課外授業。
誤字脱字報告に感謝いたします。
「あー……。姉様今頃猫と遊んでるんだろうな」
ウィリアムがぐったりと机に突っ伏して呟く。
「ヨシュアも今日は休みだし、殿下もアーサー様も忙しくて最近会ってないな」
狩人の実技が終わり、着替えを済ませたゲオルグは涼しい顔である。
フアナ嬢とは授業がかぶってないので、あれ以来不思議と出くわすこともなかった。
「姉様がいないと学園生活がこんなに平和に過ごせるんだなって、びっくりしてます」
何も起こらない。
変な生徒に絡まれる事なく、事件が起きることもなく、誰も怪我する者もいない。
「これが、普通なんだろーけどな……」
これはこれで退屈だと思ってしまうゲオルグは相当毒されている。
「……まぁ、姉様は勉強に関してはめちゃくちゃ要領が良いので心配はないのですが……」
はぁ……とウィリアムが周りを見渡す。
狩人の実技の後の魔物学。
刺繍の授業を受けている令嬢達はまだ来ていない。
教室内は、半分以上埋まっているのにとても静かだった。
数日前まではエマの体の調子を訊きにくる者もいたが、元気だと答えても悲しい笑顔で頷くだけで通じている気がしない。
今日なんてもう、遠巻きに全員が悲しい笑顔でこちらを見ている。
「姉様、もう五日も意識不明で食事らしい食事は二週間以上摂っていないとか噂されてましたよ」
さっきトイレの個室に入っていたら、聞こえてきましたとウィリアムが微妙な顔をしている。
「……それは今朝の朝ご飯の準備を手伝う振りしておにぎりを握りながら食べて、母様に怒られていたうちの妹の話か?」
一俵の米はもう半分以上なくなっている。
「その、妹の話ですよ。兄様」
「……ある日突然元気に登校して来たエマを見て、また陰口叩かれないといいんだが……」
いてもいなくても結局頭が痛いな、とゲオルグもため息を吐く。
しかし、そんな様子さえ、令息達に観察されていることを二人は知らない。
「おい、見ろよ。あのゲオルグ様の物憂げな表情を……」
「やはり、あの噂は……」
「ウィリアム様も難しい顔して頭を抱えているぞ」
「お二人共、すぐにでも帰って看病したいのを抑えて学園に通っているんだ……それが、エマ様の願いだから!」
「ううっ」
「悲しい! なんて悲しいんだ……」
◆ ◆ ◆
「教室が湿っぽいわ、ケイトリン」
「教室が湿っぽいわね、キャサリン」
刺繍の授業を終えて魔物学の教室に入ると、生徒の大半が涙ぐんでいた。
「何かありましたか?」
フランチェスカが、ウィリアムに尋ねる。
ウィリアムは狩人の授業の後で、ぐったり怠そうにしているがこれはいつも通りである。
「え? 何がですか?」
「いや、教室の雰囲気が暗いような気がするのだが……?」
ウィリアムが質問を理解してないようなので、マリオンがゲオルグにも尋ねる。
「……ん? 狩人の実技の後は皆、疲れてるからじゃないか?」
周りを確認したゲオルグがいつもと変わらないと肩を竦める。
「ねぇねぇ、ケイトリン? あれ、絶対にお二人が何かしたのよね?」
「ねぇねぇ、キャサリン? やっぱりお二人共エマ様のご兄弟よね? そっくりだものこういうところ……」
双子がきょとん顔のゲオルグとウィリアムを見て、似ていると笑っている。
そこで授業開始の鐘が鳴り、魔物学の強面教師が現れる。
その威圧感だけで、湿っぽかった教室の雰囲気がピリッとしまる。
「今日は、授業の前に課外授業の説明をする」
普段から怖い教師だが、課外授業と言った瞬間に更に威圧感が増す。
これは、絶対にふざけてはいけない……と生徒達はゴクリと喉を鳴らした。
◆ ◆ ◆
「どういうことだ?」
エドワード王子はスカイト領から帰ってきた騎士の報告に眉を顰める。
「スカイト領の結界の近くに、人の住めるような家屋はなく、近くの村で尋ねても、森で人が住んでいたなんて聞いたことがないと言われました」
フアナが森の奥で祖母と住んでいたという家どころか、二人を見かけた者もいなかったのだという。
「それ以前に、あの森は人が住めるような場所ではありませんでした。結界のゆらぎが頻繁に発生し、魔物がうろついている始末。完全にスカイト領の狩人の手が足りておりません」
報告する騎士の表情は苦悶に満ちていた。
それ程魔物を相手に戦うことは大変なのだ。
「フアナ嬢が嘘を言っていると?」
「殿下、あそこで生活なんて不可能です。ましてや老婆と若い娘では一瞬で食べられて終わりですよ」
報告の終わった騎士は負傷した左脚を庇うように立ち上がり、部屋を後にする。
「どう思う? アーサー……」
難しい顔で聞いていたアーサーに王子が尋ねる。
「フアナ嬢云々よりも、結界内で魔物がうろついているのは放っておけません。即座に対策を打たねばならないでしょう」
魔物が森を出て人を襲う前に、取り返しのつかない事態になる前に。
