キャンプ地に残っていた数人の騎士達はガクッと肩を落としている。
何かを諦めた顔をポーカーフェイスで隠しつつメルサはやはり……とため息を吐く。
さてはこの国王、いつもの悪い癖が出たな……と。
無事ならば良いとかそういうことではない。
それ以前の話だ。
「それよりも、これは一体……」
国王は苦い顔をした騎士や狩人達に小言は後で聞くと制し、ガランと人がいなくなったキャンプ地を見回す。
キャンプ地にいたはずの課外授業の生徒達が、馬車や保護者含めまるごと消えている。
何事か起きたのか。
魔物か? それとも……?
「こちらに関しては心配ございません。僭越ながら、私の一存で課外授業に参加した令息達は帰り支度を済ませた者から王都へ帰還させました」
国王の問いに、答えたのは騎士ではなくもちろんメルサである。
「まさかスチュワート伯爵夫人……が、指示を?」
彼女もまた辺境パレスに身を置く者である。
王が魔物の出現する森に入り、想定よりも遥かに戻るのが遅くなったことでキャンプ地には不安が広がっていた。
正直、皆帰りたいのが本音であった。
己の安全と諸々の責任を天秤にかけ、動けなくなっていた。
国王を見捨て生き残ったとして、その後の人生は茨の道となる。
そんな葛藤する者達に、メルサが全ての責任を負うと言い、撤退の許可を出したのである。
国王の指示に背いたとも取れるそれを何の恐れも見せず事後報告する。
その堂々たるメルサの肝の据わり様に国王は感服する。
そんなスチュワート伯爵夫人に比べて、残っていた騎士達は勝手な行動をしたことを咎められないかビクビクしているようにすら見える。
「勝手をして申し訳ございません。王妃殿下の手紙に捺された封蝋と陛下一行の森の滞在時間超過から万が一に備えさせて頂きました」
メルサからすれば、黒に赤の混じる封蝋の手紙に何が書かれていようが王が急ぎ王都へ向かうのは明白で、それなのにいつまでも帰って来ない、となれば森で何かあった、ということである。
辺境において不測の事態が起きた時、まずやるべきは狩り場になるかもしれない場所から素人を迅速に離すことである。
それは難易度最高峰の魔物学【上級】を修めた、日頃色々迷惑を被っている辺境の伯爵夫人にしてみれば危険回避のための当たり前の指示であった。
とはいえ伯爵夫人であるメルサに指揮権を奪われ、プライドの高い学園の生徒達、騎士達には抵抗したい気持ちが生じなかったかと言われれば嘘になる。
が、指示を出すメルサの有無を言わせぬ圧は、貴族社会に身を置く者ならば誰もが経験している馴染み深い圧であった。
社交界で怖れられる【マナーの鬼】ヒルダ・サリヴァン公爵とそっくりの眼光で睨まれれば貴族のプライドなんて一溜りもないのである。
誰も、逆らえはしない。
「そ、そうであったか……」
国王もメルサの瞳に宿る【マナーの鬼】の眼光を思い出してちょっと怯む。
「ハァ、ハァ……へ、陛下! ご無事です……か? って、これは……!?」
一人駆け出した国王を追って走って来た騎士達も続々と到着して、そのキャンプ地の変わりように目を丸くする。
そして感服する。
彼らの頭の中にあった急ぐべき任務(即撤退準備)が、到着したら既に完了していたのである。
そして……。
「ただいまー!」
「にゃー!」
コーメイに乗ったエマと双子、フランチェスカとマリオンに、アーサーと王子、ゲオルグに小脇に抱えて運ばれていたウィリアムと、殿を務めた、レオナルド、アーバンと魔物学の教師が到着した。
騎士や狩人はあの状況で誰一人欠けることなく帰還できたことに安堵の表情を浮かべている。
「おお! さすが母様! 抜かりないですね!」
課外授業の生徒達がいなくなったキャンプ地を見て、先に着いた騎士達よりもウィリアムが状況をいち早く察する。
