見えざる敵。
誤字、脱字報告に感謝致します。
「ふぅー……」
ソファに座ったフアナは大きなため息を吐く。
足を開き、だらんとしたその姿は令嬢とはかけ離れたものだった。
「おい、酒はあるか?」
更に、フアナの口から令嬢なら絶対言わないであろう言葉が出る。
「え? こんな大事な時にですか?」
部下である魔法使いはその姿や言葉使いには言及しない。
「大事な時だからこそだ。さっさと持ってこい」
王城ではフアナは未成年の令嬢のふりをしなくてはならず、常に緊張していた。
最近は特に監視の目が増え、与えられた自室でも気を抜けない神経をすり減らす日々であった。
ほんの少しの解放感に浸ったっていいではないか。
フアナの疲れた様子に直属の部下である魔法使いは、それ以上何も言わずフアナの望むままに、酒の用意をした。
コルクを抜き、慣れた手付きで真っ赤な液体をグラスに注いでやる。
「……どうぞ」
瓶のラベルを確認したフアナの目が光る。
「ほう、これはこれは、なかなかの上物ではないか。帝国も奮発したものだ」
注がれたのは魔法使いであっても、簡単には手に入れられない年代物のワインだった。
この計画が帝国にとってどれだけ重要なものかをワイン一つとっても物語っているようで、無駄に圧を感じる。
「まあ、それだけのことはせにゃならんということだな……」
フアナは昔から、ワインが好きだった。
単に味だけでなく、色や香り、歴史に至るまで知れば知るほどに深く飽きることがない。
そんな、時代もあった。
「っっ! ……クソっ!」
そんなフアナの唯一ともいえる趣味を嘲笑うかのように、体はワインを前にすると勝手に動く。
ゴクゴクと、炎天下で肉体労働後に飲む水が如く安かろうが高かろうが飲み干してしまうのだ。
この一口が銀貨数枚分の価値があるワインでさえも関係ない。
「ゴクゴク、ゴクゴク……ぷはぁ……。うう、また、体が勝手に……」
手にはすっかり空になったグラスが虚しく残る。
「フアナ様。何度試しても無駄だったではありませんか。本能や欲といった部類は体の記憶の方が強いのです。魂が一度離れた器に無理やり別の魂を入れたって制御は難しいでしょう」
部下は空になったグラスに、再びワインをたっぷりなみなみと注ぎ、諦めて下さいと首を振る。
香りを楽しむために残すグラスの余白も今のフアナには不要だ。
今の体が欲するのは量であって質ではない。
じっくりとワインを楽しんでいたかつてのフアナが最も軽蔑する飲み方を、意思とは関係なく、毎度抗う余地なく強いられるのだ。
「多少、若返りはしたがこれだけは嫌になる……」
しかもこの体、腹立たしいことに飲んでも飲んでも一向に酔わない。
一体どれだけ飲めばほろ酔い状態を楽しめるのかと、試したこともあったが、先に財布の方がギブアップした。
あの日、あの時、あの事故さえなければ……。
「……あいつらは連れて来ているのか?」
瓶が空になる頃、ふと思い出した様にフアナが部下に尋ねる。
「ええ。彼らは我々なしでは生きては行けないですから。先程決めた砲撃開始の時間も伝えてあります。あんな姿でも魔法使いですからね、仕事はしてもらいます」
部下は眉間に皺を寄せつつも、時間の問題でありますが彼らの存在は今のところは隠し通せています、と声を落として報告する。
「はぁ、ならいい。わしもあいつらよりはマシだったと思うしかない。そろそろ暗くなってきたな……外に出よう」
フアナは重い腰を上げる。
「はぁ……」
王城に攻撃を仕掛ける時間が近づいていた。
長い期間準備していた計画がついに執行されるのだ。
かといって意気揚々と遂行に向かうなんてことはない。
フアナの吐くため息も、足取りも、気持ちも全部重い。
本当は、許されるなら投げ出したかった。
帝国の命令は絶対なのは、分かっている。
が。
これからフアナの命令で人が大量に死ぬのだ。
狙いは王城。
大砲の精度を考えれば砲弾はその周辺にも容赦なく降り注ぐだろう。