「しかし、これ以上の騎士の派遣は厳しいかもしれません。父の話ではもう、騎士も限界で人員を割けないようです。騎士は対魔物用の訓練はしていませんからね。負傷して帰って来る者が後を絶たないとか……それに、」
負傷した騎士が出ていった扉を見ながらアーサーは頭を悩ませる。
「課外授業の事か?」
「はい。今年はスカイト領の予定です」
社交シーズンと試験期間の間のこの時期に、学園では毎年課外授業が計画される。
魔物学、狩人の実技を受ける男子生徒を中心に募集し、辺境の領へと向かうのだ。
結界の境の見学、狩人の仕事の見学、魔物の加工等を体験し王国の将来を担う若者に王国の脅威を肌で感じて危機管理能力を育てるためと、今の国王が戴冠した際に始められた。
だが、大事な息子が怪我でも負ったらどうしてくれるのだと反対も多く参加は任意となっている。
因みにスチュワート家の治めるパレス領は王都から距離があるために課外授業の場として選ばれることは今までなかった。
「参加者は毎年十人程度らしいが、スカイト領の狩人の負担は大きいだろう。だが、私も間近で魔物を見た者としては、経験しておくべき授業だと思う……難しいな」
フアナ嬢に魔物に課外授業にと問題が山積みですね、とアーサーも悩ましげな表情を浮かべた。
◆ ◆ ◆
「つまり、この課外授業を受ける者は危険が伴うことを十分に理解して親御さんとしっかり話し合ってから参加を……ん? どうした? ゲオルグ・スチュワートにウィリアム・スチュワート?」
魔物学の教師が課外授業の説明をしていると、目をランランと輝かせた生徒が二人、手を挙げている。
「「参加します!」」
「お前達、説明をよく聞いていたか?」
「「是非、参加させて下さい!」」
結界のある領によって、出現する魔物の種類は多少異なってくると聞いたことがある。
見たことのない魔物を狩るチャンスだと兄弟はヤル気満々だった。
教師の説明によると課外授業に参加すれば、魔物学と狩人の実技に加点が付くのも魅力的で、魔物学が少々不安なゲオルグと狩人の実技が少々不安なウィリアムには願ってもない話なのだった。
課外授業は毎年行われるが、ここまで積極的に参加したいと言う生徒は今までいなかった。
「ヴォルフガング先生! では親の許可があれば参加してもよいのですね?」
「先生! 課外授業で成果を出したら古代帝国語も加点してもらえたりしないでしょうか!?」
他の生徒達がゲオルグとウィリアムの勢いに驚いている。
「あ、ああ。ウィリアム・スチュワート、親が許可すれば参加は可能だ。しかし、お前はまだ幼い。もう少し慎重に考えた方がいい。古代帝国語と課外授業はなんの関係もないから加点はしないぞ、ゲオルグ・スチュワート」
「分かりました! 先生、今夜両親に訊いてみます!」
「そんなっ、先生……そこを何とかなりませんか?」
ウィリアムは喜び、ゲオルグはがっくりと肩を落とす。
「あの、お二人共大丈夫なのですか?」
教師が何度も危険だと言っているのにとフランチェスカが心配そうに訊く。
「フランチェスカ様! やはり魔物は実物を見ないことにはどんなに勉強しても身に付かないと思いませんか?」
とウィリアムがもっともらしい返事を返す。
「たしかに、王都に住む私達は魔物を見たことがないものな」
「マリオン様! 最近は狩人の手が足りず、騎士も辺境に派遣されていると聞いています。将来騎士を視野に入れているなら課外授業はやってみる価値があるかもしれませんよ」
とゲオルグがもっともらしい返事を返す。
「課外授業、楽しそうですわね。ケイトリン?」
「課外授業、楽しそうですわ。キャサリン」
双子は説得するまでもなく、興味を示している。
「多分、姉様も行きたがると思います」
令嬢達が親に訊いてみようかしらと思い始めたところにウィリアムがトドメの一言を放った。
「スカイト領は狩人の手が足りずに困っていると聞いたことがあるぞ……」
「ああ、エマ様なら困っている者がいるなら放ってはおかないだろうな」
「俺も騎士を目指す身……病弱なエマ様だって動けるなら参加していただろうに……俺は、何を、怖れているんだ?」
周りの生徒達の目の色が、ウィリアムの一言を聞いて面白いように変化する。
誰もがエマの代わりに困っている辺境の領を助けたいと思ったのだ。
魔物学初級の生徒達は今夜、親に許可を貰おうと心に誓った。
ウィリアムの一言で課外授業の参加希望者が例年の数倍へと膨れ上がることになったのは言うまでもない。
さらには、その中に令嬢の姿もちらほらと。
そして、課外授業に集まった生徒達は奇跡を見ることになる。
意識不明で死にかけていると噂の令嬢が満面の笑みで参加していたのだから。
シリアス「平和だ」
コメディ「平和だ」
ピンチ「ゴールデンウイークだ」
作者「お久しぶりです。ごめんなさい」