「お、お、お嬢様方! 早く馬車に乗ってくださっ……ってなんじゃあこりゃあーーー!」
待ちに待っていたシモンズ家の保護者は、双子を見るや発狂する。
「まあ、忙しないわね? ケイトリン」
「まあ、忙しないわ、キャサリン……あら?」
モフモフコーメイの背の上に乗った双子は不服そうに保護者を見て、首を傾げる。
保護者の顔は真っ青だった。
「ま、ま、ままま魔物!?」
保護者の視線は、双子を乗せたコーメイに釘付けで、ガクガクブルブルな手で指差している。
「あ、うちの猫です」
今日だけで散々この件をやったのでエマはちょっと飽きていた。
魔物ではなく猫だと、雑に事実だけを教える。
「にゃーん!」
そんなエマの紹介にも、コーメイは律儀に一声鳴く。
「あ! にゃーんって鳴いた! 猫だ! いや、違うっ! 大きさが違う! でもにゃーんって今っ え?」
シモンズ家の保護者だけではない。
キャンプ地に残っていた騎士や狩人も大いに混乱している。
そんな彼らを、気持ち分かるぅ~と森に入った騎士と狩人が生温かい目で頷く。
「にゃふ……」
騒ぎの張本人であるコーメイは、騒がしい保護者や騎士、狩人を無視してエマと双子が背から下りやすいように香箱座りして体勢を低くしてやる。
「おお! これはまさに香箱座り! つまり……猫……なの、か……? ハッ! いや違う、だから大きさが違う! 猫の大きさじゃねー!」
説明する側が飽きたせいでより詳しい説明をもらえないため、可哀想なシモンズ家の保護者は、猫だと言い張る巨大な獣に近づけない。
「よっこいしょっと!」
「「えいっ!」」
彼らの葛藤なんて気にすることのないエマと双子は、順番にコーメイから下りるのをゲオルグ、マリオン、フランチェスカが手を伸ばして支えてやる。
「あ、兄様ありがとう!」
「ふふ、ありがとうございます。フランチェスカ様」
「ふふふ、ありがとうございます。マリオン様」
「フ、フランチェスカ様ぁー!」
双子のお礼の声がデラクール家の保護者に掻き消される。
フランチェスカがキャサリンに手を貸すのに、コーメイに近づいたからだ。
デラクール家の保護者は保護者でなんとかしてフランチェスカを猫と言い張る巨大な獣から引き剥がそうと考えていた。
それなのにフランチェスカの方はその獣に自ら近づいていくのだから叫ぶのも仕方がない。
「え? ですから、エマ様の仰る通りコーメイさんは猫ですから大丈夫ですわ」
「いや、違っ! 絶対違う! 目を覚ましてくださいお嬢様! 猫は令嬢を三人も背に乗せられませんからぁ!」
フランチェスカは仕方なくコーメイから離れ、保護者の方に落ち着いて……と宥めに行く。
「もう、心配症なんだから……」
その後ろで、
「ちょっと、離して! 私達、自分で歩けるわよね、ケイトリン?」
「ちょっと離して! 私達、自分で歩けるわよ、キャサリン!」
双子がシモンズ家の保護者に両脇に抱えられて運ばれていた。
「すぐに、今、すぐに馬車に乗って下さい! 帰りますよ。一刻も早くここ(猫と言い張る巨大な獣&魔物の出そうなキャンプ地)から離れましょう!」
「あ、ねえ! まだ、皆さんにご挨拶してないわケイトリン!」
「あ、ねぇ! まだ皆さんにご挨拶してないわキャサリン」
馬車に向かう保護者に双子は足をバタつかせて抵抗するが保護者の気持ちは揺るがない。
「生きてたら、学園で会えます! 生きてればね!?」
「「もー! なんなのよー!」」
ギャーギャーと騒ぐ双子を乗せた瞬間、シモンズ家の馬車は光の速さで出発した。
「わ、私も、あの。ご挨拶だけでも……!」
「フランチェスカ様、あれが見えないんですか? あの巨大な獣が!」
「だから、コーメイさんは猫ですから……」
バタンッ
「おい、出せ、早く!」
デラクール家の馬車も、半ば強引にフランチェスカを乗せると光の速さで出発する。