王都の中心部は火の海となり、砲弾の雨に王都に住む者は為す術もなく逃げ惑う姿が容易に想像できる。
魔法で人を殺すなんて本来あってはならないことだ。
力は人々を守るためにあると、ずっとそう教えられ、教えてきた。
それが、今は……。
どれだけ威勢のいい檄を飛ばし、部下に命令しようが根っこのところでやりたくないと思ってしまう。
フアナは魔法使いだが人間だ。
人が人を守るために人を攻撃する、そんな時代になってしまった。
「フアナ様?」
部下の顔も不安と緊張からか、青ざめている。
「行くぞ」
帝国が世界各国からかき集めたお陰で魔法使いは増えた。
だが増えた分、増えただけ魔石は減った。
魔法具の研究も進んだ。
だが進んだ分、進んだだけ魔石は減った。
魔石は魔法を増幅と貯蓄する性質がある。
特に結界魔法には欠かせないアイテムだ。
魔石がなければ魔法使いは辺境で消耗するまで結界魔法をかけ続けるだけの存在に成り果てるだろう。
結界なしでは人間は生きられない。
「あ……えっ? え……?」
「どうした?」
扉を開けたまま、部下が固まっている。
「誰もいません」
「は?」
魔法使いには帝国軍の護衛が常についている。
それは護衛というよりも監視が目的だった。
他国から売られるようにやって来た魔法使いが逃げないように、帝国生まれの魔法使いも過酷な環境から逃げ出さないようにと常に目を光らせていた。
「こんなこと、初めてです」
部下がワインを取りに行った時も部屋の前に仰々しく軍人がいたのを見ていた。
にもかかわらず、その普通にいる筈の軍人が今、一人もいないのである。
「フアナ様、軍人どころか、水夫も他の魔法使いもいな……厶モゴっ!」
ダンッ。
「おい!」
フアナの目の前にいた部下が突然床に突っ伏した。
誰かに押し倒されたかのような倒れ方だったが、肝心のその誰かがいない。
「は? これは……一体……?」
ダンッ。
部下に続き、フアナの体も何者かによって倒される。
が、やはり姿は見えず誰もいない。
「お、おい。だっ誰……厶モゴ!?」
どんなに目を凝らしても誰もいない。
誰もいないのに、フアナの体にはみるみるうちに糸が巻き付き、叫ぼうにも口までもがその糸で塞がれてしまった。
「むー! むー!」
声ならぬ声を上げても、助けてくれる者はいない。
体は糸でぐるぐるに巻かれ、思うようには動かせなくなった。
そして、シュンっと音がしたかと思うと、突然視界がぐにゃりと歪み、グワングワンとおかしな耳鳴りと目眩がフアナを襲う。
暫くして、ぐにゃぐにゃの景色がヒュンヒュンと変わることで高速で移動しているのだと気付いたが、体は糸でガチガチに拘束されており、抵抗しようにも動けない。
体に巻き付いているのは極細の普通の糸に見えるのに、どうやっても動かない。
糸に魔力は感じられず魔法ではないようだが、ならば一体これは何なのだと余計に混乱する。
ドサッ。
「!」
打ち付けるような体に受けた衝撃と頬に硬い地面を感じて、高速で拘束されての移動が終わったのだと知る。
体はやはり動かず、床に投げ出されたままに倒れているしかない。
「「「むー! むー!」」」
複数の声ならぬ声に何とか動く首を向ければ、目の前で見えぬ誰かに倒された部下と他三人の魔法使いが同じように口を塞がれ、体を拘束されて転がっていた。
こんなにあっさりと魔法使いが拉致られるとは……帝国の軍人達は何をしているのだ?
普段はぴったりくっついて離れないクセに肝心なときに役に立たない。
「おや、誰かと思えば聖女フアナ様ではありませんか? このようなところでお会いするとは驚きです」
拉致犯らしき声が頭の上の方で聞こえる。
高速移動の余韻でグラグラする頭と、動かない体に苦心しながら何とか顔を上げると、正面にうっすら見覚えのあるそばかす顔があった。
「むー!」
記憶が正しければ、あれは……たしか学園の生徒だった筈。
学園の生徒が拉致犯だとしたら、いよいよ意味が分からない。
ってか、そもそも、ここはどこだ?
屋内ではあるが明らかに帝国の船とは違う。
いや、それどころか王国のものでもなさそうだった。
部屋の内装が全く見たことのない仕様で溢れている。
他国との交流が盛んな帝国民であるフアナが、床の素材すら全く見当がつかない国なんてあるだろうか。
天井は王国の王城でも見ることのなかった魔石を使った魔法具の灯りが惜しげもなく使われており、日が暮れる時間帯だというのに、室内は昼間のように明るい。
「困りましたね。教会がお認めになった【王国の】聖女様が、何故帝国の船におられたのでしょうか? 王城からどうやってシモンズ領まで来たのですか? 客人扱いのフアナ様は長距離の外出は王妃殿下の許可が必要では? 国王陛下が城を空けている時にそんな許可が下りるとは思えないのですが、不思議ですね」
さして困った表情も驚いた様子もなく、そばかすの少年はポーズといわんばかりに首を傾げている。
「むー!」
嫌な予感に、冷や汗が背中を伝う。
この少年は何をどこまで知っていて、我々をどうしようとしているのだ?
まさか、あの計画まで……いや、落ち着け。
人からこの計画が漏れることはない。
計画を知っている者は制約の魔法で口外できないようになっている。
貴重な魔石を使ってまで情報は漏れないようにした。
それに、この計画を自力で突き止めるには無理がある。
この世界に、その発想はない。
国が国を攻撃するなんて、そんな無茶苦茶な発想は、この世界の人間にはない。
優秀なスパイが帝国の現状を細部まで把握できていたとしても、余程の天才でもない限りはこの発想に至ることは絶対に、ない。
前例がないことは、誰も想像のしようがないのだから。
そんなものに確信を持って対処するなんて、余程の天才である上に並外れた行動力に、武力、危機管理能力まで網羅した超人でないとできない。
そんな奴いてたまるか。
「申し訳ないのですが、聖女様であっても拘束を解くことはできません。船に載せた大砲を撃たれては困りますからね。魔法使いもいるようですし、ここから王城まで砲弾の飛距離を伸ばしたりされても困りますし……」
「むー!!」
いた。
天才いた。
超人いた。
全部、バレていた。
全てを見抜かれていた。
だが、問題はない。
所詮は王国人、三十年以上魔法使いを知らない奴らだ。
魔法がどういうものか、分かっていない。
フアナは部下である魔法使い達に目配せする。
何のことはない。
体が拘束されていようが、口を塞がれ声を出せまいが、魔法は使えるのだ。
そんなことも知らない魔法後進国である王国人に端から勝ち目はない。
こんな糸なぞ、魔法で簡単に解け……解け……解けっ……と……け?
「む? ………む? むー?」
解けなかった。
「む?」
「「「「むーむーむー!!」」」」
解けないのはフアナだけでなく、部下達も同じで、皆、首を横に振っている。
魔法が使えない……だと?
魔法が使えなくなる理由は一つしかない。
魔法使いの魔力切れだ。
だが、砲弾を飛ばすため、今日は最低限の魅了魔法に止め、魔力はしっかり温存していた。
魔力が切れる筈がない。
その証拠に、自身の体の中にたっぷりと魔力があるのを感じるのだ。
それなのに魔力を発動する道が何かに阻害されている。
初めての感覚だった。
【何に】阻害されているかは全く分からない。
「僕としましては、物騒な大砲は港に降ろして帝国の方々にはこのまま穏便にお帰り頂き、このような目的では二度と来ないでもらいたい、と思っているのですが、ご賛同してもらえますでしょうか?」
困惑するフアナに対して、この部屋に入り切らなかっただけで水夫も軍人も拘束済みですよ、とそばかすの少年は余裕の笑みすら浮かべている。
「む、むー!!」
そんなバカな。
気が進まない計画とはいえ、ここまで周到に準備を進めてきた。
大砲の設計から魔法使いの訓練、砲撃時の衝撃に耐えるように船の大規模な補強工事もした。
金も、人手も、魔石もかなり費やした、壮大な計画だぞ?