「おお、早っ…………やっぱり、貴族の令嬢って大事に守られてんだなあ」
流れるように有無を言わせず令嬢を回収し、即座に撤収する様子を見たゲオルグが感心する。
「コーメイさんは猫だってちゃんと言ったよね?」
「にゃ!」
どうして信じてくれないのかな? ……とエマはコーメイのふかふかの毛を撫でながら、遠くなっていくシモンズ家とデラクール家の馬車に手を振っている。
「あ、マリオン様は急がなくて大丈夫です?」
そういえば隣にいるマリオンは大丈夫かとウィリアムが気づいて尋ねる。
「ん? ああ、ベル家の馬車には何人か騎士達も同乗させて来たからね。彼らの目処がついたら一緒に帰るつもりだよ」
マリオンはのんびり笑って答えているが、残った騎士達の顔には即刻撤収したいと書いてある。
「そうですか。うちも相当だと思ってましたが、どこの令嬢も過保護にされてるんですねぇ~」
血相を変えて令嬢を回収した保護者達を見たウィリアムの感想に、アーサーが噴き出した。
「ぶふっ。いや、うん。あのね、一応言っておくけど……あっちの方が普通だからね?」
おかしいのはスチュワート家である。
一体全体どこの誰が大事なお嬢様が魔物の出現する森から巨大な獣に乗って出て来たり、一緒に歩いて現れて平気でいられるのかって話だった。
第二王子を警護するアーサーとしてもシモンズ家とデラクール家の保護者の気持ちは痛いほど分かるのである。
「陛下、お急ぎ下さい。王妃殿下がお待ちなのでしょう?」
「あ、ああ。そうだな……」
国王も早く撤収しろとメルサ。
メルサの目が心なしか冷たいような………と感じつつ、国王も素直に王家の馬車へと足を向ける。
「殿下、殿下も行きましょう」
「あ、ああ。そう、だ……なっ……!?」
アーサーに促され、エドワード王子も国王に続いて王家の馬車へ向かう。
ただ、このままエマと別れるのが名残り惜しく感じたエドワードは立ち止まる。
「あの、エマ……なっ!」
一言挨拶を交わしてからと振り返った瞬間、飛び込んだ光景にエドワードは己の目を疑う。
「殿下?」
どうしました? とアーサー。
「……あれは、何だ?」
王子の視線は、エマではなくその後ろの森に向けられていた。
これまで誰も見たことがないだろう巨大な火柱が森を焼いていたのである。
「は? 何あれ……何で燃えて……!? で、殿下っ! 早く馬車へ!」
口元に笑みを残していたアーサーの顔が瞬時に引き締まる。
「なんだ!? あれは!」
「兄さん、あれは!?」
レオナルドとアーバンも、森の異変に気付き、直感的に逃げなくてはと振り返る。
「火が早い! 皆、早く馬車に!」
普通、森の木々にたっぷりと油を注いでいたとしてもここまで火の回りは早くない。
物凄い勢いで森が延焼の範囲を拡げてゆく。
辺りの温度が炎の熱で急上昇し、それを感じた時にはキャンプ地は既に炎に囲まれていた。
気づいた時にはもう、遅かった。
「なっ!」
「ちょっ! え? えぇぇぇぇぇ!?」
「にゃ!?」
そして、森の奥の火柱がどんどんとキャンプ地へと迫ってきていた。
森を出てホッとしたのもつかの間、一家にまた一つ騒動がやってくるのであった。
皆様、いつも「田中家、転生する。」を読んで頂きありがとうございます!
3/3(金)に書籍五巻が発売しました!
書き下ろしと加筆で、ロバートと妹ライラのその後の様子や、エマが大好きな親戚のおじ様達のわちゃわちゃ等書いてたら分厚くなってしまいました。
ピンチ「シリアス! おまっ……知らないとこで頑張ってたんだな……」
シリアス「いや、ピンチだって(照)」
コメディの旦那「貴腐人?」
ラブコメ貴腐人「おかしい……私の分厚い薄い本が1ページほど行方不明に……はっまさか本篇に!?」
作者「これからもよろしくお願いいたします!」