はい、そうですかとおいそれと帰れるものではない。
戦果なく帰れば間違いなくフアナも、部下の魔法使い達も辺境送りとなる。
ここにいる魔法使い達はフアナも含め、研究開発機関で働いていた。
今はもう、昔ほど重宝されてはいない機関。
研究のために使う魔石や、開発のために使う魔石を捻出できるほどの在庫がないのだ。
「ああ、僕としたことが。お口を塞いだままでは答えようにも答えられませんよね?」
そばかすの少年が内ポケットから象牙色の小さなナイフを取り出し、フアナの口を塞いでいた糸を切る。
どうやっても解けなかった糸が、いとも簡単にハラリと落ちた。
「はっ……?」
「……おや、フアナ様? お酒を飲まれましたか?」
糸を切るのに近付いたそばかすの少年は確かめるように、一度スンっと鼻を引くつかせる。
「は?」
「この香りは……もしや帝国のオルダー地域で毎年極少数しか生産されない、シャトー・ランカフェの幻の赤ワインではないですか?」
直前に一瓶まるごと飲み干したフアナは、それなりに酒臭くなっていた。
いや、異次元過ぎはしないか?
帝国のワインの産地は各地に散在しており、他国と比べてとにかく数が多いことで知られている。
産地それぞれに歴史があり、蘊蓄があり、マナーがある。
帝国で一度ワイン沼にハマったものは知識の渦の中で溺れて二度と浮上できないといわれる程だ。
酒を飲めるかも怪しい年頃で、帝国の知る人ぞ知るマイナーな産地を、少年は香りだけで当ててしまった。
少なくともフアナが知るワイン愛好家の中で、そんな芸当をやってのける者はいなかった。
こんな場面でなければ大いにワイン談義に花を咲かせたいところである。
「…………」
が、今は何も話さないのが賢明だろう。
めちゃくちゃワイバナ(ワインの話)したいのは山々なのだが今じゃない。
不利な状況において、口を開くのは愚か者のすることだ。
「だんまりですか? まあ、既に王城へ報告は済ませたので、あと数刻もすれば王国騎士団も到着するでしょう。僕みたいな一般庶民はこの辺りで引くことにします。事情聴取は専門家にお任せするとしますかね」
分かりやすく口をつぐむフアナを見ても、そばかすの少年に焦る素振りはない。
本当はフアナ+四人の魔法使い、帝国の誇る軍人達、屈強な水夫を速攻で制圧できる一般庶民なんている訳ないだろ、と突っ込みを入れたかったが、ぐっと我慢する。
なぜなら、そろそろ砲撃の予定時刻だった。
フアナは微かに笑みを溢す。
「? 何がおかしいのです?」
その微かな表情の変化を見逃さない少年は絶対に一般庶民ではないと思う。
「ふふふ」
うつ伏せに拘束されたフアナの視線の先には、時間通りにスタンバイしているあいつがいた。
うっかり虫か何かと間違えそうなほど、頬が床についた状態のフアナとアイコンタクトできるくらい、異常に小さい、親指の先ほどしかない人間が立っている。
「なっ!?」
あまりにも小さい親指人間に、さすがのそばかすの少年も驚いている。
だが、あいつに気付いたとしても、もう遅い。
そう、あいつも魔法使いだ。
親指大の魔法使いは、真っ直ぐ天を指差し、甲高い声で叫んだ。
「ドーン!」
その甲高い声に合わせたかのような、ぴったり同時にドーンと大きな爆発音。
それは大砲の砲撃の音だった。
王城に狙いを定め、砲弾が放たれた音だった。
コメディ「お、シリアスの実、育ったなーピンチ」
ピンチ「毎日欠かさず水やりしたからね」
コメディ「いや、その育て方まさか正解だったとは……」
ピンチ「大きくなれよーシリアス」
ピシンッ
ピンチ「ん?」
コメディ「ん?」
ピシシシシっ
ピンチ「たっ、大変だ!? シリアスの実にヒビが入ってる!」
ピシシシシッピシッ
コメディ「いや、これは……まさか産まれっ」
ピンチ「え? シリアス? シリアスなのか? おい、おーい」
ピシッ……シッ……パカッ
コメディ&ピンチ「シリアスが産まれたーー!」
シリアス(生まれ方がもはや桃太郎……ある意味尻太郎)「あれ、俺……な…んでっ」
ピンチ「尻アスのバカぁー! 心配したんだからなぁー! うわーん」
尻アス「え? ピンチ? なんだか久しぶりだなぁ」
ラブコメ貴婦人「これが、愛ね」
GW帰省で実家の畑で無限にできるのに、更にお裾分けでも頂いてしまうスナップエンドウ地獄を目の当たりにした作者「『田中家、転生する。4』無事に発売いたしました! 購入して下さった皆様、ありがとうございます! これからも何卒宜しくお願い致します」




